20 『あの日』の人達
私がぽうっとしてドルマン様の試合を3試合見終わる頃、ヴェネティスが少し苦笑いをしつつ、それでも「ドルマン様格好いいね」と言ってくれて頷くしかできなかった。
「あの金魚の糞がよくここまでできるようになったようなもんだよな」
「忠犬だったもの、お姫様を守るためでしょ」
「ぎゃはは、ちがいねぇや」
そんな声が、斜め後ろの方から聞こえてきた。
貴族……卒業生ならば外部の生徒が入って来れる。私は聞き覚えのある言葉に、思わずその声の方を振り返った。
少し草臥れた格好をしているが、貴族の身形だ。昼から酒瓶を抱えている。ここは学園だ、まず酒瓶を持ち込むことが無作法だが、それが分からない程落ちぶれているらしい。
男と女の二人組だが、その顔に面影がある。
あの日……私を囲んで笑った、貴族の令息令嬢のうちの2人だ。
女性の方も身形はちゃんとしたドレスなのに、酒瓶を抱えた男性にしなだれかかっている。そこだけ、少し人が避けて座っているのだが、それにも気付かないらしい。
目を見開いて凝視してしまった。
あの時、私は「ドルマン様は優しい方です」と言い張った。それを嘲って、追い詰めて、貶して、乏して、悦にいっていた人たちがそこにいる。
「お姉様……!」
「えぇ、分かっているわ」
私はヴェネティスに袖を引かれて、視線を演習場に戻した。今はB組の試合をやっているが、ルネスト様も無類の強さで正攻法で攻めて相手を場外に押しやっている。
ルネスト様も髪色に合わせた黒に銀糸の盛装姿で、時折ヴェネティスに向ってにっこり笑って手を振っているように見える。観客席に向けたもの、というより明らかに此方を向いているのが、なんだか怪しい。
「あなた、生徒会長に何をお願いしたの?」
「……内緒」
少し拗ねたような顔をしながら、それでも片手を小さく上げて手を振り返している。一応愛想よく振舞っているようだが、相手はルネスト様である。表情がこれでは、真の意味で喜んでいそうな気がする。
「おい、そこにいるの、飼い主の方じゃねーか?」
「あらほんとだわ。馬鹿の一つ覚えみたいに、優しい、としか婚約者を褒められなかった伯爵令嬢様じゃない」
「相変わらずあの金魚の糞の飼い主やってんのかよ。お似合いだな! あはは!」
背中から私を見つけて罵倒している声がする。
私は表情を消して姿勢を正した。これに応じてやる気もなければ、私はこの言葉に傷つくことはもうない。
もっと辛いことを知った。それがいかに特別だからであれ、大事に思われているからであれ、本当に好きな人に冷たくされることも、好きな人と2人だけの世界に閉じこもる事も、辛い。
私がもっと盲目的であれば、それはそれでうまくいったのかもしれない。けれど、私は盲目的ではいられなかった。ドルマン様を守らなければと……あの日思った。その傷を背負いこんだまま会話しなかったから、ドルマン様を突き放し、結果突き放されて、辛かった。
次は決勝戦だ。盛装を汚す事もなく、圧倒的な技量で一瞬で試合を決めるドルマン様の雄姿を見て、まだあんなことが言える人間の目はきっと何も見ていないに違いない。
ドルマン様の積み重ねて来た努力という形は、剣技だけではなかった。
「さっきから聞いてれば、ドルマン殿の何を見ているんだ?」
「あぁ、あんたら侯爵家と伯爵家の三男と次女だろ。家をほっぽってこんな所で酒を呑んでていいのか? 傾いてるって噂だが」
「賭場にも出入りしてるんでしょう? 卒業生だから入れたかもしれないですけれど、これ以上暴言が続くようでしたら警備兵を呼びます」
周囲の生徒が、ドルマン様とついでに私を罵倒する2人の男女に向って毅然と言い返していた。
(……ドルマン様。あなたは、本当に……素敵な人ですね)
私は何も言わない。もう振り返りもしないし、目の中に入れもしない。
背後で尊大にしていたいつかの残像が、周囲の声に圧されて小さくなった気配がする。
ドルマン様はちゃんと、社交性を身に付けられた。その証明だ。
嬉しくて泣きそうだったけれど、次は決勝戦だ。見逃すわけにはいかない。私はそのまま、振り向かずに演習場を見下ろしていた。
口元が、笑っていた気がする。