11 ヴェネティスの本心
「お姉様、身体はどう?」
「あら、おかえりヴェネティス。なんだか精神的なものだったみたい。今はお薬を飲んでゆっくり寝て、元気よ」
「……そう、よかったわ。入ってもいい?」
入り口でドアを開けて様子を窺っていたヴェネティスは、すこしおずっとした様子で私に入室の許可を求めた。
私も話したいことがあったし、どうぞ、と言ってベッドの横をぽんぽんと叩く。
その場所に腰掛けたヴェネティスが、上を向いてから下を向いて大きな息を吐いた。何か、悩んでいるようだった。
「あのね、お姉様。ドルマン様に冷たくし始めたでしょう?」
「そうね。だって、私にだけ……2年も素っ気ないんだもの」
「それは、だって、お姉様が『社交性を身に付けるまで距離を置きましょう』って言ったから。仕方ないけど……、ドルマン様は今では友人もいるし社交性もあると見直されてるけど、前がアレじゃあね。お姉様の言ったことは間違ってないし、お姉様以外とは案外ちゃんと社交できちゃってるのがお笑い草だけど」
私は目を瞬き、妹を見つめた。
そういえば、そんな事も言った気がする。でも、私がそう突き放して、嘆願されて朝の挨拶とランチを一緒に摂るようになっても、私相手にはついぞその社交性は発揮されなかった。
「前はアレ、って?」
「……お姉様も18歳だし、あの頃私たち、まだよく寝込んでたから覚えてないかな? ある日のドルマン様と出かけたお茶会から帰ってきたら、お姉様泣きながらエントランスで倒れちゃったの。すごい熱を出して、3日位寝込んでさ。お医者様はその時も、精神的なものです、と仰って解熱剤と栄養剤を水に溶かして飲まされていたわ」
あれは不味そうだった、とそっくりな顔がおちゃらけて舌を出して見せるから、私は驚きながらも、小さく笑った。
「その時のお姉様を一人にしちゃだめだって思ったし、ドルマン様に何かされたなら私が仕返ししてやる、って思って夜中にベッドに潜り込んだの。そしたら、ヴェネティス『も』甘えん坊ね、って言ったの、覚えてる?」
全く覚えていない。ただ、他人から聞いた話だからか、昨日のような頭痛はせずに一連の出来事が徐々に蘇ってきた。
「それで、昨日思い出そうとしたんでしょうね、その事……。私はね、お姉様が心配だからここにいるのよ、ドルマン様に何かされたの? って少し怒って聞いたの。お姉様は、そのあと、ポツポツとその日あった出来事を語ってくれたわ」
そして教えられた内容と、不鮮明だった記憶が合致していく。顔も思い出せたし、何を言われたかも思い出した。名前は……流石に何年も前の一回きりのお茶会で、熱を出して忘れてしまっていたくらいだ。出てこなかったけれど。
「……思い出したわ。ドルマン様がお手洗いに席を外されて、私一人になった途端に、歳上の令息や令嬢に囲まれて、テーブルに追い詰められて……『あんな金魚の糞と結婚するなんて惨めな女だな』『やめなさいよ、あの忠犬の飼い主に失礼じゃなくて』『碌に会話もできない、社交性もない、ちょっと頭がおかしいよな』そう言って私を囲んでいた人たちが、ワッと笑って……。ドルマン様が戻ってくるまで、私は『彼は優しくていい方です』『彼を侮辱しないで、やめて』って……」
「そう、それで泣いたらドルマン様が何かあったか分かってしまうから、親にも内緒なのよ、って笑って言ったのよ。呆れちゃうわ、泣くのも喚くのも我慢して、彼はちょっぴり泣き虫で優しい人だから、って言い続けていたの」
でも、流石に学園に入学してからもこれはまずい、と私も思ったのだろう。私とすらまともに会話できていない、かと言って家族とは会話できているし、侍女や使用人にも柔らかな態度で接していた。
だから……距離を取りましょう、と言った。けど、そしたら……普通に社交性はあるし、私にだけ素っ気ない。そんな事が2年も続いて……嫌だ、という気持ちが爆発してしまったのだ。最初の私から持ち掛けた、というルーツを忘れてしまうほどに。
一番最初の事件の時の記憶も無かったし、今のドルマン様をそんな風に言う方はいない。
「……ヴェネティス、あなた」
「そうよ。……お姉様にだけ機能不全になるのだから、私もちょっぴり我慢して、ドルマン様も見た目だけはそっくりな私で我慢して、お姉様には別の方を見つけてもらう方がいいと思ったの。だって、ドルマン様、私相手なら大した興味がないから普通だもの。政略結婚だから、それでいいじゃない?」
私の方がよほど周りがよく見えていなかった……、というか、ドルマン様に関してのここ2年以前の記憶をすっ飛ばすくらい、嫌な思いをしていたのか。
そして、ここ2年も、嫌な思いをして……それでも、ヘトヘトに疲れても、体調を崩すほど頑張って思い出そうとしたのも、私はドルマン様に『ちょっと泣き虫で優しい』ドルマン様を求めてしまっていたからだ。
ベッドの上を膝で移動して、ヴェネティスを抱きしめる。彼女も嫌がりはせずに、背中に手を回してくれた。
「ありがとう、ヴェネティス。あなた、よく秘密にしていてくれたわね。それに、優しいわ」
「……知らないのはお姉様とドルマン様だけだから教えてあげるけどね、学園入学前のドルマン様のあだ名は、金魚の糞、お姉様の犬、赤ん坊の婚約者、よ。お姉様こそすごいじゃない、今ドルマン様にそんな事を言う方は誰もいなくなった。……ま、一部の社交界から落ちぶれた方々を除いてね」
そのあだ名までは知らなかった。
「ヴェネティスは本当に優しいのね。でも、あなたが好きじゃない方と結婚するのは、嫌よ。私は、困った方だけど……、ドルマン様ほど優しい男性は他に知らないの」
「いくらでも紹介するわよ?」
「やぁねぇ。そんな方いないわ。靴擦れした女の子の足を冷やして、自分の靴を履かせて、ご自分は裸足で帰りは歩調を合わせてくれる方よ? 12歳の男の子でそこまで一瞬で悟る方なんて、なかなかいないわ」
「あーはいはい、ごちそうさま。もう、……でも、次は熱を出す前に私にも話して。姉妹でしょ、お姉様」
「ありがとう、ヴェネティス」
背に回した腕を緩めて顔を見合わせて笑い合うと、私たちは、また明日、と言ってヴェネティスが部屋から出て行った。
全部、思い出した。ルーツも……目指していたゴールも。
皮肉にも、私と会話する、だけはまだできないようだけれど、それなら、朝の挨拶とランチはご一緒しようかな。
卒業までに会話できないようだったら……お互いのために『本当に』よくないので、お別れしなくちゃ。
たくさんの事を思い出して、考えて、疲れた私は再びベッドに横になると夕暮れの中目を閉じた。