10 全部、私のためだと?(※ドルマン視点)
グレースが体調不良で休みだと聞いたのは、2限目が終わった休み時間だった。
ちょうど次の授業は同じだったが姿が見えず、通りがかったヴェネティスが顔を曇らせて教えてくれた。
私はグレースに素っ気なくされてから、エントランスで女性を褒めるような気分ではなく、続けてきた習慣をやめてしまった。誰も困りはしないが、大丈夫? と声を掛けてくる友人は何人もいた。男女問わずだ。
それよりもグレースが心配だった。帰りに見舞いに行こうかと呟いたら、ヴェネティスが「それはやめて」と止めてきた。
「お姉様はすぐ元気になるわ。だからドルマン様、少し放っておいてあげて」
「……わかった」
ちょうどルネスト殿に相談したいこともあったし、4限目に一緒になった時にランチに誘った。
卒のない微笑で構わないよと言われて、ホッとした。二人で話せる場所がいい、と言ったら、じゃあランチボックスを買って生徒会室で、と頷いてくれたのはありがたい。
そして広いテーブルを挟んで向かい合って食べながら、話を切り出した。
「相談があるんだが……」
「グレース嬢のことだろう? 彼女の話だけを聞くなら、君の態度は褒められたものではないね」
ズバリと切り込んでくる。が、グレースの話だけを聞くなら、と前置きしただけあって面白そうな視線を投げかけられた。
「分かってる、褒められた方法でない事は。……ただ、彼女が言ったんだ。距離を置きましょう、と。私が……社交性を身に付けるまで」
そこをなんとか嘆願して、朝の挨拶とランチを一緒に摂る、という事にはしたが、なぜ彼女は私に冷たくするようになったのだろうか。
そこが分からなかった。
「それは、本当にそれだけ言われたのかい?」
飲み込み掛けたポテトサラダを胸に詰まらせそうになった。図星だ。
「……正確には……『ドルマン様は、何故私を見ると綺麗としか仰ってくださらないんですか? 適当に扱えば、喜ぶとでも? お茶会も夜会も、入場してから退場するまで、他の方を蔑ろ、時に敵にするような態度で私につきまとって、これでは社交になりません。なので、社交性を身に付け、綺麗だ、以外の言葉で私と会話できるようになるまで、距離を置きましょう』だ。ショックだったから、よく覚えている」
私の言葉を聞いた生徒会長は、困ったように笑って、用意の水を飲んだ。
どうしようかと迷っている様子だったが、まぁさすがに18にもなれば、と呟いてこちらを見る。
「ドルマン殿。私は公爵家の次男で、それなりに社交の場にも出てきていた。それを言われたのはたぶん、学園入学前だと思うが……つまり、15歳の時だと思うんだが」
「そ、そうだ。なぜ……?」
「その頃の君のあだ名を教えてあげよう。——金魚の糞、グレース嬢の犬、赤ん坊の婚約者。知らなかったかい?」
私は頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。一体何故、と反射的に口から出そうになったが、片手でそれを押さえる。
「失礼ながら、当時の私から見ても君はそういう人間だったよ。グレース嬢から離れようとせず、グレース嬢が誰かと会話をしていたら敵意剥き出しで睨み、誰か友人を作ろうとも、グレース嬢と一緒にどこかの輪に混ざろうともしない」
あの頃の自分は周りからそう見られていたのか。
それは確かに、社交性を身に付けろ、と怒られても仕方がない。
「かと言って、観察していてもグレース嬢ともまともに会話も出来ていなかった。見惚れていたのはわかるけどね、何を話し掛けても『綺麗だ』としか返ってこない会話にうんざりするのも、分かるよ」
……そういえば、グレースを見るとその言葉しか浮かんで来ずに、話しかけてくる言葉が嬉しくてまともに返事もできず、確かに、綺麗だ、としか言わなかった気がする。
それは、もう、大変なコミュニケーション不全を拗らせていた。頭を抱えてしまう。
ルネスト殿がキッシュを食べて少し間を空けて、さらに追い討ちをかけた。
「そして距離を置いた途端に、彼女との会話は全くもって会話にならなかったのに、女性を卒なく褒め、夜会では男性陣に混ざって会話をし、彼女とは碌に会話も出来ないし、しない。これを2年も続けられたら『自分にだけ素っ気ない』と思われても仕方ないとは思わないかな?」
ぐうの音も出ないほどの正論だ。私はランチボックスの残り半分を食べる気にならず、蓋を閉めて紙袋に入れた。
人の作った料理を捨てるのはいけないことだ。無下にしてはならない。
「あぁ、これらの事はグレース嬢に言わないように。彼女はかなり、ショックを受けている。私は彼女が君にそれを言い出したキッカケの出来事の場に居合わせた事がある……その上で、彼女に『ルーツを思い出したら分かるのではないか』とアドバイスした。そして今日の休みだ。少しばかり反省しているから、君には全て話したが……君は、もう少し彼女と距離を置いた方がよさそうだ」
こんな他人からの話で、ランチが喉を通らなくなるならね、とルネスト殿は付け加えてランチボックスを完食した。
……知らない事ばかりだった。
私の行動が起因で、彼女は……、私と距離を取る、と? そして、社交性を身に付けて会話できるようになるまで、と言ったのに、距離を取った途端に私が他の人間と実に社交的に接している。
自分に置き換えたら、最悪だ。情状酌量の余地はない。
青白い顔で俯いている私に、ルネスト殿が追い討ちをかけてきた。
「……そうだ、今度の学園祭。エントリー式の剣技大会があるだろう、あの刃を潰した剣で行う試合だ。アレを盛り上げたくてね。君は剣の腕がたつそうじゃないか。決勝まで上がってきて、私との勝負に勝ったら……『きっかけの出来事』を教えてあげよう」
それが今回の相談に乗った報酬でどうかな? と、自信満々の笑顔で言われて断れるはずもない。
私は、胸が締め付けられるような苦しさを覚えながら、わかった、と返した。
「必ず勝つ」
「そうしてくれ、でないと盛り上がらない」
ごちそうさま、と水も飲み終わった彼の後に続いて、私は生徒会室を出た。