Ⅰ.Ⅸ.不滅の火炕
「——っ! ミナト、落ち着いて聞いて」
何の脈絡もなく、リア・シェフィールドが切り出す。
ミナトとリアが揃って牢屋に入れられ十日ほどたった頃だろうか。
いつもと変わらずリアの歴史話を聞いていた最中だった。
「総督が、亡くなったわ」
「——!?」
驚きつつも、ミナトにはしっくりくるものがあった。
——契約である。
総督の死亡により、冷房仕事を請け負った際にミナトとの間で交わした契約が、無効になったのだ。
契約が無効になった時に、その対象者は不思議な感覚に襲われる。脳内の今まで何もなかったところに、「この契約は終わった」という記憶だけが、確固たるものとして刻まれるためだ。
リアが総督の死亡を悟った理由も同様のようだった。
その後の話が続かない。
リアは、自身で感情を整理するように、一点を見つめて黙ったままだった。
しばらく経った後、リアは頭をブルブルと振る。
「ミナト、ここから出るわよ」
「そんなことが、できるのか? だったら初めから——」
「——できるように、なったの」
そう言うと巫女はミナトの顔を見つめる。
「貴方の能力。洗礼の日、私は何て言ったか覚えているかしら?」
忘れもしなかった。
ミナトはその日のことを思い出す。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
通常、能力者の≪洗礼≫は市庁舎の大堂で執り行う。
ミナトが案内されて入った大堂は、古の戴冠式もかくやと思うばかりであった。
天井の高い位置に窓が付いていて、そこから差し込む光が漂う埃までもを照らし出している。
向かって奥の真ん中には、ミナトの身長ほどもあろうかという背もたれがミド派手な椅子があり、一人の少女が鎮座していた。
「ミナト・エモン殿。巫女の前まで参られよ」
ゆっくりとした低い声だった。声の持ち主であるニューシェフィールド総督の指示に従い、前に歩み寄る。
大堂は人でひしめき合っていた。珍しい能力の持ち主が現れないか、やじ馬精神逞しく見物に来ているのだ。巫女の護衛には多分の人数が咲かれていたが、入場自体にはこれといった規制もされていなかった。
歩み寄るにつれ、巫女の少女の顔が鮮明に見えるようになる。また、鮮明に見えるようになるにつれ、その顔を見ていられなくなった。あまりにも透明で無垢な、天の国より不可侵とでも言わんばかりの瞳がまっすぐミナトを見つめていたからだ。目が合うと恥ずかしくて照れてしまうなんて感情を、自分より五歳以上年下と思われる少女に抱くことを恥ずかしいとも思わないほどに、この巫女は美しかった。
——二人の出会いである。
「能力名≪火炕≫——マナを操ることで、周りの温度を変化させることができるわ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
——あれは、嘘よ。
リアはミナトの顔を見つめたままだった。
「いえ、正確には、能力の一部分だけを伝えた、というのが正確ね」
「そういや、この間も、言い淀んでいたな…… 総督との契約が切れたことと関係があるのか」
「能力者には階級があることを知っているかしら」
「階級——? よく聞く、三つのクラスの事か」
「無理もないわね。あまり公にはされていないもの。——クラスは、合計七つ存在するわ」
巫女はミナトに能力者の階級を説明する。
クラスⅠ.≪個人級≫
クラスⅡ.≪集団級≫
クラスⅢ.≪進歩級≫
クラスⅣ.≪地区級≫
クラスⅤ.≪都市級≫
クラスⅥ.≪国家級≫
クラスⅦ.≪世界級≫
一般の人間が知りうるのはクラスⅠからクラスⅢまでであり、クラスⅣ以降は意識的に秘匿されている。
——世界で唯一能力を与える能力を持つ≪洗礼の巫女≫とそれを庇護するニューシェフィールド総督の間で交わされた契約によって。もっとも、クラスⅣを超える能力を持つ者は年に一度現れるか否かというほど珍しいものではあるのだが。
「貴方の本当のクラスは——クラスⅥ.≪国家級≫よ。やろうと思えば、国一つ滅ぼせる程のね」
「そんな——? 今までそんな力を感じたこともないぞ?」
「それは、わざと中途半端な命名をしているからよ」
「なんで——」
「——なんでそんなことを? でしょう。さっき言った通りよ。強力な能力者は、その人一人で国を亡ぼすほどの力を持つの」
「悪用する奴が現れないように?」
「ええ。その通りよ。私の命名でクラスⅣ以上を出したのはただ一人、クラスⅤ.≪都市級≫である、≪閃光≫レイ・ヘイリただ一人よ。わざわざ総督との契約に、例外追加を施して、ね。でも、実は、そんな心配は要らなかったの。そもそもクラスⅢ以上の能力を持っている人なんて現れなかったもの。——あなたが来るまでは」
「俺が——」
「そう。あなたが」
「どうすれば、その力を使えるようになるんだ。そうすれば、ここから出られるというのは——?」
「一つ目の質問。——再命名を行うわ。貴方の力のすべてを引き出すための。二つ目の質問。笑っちゃうのだけれど、単純に壁を破壊できると思うわ。貴方の力を以てすれば何だって打ち壊せる。私たちを陥れた誰かも、レイを襲った暗殺者も、ルミア軍団国全体をも。その力を、貸してくれないかしら」
「——」
ミナトの様子を見たリアは、はっとしたように続ける。
「——御免なさい。貴方の都合を考えずに話してしまったわね」
正直言うところ、ミナトは実感がわかなかった。そして、覚悟もできていなかった。この十日間、とめどなく様々な話をしていたのも、実のところ、ミナトにとっては不安を紛らわせるためでもあったのだ。
いきなり訪れた総督の死。牢獄を出た自分たちの立場がどうなっているのかも分からない。
そのことがまだ整理しきれていないうちに、巫女から聞かされた自分の能力の真実。
何が何だか分からなかった。
けれど——
単純に考えよう。自分は、この巫女と過ごす日々を守りたいのだ。
地下牢に閉じ込められるでもなく、リアが遠い国に連れ去られるでもなく、そばに居たい。
それだけでも、受け入れる意味はある、そう考えた。
「ミナト——」
それに、懇願するような巫女の目を見て、エモン・ミナトにほかの選択肢を取れるはずがなかった。
「改めて、宜しく頼む。」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
≪不滅の火炕≫
再度洗礼を受け、そう命名されたミナトの能力は単純だった。
マナの吸収と放出。この二つの機能が強化されたのだ——途轍もない程に。
放出したマナのエネルギーで牢獄の扉という扉をぶち破り、看守を跳ね除けたミナトとリアは、市庁舎へと急いだ。
「まずは病室へ——レイの保護を! 胸騒ぎがするわ」