Ⅰ.Ⅵ.面倒な乙女
——どうしてこうなった。
薄暗い牢獄の中、ミナトは固い床に座り込んでいた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
謎の少女、エミネ・シェヒラビュユクとの激戦の後、ミナトは傷ついたレイを背負い、インナーウォール地区にある都市衛兵の詰所まで運んだ。
都市内に八つある地区ごとにそれぞれ詰所をもつ都市衛兵は、主に市内の治安維持をその役務としていた。その中でも、インナーウォール地区の都市衛兵は特別で、通常の役務の他に、城壁の維持——常時には保守整備をし、戦時には各々が城壁の守備兵として戦う責務を負っていた。
そのために、インナーウォール地区の都市衛兵には、自分たちは都市衛兵の中でも第一席にあると自負する者が多い。
地区ごとに衛兵を率いる隊長がおり、他ならぬインナーウォール地区の隊長こそが、レイ・ヘイリであった。伝統的に≪閃光≫の能力名を持つ者が務めるインナーウォール地区の隊長は名誉職のようなもので、実際は副隊長が実務面を負うことが常ではあったのだが。
とはいえ、レイ・ヘイリが誇り高い彼らの隊長であることには変わらない。
ボロボロになった自らの隊長を見た衛兵隊員たちは動揺し、ぞろぞろと集まってレイを医務室に運んだ後は、それでは自分らの隊長をこのような目に合わせた犯人は誰か、という話になった。
——迂闊にも、ミナトはその時まで気が付かなかった。
「彼女は——海辺で、女に襲われていたんだ。」
こんなことを言い出す男が、怪しくないはずがないことを。
ましてや、どんな奴だったかと問うと、わからない、の一点張りなのだから。
傷付いたレイを詰所まで運んで来てくれたことを感謝されたのも始めのうちだけで、時間が経つにつれ雲行きが怪しくなると、それすらもミナトの自作自演では、と疑われる始末だった。
衛兵たちがミナトと言い合っていると、医務室から、レイの応急処置を終えたらしい医療担当の医者が出てきた。
都市衛兵の詰所は、即ちその地区の病院も兼ねていた。
先々代の総督が、少し離れた国に存在する、とある騎士団を参考にし、元々あった医療機関を都市衛兵の組織を統合したためである。
「何をしている。——ヘイリ様は幸いにも、致命傷はないようだ。安静にしていれば、じきに良くなられるはずだ」
そう医者が見解を述べると、ミナトともみ合っていた衛兵のうち一人が言い出す。
「それならば、ヘイリ様が目を覚ますのを待って、この男に対するご見解を聞いたらよいだろう。犯人であるなら、すぐにわかるはずだ」
周りの衛兵たちも賛同する。
決まったとばかりに、リーダー格の衛兵が仕切り出す。
「急ぎ副隊長に報告せよ。レイ・ヘイリ隊長負傷。何者かによる襲撃のため。容疑者と思われる男を確保、拘束中。以上だ。」
「おい! ——そんな! ——っ!」
焦るミナトの手に、憎らしいほどの早業で縄がかけられた。
それからは、ミナトが何を言っても無駄だった。
縄をかけられたまま馬車に乗せられ、少し揺られた後にミナトが入れられたのは、拘置所とは名ばかりの、ただの牢獄だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
牢屋の中で、静かに座り込むしかないミナトの頭に、様々な考えがよぎる。
今日の予定がおじゃんになったが、ちゃんと相手に連絡は行くのだろうかとか、孤児院のおじさんが心配するだろうとか、レイはいつ目を覚ますのだろうか、そもそもちゃんと無事なのだろうかとか、悩みの種は尽きなかった。
寝床から見るに二人用らしい部屋に、幸いにもまだ同居人がいないことも、ミナトには何の慰めにもならなかった。
疲労もあったのか、ミナトは自分でも気づかないうちに、そのまま眠りこけた。
——ミナトの目を覚ましたのは、部屋の扉を開ける音であった。
開いた扉から見える光景は、レイが起きて無実の罪が晴れたか!? との期待を打ち砕くには十分だった。
「——リア?」
そこにあったのは、看守に縄でつながれた、≪洗礼の巫女≫リア・シェフィールドの姿だった。
「リア——!? どういうことだ!? なんで——」
思いがけず牢獄に現れた≪洗礼の巫女≫リア・シェフィールドの姿に戸惑いを隠せないミナトを、看守が制する。
「だまれ! 反逆者め。 ——このメスガキもだ!」
看守がリアの縄を引っ張る。結び方が痛いのか、リアの表情が苦悶にゆがむ。
「……乱暴にしないで」
「うるせえ! 何を勘違いしたか、裏切りやがって! 巫女様、巫女様と囃し立てられるのをいい気にでもなったか? てめえ一人じゃ何もできねえ、総督様の庇護があってこそのくせになあ! ああ!? なんとか言ったらどうだ!?」
「——あなたに何を言っても、仕方が無い事だわ。」
「かわいくねえぜ! ——そこの野郎と裏切り者同士、よろしくやっときな!」
看守はそう吠えると、リアを牢獄に押し込み、鍵をかけた。——縄はお仲間に解いてもらうんだな!
ドアを閉められた途端部屋を満たす沈黙に、何が起きたか未だ理解ができていないミナトは飲み込まれてしまったかのように動けない。
「……だそうよ。——ミナト、悪いのだけれど、お願いできるかしら?」
ミナトの意識を引き戻したのは、彼らの置かれている状況に似つかわしくないほど平坦なリアの口調だった。
固く結ばれた縄を解くには、爪を折れそうになるくらいに立てながら引っ張らなければならなかった。縄がきしむ音が聞こえるほどの沈黙を、リアが破る。
「——昨日の夜は来なかったから、心配したわ」
「すまない。この有様だ。」
「知ってる。でも、無事みたいね。——よかった」
ミナトが初めから聞きたかったことをようやく言葉にできたのは、このタイミングだった。
「一体、何があったんだ。」
「——嵌められたわ」
これもまた静かに、巫女が答える。
≪閃光≫レイ・ヘイリが暗殺者に襲われて負傷。
犯人はミナト・エモン。
裏で手を引いていたのは、≪洗礼の巫女≫リア・シェフィールド。
ミナト・エモンは夜な夜な巫女の部屋に出入りをしていた。
巫女は、レイの首を手土産にルミア軍団国へ身売りを図ったものと思われる。
リアは淡々と、今この街で一番信じられている事件の”真相”をミナトに話した。
「そんな——!? 出鱈目だ!」
ミナトは理解ができなかった。たった一日で、こうも偽りの事実が作り上げられ、ましてやそれを信じる者が本当に≪洗礼の巫女≫を捕らえるまでに至ることが。
「そうよ。出鱈目。——誰かが意図して撒いた嘘」
縄は解き終えていたが、リアはまだミナトの方を振り向かずに続ける。
「——そこまで分かっていながら、私一人では何もできなかった。……案外、あの看守の男が言うことも間違っていないわね。他人の庇護がないと何もできない、ただの思い上がったお子様——」
振り返った巫女は、その表情をミナトに見せないまま部屋の奥へ移動し、膝を抱えて座り込む。
「——ごめんなさい、ミナト、あなたも巻き込んで。それに、——幻滅させてしまって」
巫女が胸に秘める思いとは裏腹に、膝を抱えて座り込むその姿は、只の拗ねた子供のようだった。年不相応の重圧に苦しむ巫女を思うと、ミナトは居ても立っても居られなくなって、巫女の隣に移り、同じく座り込んだ。
「巻き込まれたなんて思ってない。あの日レイを助けに行ったのは自分の意思だ。それに、リアに幻滅だなんて、するもんか。俺のこの力は、他の誰でもない——リアに授かったものだ。リアはそれだけで、俺にとって特別なんだ。」
「——口説かれているみたいね。そして私は、精神が不安定でどこまでも構ってほしい面倒な乙女みたい」
そう言うと巫女は、やっと少し笑った。