Ⅰ.Ⅳ.火炕
ミナト・エモンが道端でぶつかった少女は、尻餅をついた拍子だろう、小さな手帳を落としていた。
製紙法の改善により大量に紙が入手できるようになった今とはいえ、手帳は依然として、ちょっとした高級品には変わらない。
手帳の中身まで見る趣味はミナトにはなかったが、表紙に使われている紙の質感から、相当に使い込まれている物のように見えた。
気づくと少女は、もうずいぶんと先に進んでいた。
「おーい、手帳落としたぞ!」
大声を出してみるも、振り返ってくれる様子はない。
仕方なく、少女の走っていった方へ追いかける。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
——一体、どうなってんだ——?
途中で見失ってしまったこともあり、再び少女を発見するまで少し時間がかかってしまった。
街の人に聞きながら行方をたどった先で見た光景を、ミナトはとても信じられなかった。
ミナトが立っている丘を下った海辺には、少女が二人いた。
一人は、さっきぶつかった少女だ。まっすぐな長い黒髪をよく覚えている。
もう一人は、見知った顔ではなかった。
真っ白な肌にグレーかかったブロンドの髪。
背丈は黒髪の少女より高く、丈が短く切ってあるキュロットから伸びる、細く長い脚が、遠目からでも眩しく映える。
ケンカ……?
近づく前はそうとも思ったが、そんな悠長なことを考えている余裕は、一瞬でかき消された。
グレー髪の少女は、小振りながらも手に武器を持っていた。
ミナトがそれに気づいた刹那の事だ。
武器を持った彼女のその手で、強烈な一撃が放たれ、黒髪の女の子が吹き飛んだ。
衝撃の瞬間の苦しそうな声が、ミナトにまで聞こえた。
(なにやってんだ!? 早く止めないとまずい——!?)
丘を下って駆け寄る。
だけど、どうやって止める?
グレー髪の少女は、何やら武器を持っている。
先ほどの一撃を見るに、動きも常人とは思えない。
それに——
強い、マナの気配を感じる。
ならば答えは一つだった。
——能力者か……
ろくに人とケンカもしたことがないミナトのことだ、ここで出て行っても返り討ちにされるかもしれない。
いや——
グレー髪の少女は、吹き飛ばされて倒れた少女に歩み寄る、まだ攻撃するつもりなのか?
ミナトに、もう迷う時間はなかった。
「そこまでだ!」
——ミナト・エモンは、巫女よって命名されたその力、能力名≪火炕≫を全開にして叫ぶ。
グレー髪の少女——エミネはミナトの存在に気づき、振り返った。
「——っ、こんだけの時間ちんたらしてたら、邪魔も入るってもんだぜ!」
エミネはそういうと、またもや両手の武器を双槌へと変化させ、迎撃態勢をとる。
(さすがに、そのまま逃げてはくれないよな……)
淡い期待を打ち砕かれたミナトだが、企みがないわけではなかった。
——銀行でクランと試した、マナの吸収。
この距離から狙いを定めて、彼女のマナを吸収すれば…… そして、さっきのクランみたいに、動きが鈍ってくれれば、黒髪の少女を担いで逃げるくらいはできるかもしれない。
ミナトはマナの扱いに力を込めていく。
それから叫ぶ。精いっぱい堂々と、同い年くらいの少女にビビっていることがばれないように、加えて少しの時間稼ぎも兼ねて。
「俺はミナト・エモン——能力名≪火炕≫だ。 ——その子に用がある。」
喋りながら、どこかでこんなことを聞いたのを思い出した。
能力者同士で対峙する際は、名前と能力名を名乗るのがしきたりであると。
「……畜生、名乗んなよ。————私はエミネ。エミネ・シェヒラビュユク。遺物≪征服者≫の双槌を持つ者だ。悪いな、私もこいつに用事があったんだ。——でも、もう済んだ。」
「——なっ!?」
「安心しな、殺しちゃいないさ。——殺す必要はないんだ。私の目的は、≪閃光≫レイ・ヘイリの無力化。これで達成さ。そこに転がってるお姫様は——向こうひと月は目を覚まさねえはずだ。目を覚ましたとしても、当分はマナを使えない。 あとは邪魔しに来たお前をぶっ倒して、トンズラこくだけだ。」
「レイ——だと? その子が、≪閃光≫のレイだって言うのか?」
意外な事実に、ミナトの頭は追いつかない。返答はオウム返しでしかなかった。
「——? なんだよ、お前、レイの護衛じゃねのか? こいつが誰かも知らないで、能力名を名乗ってまで邪魔しに来たのか? 何の用事があるってんだ?」
「——彼女の落とし物を、届けに来たんだ。」
「っはあ!? そんな小市民的な理由で、こんなヤバそうな現場に首突っ込むかよ!? アホかあ!?」
やり取りをしているうちに、空気は、空気だけは冷やせているのを感じる。
しかし、あまりにも手ごたえがなさ過ぎた。
エミネと名乗る少女が動きを鈍らせる様子はなかったのだ。
マナが吸えていない——?
ミナトの能力で下げられる温度は、どんなに低くても水が凍るギリギリ位までだ。
それだけでは足止めにならなかった。
「——なるほど、ずぶの一般人ではないみてえだな。さっきからやけに寒いのはお前の能力か? 凍らせようとでもしてるんだろうが、こんなヤワでブルっちまう私じゃねえ!」
そういうや否や、エミネは槌を構えミナトに突っ込む。
——踏み込みが早すぎる。避けるにも間に合わない。
ミナトにできた精いっぱいは、反射で手を前に持ってくることだけだった。
——やがてミナトを襲いその身体をぺしゃんこにするだろう衝撃に備えるも、それは一向に訪れない。
代わりに、そこには驚愕した表情のエミネが居た。
「そんな……! ——≪遺物の左槌≫が!? 」
つい先ほどまでミナトを屠ろうとしていた、彼女の左手に握る槌は、柄の部分だけ残して砕け散っていた。