Ⅰ.Ⅱ.列に並ぶと話がはかどる
議会での仕事を終えたミナトは、軽い昼食をとると船着き場近くにある銀行まで足を伸ばしていた。なけなしの所持金を郵便の少女クランに支払ってしまったため、新たに現金を引き出さなくてはならなかったのだ。
——徹底抗戦。
これが、今日の議会で決まったルミア軍団国への対処方針だ。
総督を始め、議員連中が強気なのはひとえにニューシェフィールドの決戦兵器、≪閃光≫レイ・ヘイリをあてにしてのことだろう。
≪閃光≫——それはある家系が代々受け継ぐ能力の名前であった。
今から二代前の≪閃光≫、レイ・ヘイリの祖母に当たるその能力者は、都市を包囲する十万の大群をその輝きの一閃で葬り去ったという伝説が残っている。
そこから二回代替わりはあったものの、引き継ぐ能力は等しい。
≪閃光≫がいる限り、ニューシェフィールドは不落と言っても過言ではないと思われた。
そういった状況の中、議会としてもわざわざ和平の道を探すこともない。
開戦は避けられないだろう。
今後のことを考えると、いつお金を引き出せなくなるかもわからない。備蓄用の食料も買い足しておかなければならなかった。
銀行へ行くタイミングとしては、丁度いいと言えば丁度いいのだが——
到着すると、財産引き出しの窓口には長蛇の列ができていた。
「これなんだよなあ。来るたびに気が滅入る……」
愚痴っていても仕方がないのでミナトは行列の最後尾を探して並ぶ。並ぶときには前の人に、「引き出しの列ですか?」と確認した。前に一度間違えて違う列に並んで、並び直しというひどい目に遭ったことがある。
受付では係のお姉さんが客の名前を聞いている。ちょうど客が入れ替わるところだ。次の客はミナトと同じ 「旧東方系」の男らしい。
受付が始まったようだ。
「お名前は?」
「テイラー・ヒラノです。」
「ミスター・ヒラノ、どちらの地区で?」
「インナーウォール。」
「はい、少々お待ちを。」
人の好さそうな笑顔で会釈した銀行員は、一度奥へ引っ込む。
戻ってくると、手には一枚の帳票を持っている。
ここまでで既に五分ほどかかっていた。
「お待たせしました。それでは、まずは本人確認をお願いします。」
男は紙に手をかざす。紙にはマナの力が宿っており、口座を作る際に一度触れることで、個人を登録しておくことができるのだ。
自らがマナを操れない者でもこの登録はできるため、特に非能力階級の市民に評判が良かった。≪元の世界≫の開拓者が建てた街といえど、五百年の月日が経てばいろんな人が移り住むようになるものだ。
「——はい。確認とれました。残高と取引履歴をご確認ください。間違いないですか?」
「ええ、相違ありません。」
「それでは、本日は何を引き出しましょうか。」
「現金を三万ゴールド。それから、預けていた鍵番号114番もお願いできますか。」
「承知いたしました。」
銀行員は帳票に書き込んでいく。
「それでは、ただいま倉庫からお持ちいたします。到着しましたら名前をお呼びしますので、掛けてお待ち下さい。鍵の方は専用倉庫からお持ちしますので、もしかしたら後から受け付けした方が先に呼ばれるかもしれません、ご了承ください。」
「結構です。よろしくお願いします。」
「ありがとうございます。それでは、次の方!」
列に並ぶ人たちやそのほかの用事で銀行に出入りしている人たちの喧騒で、具体的に受付でどんな話がなされているかミナトには聞こえなかったが、こういった調子で一人づつ対応しているものだから、二十人捌き切るにはもうしばし時間がかかるだろうと改めて気が滅入った。
「うひゃー、やっぱり人が多いですね~。あ、引き出しの列はここですか?」
後ろから声を掛けられる。振り返ると、ついさっき見た顔がそこにはあった。ミナトに声をかけた少女の方もそれに気が付く。
「あっ、あなたはさっきの……!」
そういうと少女は後ろに飛び退く。
「空運屋の娘か。なんで避けるんだよ。引き出しの列で合ってるぞ。」
「クラン! です! またさっきみたいに、こう、複雑な気持ちにさせられるかと思いまして、つい……」
「俺はなんもしてないよ。ほら、並べ、クラン。割り込まれるぞ。」
「う~。あれは何だったのでしょう——今度は何も起こらないですね」
クランはミナトの手を取り、べたべたと触りながらつぶやく。
急な出来事に驚き、ついまじまじとその顔を見つめてしまった。
ばっちり開いた大きな眼と、全体的に漂う幼さの割には引き締まった眉、申し訳程度の小さな鼻と口は、彫刻のように形が良い。そんな美しい少女に何度も手を握られては、成人になりたてのミナトはたまらず動揺した。
気づけばクランの方も彼を見つめ返している。
心なしか顔が赤いのは、室内に充満する熱気のせいだろうか。
「——し、失礼しました。あの感覚がどうも忘れられなくて。」
「い、いや、いいんだ。」
ほぼ初対面の相手とは言え、沈黙が気まずいのは変わりない。
仕方なしに、ミナトは思い当たる可能性について話してみることにした。
議会場では火のマナを吸収している状態だったこと。
そんな中手を触れたのでクランのマナを吸収してしまったのではないか。
そんな推測である。
「なるほど…… そしたらそれを、も、もう一回やってみてもらえませんか?」
なぜか恥ずかしそうに手を差し出しながらクランが言う。
本当は、公共の場で能力を使うのはあまり好きではなかった。ミナトの能力にお金を払ってくれている人がいる以上、不特定多数にタダで提供してしまってはきまりが悪い。
しかしながら、こうも面と向かって懇願されては断りづらい。出力を低くし、周りの気温が変わらない程度に試してみよう。ミナトも、自分の能力にどこまで用途があるか興味があった。
「さ、先っぽだけだぞ。」
「先っぽって、何のですか……」
少女の指先に触れると、いつもやっている大気からのマナ吸収の代わりに、意識して目の前の少女を対象としてマナを吸収する。思えば、仕事をしたての頃に覚えた、室内だけをマナ吸収の対象にするコントロールの応用であったため、なんとも容易だった。
「あっ、そうっ、こ、これっ、です……!」
予想は大当たりらしい。
よくよく考えると、対象を絞っているのだから部屋の気温が変わることもないだろう。どこまでマナを吸収できるのだろうか気になり、出力を上げてみた。
「ん、ああっ——」
少女はその場にへたりこんでしまった。周りの視線が辛い。
「お、おい大丈夫か。痛くないか。」
「い、いえ、痛くはないです。むしろ、ちょっと気持ちいいかも。——あ、あれに似てます。ガマンしてたおしっこを漏らしちゃったときみたい。わかります?」
「そんなのわかるかっ! ——っと、立てるか?」
「ちょっと力が抜けちゃって。引っ張ってもらえませんか?」
「ほいよ。」
少女を引き上げると同時に、反対に気温を上げる時のようにマナを放出したらどうなるのだろうかふと気になり、試してみる。
「ひゃうっ! さっきとはまた違う感覚!」
「さっきとは反対にマナを送り込んだんだ。力が入らなかったのは急激にマナが減ったからだろう。上手くいったようだからもう大丈夫だ。手を離すぞ。」
「本当ですね。うー、何か力が湧いてきたような気がします! ——まあ、私は≪回帰≫の子孫ではありませんし、マナを扱えないので、あまり意味ないですが。」
そういいながらも、クランは手を離す様子がない。手を振りほどこうとしてもがっちりつかんでいる。顔は恥ずかしそうにうつむいたままだが。
——もう少し遊んでほしいのか。遊び盛りの子供が、お父さんに高い高いされて喜んでいる感覚なんだろう。ミナトがもう何回かマナを出したり入れたりして遊んであげると、クランは悶えながらやっと手を離した。
「おい! 列が進んだぞ、いつまでもいちゃこいてんじゃねえ!」
後ろに並んでいた商人風の男にに叱られてしまった。
二人は赤面しながら進む。
前の人に追いついてからは、他愛もない世間話で時間をつぶした。
タルタル空運組合の本拠地は寒くてしょうがないだの、おすすめする香りの髪石鹸はどこのお店だの、そういった類の内容だ。
列も終盤に近づいたころ、少女は、改まったように顔を近づけて小声でミナトに訪ねる。
「それにしても、会議の後さっそくお金をおろしに来ているということは、やはりあの手紙はただならぬ内容だったんですね……?」
「——それは、言えない。」
人の多い銀行内でできる話ではないのも確かであったが、それ以上に、ミナトは契約で縛られていた。
いわば部外者であるミナトが議会に立ち会う都合上、初めに総督と結んだ契約に、会議が終わった後はその内容をよそで話すことができないことが記されている。
そんなものは勝手に破ったらよいと思われそうだが、そうはいかない。
能力者同士の契約にはマナによる制限が付与される。
能力者であれば誰が相手でも、記載されている内容は必ず守られた。
不思議な感覚だ。思い切ってそのことを話そうとしても、頭の中でつっかかってしまって言葉が出てこない。何かマナを使ったタネが仕込んであるのだろう。
そんな事情をつゆ知らないクランは、単にミナトが秘密保持の精神で口を閉ざしていると勘違いしたらしい。
「まあ、そうでしょうね。今日初めて会った、ましてや他国の人に言うわけにはいきませんもんね。無理には聞きません! でも、おおよそ察しはついていますけど。あなたが銀行にいたことで確度が高まりました!」
「この話はよそう。クランも一息ついたら早いところ街を出ると良い。」
その言葉を発した後に、ミナトは気が付いた。会議で知った情報を直接話すことはできないが、それに基づく自分の考えであれば口にすることができた。
「いえいえ、そんなことはしませんよ。仮に、仮にですね。この街がどこかの軍団に包囲されてしまったとします。陥落は目前、でも誰も街から出られない! そんな時に私が現れるのです。タルタル空運組合の大鳥≪アルジョン≫が曳く籠には、私を除いてもう二人は乗れます。一人頭一万ゴールドで町の外まで乗せますよー! となったらお金持ちさんは食いつくに違いありません! ——ぐふぐふ、二万ゴールドもあれば一年は遊んで暮らせますよ。」
まだ少女だというのに商魂たくましいものだ。
「はいはい。——くれぐれも無理だけはしないようにな。」
次の方、と受付に呼ばれる。
「順番だぞ、お先にどうぞ。」クランに声をかけ、手を振って送り出す。
順番を譲られた少女もお礼を言って、そのまま窓口に向かった。
その後に呼ばれたミナトの預金引き出しはすぐに終わった。まだ引き出す荷物を待っている様子のクランに一声かけ、銀行を後にする。
この調子なら夜の仕事の前に市場へ寄れそうだな。
そんなことを考えながら歩いていたためか、勢いよく路地に飛び出しすぎたのかもしれない。ちょうど横から走ってくる人とぶつかりってしまった。
「ご、ごめんなさいっ!」
ぶつかった勢いで尻餅をついた少女は、謝るとすぐに立ち上がり走っていった。
「大丈夫か?」と声をかけても少女は振り返らない。
何があったのか、目には涙を溜めていた。
この少女こそがニューシェフィールドの決戦兵器——≪閃光≫レイ・ヘイリであるなどと、その時のミナトは知らなかった。