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回帰のシャングリ・ラ=エデン Ⅰ.港湾都市と≪閃光≫の少女レイ  作者: 端邑よしば
港湾都市と≪閃光≫の少女レイ
1/12

Ⅰ.Ⅰ.熱帯の港湾都市に涼風は吹く

 雲の無い青空に、一羽の大鳥が翼を広げている。

 目的地に狙いを定めて、滑空の体制に入っていた。


 その眼下には、陽に照らされたニューシェフィールドの街が広がる。


 十六世紀の開拓者によって三方を海に面する地に建てられたこの都市は海上貿易で栄え、空の上からでも市場を行きかう人の多さが見て取れた。


 大鳥の目的地である都市庁舎は、最も海にせり出した区域に位置している。

 到着までにはもう少し距離があるように見えた。


「う~、もっと急いで~」

 少女が一人つぶやく。


 大鳥の優雅な姿とは対照的に、その足にぶら下がった籠に小さく収まっているこの少女には落ち着きがない。彼女を悶々とさせたのは、カンカンに照った太陽と、この地域特有の四季を問わない猛烈な暑さのみではなかった。

 少女の手には手紙が強く握られている。


 手紙の送り主は口を酸っぱくして言っていた。

「本日の議会に必ず間に合わせること」と。


 ニューシェフィールドでは一般的に、議会は真昼には解散となる。何度か手紙を配達したことのある彼女にはそれが分かっていた。

 指定された時間に遅れるのは、今後の仕事に関わる。


 だらだら垂れてくる額の汗をぬぐうと、風にはためくやわらかい髪からほのかにいい香りがした。

「そうだ、せっかくニューシェフィールドまで来たし、仕事が終わったら今使ってる髪石鹸を買い足しておかなきゃ。香りはやっぱり西方産が一番ね。——って、そんなのんきなことを考えてる場合じゃない!」


 翼の隙間から天を仰げば、太陽はもう結構なところまで来ている。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 はたから見たら楽そうに見える仕事でも、当人は大抵大変なものだ。


 ミナト・エモンは涼しい部屋の中で、隣に座る書記係が必死に葦ペンを動かす音を聞いていた。都市庁舎の二階にある議会場では、この日も出席者たちがああでもないこうでもないと言い合っている。

 その一言一句を書き漏らすまいと、書記係の手は止めどなく動いているようだった。


 議会場の中央には十二人掛けの円卓が据えられている。


 円卓には、都市国家ニューシェフィールドの代表たる総督を最奥に、それを補佐する文官のトップたる宰相と、同じく武官のトップたる将軍、それから八人の地区代表議員合わせて十一人がずらりと並ぶ。


 十二人目の出席者といえば、残りの十一人が議論を交わしている横で一言も発さない。テーブルが少し高いためか、ミナトの位置では胸から上しか見えない、明るいブロンド髪をした小柄な少女であった。


 ——≪洗礼の巫女≫リア・シェフィールド。


 この都市が世界でも重要な地位を占めている理由は、交易の要衝である以上に、この巫女の存在にあった。


 一人だけ特別に飾り立てられた椅子に座らされている少女は、特に表情には表れないが、退屈そうだなというのがすぐに分かった。


 ミナトは自分が思わずこの少女を見つめていることに気づき、慌てて目を逸らす。


 一年前、洗礼の式で初めて会った時から感じていた、一度目を見やると、そのまま目線をくぎ付けられるような魅力が、少女の顔と表情にはあった。



 議会場の壁には海や野山を描いた油絵の風景画が等間隔に飾られている。天井のシャンデリアには、西方大陸より貿易で得たガラス細工が飾り付けられていた。シャンデリアのうち一つの明かりが切れそうになっていることに気が付いた。

 ——後で担当者に光の≪マナ≫を補充してもらうように進言しておこう。

 仕事を続けるにあたって、気が利くと思われるに越したことはない。


 ≪冷房屋≫を営むミナトのここでの仕事は、強烈な日差しと海から吹き込む熱風、それから議員たちが論を交わしていくうちに白熱することで生まれる熱気、これらによって高まった議会場の温度を適切に、つまりは人間が不快に感じない程度まで冷やしこむことであった。


 方法といえば、書記係のようにあくせく手を動かすことはない。

 じっと座ってマナの流れを操り、大気中に漂う火のマナを適量体内に吸収するだけだ。細かい原理はミナト自身にも分からなかったが、周りの空気を冷やすにはこれだけで十分だった。

 

 ただ、「適量」というのがどうも難しい。


 一六歳になった年——巫女の洗礼によって能力名を与えられた年から仕事を始めておよそ1年がたつが、初めたての頃は街の便利屋という形で、安い賃金をもらっては依頼された人のもとへ向かっていた。

 力を強くしすぎて雪を降らせたり、反対に控えすぎて暑いと文句を言われたり、当初はさんざんだった。


 初めて数週間の時は、こんなことなら辞めてしまって、もっと稼ぎの良い船の漕ぎ手か鉱山掘り、はたまた兵士にでもなった方がマシと考えたこともあったくらいだ。


 ただ、無事に仕事を終えた時など、たまには感謝もされるもので、それがミナトには自分だけの特別なものに感じられて悪い気がしなかった。

 この仕事を続けていたのはそれだけの理由ではあったが、同じことは続けていくうちに小慣れていくものだ。


 議会の仕事は、冷房屋の仕事を始めて半年程度、マナの扱いにもいくらか慣れ、名も売れてきたころに引き合いをもらったものだ。

 報酬も、能力者の役務提供に対する最高賃金が法律で決まっている以上、破格というわけにはいかないまでも、上限ギリギリに近いほどの好待遇だった。今までのはした賃金に比べたら破格である。


 前任は水のマナの使い手で、部屋に水のベールをまとわせ温度を下げるという方法をとっていたが、どうも湿度が高すぎるだの、温度調節が面倒だので評判が良くなかったらしい。

 採用面接を兼ねた試傭の日、半年の経験で身に着けた、付け焼刃とはいえミナトにしかできない急速冷却と温度調節をして見せるとすこぶる気に入られ、それから議会が開かれる際の冷房はミナトの役割と決まった。


 とはいえ、油断はできない。

 雇い主たる総督取り交わした契約(総督と直接契約を結ぶというだけでミナトにはど緊張ものだったが)は一年単位で、更新の有無は勤務態度と評価による、という条項があるためだ。


 議会の仕事は、今のミナトの仕事の中でも最も安定した収入源であった。

 今この仕事を手放すわけにはいかない。

 当面の安定した収入。元金をいくらか溜めたら商売でも始めて、いつかは働かなくてもお金が入ってくるようにしよう。そしてずっと安泰に暮らすのだ。

 常々ミナトはそのようなことを考えていた。

 それから、自分が育った孤児院も、今以上の金額を寄進しないことには、経営が厳しいらしかった。


 今でも時折、気を抜くとマナ吸収の加減がつかないことがある。へまをこいて契約の更新がおじゃんになるどころか、任期中に解任でもされたらかなわない。

 仕事中のミナトは何もしていないように見えて、常に気を張っていた。


「くしゅん」

 場の雰囲気に似つかわしくない、幼げなくしゃみが響く。


「——エモン殿、少々温度を上げてくれないか。巫女様が寒そうだ。」


 議員のうちの一人がミナトに声をかける。市内の最も城壁側に近い「インナーウォール」地区から当選した若い議員だ。二十代中盤くらいだろう。

 あまり面識がある方ではなかったが、ミナトにもこういう時に気を利かせようと出しゃばる若手議員の気持ちは察せられた。


 「失礼、承知しました。」と返事をすると、ミナトは今までとは反対に体内の火マナを少し放出する。こうしてマナを出し入れすることで細かな温度の調節が可能となるのだ。


 書記係がエモンの方をちらっと見る。楽な仕事でいいよな、という顔だ。

 書記の手は今しがた「巫女;くしゅん(くしゃみ)」と書き終わったところだった。


 別の議員が声を上げる。船着き場を管轄している「ハーバー」地区の代表議員だ。たっぷり蓄えた髭の下ではふくよかな顔が息苦しそうに主張する。

「失礼、実は、私は先ほどの温度でも少し暑くてね、エモン殿、巫女に羽織を用意してやってくれ。そして温度はもう少し低く——」

「巫女様が風邪をひいたらどうするんです、エモン殿、温度は今のままで結構です。」

「勘弁してくれ、さっきから汗をかいちゃって仕方がないんだ」

「それはあなたが太りすぎだからでしょう!」また他の議員からヤジが飛び、笑いが起こる。

「うぐ、いいじゃないですか。少し温度を下げても巫女はカーディガンでも羽織ったら寒くない。私はこれ以上熱くなったらもうどうすりゃいいんですか。」


 そのやり取りを見ていた巫女が、入るタイミングを見計らうように、声を上げる。

「——私は、いいわ。他に寒い者がいなければ下げて頂戴。羽織もいらない。さっきも、寒くてくしゃみをしたわけじゃないもの。」

 巫女にそう言われては初めに声を上げた若い議員もきまりが悪そうに黙るしかない。ミナトは彼に少し同情した。

「かしこまりました。それでは、温度を戻します。」

 誰も喋らなくなってしまったので、結論は代わりにミナトが答えた。

 切りそろえられた前髪が揺れないくらいかすかにリアが顔を動かすと、ミナトと目が合った。巫女は相変わらずの無表情だったが、ミナトには「手間かけてごめんね」の表情と読み取れた気がした。もしかしたら「くしゃみ一つも勝手にさせてもらえないのかしら」の顔かもしれないが。



「では話を戻そう。少し時間が押してしまったが、最後の議題は——」

 総督が切り出し終わる間もなく、会議室の扉が不躾に開かれた。


「——よかった! まだやってました! こほん。——速達です! 安心安全定時速達! タルタル空運組合、クラン・オルハンより、緊急なお手紙のお届けです!」


 速達の報を知らせるのは、クランと名乗る、巫女と同い年くらいに見える少女であった。


「……うむ。エモン殿、すまないが、受け取って読み上げてくれないか。」

 総督に頼まれ、クランの手から手紙を受け取ろうとするが、少女は渡さない。


「代金、80シルバーになります!」

「すまない、支払いは受付に行ってくれないか。受領サインはしておく。」

「お言葉ですが、それはできません! わが組合の掟その3 運賃をもらうまで荷物を離すな。 です!」

「エモン殿、すまないが、建て替えておいてくれないか。今月の報酬で色を付けて返しておくよ。」

 ミナトも雇い主たる総督に言われては従うしかない。

 そのほかの議員たちは「何の件だろう」「あの件に違いない」とそれぞれ夢中になって言い合っている。

 書記係は今しがた、「わが組合の掟その3 運賃をもらうまで荷物を離すな。 です!」と書き終えたところだった。


 財布を取り出してを漁ると、10シルバー票数枚と、1ゴールド金貨しかなかった。100シルバーで1ゴールドの換算だ。

 ゴールドと名がついてはいても銀貨に金メッキをしたに過ぎないメダルであったが、ミナトにとってはそれを今日の夕食代、それから明日の朝食代に充てようとしていた大事なメダルだった。泣く泣く少女に手渡す。


「はい、おつりの20シルバー票です。ニューシェフィールド発行のものがあったのでこれで返しますね。」

 クランはそう言うと、ミナトの手をぎゅっと握るようにして両手で渡してくれた。——組合の掟その10 お金の受け渡しは丁寧に。

 これも組合の掟か、と半ばあきれつつも、やわらかい手の感触にミナトはどぎまぎしてしまった。


「ひゃうっ!」いきなり少女が素っ頓狂な声を上げる。

「どうしました?」

「い、いえ、何か変な感覚が……」

「変な感覚?」

「まるで、身も心もあなたにすべて奪われるような——はっ、まさか、これが恋!?」

「一人で何言ってんだ……?」

「いやでも、恋って身体が熱くなるものだと聞いたんだけど、むしろどんどん冷たくなって——はっくしょん」


「ミナト!」

 巫女がミナトの名前を呼ぶ。

 ——今度は、さすがに少し寒いわ。


 気が付けばマナの制御がおろそかになり、冷却の度が過ぎていた。

 若い議員は寒さにブルブル震え、総督が水を飲もうとしたら凍っていた。

 ミナトの肝も冷え切った。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 ——ルミア軍国の大軍が接近中。

 早急にマナを整えたミナト・エモンによって読み上げられた手紙の内容は議会の雰囲気を一変させた。


 ——開城し、巫女を引き渡せ。さもなくば、その城壁を撃ち壊し、住民もろとも奴隷として売り払う。

 それがルミア軍団国から提示された短い要件であった。



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