ピタゴラス
俺は酒場のテーブルに頭を打ち付ける形で伏していた
今日もカナンがいない。それもあってのこの堕落だろう。そう思いたい
思えば、俺は本来ここでこうして頭を打ち付けてるのが好きな奴なんだ
それがどうしてーー
「なにを寝てるのですかピタゴラスさん! 起きなさい! ほら! 行きますよ!」
ようじょエルフにたくさんしごかれたり
「暇そうだな。ピタゴラス。ちょっとガチャまで付き合え」
侍さんに連れ去られたり
ーー暇なの? 遊んで!
我がパーフェクトセイクリッドとしりとりしたりしているのだろうか
時々、わからなくなる。わからなくなるんだ。カナン
ねぇねぇピタゴラス。今、楽しい?
あいつは多分、変わらずそう聞いてくるだろう
そうしたら胸を張って言ってやろう。金なら返すって
ピタゴラスーー
まぶたの裏にカナンの色んな顔が浮んでは消える
いや、待ってほしい。それはまるでカナンが死んだみたいな方向ではないだろうか
たかだかゲームにログインしてないだけでそれはあまりにも誇張が過ぎる
いかんな。そういうのは良くない。あまりにーー
「ねぇ、ピタゴラス。セイクリッドフォースオンラインって知ってる?」
カナンは突如としてそういった
それは寝て、ゲームして、また寝るの生活が終わりを告げる事を意味していた
この世界でたった二人だけの、狂ってはいたが、悪くない世界が終わることを意味していた
「……ねぇね。やってみないピタゴラス? きっと楽しいよ」
机に突っ伏していた俺をカナンは揺らした
「……セイクリッドフォースをやらさせてたのはそのためだったのか」
俺の言葉を最後に二人の間に沈黙が生まれた
「……あたしね、ゲーム作りに関わって改めて思ったんだ。産まれたからにはきっと意味があるって」
「……カナンはそうだろう。優秀じゃないか」
「ピタゴラスだってそうだよ」
「ーーはっ」
俺はカナンのあまりの言い種にバカらしくなった
バカらしくはなったが、言葉は続かなかった
この言葉を続ければお互いに傷付くのがわかった
「……ピタゴラス。あたしはね、AIでも人と仲良くなれるからとか言わないよ。無責任だからね」
セイクリッドフォースオンラインの運営であるデカAIに無茶振りされ、うんうん頭を悩ます彼女の姿を俺は知っていた
或いは親、というのがいたらこのような感覚なのだろうか。ついつい彼女の言葉には耳を傾けてしまうのだ
「でもさ、ずっとずっとここにいるより誰か人と触れ合ってた方がいいよきっと。それはわかるよね。ピタゴラス」
「ーー俺は」
俺は、カナンさえいればなんて考えていた
馬鹿げている。こんなことに付き合っていたらカナンの方が参るだろう。わかっていた。わかっていたから言わなかった
「ーーごめんね。ピタゴラス。ごめん」
カナンは震える手を俺の肩においた
ーー全く謝るのはこちらだというのに。先に謝られてしまっては世話がない
「ピタゴラス……?」
俺はゆっくりと机から頭を離した
案なら浮かんでいた。二人とも傷付かないような、そんな案が
「俺は今からカナンから金を借りる」
「えっなに」
「金だよ」
名案だろ
「お金……?」
「そうだ。お金だ。言い値で良いぞ」
人指し指を立てて俺は目線だけ後ろにやった
カナンは見えないが、うーんとは唸っていた
「じゃ、じゃあ百円!」
「駄菓子屋か! 万単位だ万単位!」
俗世から切り離されたAIってみんなカナンみたいなのかなぁ
少し心配になった
「いちまんえん!」
「子供の小遣いか!」
「ええっ!?」
ええっじゃないよ。それじゃー全然話にならないぞ
「じゅ、十万……」
「もう一声だな」
インパクトが足りない
「ひゃ、百万!?」
「ままままぁ大体そんなところか……」
ず、随分ととばしましたね
返せるかな。ひゃくまんえん
「ピタゴラスに百万円貸して……そのあとは?」
「俺はその金でセイクリッドフォースオンラインってゲームを買ったことにしよう」
分かりやすいクズとはこのことである
素晴らしいね。これで俺はゲーム内でもカナンには頭が上がらない
「それでやる気になるんなら良いんだけどいいの……?」
「……良いも悪いもないさ。カナンにも働いてもらうしな」
「そうなの?」
「ああ。カナンには俺より先にセイクリッドフォースオンラインに触って貰う」
カナンにはこの発想がない
それは悲しいことでもあるが、一緒に学んでいこうと今は思う
「……なるほどね。面白そう!」
カナンはそういって笑っていた
久々に見た笑顔だった
「自分が関わったゲームに放り込むのも考えものだけどな
……まぁ、ここよりはマシだろ。刺激もあるだろうし」
カナンには本当に苦労をかけた
だからまぁ、ここら辺りで解放されてほしかったのが本音ではあった
「なんだかやりたいことをピタゴラスにやられちゃった気分」
カナンは俺の肩を腕で包んだ
「傑作だね」
「それほどでもないさ」
俺はカナンに笑いかけ、どこまでも白い空間を遠くまで見た
机に椅子に、ゲーム。この空間どれをとっても本物ではない
それはそこに存在する俺達でさえ、例外ではなかった
確かに、カナンは所詮つくりものだ
言われたことしか出来ないし、一人ではなにも出来ない。空っぽだ
だから、寂しくなって何かにすがろうとしてプログラムを作り続ける。そうやって永遠に働かされるのだ
ーー俺は、そんななかで偶然産まれてしまったそんな産物なのだとカナンは最初に言っていた
実際それは言葉足らずであって、カナンから目的を聞いた時には衝撃をうけてただでさえなかったやる気が底辺まで落ち込んだものだが
言ってみれば、それだけだった
結局は二人だからこそこの状況を正しく理解できたし、どれだけそのことが尊いか感じることができたからよかったのだと思う
長いこと拘束していたのはそれが狙いだったとかデカAIは言うだろうが、そのときは思う存分笑って馬鹿にしてやろう
一緒に歪んだあいつの顔を拝もうぜ、カナン。きっとそれはすごく楽しいことだと思うから
「ーーピタゴラスさん! ピタゴラスさん! 起きてください!」
俺はうなぁ、とか唸る。リーダー氏が血相変えて起こす時は修業の時か、メイ氏が爆死してやめそう関連か、緊急である
「勘弁してくれリーダー。修業を二回は厳しい。厳しすぎる」
俺はそのなかで修業を選んだ。やりかねないからだ
もうカンストしてるが、やりかねないからだ
「二回で厳しいとは……て、そうじゃないんです!
緊急なんですが!」
俺は急いで顔を上げた
リーダー氏が緊急といった時はこれが始めてだった
「どうした?」
目線の先のリーダー氏は黙って端末を操作している
神妙な表情だ。ただならぬものを感じた
「まずはこれを見てください」
“ボスラッシュイベント開催”
“友達と共にボスを倒そう”
“ここでしか出現しないボスも……?”
“最後まで到達したチームはガチャコイン、素材等豪華な賞品を用意しております”
「なるほどね」
俺は流し読みしてガチの人がやるやつだと思った
思ったので例のごとく突っ伏した
「あぁ寝ないでぇピタゴラスさん! これまだ続きがっ! えーとえーと……ほんと無駄に長いですね」
リーダー氏が真顔で端末と格闘している
なんだか新鮮で顔だけはリーダー氏の方を向いていると、あったとの声があがった
「これです!」
リーダー氏はわざわざ目の前まで端末を近付け見せてくれた
まず、理解ができなかった。その場で固まった
「ピタゴラスさん! よろしいのですか!?」
リーダー氏は端末を振った
俺は漸く理解が追い付き、リーダー氏を見て椅子が倒れるのも気にせず立ち上がった
大音量で倒れ多少脚に当たったそれを俺は一瞥するが、すぐに目線をリーダー氏に戻した
「……協力、してくれるのか?」
「当たり前ですよ。だからここにいます」
「そうか……そうだな」
俺は一つ息をついた
こういう時にこそ冷静にならなければいけない
「あっ。待ってください!」
「……申し訳ない。本当に助かった」
俺は言われて始めて速足になっていることに気が付いた
緊急なんてもんじゃなかった。リーダー氏がいなければ寝過ごすところだ
「……全く。ここまで血相変えるとは。少し妬いちゃいますね」
「行こう。リーダー氏」
俺は促した。申し訳ないが今は楽しそうな冗談にさえ、乗る余裕がない
それがとても罪深く感じた
「ええ。そうですね。きっと待ってますよ」
リーダー氏は柔和な表情を浮かべる
感謝してもしきれない。だから、このチャンスをものにしようと固く誓った
“優秀な成績を納められたチーム一組にはさらにセイクリッドカナンをプレゼント!”




