硝煙の陽炎
格安航空会社特有の雑な着陸だった。狭いビジネスクラスの安っぽい座席を。タイヤから伝わる振動が揺さぶった。
北京首都国際空港に降り立った後藤鋭一と篠崎美智子は手早く入国手続きを済ませていく。この空港はハブ空港のくせに、メンテナンスが行き届いていない。美智子は思う。電光掲示板のLEDが切れていたり、掃除が雑だったり――この辺りは新興国なら仕方ないか、と自分を納得させた。
「乗り心地の悪い飛行機だった」
「そうですね」
鋭一は極道特有の着崩したスーツスタイルに引き締まった肉体が特徴的な男だ。空手、日本拳法、剣道有段者のその肉体は絞り上げたワイヤーロープのように無駄がない。今は武装していないが、銃もかなり使いこなす。
今日の美智子はパンツスーツスタイルに身を包んでいた。銃を隠せるように、黒のジャケットも着用している。
「とりあえず、武器を用意する」
二人は空港の立体駐車場に向かう。組織の人間は商談の関係で頻繁に中国を訪れるから、組が保有する車が置いてあった。
立場としては、美智子が下だ。それでも、ハンドルを握るのは鋭一だった。ヒュンダイの運転席に身体を押し込んだ鋭一は座席の位置を調節しながら言う。
「中国は運転マナーが悪い。日本と違う。俺が運転する」
「……本当に、そうですか?」
鋭一はにやりと笑った。
「日本のヤクザなんていったら、こっちの裏稼業に狙われる。お前の腕を信用してないわけじゃ無いが、俺が運転した方が確実だ」
大迫組二次団体老州組若頭補佐。後藤鋭一は階級の割に現場主義者で、獰猛だ。
ヒュンダイのセダンは和平里地区に向かった。派手な看板が彩るストリートで、潰れたように活気の無い小さなレストランのドアを叩く。
中から小柄な男が顔を覗かせた。上海語の癖の強い普通語で不機嫌に言う。
「営業時間外だ」
「いい鶏の頭を出すと聞いてる。それさえ食わせてくれれば、すぐ帰る」
男はドアを開けて、中へ導いた。
「お待ちしていました、後藤さん」
男は媚びるように言った。鋭一はそっけなく返す。
「御託はいい。例の物を」
男はカウンターの下から紙袋を二つ取り出した。鋭一と美智子はそれを破って中身を取り出す。
中国兵器工業集団製、QSZ92自動拳銃。その輸出バージョンだ。鋭一はNP42とも呼称されるそれを手に取って、弾倉を抜き薬室に弾丸が入っていないのを確認してからスライドを引く。引き金を絞る。撃鉄ががちりと音を立てた。
「試射は済ませてあります」
「分かった。金は口座に振り込んである」
美智子もQSZ92自動拳銃の調子を確かめた。装弾数は15発。その割に、グリップはいい。手の小さいアジア人に合わせてあるのだろう。
「弾倉は俺と美智子の分を合わせて6本。予備の弾丸は50発。ショルダーホルスターを二つ」
「用意があります」
男が出したそれを鋭一が確認する。命を預ける物だ。どれだけ相手を信頼していても、確認は怠らない。
「いいだろう。十分だ」
「今なら短機関銃の類いもお安くしますが」
「商談だけだ。そこまでは要らん」
美智子は目の前の男を観察した。敵味方を問わず武器を売る、死の商人。国内のみの販売だから商売の規模は小さいが、品質はそこそこだ。
「あまり不分別に武器を売るなよ」
「確約は出来ませんが、心がけます」
「お前の命があるのは、俺たちの敵に『まだ』武器を売っていないからだ。忘れるな」
商談までまだ時間があった。鋭一は車を停め、7-11便利店――コンビニに足を踏み入れた。見慣れた赤のパッケージのマルボロの煙草を3箱買った。
車に戻ると、鋭一は1箱を美智子に投げ渡した。鋭一が煙草を吸い始めたので、美智子も同じように煙草に火を付けた。同じマルボロでも、国によってブレンドが違う。すこしだけ、苦みの強い味がした。
「……俺たちは、舐められてる」
「……」
「だから、殺さない程度に思い切りやっていい」
夜になった。商談の場所になっている高級ホテルに向かう。
ボディチェックはされなかった。日本のヤクザがこの短時間に武器を用意できるとは夢にも思っていないのだろう。レストランでは、既に相手が居た。育ちの悪い美智子には分からないが、それが高級料理で、それを食っている男のマナーがとても悪いことは分かる。
「……後藤さん、どうも」
男はスープを音を立ててすすった。「うちの商品には満足していただけましたかな?」
テーブルで料理を貪り食っているのは志自、という。中国マフィア「黒狼」の中堅幹部だ。主に、銃器の密輸でもうけている組織だ。老州組との繋がりもある。
何時になっても着席を促されないので、鋭一は勝手に座った。美智子はその後ろに立って控えた。
「概ねはな」
鋭一は煙草を咥えた。美智子は懐からライターを取り出して、火を付ける。
「……単刀直入に言おう。あんたは不良品・廃棄品を日本への武器密輸に回してる」
「……は? なんのことだか」
志は困ったように笑った。中年太りの肉体が、笑いとともに揺れた。「どこにそんな証拠が」
「美智子」
「はい」
美智子はジャケットの裏ポケットから畳んだ一枚の紙を取り出した。銃身の内部のアップが印刷されている。弾道を安定させるために螺旋運動を付与するの螺旋状の溝が、明らかにすり減っていた。
「黒狼が日本に流した拳銃だ。新品だと銘打っていたが、明らかにライフリング――部品が摩耗している。それも相当使い込んでいる、廃棄直前にまで」
美智子はちらりと視線を巡らせた。美智子の後ろに一人。それに志の後ろに用心棒のような大柄な男がいるだけだ。
「……中国はまだ発展途上国だ。質の悪いものが混ざることもある」
「……ご丁寧にクロムメッキまで施してか? 漁船の底に隠して密輸するような時代じゃ無いんだ。これは明らかな品質偽装工作だ」
鋭一は煙草の灰をテーブルの上の皿に落とした。
「美智子。行け」
美智子は振り返りつつ、男の金的に中段前蹴りをねじ込んだ。美智子のパンプスには靴先と踵、それから土踏まずの上の部分にある母趾球の部分にチタンのプレートを仕込んである。
男が身体を折ったので、コンパクトな左フック。男の顎を打つ。脳を派手に揺らして脳震盪を発生させる。
志の後ろにいた男が反応するより早く、鋭一は煙草を投げた。吸い込まれるように男の額に煙草の火があたり、一瞬のけぞった。
十分な隙だ。美智子はテーブルに飛び乗り、さらにそこから跳躍する。二段飛の要領で一気に距離を詰める。
男のすぐ隣に着地し、美智子は男が煙草のダメージから復帰しつつあるのを確認した。
男の身長は170前後。美智子の身長と比較すれば、相手のジャブと美智子の蹴りが同程度のリーチだ。
男の流れるような腕技。重心を低く置いたまま繰り出される腕技の打撃に、美智子はこの男が詠春拳の使い手だと直感した。
左のジャブ、下段蹴り、ブロッキング、右のストレート。10秒弱ですさまじい打撃の応酬。体格で劣る自分が不利だ、そう察して美智子はテーブルから一枚皿を拾い、投げつける。
男の腕が皿を弾く。その動作に生じた一瞬の隙に、美智子は横蹴りを男の鳩尾にねじ込んだ。
男は表情を歪ませながら、反撃の突きを放つ。ただの大振り。美智子はその手首を掴み、ステップインしながら腕をつり上げ、投げ飛ばす。
合気道の四方投げだ。
そのまま腕を極め、後頭部にQSZ92自動拳銃の銃口を突きつけた。
「……今のところはな、お前らと殺し合うつもりは無いんだよ」
優雅に椅子から立ち上がった鋭一は歩み寄りながら拳銃を抜き、それを志の目の前に突きつけた。
「俺たち極道がわざわざ黒狼から武器を買っているわけが分かるか?」
「さ、さあ?」
「黒狼はそれなりの物を、それなりの値段で売る。これは日本に対してもそうだし、中東のブラックマーケットでも、東南アジアの反政府勢力にでも、南米の反政府勢力に対しても同じだ」
鋭一は新しく煙草を一本咥え、自分で火を付けた。
「黒狼にも話は付けてある。アンタのところの中堅幹部が、中抜きをしてるらしいと。黒狼も自分の商品のブランドイメージが崩れるのを嫌ったし、老州組はこことの付き合いも長い。幹部一人に、『喧嘩』を装って焼きを入れるくらい、許してくれたよ」
鋭一は志の頭を掴んで、火の付いた煙草を志の眼球に押し当てた。悲鳴を上げようとした志を腹を殴って黙らせる。
「次お前が何かしたら、殺しに来るのは俺たちじゃ無い。アンタの身内だ。覚えておけ」
帰国後も、若頭補佐の鋭一の生活は忙しかった。美智子は黒のアルファードの運転席に座り、鋭一は後部座席で煙草をふかしていた。日本の煙草の方がやはり鋭一の口に合うらしく、メビウスの8ミリの煙草が車の中を充満していた。
「……若頭が、お前に用があるそうだ」
「……私に?」
美智子は目を白黒させた。ただの若頭補佐のスケに過ぎない美智子に、何の用があるというのだ。
「幹部連中はお前のことを気に入ってる奴が多い。使える女用心棒だとな。それに夜の方も申し分ないと」
「はあ」
「とにかく、会ってやってくれ。お前も知ってるとおり……若頭は……」
「出来の悪い子悪党」
「言うな。分かっていると思うが手は出すなよ」
「確約は出来ません。私は、育ちが悪いですから」
「へえ、あんたが例の」
そういって不躾な視線を浴びせたのは老州組若頭の金城三郎だ。美智子は身体中を粘っこい視線が這い回っているのを感じていた。
「町内ミスコン準優勝ってところか」
若衆が場を察して笑みを浮かべた。美智子は合わせて、少しだけ笑った。
「聞いたよ。黒狼の用心棒二人を素手でたたきのめしたと。なんだっけ、ボクシングだかキックボクシングだかの、準プロぐらいまではいったんだっけか」
「はい。プロテストの筆記がどうしても駄目で」
「やっぱり女はバカだな」
金城に合わせて若衆が手を叩いて笑った。
「今日、なんか取引あっただろ、顔を出すぜ」
「……若、立場上、そういったことは……我々がそんな小さな取引を持ちます」
金城はじろりと後藤を睨んだ。虚勢を張る人間特有の、白目が目立つ睨み方だった。
「……分かりました」
「何処との取引だよ?」
「……インドネシアの反政府勢力です。武器と麻薬の交換です、それと……それだけですね」
鋭一は一瞬言いかけてから、答えた。美智子はめざとくその表情を垣間見た。何か隠している時の表情だ。
ふうん、と金城は鼻をならした。懐から拳銃を抜いて見せる。
「こいつを使う出番はなさそうだな」
「……」
「おい、ミチコだったっけか、は何の銃を使ってるんだ」
美智子は一瞬迷った。自分の銃を相手に渡すなんて、脅されているか、相当信用している場合だけだ。
「……これです」
美智子は仕方なく自分の拳銃を出した。弾倉を抜き、安全装置を掛けた状態で渡す。K5自動拳銃。韓国からの密輸品だ。
「ふうん。これかあ、最近使ってる奴多いよな」
金城はそんな感覚だけ感想を述べてべたべた美智子の拳銃を弄り回した。美智子はいらだった。部下とはいえ、仮にも人の物を扱うようなやり方では無い。
「まあいいや。時間は? それまで暇だし、ゲーセンでも付き合ってよ」
金城を宥めすかしてゲームセンターに行くことを諦めさせるのは鋭一の仕事だった。跳ねっ返りの道楽息子――黒社会で彼が生きていられるのも長くは無いだろう。美智子は嘆息した。
検挙する価値も、無い。
金城と鋭一、それから護衛の若衆はミニバン三台に分乗して取引場所に向かった。千葉県の寂れた漁港にある、倉庫だ。老州組がよく武器取引に使う。
武器取引の間も、金城が不要な蛮勇さを見せないか、美智子は不安でならなかった。組織間の取引は信用問題だ。インドネシア人が麻薬の純度を確認している姿を見て、金城は何がおかしいのかくすくす笑っていた。
若衆が木箱に入れられた銃器を確認する。インドネシア国軍横流しの自動小銃・短機関銃・拳銃、それから各種弾薬。弾薬は弾頭を引き抜いて、中の火薬までチェックする。マニア向けのダミーカートを掴まされたらたまった物では無いからだ。
「いいだろう、取引成立だ」
「これからもよろしく頼む」
簡単な英語でやりとりを終える。そもそもの対話はトップ同士が行う。実際に物品を取引するのは、末端の構成員の役目だ。
「……んだよ、物足りねえな」
金城は前の座席をがん、と蹴った。
「後藤、てめえの仕事はこんな手抜きなのか」
ただの言い掛かりだ。美智子は思う。
「……お言葉ですが、大切な仕事ほど地味なものです。手を抜いているわけでは」
「口答えはやめろ」
「……申し訳ありませんが、今日は……別の予定があります」
鋭一がこちらを見やった。鋭一が言いかけて、わざわざ隠した情報だ。
鋭一の視線が一瞬宙を泳いだ。明らかに、この男には言うべきでは無いと、その態度が物語っていた。しかし、これ以上叱責を長引かせるのはまずい。
「なんだ、その予定ってのは」
「……」
鋭一は諦めたように言った。
「自衛隊との取引です。武器の横流し、その受け取りです」
武器を老州組の事務所に下ろしたあと、向かったのは茨城県の美浦村だった。
「日本製ってのは良いな。中国やら韓国やら、訳の分からねえ発展途上国の銃なんて俺には似合わねえ」
上機嫌になった金城は受け取った銃器を使う妄想でもしているのか、鼻歌を歌っていた。
「……相手は緊張しています。できるだけ、刺激するような行動はしないでください」
「俺を誰だと思ってる」
金城は抜き身の拳銃で鋭一を小突いた。少しでも銃器の扱いを知っている人間なら狂気の沙汰だ。
「お前らが出来る仕事が、俺に出来ねえわけが無いだろうが」
受け渡しの場所は潰れたショッピングモールの駐車場だった。
当然ながら、自衛隊の車両では無い。茶色く変色しつつある古い白のバンが、自衛隊側の車だった。
バンに寄りかかるように、三人の男がいた。煙草をふかしていたが、美智子たちの車を見てそれを捨て、足で踏み潰した。
「……あんたが、後藤か」
「そうだ。銃はあるか」
「ある。確認してくれ」
鋭一が先行し、そのあとを金城が続く。美智子はそれを観察して、金城の眉間が震えていることに気づいた。たかが子悪党だ。美智子は鼻を鳴らした。この程度でビビっている。
鋭一は木箱を開けた。89式小銃が学生のように整然と並んでいる。
木箱の量が多い。美智子は鋭一に声を掛けて、確認を手伝った。
「……いいだろう。言われた通りのものが揃っている」
「当たり前だ。俺たちがそんなせこい事をすると思うか」
自衛隊の男が鼻で笑った。
美智子は一箱の木箱を開けた。中には各種手榴弾が詰まっている。
「……いえ、ちょっと待ってください!」
美智子が声を上げた。怪訝に思った男たちが、美智子に視線を向ける。
美智子の手の中には、安全ピンとレバーが取り外されたスタングレネードがあった。
「え?」
美智子は硬く目を瞑っていた。
すさまじい爆音。そして閃光。男たちは無警戒に美智子を見ていたせいで、閃光手榴弾の影響をもろに受けていた。
「警察だ!」
「手を上げろ、撃つぞ!」
駐車場の階上から、大勢の武装した警官が駆け下りてくる。茨城県警察銃器対策班は老州組と自衛官の男たちに銃口を突きつけ、手早く拘束していく。
その対象になっていないのは、篠原美智子、一人だけだった。
美智子の手にあるK5自動拳銃は、呆然としている鋭一に向けられていた。
「警察の犬が」
「何とでも言ってください」
警察仕様日産・セレナの後部座席で、鋭一は口汚く罵った。両脇の大柄な警官に固められ、腕は手錠で拘束されている。
「……私が、警官に見えますか」
「どういう意味だ」
「私は自衛官です。警務官、一等陸士。自衛隊からの武器の横流しを調査していました」
美智子は口の端をつり上げた。
「……本当はあなただけ確保できれば良かった。金城まで拘束できたのは、本当にただの偶然。金城に予定があることを言ったのは、ただのアドリブ。あなたにもお礼を言わなければいけない」
美智子は自分の煙草に火を付けた。
赤い丸のデザインが特徴的な、ラッキー・ストライク。
「てめえ、覚えてろよ。いつか犯して、殺してやる」
「忘れますよ」
美智子は煙草の煙を、鋭一に吹きかけ、静かに笑った。