第五話 笑顔
かおりが卓也の元に来て数日がたった。
その間に卓也はかおりに掃除、洗濯、料理など教え、今日は庭を掃除することになった。
「庭掃除って言っても、枯葉集めるだけだから気候がよければ楽なもんだ」
卓也は、掃除用具を倉庫から出しながらかおりに言った。
「池は、二、三ヶ月毎に業者が来るから鯉が飢え死にしない程度に餌を定期的にやっとけばいいから」
「分かった」
ここか数日の会話は、卓也がしゃべりかおりが相槌をうつと言う、あまり会話らしくない会話を続けていた。
樹はいたりいなかったり、ふらりと現れまたふらりと消えていく。
かおりとの接点はあまり持っていない。
卓也とかおりは連れ立って庭に出た。
「じゃあ、かおりは鯉に餌やっといてくれ。俺は先に掃除を始めてるから」
「分かった」
かおりはそう言うと、池の方へ向かって行った。
「あれ、来てたんだ。手伝っていけよ」
卓也が庭を掃き始めると、ふらりと樹が姿を現した。
「現場監督でもしてるさ」
「お前、いい性格してるよな。まあいいか、んじゃ、かおりの様子見ててくれ」
「わかった」
樹はそう言うゆうと、かおりが行った方向へ向かって行った。
(何してんだ?)
卓也は、あらかた掃除が終わっても二人が戻ってこないので池の方に様子を見に行った。
かおりは池の縁取りの岩場にしゃがみこみ池の中を見ていた。
樹はその三歩後ろでその様子を見ていた。
「面白いか?」
卓也は二人に近づきながら声をかけた。
「卓也」
「もう掃除は終わったのか?」
かおりはその場で立ち上がり、樹は卓也の方に少し移動しながら返事をした。
「まあ、この時期だからな、そんなに無いし」
肩をすくめながら卓也はかおりの方に向かって行った。
「鯉面白いか?かおり」
卓也はかおりの隣に立つと池の中を覗き込んだ。
「泳いでる…」
かおりは池に向き直り鯉をみた。
「泳ぎたいのか?今度行こうな」
二人はしばらく鯉を見ていた。
樹はそんな二人を呆れ顔で見ていた。
「そろそろ昼だな、出来たら呼ぶから飽きるまで見てな」
卓也はそう言うと家の中へ入っていった。
樹は縁側に腰掛け、かおりを見ていた。
「あれは何を見ているんだ」
樹は大きくは無いがよく通る声で卓也に問いかけた。
「今までかごの鳥だったからな…何もかも実際に見るのは初めてなんだよ」
「そんなもんか?でも、かごの鳥は今も、だろ?」
「…そうだな…少しかごが大きくなっただけだな…」
「かごを開けるつもりか?」
「ああ…せめて俺らがいるかごに入れるぐらいはしてやりたい」
少し沈んだ声で卓也が答えた。
「それも難しいぞ」
「そうなんだけどな…時に人は無駄な事がやりたくなるもんだ」
「物好きだな」
「ハハハ…また言われたな」
「俺に出来ることはほとんど無い」
「いいさ、俺がやりたいだけだ…ありがとう」
「何が?」
「ほとんどって事は出来ることもあるんだろう?あんま期待してないけど…気持ちだけでもありがとう」
「・・・・・・」
樹はかおりを見守り続けた。
「お〜い、かおりご飯できたよ」
しばらくすると、樹がいる縁側から卓也が叫んだ。
バシャン
「…あ…」
かおりはその声に反応して立ち上がり振り向こうとしたら、岩に足を滑れらせ後ろ向きに池に落ちた。
「怪我はないか?」
卓也は裸足で走り寄ると様子を伺った。
「ない」
「それはよかった…それにしても…ブッブ、アハハハ…」
「ハハハ、ハハハ…」
「…フ、アハハハ…」
かおりが無事なことに安心すると卓也は笑い声を上げた。
樹は笑いながら近づきかおりの様子を目の当たりにすると、声を出して笑い出した。
かおりは落ちた直後は呆然としていたが、火が着いたように笑い出した。
しばらく三人の笑い声が響いた。
卓也はかおりに手を貸し池の中から出した。
「さて、初夏とはいえそのままじゃ風邪をひくな、今風呂を沸かすから」
卓也はそう言うと家の中に入っていった。
「かおりこれで体拭いとけ」
卓也はすぐに戻ってき、タオルを渡した。
「こんなこと本当にあるんだな」
樹はまだ少し笑いながら、ポツリと言った。
「こんなことになるなんて、思ってなかった」
「え…」
かおりは今までと違い、感情のある声で相槌ではなく言葉をつむいだ。
かおりは自分の変化に気づいた様子も無く、タオルで出来るだけの水分を払っていた。
「かおり、まだお湯はたまってないけど風呂入れ」
卓也は縁側近くに移動したかおりに言った。
「うん、分かった」
かおりは素直に頷くと出来るだけ大またで、廊下を汚さないように歩いていった。
「樹、部屋からかおりの着替え取って来てくれ」
「・・・・・・」
「それとも、廊下を拭くか?」
卓也はかおりが気をつけてはいたが、やはり汚れてしまった廊下を指差した。
「…分かったよ…それにしてもアレは一体なんだったんだ?」
「かおりの変化のことか?アレはストッパーが外れたみたいなもんだ」
「ストッパー?」
「そう、『科学者』の話だとかおりのやつ、無意識なんだか知らないけど、感情を封印していたらしいんだ。それが今のがきっかけになって解けた…んじゃないかな?」
「…お前の予測か?」
「まあね、かおり今まで自分をどう表現していいか分かってなかったみたいだから…それが自然に出来るようになったって思えばいいんじゃない?」
「…それが良い方に行けばいいがな…」
「行かせるさ、そのために俺はかおりと共に生きていく…俺の命が続くまで」
そう言う卓也の瞳は決意した人間の瞳であった。