閑話1 北原和樹
ダンジョンが出来た時、北原和樹は14歳の中学2年生だった。
今時珍しい昭和気質な父親と、スーパーでパートをしている母親との3人家族で、父親は短気で怒られる事は多かったが、同じだけ、褒めてもくれた、悪い事をしたら殴られもしたが。
母親は、過去の自分はクラスで1番可愛い女の子だったと自慢をする今はどこにでもいるおばさんだった。
平凡な家庭で、幸せな人生、それを壊したのはダンジョンの出現だった。
ダンジョン発生当初、ダンジョンの存在はそれほど危険視されていなかった。
中に入って死ぬ人間は少なくない数出たが、それも最初だけで、政府が封鎖してからは死者が出る事もなく、当時中学生であった北原和樹にとって、ニュースで政府がダンジョンを独占している事に文句を言うおっさんが出る存在、その程度だった。
それが変わったのはダンジョンが発生してからおよそ1年が過ぎた頃だった、それまでスポーツの試合でドーピング扱いされる程度だったレベル持ちの人間が、街中で暴れ、大きな被害をもたらしたというニュースの数が増え始めたのだ。
動画投稿サイトでは、その様子を写した動画が1億回以上も再生される等、世界が騒がしくなり始めた頃、中国でレベル持ちの人間が集まり、中国政府に対して暴動を起こした、それでも対岸の火事だと思っていたこの事件は意外な形で北原和樹の人生に関わってきた。
日本が外国船の受け入れの数を減らし、近い将来鎖国すると宣言したのだ。
これには外国からの高レベルの人間の密入国とスパイ行為を防ぐという理由があった、だが、これは人々の生活を困窮させた。
最大の被害を受けたのは、車等の輸出によって利益を上げていた会社だ、彼等は日本が鎖国する事で輸出先を失い利益が減った、その結果大量の失業者を生んだ。
そして意外な事に北原家にも鎖国の影響は悪い方向で現れる、和樹の父の船が壊れたが、船が値上がりしていて、買い替える為に貯めておいた資金では足りなかったのだ。
この時期は日本国内で全ての物が値上がりしており、それは船にも影響していた、北原の父は自分の船で漁に出る事に誇りを持った漁師だったが、船を失ってからは酒に溺れる日々を送るようになった。
当時中学生だった和樹は、他の人の船に乗せてもらえばいいと父を説得したが、父には父のプライドがあり、次第に彼を疎ましく思う様になり、酔いに任せて暴力を振るうようになった。
母親はそんな父を捨て、和樹を連れて、母親の実家に帰る、そこで和樹は叔父であり自衛隊員である、森 和馬に気に入られ、和樹もまた、和馬を慕うようになる。
中学を卒業した和樹は、高校に行かずに、政府が行っている就職支援で農場で働くことを家族に告げた、高校に行くことに意味を見出せなかったからだ、それでも家族は高校に行く事を進めるが、最終的に叔父である和馬が和樹側に立ち、せめて実家の近く農場にしてくれと頼まれ、これを了承する。
農場には様々な人間がいたが、一番多かったのは和樹の同級生達だった、彼等も変わってしまった日本で高校や大学に行く必要性を感じずに、就職したのだ。
意外に思われるかもしれないが、和樹は農場での仕事を楽しんでいた、友人や年の近い人間が多く、また失業者が大量にいた為、政府が失業者を農場に就職させた為、人手も多かった。
ただ、沢山の人間が集まれば問題も起きる、ここで問題を起こしたのは、有名企業で働いていた人間が多かった。
「ダンジョンが出来る前は俺は大企業の〇〇で課長をやっていたのに、そんな俺が何故こんな所で畑を耕さなければいけないんだ!」と騒ぎ、何人かは夜中に抜け出してダンジョンに潜りこんだ人間もいた、ダンジョンに向かった人間の半分ほどは帰ってこなかったが。
このまま死ぬまで畑と家畜相手に生きるのも悪くないかもしれない、そんな風に考えていた和樹に転機が訪れたのは、叔父である、和馬からの探索者にならないか?という誘いだった。
最初は悩んだ和樹だったが、ダンジョンに潜る探索者というのはとても楽しそうに思えた。
悩んで、友人にも相談し、彼が選んだのは探索者になる事を選んだ、なんだかんだ言って、若い彼にとって代わり映えのしない毎日と言うのは退屈だったからだ、そんな退屈な毎日を我慢していた彼に神様が用意したご褒美はアイドルと一緒にダンジョンに潜る権利だった。
……舞い上がった彼はご褒美の代価を自らの苦痛という形で払う事になる事をまだ知らない