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第七話 シンデレラは王子よりも



 次の日になっても、その次の日になっても、怒りは冷めなかった。

 それは単純な怒りだけではなかったせいもあるだろう。

 怒ってもいるし、悲しんでもいる。軽く絶望したけれど、どこか納得もしていた。

 複雑に絡み合った思いは、どれかひとつだけを取り出すことはできない。

 気持ちに収拾をつけられずにいた私は、朝に先輩とすれ違っても、お昼休みに先輩がやってきても、徹底的に避け続けた。


 そうして迎えた水曜日。

 HRが終わると同時に急いで帰り支度をしたというのに、昇降口に向かう途中で先輩と出くわしてしまった。

 いや、確実に。待ち伏せされていたんだろう。


「真帆ちゃん」


 切羽詰まったような声に、心臓がぎゅうっと悲鳴を上げる。

 手首を掴まれて、最後の抵抗とばかりに顔を背けた。


「えっと、怒らせてしまったみたいで、ごめん」


 先輩の口はいつものようには滑らかに動かなかった。

 歯切れの悪い謝り方に、彼も私の態度に戸惑っていることを知る。

 頭の片隅の冷静な自分は、それを申し訳ないと思うけれど、大部分の私はもっと悩めばいいと思ってしまう。

 私が、どれだけ悩ませられたと思うんだ、と。


「……踏んでって、言わないんですか」

「今それを言ったら、余計怒らせそうな気がして」

「それくらいはわかってるんですね」

「真帆ちゃん……」


 先輩は途方に暮れたような声を出した。

 少し気になってちらりと見てみれば、彼はまるで飼い主に見捨てられたマルチーズのような情けない顔をしていた。

 同情を誘うつもりだろうかと、先輩にそんな計算ができるわけないとわかっていながら苛立ちを覚える。


「別に、先輩が何を考えてどう行動しようと、先輩の自由です」

「でも、真帆ちゃんは怒ってる」

「私にも怒る権利くらいはください。八つ当たりかもしれないけど、理屈じゃないんです」


 先輩は先輩の考えがあって、私に近づいてきただけ。私を騙すつもりがあったわけではない。

 私が勝手に期待をして、勝手に裏切られたような気持ちになっているだけ。

 思わせぶりな態度を取ってきた先輩に、落ち度がなかったとは言わないけれど。

 私が、最初から……分をわきまえていればよかったんだ。


「八つ当たりでもいいから、話して。俺はあなたに避けられたままだなんて耐えられない」


 私の手首を掴む先輩の手が、小刻みに震えていた。

 梅雨もまだ来ていない六月の始め。それが寒さから来るものではないことはわかりきっている。

 先輩の必死な様子に、非情かもしれないけれど私は笑いたくなった。


「それは、先輩が“ガラスの靴”で、私が“シンデレラ”だからでしょう」


 普通に生徒が通りかかる廊下でする話ではないと理性は告げる。

 それでも、一度開いた口は止められなかった。

 本当は、八つ当たりでもなんでも、先輩を責めたくて仕方なかった。


「結局、なんにもわかってなかったじゃないですか。先輩は最初から私に“シンデレラ”しか求めてなかった。前世と同じように“シンデレラ”の役に立ちたいって、思ってただけ」


 先輩が今までくれた言葉はすべて、私じゃなくて“シンデレラ”に向けたものだった。

 単純な私は、私に向けられたものじゃない言葉に一喜一憂していたわけだ。

 前世の自分に敵わないなんて、そんな惨めなことはないだろう。


「私に会えたからそれで充分だとか、よく言えましたよね。先輩が会いたかったのは、先輩が踏んでほしかったのは、私じゃなくて“シンデレラ”だったのに」

「違……」

「違わないです! 俺の姫とか呼びながら、私の王子様になってくれる気はさらさらなかったくせに!!」


 それは怒りの叫びではなく、心の傷が上げた悲鳴だった。

 手首を掴んでいた手を、力の限りに振り払う。

 涙目になりながら、先輩を睨みつけて……彼のあまりの間抜け顔に、私は虚を突かれた。


「まほちゃんの……王子……」


 先輩は、呆然とした様子でその言葉を繰り返した。

 見開かれた色素の薄い瞳には、たしかに私が映っている。


「なっても、いいの?」


 時が、止まった。

 振り払った手が、まっすぐ私に向かって伸びてきて。

 私の頬に、触れる、その瞬間。


「――ダメです!!」


 ロケットが発射するみたいに、私はその場を駆け出していた。


「ま、待って! 真帆ちゃん!」


 少しの間を空けて、後ろから慌ただしい足音が追いかけてくる。

 放課後の校舎内で何をやっているんだろうって感じだけれど、先輩の本心を知ってからずっと、冷静な思考なんて失っていた。


「あれー、追いかけっこ? 楽しそうだねぇ」


 一年の教室のほうまで戻ってくると、ちょうど帰るところだったらしい大路くんと鉢合わせた。

 のんびりと手を振る彼はこんなときも観客ヅラで、神経を逆撫でされる。


「ちょっと、そこどいて!」


 廊下のド真ん中を陣取る大路くんにそう叫んでも、彼は端に寄ろうとしない。

 それどころか、私がその横を通り過ぎようとすると、わざとその前に立ちはだかって通せんぼしてきた。

 キッと睨み上げる私に、大路くんはどこか前世の王子様に似た、甘い微笑みを浮かべてみせた。


「だめだよシンデレラ。もう、ただ迎えに来てくれるのを待ってる君じゃないんだろ?」

「大路くん……」


 睦言のような囁き声。それは正しく愛の言葉だった。

 まるで戦友に向けるような。まるで家族に向けるような。

 情に満ちあふれた優しい言葉に、ささくれ立っていた気持ちが落ち着いていく。


「真帆ちゃん!!」


 追いついてきた先輩から身を隠すように、反射的に大路くんの後ろに回った。

 もう逃げる気は失せていたけれど、ここにいるようにとばかりに大路くんに後ろ手に掴まれる。

 今日はよく手首を掴まれる日だ。


「やあ、“ガラスの靴”風情がなんの騒ぎかな。シンデレラを追うのは王子の役割と決まってると思うんだけど」

「ちょっ、大……」


 どうしてそんなケンカ腰なのか。

 思わず間に入ろうとした私を、大路くんは背に庇うように立ち位置を変える。

 一見悪者から守る王子様だけれど、彼の背中は「ちょっと茶番に付き合え」と語っていた。


「……大路くん。俺はずっと、君に劣等感みたいなものを持ってたよ」

「ふぅん、学園の王子サマが?」

「本当の俺は……そんなんじゃないからね」


 自嘲気味に微笑む先輩は、いつもの彼らしくなくとても弱々しい。

 先輩の心のやわらかい場所を、初めて垣間見た気がした。


「でも、もうそんなの関係ない。関係ないって、気づいた。今の俺にはシンデレラを追える足がある。シンデレラを捕まえられる手がある。俺はもう、“王子”に遠慮したりしない」


 先輩は、まっすぐ大路くんを睨み据えながら言いきった。

「そうでなくちゃね」という大路くんの小さな呟きは、傍にいた私にしか聞こえなかっただろう。

 なるほど、と思った。

 よくはわからないけれど、きっと大路くんはこの言葉を聞きたかったんだろう。


「お願い、真帆ちゃん。話を聞いてほしいんだ」


 回り込んで私の前までやってきた先輩が、私を覗き込んできた

 灰色がかった瞳は不安げに揺れている。

 怒りも悲しみも惨めさも、気づけばどこかに消えていた。

 あとに残ったのは……先輩のことが好き、という気持ちだけ。


「……とりあえず、屋上に行きましょう?」


 今さらかもしれないけれど、あまり他の生徒に聞かせていい話ではない。

 明日あたり津羽先輩に雷を落とされるかもしれない、と考えながら、これ以上の被害を防ぐためにそう提案した。



 今なら、素直に先輩と向き合える気がした。







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