第三話 現実主義なシンデレラは
たまに競争に負けて、昼休みに先輩に捕まることもある。
そういうときはだいたい、先輩が何かボロを出す前に連れ立って屋上に向かう。
逃げるときも逃げきれなかったときも、ほとんど毎日屋上に来ているんだから、もう庭のような感覚だ。
「ねえシンデレラ」
並んで座る私に微笑みかけてくる先輩は、体育座りした膝の上に頭を乗せていた。
子どもみたいなポーズも、類まれな美貌を持つ先輩がするだけで絵画のように美しい。
陽の光を浴びた銀の髪がキラキラと輝いて、まるで王冠をかぶっているかのよう。
これで中身がアレじゃなければ、ととても残念に思っているのは、きっと私だけではないだろう。
「踏みませんよ」
「まだ何も言ってないのに」
先輩は拗ねたみたいに、ぷう、と頬をふくらませる。
子どもか、と思うのに妙に似合っているんだから、つくづくイケメンは得だ。
「口を開けば同じことしか言わないんだから、警戒するのも当然でしょう」
「えー、他にも言ってると思うけど。真帆ちゃんがかわいいとかきれいとか俺にだけ冷たいとかでもそんなドSなところがまたたまらないとか」
「私はドSじゃありません!!」
聞き捨てならない単語に、反射的に言い返してしまう。
私がドSだったらそもそも最初にお願いされたときに心置きなく踏みつけて、こうやって付きまとわれることもなかったはずだ。
……あれ? ということは、私はドSだったほうがもう少し過ごしやすかったのでは。
そんな可能性に気づいてしまって、いやいやそれでは本末転倒だ、と慌てて頭から追い出した。
「どうかなぁ。惚れさせるだけ惚れさせておいて、時間だからってさっさと逃げ出したシンデレラだからなぁ」
意地悪な笑みを浮かべて、先輩は言う。
前世の“シンデレラ”のことを、楽しそうに。どこか、愛おしそうに。
「……だから、私はシンデレラじゃありません」
「前世がシンデレラだったのは事実でしょ?」
それはもちろん否定しないし、できない。
今の私にはシンデレラだったときの記憶がある。
けれど。
「前世と現世のつながりって、なんなんでしょうね」
隣の先輩から視線をそらして、私は前に向き直る。
見上げた五月晴れの空は高く、青く、どこまでも澄み渡っていて。
世界の広さを、私に教えてくれているようだった。
「前世の記憶を覚えてるってだけでも頭の病気を疑われそうなのに、それがおとぎ話の住人だなんて、どう考えても普通じゃないです。もしかしたら私たちは集団催眠にかけられているのかもしれません」
「自分の前世を疑うの?」
「幻だって思ってるわけじゃないです。いえ、幻かもしれない、という可能性は考えてますけど。どっちにしろ私にシンデレラの記憶があるのは本当です。でも、私にとっては、それだけなんです」
それだけ。
そう、私にとっては本当にそれだけのことだ。
「シンデレラの記憶があっても、今の私は新田真帆として暮らしてきた十五年のほうがずっと重い。前世の記憶はどこか知識のように薄っぺらくて、私には他人のように思えます」
継母と義姉にいじめられて悲しかったことも、掃除に使った水の冷たさも、王子とのダンスにドキドキしたことも、全部覚えている。
けれど、前世の記憶には、今に連なる流れが存在しない。
シンデレラとしての記憶は、ただの記憶で、それはいっそ記録と言ってもいいようなもの。
十五歳になって初めて思い出した前世の記憶は、今の私を形成した十五年の前では、他人の記憶としか思えない。
「もし私がシンデレラそのままだったら、きっと大路くんに恋をしていたはずです。でも、私は彼に王子様に感じていたようなときめきは覚えないし、今の友人関係に満足しています」
それは前世の私との大きな違い。
生い立ちも、容姿も、性格も、何もかも違う上に感情まで違うのだ。
どうしても、私には今の私と前世のシンデレラとを重ねて考えることはできなかった。
「だから……“シンデレラ”に固執する先輩が、ちょっと心配です」
私はそう言って、隣に座っている先輩に目を向ける。
先輩は膝の上で組んだ腕に頭を乗せ、静かに私を見上げていた。
しばしの沈黙が、重みを増すよりも前に。
先輩は、ふっと瞳を細めて、表情を和らげた。
「俺のことを考えてくれるなんて、あなたは本当に優しいね」
「……そういうんじゃないです」
優しいとか、先輩のことを思ってとか、そういうことではない。
ただ、単純に、前世のつながりばかりを見ている先輩が心配で……おもしろくなかった。
誰だって、自分を通して他の誰かを見られていたら、いい気はしないと思う。
私の中に“シンデレラ”を求める先輩に、実のところ私はだいぶ腹を立てているんだろう。
「俺は、あなたがシンデレラだから固執してるんじゃなくて、俺にとってのシンデレラが真帆ちゃんだっただけだよ」
安心して、と言うように先輩は微笑む。
まるで言葉遊びのようなそれに、わずかばかり溜飲が下がってしまったのが、悔しい。
どうしてだか、口でもなんでも、私は先輩に勝てない。
「どう違うんですか、それ」
「んー、俺にもよくわからない、かな」
ちょっと眉をひそめて苦笑する先輩は、何かを持て余しているようにも見えて。
それ以上は、私も何も聞くことはできずに。
昼休みが終わる直前、挨拶のように告げられた「踏んでください」という言葉に、その日ばかりは少しホッとしてしまったのだった。