第二章
Ⅰ
ごうごうと炎が街全体を包む。生きていた街から死んだ街へと変わる。
「シスター……」
子どもたちはおびえシスターに抱きつく。シスターは優しく彼女らを抱きしめる。
「上手く過ぎ去ってくれることを祈りましょう」
シスターは無意味に大丈夫という言葉を使わなかった。神に従い生きる者。適当なことは言わなかった。
街は今、《リーヴ》による大量虐殺が行われていた。重機や近人と《血の契約》をした者たちにより能力の進行、その他さまざまな方法で人々が殺されていっていった。
シスターたちは教会の中の隠し通路に身をひそめていた。ずいぶんと長い間建っていたこの教会には思想犯等に攻め入られないようにと隠し通路がいくつもよういされていた。現在は養護施設も兼ねているがために狂った犯罪者が児童を殺さないようにという配慮の元だった。
だが、そう長く続く者でもない。
ザクザクザクザク。
誰かが歩き回る音が響く。その音一つひとつが彼女たちを苦しめる。
怖い怖い怖い。死にたくない死にたくない死にたくない。
願いが一致していく。どうしようもない恐怖が差し迫る。
「おい、ココに何かあるぞ!」
その言葉にビクンと肩が揺れる。明らかにこの隠し通路を見つけた人の声だった。入口の方から何人かが入ってくる音が聞こえる。
「このままでは……みなさん、前に」
外に出てもありそのまま見つかるだけと言う状況下ゆえにあえて潜伏していたのだがこうなるとこのまま立ち止まるほうが危険だと判断した。
「ののか、早く」
皆がそろそろと歩みを進めているのにののかは一人その通路を睨んでいた。瞳は微かにうるんでいた。
「ののか」
「また、家がなくなるの?」
ののかの悲痛な声が心にザクリと突き刺さる。
この子はいや、この子たちは全員、家を、帰るべき場所を無くしているのだ。中には無くしたという記憶のないものもいる。だが、それでも無くしたという事実は確かにあるのた。
「家は、無くなるかもしれない。だけだ、また作れるはずよ。あなたが私たちに出会えたように、ね」
シスターは優しく諭すように言う。ののかからの返事はなかった。だが、ののかが皆の後を追い歩き出したのを見てシスターもほっと息をついた。
「おい、こっちだ!」
「明かりを持ってこい!」
怒声が後ろから響く。だが、あわてることは無くシスターも最後尾をゆっくりと歩き出す。
辺りは真っ暗だ。全員が壁に手をつきながら安全に動き出す。急ぎたい気持ちは全員にある。だが、ここで転べばすべてが終わってしまう。
「明かりもいらねえだろ。俺がやる」
その時遠くから男の声がなる。一人でどうやってと疑問に思うがそれを問いただすわけにはいかない。それ以上に、その疑問をすぐに解決させられた。
「光の閃爆」
「っ!?」
シスターはその声を聞いて、頭で処理するより早く子どもたちを守る。
「っぐ……」
叫びだしたくなりそうな背中の熱い痛み。だが、なんとか舌を噛み声を殺す。
「シス―――」
子どもたちが声を出そうとするところで彼女は唇に指を一本立てた。まるで条件反射のようにその姿を見て黙る子どもたち。
なにかあるたびに、子どもを静かにさせるためにシスターは怒るのではなくこのようなしぐさをした。それを長年見てきていた子どもたちはあがなえない効力をもっていた。《真の声》ならぬ《真の動作》とでも表すべきだろうか。
だが、そんな頑張りもむなしく終わる。
「この手ごたえは……光の道筋」
先ほどの契約者の声が響く。真っ暗だった廊下が明るく照らされる。こうして対峙させられたのは兵器をもった3人の男と何も持たない男。その男たちは全員の制服を着ていた。
「子どもか」
「とっとと殺すか」
銃器を子どもらに向ける。
「よくも……よくもっ!!」
怒りで目を真っ赤にさせた氷空が拳を握りはむかうように走り出す。
?――たたたたたたタンッ。
連続する弾を放つ音。そのはなたれた銃弾から氷空を、子どもたちを救ったのはシスターだった。
「逃げ……なさい」
小さく笑って今度こそ本当に意識を永遠に手放す。シスターが死んだ。それを子どもたちははっきりと理解した。
「ちっ」
弾を再装填する男。茫然としそうとなる子どもたち。
「……うそ」
そんな中、ののかは小さく震えていた。怖かったのではない。申し訳なかった。自分がさっさと逃げていればシスターは死なずにしんだのでは?みんなを危険に巻き込むことがなかったのでは?その思いは途切れない。
「この野郎!!」
氷空が駆け出す。無謀だと幼い彼にもわかる。だが、止めない。理屈じゃない。心が彼を動かす。
「しにな」
トリガーがひかれる……その直前。強烈な風が彼らを襲った。
「なっ……」
もろに顔から風を受け瞳が乾き顔をそむける。走り出していた氷空は風の勢いに押され転んでしまう。
「ののか……?」
近くにいた楓馬がおびえたような声を上げる。彼らに与えた風は明らかにののかから発せられたものだった。
だが、それにののか自身は気づかない。言いようのしれない後悔が頭をよぎる。その後悔を押しつぶすように、塗りつぶす塗りつぶす塗りつぶす。緑の風で塗りつぶす。自分が壊れないように。
「っつ。楓馬、紫苑こっち!」
ののかのおかしな動作、雰囲気に気づいた天馬が近くにいた二人の手を引き自分もろともののかから引き離す。
「―――――――!!」
それは無表情の彼女の感情の爆発。ドンドンッと風の波紋が彼らを、子どもたちをも襲う。
「くっ」
「ガハッ」
苦鳴が響く。感情の爆発は周囲数メートルに波紋を上げ、鋭い想いが風となり《リーヴ》を襲った。
それを見届け終えたかのようにののかはフラリと意識を失い倒れた。
その場で意識を保っていたのは《リーヴ》でもなく、ののかから離れた所にいた、氷空、楓馬、天馬、紫苑のメンバーだった。
Ⅱ
「うっ」
激しい頭痛に襲われたような気分でののかはうっすらと目を覚ました。
過去の事を思い出していたらしい。久しぶりにこの夢をみた。表面上は緊張していないとおもっていたが水大将、青崎との戦いを意識しているのかしれない。経験的にこういった夢をみるのは緊張していたり後悔していたり、心があらんでいる時だ。
「風の旋律」
穏やかな音楽が流れ始める。これは、氷空がののかの為に開発してくれた力。
あの事件の後、我に返ったののかは酷く憔悴しきっていた。このまま隠し通路で人類虐殺を耐え忍んだあと、ののかたち生き残り組は外に出た。
生き残っていたのはののからだけではなかった。同じようにどこかに身を隠していた者たちもいた。だが、ののかたちが見たのはそんな彼らが家族の死に涙する姿でもなく、茫然と立ち尽くす姿でもなかった。
食糧を、水分を、かすかな生き残る可能性を求めての殺し合いだった。ののかたちも例外ではなく襲われる。そのたびにののかは唐突に目覚めた近人としての力を使い襲い掛かる人々を退けたのだ。だが、力を使うたびにののかの心は叫んだ。同じ施設の仲間を殺した力を、シスターを殺した力とほぼ同等の力を使っている自分を拒否しようとしていた。
そのたびにののかを優しく抱きしめ落ち着かせたのは氷空であり、仲間たちだった。そして誓いを立てる。同じ罪を背負い贖罪をしようと。こうして彼らは《血の契約》を結んだ。それでもなお、荒むことのあるののかの心を音楽という形で救ったのが風の旋律だった。
「ののか?起きてるのか?」
部屋に入ってきたのは氷空だった。ののかはそちらを見て「さっき起きたところ」と声をかける。
部屋には未だに音楽が鳴り響いている。
「エーデルワイスか」
「うん。なぜか山の方に生えてるはずのエーデルワイスが近くに生えてあったからなんとなく」
「えっ?エーデルワイスって花なのか?てか、どの花?」
「白い花。ほらっ」
ののかは部屋の隅に置いてある花瓶に入った、昨日抜いたエーデルワイスを見せる。
「あー……これか」
「正式名称はセイヨウウスユキソウ。ただし、日本???じゃない、イザヴェルにはこの種がないはずだからただ単にウスユキソウの事をエーデルワイスって言ってる。この花も多分ウスユキソウの一種。因みにエーデルワイスをそのまま直訳すると高貴な白」
ののか自身もどこで仕入れたか忘れた無駄知識を披露する。知っていて何かしら得する事も損する事もない知識。
風のオルゴールを消して氷空に話しかける。
「ご飯」
「えっ?ああ。天馬が用意してある」
「そう」
ののかはそのままリビングに向かう。
昨日は予定時刻より微かに遅れはしたが目的地にたどり着き息、昨日の基地よりは丈夫で凝ったものを作成した。相変わらず扉を区切るドアは無いがそれでも十二分なものだ。立ち寄った街で購入した簡易テーブルなどもあり、だいぶ家らしくなった。
奇しくもシスターの言っていた通り家をなんども作っている。ただし、シスターが言っていたのは家族的な意味の家であろうが。
「おはよう」
「……おはよう」
先手にという形でリビングで本を読んでいた天馬が挨拶してくる。いつも通りなら本に没頭していた気づかない事も多いのだがと少し不思議に思う。
「飯はそこにおいてあるから適当に食べて。昨日の作戦通りなら今日はそれなりに動くんだろ?」
「うん」
天馬に促され席に着くののか。昨日の街の補充の因果もあり大量の食べ物。やはり食材は潤沢の方がいい。金があろうがそれを使う場面がなければ意味をなさないのだから。
ののかは料理を胃に送りながら今日の予定を組み立てる。詳しいことは昨日のうちに全員に楓馬から連絡はいっているのでそれに不備がないか、何か見落としていないかの最終異確認の意味もある。
今日は三笠町の探索及び敵を待ち受けることとなる場所の確認。
《リーヴ》は明日、午前五時に侵攻を開始する。最低でも一時間前にはついていたい。また、戦うこととなるのは三笠町から3キロ離れた地点。《リーヴ》による侵攻があるということを町民に認識させ避難させるためだ。避難してくれるかどうかは町民にたよるしかない。ののかたちが一軒一軒回って説明したところで、《リーヴ》がそんなことをするというのが都市伝説だと認識している彼らには無意味であろう。さらに言うならばテロリストである《復讐の子ども》の話を誰がまともにとりあうのであろうか?通報されるのがオチである。
「……紫苑」
「なにー?」
同じくリビングで羽を伸ばすようにゆっくりしていた彼女に話しかける。紫苑の髪は整えられておりポニーテールにまとめあげられていた。
「地雷系の術はできた?」
「一応ねー」
「見せて」
「ここで?」
「外で。食事はもう終わってるから」
そういってののかは皿を洗面台に置き、「みんなもきて」と声をかけた。
「あれ?皆さんどうしたんですか?」
地下に造られてた家から出てきたののかたちにきょとんとした顔を向ける楓馬。
どうやら日向ぼっこ兼朝のちょっとした体操をしていたらしい。額には汗がうっすらと合った。
「紫苑の開発した術を見ようとおもって」
「そうですか。じゃあ、あそこらへんなら大丈夫だと思います」
楓馬が示したのは木々が生い茂っている場所。確かにそこならば誰かに見られることも無く威力を確認できるだろう。
「わかった」
ののかは頷き50メートル離れたその場所へ移動する。
「じゃあ、お願い」
「まっかせなさーい。風への逆雷・静寂」
紫苑は言葉を発する。だが、何もん変化は起きない。いや、起きないように見える。
「氷空、行きなさい!」
「いやいや!誰が行くか!?」
「ですよねー」
紫苑はアハハと笑う。
「起爆条件は?」
「静寂状態での重さ40キロ以上の感知。もしくは……起爆」
ボフッという激しい音がなる。近くの木々が大きく揺れ葉は渦を巻く。落ちていた木の枝もそれは吸い上げ上空へと飛ばしていく。そして唐突に渦を巻く風がやむと支えを失ったがために重力に逆らうすべをうしなった。
「とまあ、こんな感じ」
「威力は十分、仕掛けた場所もわかりづらい。発動時間はおよそ30秒。効果範囲は半径3メートル……十分」
冷静に分析する。地雷の発動条件としては申し分ない。敵に複数囲まれた際、
地雷を敷き詰めているエリアへと移動さえできれば形勢を逆転することも可能だ。また、牽制にもなる。
「術の形を教えて」
使えるという判断の元ののかは問いかける。この術の形は重要なものだ。氷空たちも耳を傾ける。
「これはね―――」
紫苑が説明を続ける。
近人はともかく《血の契約者》は言の葉を使い術を使う。だが、言葉を発するだけでは術を使うことはできない。導きたい術がいったいどのようなもので、どのように形作り、どのように操作させ、どのようにしたいのかを正確に思い浮かばなければならない。そうしなければ力を使うことはできず言の葉はキャンセルされてしまう。近人の場合は無詠唱のものならば適当に思い描くだけでも、感情の爆発に身を任せるだけでも術は発動できるのだが。
「にしても、なぁ」
苦笑いを浮かべる氷空。
「なによ」
「いや、擬音語ばっかりだなって」
「伝わればいいの」
「今はもう慣れたから大丈夫だが最初は結構厳しかったぞ」
確かに、紫苑の説明の言葉にギュイーンとか、ガキャーンとか、シュキンとかよくわからない言葉を多用する。かろうじて伝わるのだが性格のイメージが必要な《血の契約》の術にしてみれば致命的だ。そんな紫苑に術の開発を任せているのは彼女の創造力の高さや柔軟性だ。ただし、風信号の声のような繊細なものはイメージ以上に技術なども必要となってくるため他の誰かが使うことは難しいのだが。
そのような例外はあるがののかの《血の契約》の術の多くは紫苑が作っていた。風と共にや風の放射なども紫苑作だ。
「それでも一応できるでしょ?」
「まあな……風への逆雷・静寂。そして、起爆」
氷空の言葉の後に先ほど紫苑がやって見せたものと全く同じ現象が起きる。ののかたちも同じように術を発動させ言の葉にイメージをのせれていることを確認する。
「大丈夫そう……じゃあ、この地雷の設置も行うついでに三笠町周辺を見回りに行こう」
ののかの提案を否定する者はもちろん現れずののかたちはその足のまま歩き出した。
Ⅱ
一通り風への逆雷を無装填状態で敷き詰め終えた頃には日がやや沈みかかっていた。
全て終えてからもう一度昨日作った基地へと戻る。お疲れという言葉も程々に楓馬を中心に作戦会議という名の作戦説明を行う。
「僕たちは午前四時までに所定の位置につき待機しておきます。改めて確認しますと僕と紫苑が北、氷空が西、天馬が東、ののかが南です。勢力は南が一番大きいと思われ次に北、西、東の順になります。ですが、敵を全て倒したとしても他の地域への助太刀、特に南にはいかないようにしてください。敵が多い為ののかには全力をだしてもらいます。そこに僕たちがいたら邪魔になる可能性がありますので」
上手い説明で南側へ行かせないように注意を促す。氷空はチラリとののかを見るが当の、ののかは気にした素振りをみせていなかった。といっても、ののか自身が表に出る感情の起伏が薄い為実際は動揺しているのかもしれないということは脳内に書き留めてはおくのだった。
「どれくらいの間止め続ければいいんだ?」
天馬が尋ねる。もとより全員を倒すことが出来ないと判断した上での質問だ。全員を倒すと豪語するのは簡単だが、それを行うのは難しいものだ。それは勇気ではない、無謀だ。その無謀に近いことをののかは行おうとしているのだから少し自嘲したくも、ののかはなった。
だが、自分ひとりで青崎を止めなければならないのも事実だ。他のメンバーに任せるわけにはいかない。かといってこの虐殺を無視するわけにもいかない。それなら元から《復讐の子ども》など立ち上げていなかった。
「時間はおよそ5時間と見繕っています。ただし三笠市の人々の危機管理能力がどれくらいのものかもわかりませんしなにより逃げる隙を付けるかどうはわかりません。ですので、僕たちの戦い続ける最高の時間を考慮して3時間……日が昇りきった時に撤退します。その時に三笠市の人々がどれだけ残っていてもです」
「…………」
それは彼らを見捨てるということだ。撤退事態はののか達が各自隙をついて風と共にを行えば退避は可能だ。だが、この力を市民全員に与えることはできない。風と共にの縛り、それは風に変えれる能力の限界だ。元来近人の能力は万能ではない。その一つに技の縛りがある。風と共には人の体を微粒子レベルにまで細かくし、それを風にのせて移動させることで擬似的なワープを行っている。風は発動者が自由に扱うことができる。だがその性質上、同じ空間でつながっているのであれば行けるのだが、室内など、空間が分けられていれば侵入をすることはできない。そして微粒子レベルへの分解を行うため発動者の負担も大きい。限界はおよそ10名だろう。
「こればかりはどうしようもありません」
「まっ、近くにいたら何人かは救ってもいいんでしょ?」
紫苑が空気を変えるように尋ねる。
「はい。ただし、僕たちの元に来させるのではなくどこか安全なところにおいてきてください。情報の漏えいは徹底的に防ぎます」
「はーい、分かった」
「他に質問は?」
「……楓馬、待ち合わせ場所いってない」
「あっ、そうだ」
ののかのしてきにしまったという顔をしながら苦笑いで説明を付けたす。
「集合場所は前回の基地のあった場所にします。まさか敵も一度ガサ入れされたところに舞い戻ってくるとは思わないでしょうから。ただし、そこで一晩過ごせばまたすぐに旅立ちますけど」
今度こそ楓馬は説明を終える。
《復讐の子ども》の面々は何をいうでもなくただ黙って後数時間後に戦うこととなる場所をイメージする。そこにいるのは敵を倒している自分か、それとも倒されている自分か……。嫌な想像と良い想像が交互に脳裏によぎる。
「説明は以上です。質問も無いようですのでここから午前3時30分までは各々英気を養っていてください」
楓馬は言い切ると黙って展開していた電子黒板を消す。
空気が少しだけ弛緩する。ののかはみんなの様子を見送って一人外に出た。
「風を力に」
ゆっくりと右の手のひらを握る。
彼女が近人であることに気づいたのは例の大量虐殺の時だった。それまではののかは新人であると周りからも認定されていた。
近人と新人のDNAは99.99%同じである。だが、その0.01%というほんの微かな違いが能力の有無を分ける。正確に言えば近人の間にも扱える能力が違うためDNAの違いがあるのではないかと言われてはいるが真実は不明のままだ。だが、確かに言えるのはこれらは科学であり超能力ではないということだ。
「ののか」
「……なに、氷空」
近人としての力を意識していたがために風からの情報が氷空がこちらに向かっていることを伝えていたため特に驚くことなく振り返る。氷空の表情は痛く真剣だった。こういった表情をするときは何か大切な、人のなにか決断を変えようとするときのものだ。
ののかは自らの顔を変化させることはできない。できないといえば語弊があるがそれを行うことを体が拒否する。だからこそ、他の人の顔の変化を読み取れる。
「俺、何度も考えたんだけどやっぱり水大将……青崎七海と戦うことを紫苑たちにも伝えないか?」
「どうして?」
必ず心配をかけるし、なによりそんなものをののかは望んでいない。そういった視線を氷空に向ける。
「確かに、楓馬が言ってた通り俺たちが足手まといになることもあると思う。だけど逆に俺らがいることで敵の意識を集中させないことで生存確率を上げることだって出来るだろ?」
「生存確率は下がっている」
「どうしてそんなことを言える?」
迷いの無い口ぶりのののか。
「確かにわたしの生存確率は上がるかもしれない。だけど、氷空の、みんなの生存確率は?ほぼ100%だったものが一気に下がる」
「なっ」
「私一人で戦うということは私の生存確率だけが低くなる。だけど、みんなで戦ったときは私の生存確率は上がるかもしれない。これも不確定要素。そして他のメンバーの生存確率の減少。そう考えると、どちらがいいかは明確のはず」
「お前……」
ののかの発言は自己犠牲によりみんなを救うというもの。
よく、アニメや漫画、ドラマなどのフィクションでは自分に近しい人、ひとりの命とその他大多数の命を選び取るシーンがある。第三者の立場なら後者が正しいと、後者を選び取るように言うだろう。だが、それが本人ならば話は変わる。迷うはずだ。しかし、ののかはあっさりと自分を捨てる選択をしていた。それは氷空にとって許せないことだった。
「オイ」
いつ以来か、怒りを滲ませた声をののかに告げる。
「なに?」
「お前は命で命を浄化しようとでもしているのか?」
「冷静な判断。それを行っただけ」
「お前な!」
ドンっと、ののかの背後にあった木に右手をつく。木は壁と違い丸い。逃げようと思えば逃げれるのだが、ののかは真っ直ぐに、ひるむことなく氷空を見返す。
身長差でののかは見上げ氷空は見下ろす。お互いに譲れない想いを視線に孕ませる。
「なにが冷静な判断だよ。結局ののかの自己満じゃねぇーか」
「楓馬も認めた」
「楓馬にはこういう風に伝えたのか?私ひとりが死ぬかもしれない確率を上げることでみんなを助けようとした、なんてな!」
「……」
答えは返せない。言ってないから。そんなことを言えるはずなど無いから。
「こんな作戦、俺は認めねえぞ。意地でも付いて行ってやる」
「ダメ。"また"、私がみんなを殺してしまうかもしれない」
「っ、あの時とは状況が違う。俺たちも立派な契約者だ。自分の身くらい自分で守れる」
「作戦は絶対」
「認め無い」
お互いの気持ちを込めた視線を交差させる。譲ることのできない想い通し譲らない視線。
火花が出そうなもの、というよりはまるで冷めた氷山のような冷たい視線のやりとり。
先に視線が途切れたのは、ののかだった。
「おい……」
驚く氷空。ののかの体がゆっくりと横に落ちていく。
「おい!」
慌てて抱きかかえる氷空。ののかは目を閉じ冷汗をしっとりとかいていた。
「急に———」
「やはり、そう、なりましたか」
ガサッと土を踏みしめ駆け寄ってくる楓馬。突然の楓馬の登場に虚をつかれたような顔をするがすぐに状況把握をして楓馬に話しかける。
「やはりってどういう事だよ!?」
「どうして汗を掻くか氷空は知ってますか?」
氷空が抱えるののかを、氷空が抱き取り、質問を質問で返す楓馬。
「……体温調節だろ?」
「はい。冷や汗のような精神性発汗の場合は異なりますが基本的にそうです。そして何かを出し調節するというのが、感情でも同じ事が起きているとしたら?」
「まさか……」
「ののかはそうなんですよ」
犬は汗をかかないかわりに舌を出し、ハッハッと息を出す事で体温調節をしている。それらを行わなければ体内に熱がこもってしまうからだ。
それが感情にも起きたら。
ののかは虐待のトラウマも手伝い、感情を表に出せない。
「楽しければ笑い、悲しければ泣き、むかつけば怒る。感情を出す事で気持ちを昇華出来るんです。それが内にたまり続ければ、プラスの感情ならまだしも、先ほどのようにマイナスの感情なら、心的ストレスは異常に負荷をかけますよ」
楓馬の言葉にギリッと歯を鳴らす氷空。
ののかのためにした行為がののかを苦しめていた。クッションを除き直接刃のみの言葉として取り出すなら楓馬はそういったのだ。
「こんなこと頃に寝かしていいのか」
自分の何もできないという無能さに腹立たしさを感じつつ氷空は尋ねる。
「他に寝かせる場所もないですから。それに先ほども言いましたようにこれは心的なものです。元気な人が寝転がるのとなんだ変わりはありませんよ」
「寝かせる場所がないって……。普通に家にもどりゃ」
「どうやって天馬と紫苑の目を誤魔化すんですか?まさか本当のことをいうとでも?」
「…………」
「氷空」
楓馬は立ち上がり氷空を見据える。《復讐の子ども》最年少である彼だがしっかりと氷空を睨む。まるでののかを守る騎士であるかのように、ののかの前に立つ。
「ののかがその気になれば氷空を《真の声》で無理やり縛らせることもできた。でも、それをせずに氷空と話で解決しようとした……。それなのに、氷空は、アンタはののかから選択の自由を奪うのか!?」
久しぶり、いやはじめてに近い楓馬の怒声。お互いにののかを想いあうがゆえに起こる亀裂。
「……悪かった。ただ、ののかには本当のことをみんなに伝えてほしかったんだ。ののかだけが苦しむ案なんて、俺は認めたくなかった」
「僕だって……認めたくないですよ。ですが、それが一番いい方法だというのも事実です。近人の能力だって万能じゃないです。万能だったら今頃、こんな大量虐殺なんかせずに地球を救っていますよ。そしてその劣化能力を使う契約者の僕たちは……。ここから先は、言わなくてもわかりますよね?」
「あぁ」
唇をかみしめる氷空。落ち着いたからか、ののか本人からではなくののかを救いたいと思っている楓馬からの説得だからか、妙にストンと落ちた。
「それじゃあ、ののかを見守りましょう。近人の力には精神の安定性が大切になってきます。今のののかでは危険ですから、精神が安定するように見守りましょう」
《復讐の子ども》のようなたった数人の青年期の者たちが多額の懸賞首となっている理由はののかの能力の強さだ。
ののかの精神は簡単なことでは揺らがないようになってしまっている。感情の力を、精神の力を使う能力を安定した強さで連発させる事が出来た。
「楓馬」
「はい?」
「どうして、近人なんてあらたな進化を人間はしたんだろうな?」
「……わかりませんよ。僕は生物学者じゃないんですから。ただ、人間は、というか生物の突然変異はそこまで特異なものではないですよ」
「……?」
「体のどこかがかけた人間、元から足が一つしかなかったりとする、いわゆる障害者と呼ばれる人も、もし足が一つしかないことが人間という種族にとってプラスのことであるならばそれは進化と言って差し支えないでしょうからね」
「近人は、人間にとってたまたまプラスだったと」
「はい。近人の能力は精神力学という一つの学問として確立されるほどにこれは市民権を得て強いものになっているんですから……これは正当進化とみていいでしょう。そして僕たち契約者は進化というよりは変体とみる方がいいでしょうね」
近人の能力は精神を司る脳内にある電気信号を操り自然現象として具現化させることができる。ののかは風を操り、あるものはそれを光に変える。
契約者たちはその力を借りるべくイメージを言の葉として放つことで体内に取り入れた契約主の血を反応させ無理やり自然現象に引っ張りだしている。
その為、力を行使する行為というのは自らの精神を削るといっても過言ではなく、人ひとりの力で地球全体を救うというのは不可能に近い所業なのだ。
「ののかが近人として産まれたのは、ののかにとって幸せなことだったのかな」
「…………」
氷空の次の疑問には楓馬はなにも答えなかった。
ののかが近人であるがゆえにののかたちは今もなお生き続けている。しかし、ののかが近人であるがゆえに、事故とはいえ同じ孤児院で育った仲間の十字架も背負うこととなり、今こうして戦いの真っただ中で苦しい想いをしているのだ。
生き続けるのが幸せなのか、何も感じることのない死が幸せなのか。死ぬことよりひどいことはないのか。それとも生きることよりひどいものはないのか。答えは闇の中だろう。
「…………」
嵐の前の静けさ。ののかを囲み二人の男は黙ってののかの幸せを願い続けた。
Ⅲ
丑三つ時からさらに少しの時間がたった夜更け。5人の少年少女たちが作戦を開始し始める。
「それじゃあ」
「ああ」
三笠市の南東に基地を作っていたためすぐに北、東を任されている楓馬、天馬、紫苑と別れる。
「……」
「……」
ののかと氷空の間に言葉はない。結局ののかは天馬たちに本当のことを届けることはなかった。精神は表面上落ち着いている。だが、それは水素爆弾のように、ほんの少し動かしただけで爆発してしまいそうなもののように感じてしまう。
無言の2人の間には虫の鳴き声と、風の音が響く。深夜の街には明かりもない。以前は眠らない街とまで言われていた旧東京でさえ、月明かりがあるだけだ。
地球再生法、第16条。日本標準時子午線を基準に23時を超え明かりを灯してはならない。詳しくは何W以上などの取り決めや例外があるのだが、詳しいものはののか達は知らない。ある意味知ってなるものかという意地すら感じさせる。
ゆっくりと歩いていたはずなのにののかの担当地域がもう訪れる。
「なあ」
「……なに?」
そこでようやく言葉を交わす。微妙な空気。それを払拭するように氷空が真剣に、それでいて和やかに告げる。
「俺は、もっとののかと一緒にいたい」
「…………作戦開始時間まで余裕があるとはいえ相手も予定を変更しないとは言えない。早く行くべき」
「分かってるくせに。今、一緒にいたいんじゃない。これからのことだ」
「約束はできない。不確定要素は出てくる可能性が必ず存在する」
「そんなこと言ってんじゃないよ」
氷空は一瞬眉間に皺を寄せすぐにとく。言いたいことをただ怒鳴り押さえつけることはしたくなかった。それは簡単にできるののかがやらないこと。それを自分がやるのか?そんな自問があるからだ。
「俺はただ、ののかから必ず戻ってきて、俺たちと暮らしていく……生きて帰りたいと、"思って"、言って欲しいだけなんだよ!」
氷空の言っていることはただの感情論。出来ると思えば出来る、出来ないと思えば出来ないとという自己暗示。ただの、気休めかもしれない。しかし、そんな気休めすらののかはやらなかった。それはどうしてか。
「……嘘をつくことにはなりたくないから」
まだ逃げる。本当はわかっていた。なぜ氷空が怒っているのか。しかし、それを認め、行動することはできなかった。
「なら全力で、嘘じゃなくなるようにしてみてほしいんだ」
氷空はなおも"頼む"。命令ではない、強制でもない。ただ、頼み続ける。
同じ土台に立ち勝負する。本来ならののかの《真の声》で全てが終わるはずが、状況は五分だった。
「約束は……できない」
「っ、ののか!」
「でも、」
小さく息を吸う。
「でも、みんなを悲しませないように、私も死なないように最善の注意は払う。必ず生きて帰ると言うことを諦めることはしない」
「ののか……」
それはののかにとっても最大の譲歩だった。死は必ず付きまとうものだ。三笠市の人々は知らずのうちにこの死の恐怖が近づいているのだ。それをみすみす見殺しにすることはできない。本当に自分の命をかけてでも、彼らを救いかった。もう、目の前で、自分のせいで人が死ぬのは嫌だから。
「じゃあ、何かあったら必ず行くから」
「氷空は自分の地をちゃんと守って」
「守った上で、だ」
互いの信頼を胸に二人はいま、別れた。
気の早い雀が鳴く。作戦決行時間がやってきた。遠くから《リーヴ》の姿が確認できる。それは敵の印。三笠市は、ようやく目覚めてきた時間。微かな活気が見て取れる。
「静寂」
静かに告げるののか。必ず食い止めると誓いを言葉にする。
後、5メートル、4、3、2、1……0。
「起爆」
爆発が起きる。《リーヴ》の絶叫。全てを爆破したのではない。牽制様の爆破だ。だが、それでもかなりの数を減らした様だ。
慎重に、しかし大胆に歩みを《リーヴ》は進める。この爆破に混乱をきたすことがない。恐ろしいほど訓練付けられている。まるで、人間の本能を極限にまで減らしたかの様に感じる。
「場所はバレてない」
確実に侵攻する彼らを見てつぶやく。彼らの目的はあくまでも三笠市の虐殺。ののかたちではない。それに、この爆発が《復讐の子ども》のものという確証もないだろう。
テロ組織は他にもいる。政治犯である《静寂を求む》、宗教的存在である《次世代への移行者》、上げればキリがない。いつの時代も新たな動きには反勢力が付きまとうものだ。
「風への逆雷・静寂」
続けて牽制用の地雷を埋めておく。どこから来ても万全、そんな体制を整える。
「水の輪舞曲」
微かに響く声が聞こえ、水の大きな球体がののかのいる場所からでも確認できる。どうなるのかと思っているとそれがまるでシャボン玉のように壊れて消える。
「…………」
どのような効果の者かわからない謎の能力。何が来てもいいようにとののかは風を操り自分の周りに憑依させる。
相手の動きを見守ろう……そう、思った瞬間。
「っ!」
流石のののかもどうしてと目を見開く。《リーヴ》のメンバーが銃口がすべてののかのいる方向を向いた。
頭を回転させながら一歩一歩とゆっくり歩き逃げる。
考えられる候補はいくつかある。目の前の本体部隊だけでなく偵察用部隊が他にいて回りこまれている。
「いない」
だが、辺りに人の気配は感じない。念のためにと探知用の風を辺りに流すが引っかからない。だが、代わりに妙な感覚を覚える。湿気だ。
「そういう……」
ののかは自身にまとわせる風の濃度を薄くし、代わりに広範囲に広げる。ビンゴ。銃口が乱れる。
「探知能力……」
ののかは低く呟く。先ほどの水の輪舞曲という能力によってばれた可能性が高い。細かく砕かれた水は空気中に分散され、物の場所を探るのだろう。そこで一か所。明らかにおかしな部分であるののかがまとう風を発見したと考えるのが一番手っ取り早い。
ののかは移動をしながら相手の裏を突く動きを開始する。対面してからでは遅い。敵陣地にのめりこむにはまずそれ相応の動きを確保する必要性がある。
「風の大弓道」
岩陰に隠れ大きな弓を生成する。といってもそれはあくまで風であり空気だ。質量はほとんどない。
ギリギリと限界まで風の矢を引く。狙いは一点。敵陣地中央。
「いけっ」
ななめ四十五度。矢を放つ。風の矢は空中の頂点を通過した後、高速で堕ちていく。水の輪舞曲で異常を発見する《リーヴ》だが時すでに遅しだ。風の矢が地上に到達すると、竜巻が起こり《リーヴ》の人々を巻き上げ叩きつけた。
「よしっ」
弓を消し移動を開始する。たった一人の近人に翻弄され、なかなか三笠市に近づけない《リーヴ》。チラリと街を確認する。度重なる爆音などでようやくおかしなことが起きていることに気づいたらしい。だが、これが《リーヴ》による大量虐殺だとは気付いていないだろう。否、まさかそんなことをするとは思っていないだろう。なぜなら表向きは、《リーヴ》はこの大量虐殺を止めに来たと発表されるのだから。しかし、このまま騒ぎが大きくなれば、それが《リーヴ》によるものか、それともテロ組織によるものかという間違いはあるものの三笠市の人々を逃がすことができる。汚れ役は自分たちが受け持つ。
「あら?何をしているのかしら?」
「っ!?」
頭の中で次のシュミレーションを行っていたののかに背後から声が聞こえる。あわてて振り返る、そこに立っていたのは、年の頃は30後半の女とそれに付き添うような男たち。そして女の服は《リーヴ》の制服を基本としてはいるが微妙に違う部分がある。そこですべてを悟る。
「水大将……青崎七海」
「正解。青崎よ」
ニヤリと嫌らしい笑みを浮かべ、ののかが発した言葉が正解だと告げる七海。ここの指揮を執るものがどうしてここまで善戦にと驚きながら素早く間合いを取る。七海は耳から通信機を投げ捨てる。
「なるほどねぇ」
だが、七海は動かない。まるで楽しんでいるかのように口角を上げる。
「アンタたち邪魔はしないでよ」
七海の声にそばにいた男たちが直立不動のまま動かなくなる。同質の力を持つののかはわかる。それが《真の声》であるということを。だが、わからないのはどうして一対一になろうとするのか。
「帰って」
簡易な風のナイフを作り威嚇する。ここで引いてくれればすべてが片付く。
「あらそう、で、帰ると思う?」
「なら、力づく」
ののかは手に持つナイフを放つ。一直線に七海の胸まで飛んでいく。
「…………」
不敵な笑みを浮かべ黙って手をかざすと水の球体が表れ風のナイフを受け止める。
だが、それ好機にと、今度は誘導目的でない風のナイフを大量に生成、一気に放つ。
「無駄よ」
だが、すべてがまるで射線がわかってるかのように水の球体で受け止められる。そして頭の中で何かが告げる。
ほぼ無意識のように大量に風を生成、自分の後ろに一直線にそれを流し込見ながら振り返ると水の刃が押し戻されていっている。その状況を把握したのちすぐに風を操り突風を地面にぶつけ砂埃を起こし逃げる。
するとその砂埃が水を吸い、泥となって地面に落ちていく。そして、結局地面が乾いた土ではなく泥となっている状況で初期の状態へと戻る。
「貴方の目的は?」
「テロ組織、《復讐の子ども》に問われるというのも不思議なものね。でも、不思議に思うのは当たり前っか」
小馬鹿にしたように笑う七海。近人として対等に立っているはずなのに、なにかわからぬ力が全体を包み怖くなる。プレッシャーや気迫、精神の勝負である。
「私はただあなたと戦いたいだけ」
「どうして?」
話をして時間が延びることはののかにとって嬉しいことだからあえて話を続ける。それが間違いだと分かるのは七海のこの言葉の後だった。
「だって……燃えるじゃない。因縁の親子の戦いって」
「っ!?」
舌舐めずりをする七海に驚くののか。その瞬間空気が、精神が変質した。