第一章
Ⅰ
緑の風が後ろから吹き抜けて洋服と前髪を揺らす。その彼女の服は同年代のものに比べると飾りっ気のない質素なものだった。その理由は一言では表せない。だが、一番の理由は華美な服は面倒だというものだ。それ以上の理由は存在しない。前髪を手ぐしで直す。額が見えないようにするのが彼女のスタイルだ。
彼女は吹きぬいていった風が木々を揺らしていくのを見送ってから本を開く。
『私達は、世界を、地球を、再生する!』
そんな一文から始まるこの本では私達の地球の歴史が語られていた。国際連合から国際連闘へと移り変わるさま、化石燃料や有害性のあるエネルギーも使わない第三のエネルギーの発明。コンクリートに固められた世界から緑の復元。DNAを取り出しクローン技術を応用しての絶滅動物の復活。宗教改革や先進国と発展途上国の格差を埋める政策。
そしてなにより、この日本を世界の中心的地域になりすべてをひっぱて行くようにと(実際はアメリカ指導の下に実験台にされてたようなものだと推測されている)数年前に『イザヴェル』と名を代え表面上は平和的に動いている。そんな表面上の内容がこの本に書かれていた。
「あっ、こんなところいたのか」
本を閉じようとした矢先に声をかけられる。声をかけたのは幼馴染だった。その幼馴染に視線を移した。
「……なに?」
「なに?じゃないよ。勝手にいなくなって」
呆れた顔をする幼馴染。だが、彼女はなおも彼を見続ける。
「……どこにいようが私の勝手」
「猫じゃないんだから。ほらっ、行くぞ。ののか」
「氷空は相変わらず横暴」
差し出された手をつかもうとしないののかに、しびれを切らしたのか、氷空はののかの腕をつかんで引っ張り上げた。これでは仕方ないとののかもしぶしぶ立ち上がる。だが、引っ張られた勢いが強かったのか、その反動でののかは氷空の腕に抱かれるような形となった。
「横暴で結構だ。ののかのせいで時間はおしてるんだから」
少し視線をずらしながら文句を言う氷空。顔はやや赤みを帯びていた。
「……わかってる。だけど、待って」
氷空を押しとどめ視線を氷空の顔から緑一面の丘に再び向けた。ここは、元はののかたちが確かにいた街―――旧目黒区、自由ヶ丘。制作が始まると共に街は壊され、小難しい技術で植林をしていった。
「綺麗だな……むかつくぐらい」
ののかの視線を追った氷空は小さく呟く。ののかを抱く腕の力が意識的にか無意識的にか増す。
無表情で感情が分かりづらいののかと引き換え、氷空の表情は非常に豊かだ。ののかとの対比の影響もあり喜怒哀楽がわかりやすい。それはそれで問題もあるのだが、氷空はむしろその方がいいとののかは考えていた。
「地球再生政策……そのたまもの」
しゃがみこんで四葉のクローバーでも探そうかとののかは思いを巡らしながら言葉を放つ。だが、その考えは氷空がしっかりとそれでいて優しくののかを両手でホールドしていてできなかった。氷空のことなので胸でも押し付ければ慌てて離すであろうがののかには押し付けるためには少々肉付きが足りなかった。
この最高の一手が封じられているがためにののかは他の手は思い浮かばなかった。
「“地球”はたしかに再生したかもな」
「それが全人類の望みだったらしい」
「全人類?……あっ、そんな本呼んでたのか」
ののかを抱く氷空がののかが抱いていた本を見つける。
「世界共闘理論。3014年版」
本を胸の前に突き出してみせる。それを眉を顰めてみながら氷空は吐き出すように言う。
「エコエコという割にはそんな下らねえ本出すために紙を使ってんだな」
だが、その言葉にののかは即座に返した。
「くだらなくない……ユニーク」
「ユニーク?」
「この本に嘘はほとんど載っていない。真実が大半をしめてる。なのに間違ってる……二流、三流の小説を読むよりユニーク。下手をすれば一流よりも」
「……ののからしいな」
「……ほめてる?」
「ある意味な」
「……ならいい」
頷いて見せる。だが、表情豊かゆえに空の顔が少し呆れてたのがわかる。その様子にどことなく面白くなさを感じ、自由に動ける右手でホールドしている氷空の腕を抓る。
「イテテ、なんだよ」
「何となく、むかついた」
「たっ、たく」
痛みと驚きで氷空はののかを解放した。
———こんなことでよかったんだ、難しく考えすぎていた、こんなことではダメ、たまには馬鹿みたいな簡単な手段の方がいいかもしれない。
ののかは一人反省会を開きながら座り込む。
「って、ああもうまた座り込んで」
痛みから戻った氷空がののかを非難するように言う。
「氷空」
真面目な声をだすののか。その雰囲気に当てられてか、氷空も戸惑った様子をみせる。
「な、なに?」
「痛かった?」
「お、おう。まあそうだな」
「こういう痛いことをたくさんするのってやっぱりいけないことなのかな?」
その質問に氷空は考える。そして、自分の意見を導き出す。
「……正当防衛ってのがあるだろ?痛いことをすることはすべていけないことという訳ではない」
「そうだね」
氷空らしい答えだった。間違いは間違いときちんとわかる人物、それが氷空という男だった。
「……急にどうしたんだ?」
「別に。ただ、氷空ならどういうかなって思っただけ」
「ののかはどう思うんだ?」
「痛いことはダメ。だけど痛いことを我慢し続けるのはもっとダメ。そして痛いことを我慢し続けることになる人が増えるのはもっともっとダメ。だからダメなものどおしを比べてどっちがよりダメかを見定める」
「要約すると?」
「時と場合によっては痛いことも仕方ない」
「そういうことか」
納得したのか頷く氷空。要約内容と要約前の内容が微妙に違うような気もするのだが、氷空が納得しているのであればそれでいいかと考えないようにした。
それにののかにはやるべきことがある。そのためにもと先ほどから発見していたクローバーを抜く。
「おっ……四葉」
「ここら辺は多い。四葉だらけ。さっきから氷空の足元にもある」
「えっ?あっ……ホントだ」
ののかが氷空の近くにあった四葉をちぎって見せてみる。ここは陰がやや多く水辺である。ゆえに四葉が生まれやすい。また、一つ四葉があれば同じ株内にまた四葉が生えていることも多いのだ。
「幸運でももたらしてくれるのか?」
「こんなものに頼ってはダメ」
「えっ?」
クローバーを氷空に見せつけながらののかは解説してみせた。氷空の顔をののかは四葉と一直線に射抜いていた。
「クローバーの花言葉はBe mine―――私のものになってください」
「それで?」
「もともとクローバーは黒魔術の一種だったらしい。見せつけた相手の幸せを奪うんだって。それと関係あるかは知らないけど、この花言葉もよく考えたら傲慢」
「へー、相手の幸せを……って、お前」
クローバーが見せつけられていることに気づいて半眼で睨む氷空。気づくのがやや遅すぎる。
「所詮迷信。ちなみに恋愛系のおまじないなんてほとんど黒魔術」
睨まれている視線を振り切るようにクローバーを振った。
「そうなのか?」
「考えたらわかる。おまじないで誰かの心を無理やり自分に向けさせようとしてるんだから。それにその向けさせた相手と本当にむすばれるはずの相手が可哀そう」
「確かにな……まるで―――」
そこから先の言葉が暖かな優しい風に盗まれていった。だが、氷空の言葉の続きは容易に想像できた。だからののかは問い返しはしない。逆に氷空の言葉をつなげる。
「自分が幸せなら結局それまでの過程はどうでもよくなる。人間なんてそんなもの。国際連闘がやったのもそんなもの。私達がやろうとしているのもそんなもの」
「……そうだな」
国際共闘が地球の為になにをしたのか。というより地球の為に何をしてあげたのか。
まずだが、地球にとって害のあるものをつぶしていく。では、地球にとって一番の害は?答えは一つ。人間だ。また、人口の増加とともに大きな問題になっていた食糧危機を乗り越える手っ取り早い方法の為にも人を殺すという手段は最適だった。人類が減れば……食糧に対する人類という分母は小さくなるのだから。
害を出す人間もいなくなり、食糧危機もマシになる。一石二鳥という言葉では表しきれない利益がある。この旧目黒区も本来はもっと人がいた。こんなに緑一面の土地ではなかった。高いビルが並びコンクリートの街だった。
「そろそろいこ」
ののかは立ち上がって氷空にいう。
「そうだな、こんな開けた所にずっといたらって……遅かったか」
「……ホント」
氷空が顔を険しくしたのでそちらを見ると、確かに少し遅かったことに気づかされる。
「なっ!?お前ら」
目を見開く国際連闘から作られた組織の親衛隊、《リーヴ》。やっはり、ののか達―――間違った世界を覆すために動く異分子であるののか達はテロ犯―――《復讐の子ども》の長として顔が知れ渡っているが故に一発で見抜かれた。
「悪いけど、逃げるから」
ののかは四葉のクローバーをそいつに投げつける。
「させるか……なっ、くっ」
先ほど投げたクローバーで風向きを確認すると向かい風だった。なので、風向きを変えて、ついでに強い風を起こし怯ませた。
「じゃあね」
ののか氷空は連れだってその場から逃げだした。逃げる方向は風向き側。男の横を抜ける。
「まっ、待て……くっ」
後ろを振り返ろうとした男は足を取られる。ののかは自分と氷空の周りだけ風を調整しているためむしろ、逃げるのを風がサポートしてくれていた。だが、いつまでも走って逃げ続けるつもりもなかった。
「風と共に」
氷空がののかを抱きしめるとともに小さく告げる。その瞬間風のようにふわりとした感触と共に景色が変わる。
「到着」
ふわりと風がまとう感覚がなくなる。一見するとただの洞窟のような場所、それがののかたちの今の家。。
「お疲れ様」
氷空に労いの言葉をかけののかとその守りたくなるような小さな背中を追う氷空は洞窟の中に入っていった。
Ⅱ
人類の進化の過程を振り返ると猿人、旧人、原人、新人となる。そして今。新人ともう一つ近人なる新たな人種がいた。近人と新人の間にある大きな壁。それは《自然能力》の有無。近人が表れた初期の頃は研究対象として様々な研究をされた。だがしかし現在は近人は全人類のおよそ25%を占める。その数値は対して珍しいものではなく多少の研究は進んでいる。近人が女ばかりだという点はまだなぞのままだが。近人の女性比率は90%を余裕でこえる。つまりは男女の産まれる比率が1:1だとしたら女性が近人である確率はおおよそ50%ということになる。
「おかえりなさい、ののか」
ののかが氷空と共に帰ってきたのを見て笑う楓馬。その楓馬に氷空が怒った。
「お前、ののかがどこか行こうとした時、なんで止めなかったんだよ」
「で、でも……ののかが外に行きたいと言ったもんですから」
「それを止めるのもお前の仕事だろ?」
「僕にはできませんよ」
「できるできないじゃなくてだな―――」
「氷空、待って」
「っ」
文句を言い続けようとする氷空にののかは《真の声》を出す。氷空はびくりと背筋を伸ばす。
「これ以上楓馬を怒らない。わがまま言ったのは私。楓馬は悪くない。納得できない?」
「い、いや……わ、わかった」
「そう」
氷空の返事を聞き《真の声》を解除する。すると氷空は気が抜けたように肩を落とした。
「ののかには勝てないんですよ、僕らは」
楓馬は薄く笑う。状況理解がはやくののかは助かっていた。
「だけどののかもあまりその声出さないでください。僕らにとっては抗えない恐怖というのがあるんですから」
「奴隷にするつもりなんてない」
「分かってますよ。というか、氷空もそろそろ……風の放射」
「うわっつ」
小さな風の集まりが当たって我に返る氷空。どれほどの恐怖があるのかはののかは知らない。
「うっ、うう……」
「ほらっ、しっかりしてください、副隊長」
「分かったって」
氷空は頭を振る。
男性である氷空も楓馬も近人ではない。だが彼らはののかの、近人の血を飲むという《血の契約》をして彼らもまた多少劣化はしているがののかの能力を自由に使うことができる。そして契約主である近人は契約者にたいして絶対的な権限をえることができる。それが《真の声》。近人の血が流れる人物はこの声を聴けば嫌でも従えることができる。ターゲットを絞ってだすこともできるため特定の人物にのみ操ることもできる。先ほどは氷空にのみ照準をしぼっていた。
そしてこの命令はどんなことでも従わせることができる。たとえば息をするのを止めろというものでも。だが、ののかはそれを嫌っていた。だからか《真の声》を出す時は気を付けている。相手の意思までも無視しないように。つまりは最終的な決定権は相手にゆだねているようにしていた。
「ともかくこれからの事を説明します。他の二人ももうすぐ来ると思いますし」
その楓馬の言葉が本当であることがすぐにわかる。扉がギッと開いて天馬と紫苑が現れた。
「そろそろ帰って来るころだと思ってたけどやっぱり帰ってきていたみたいね」
紫苑は笑う。
「ののか逃走から1時間。最速タイムでみつけてるようだね」
天馬は眼鏡を上げて冷静に告げる。二人とも種族的には新人であるがののかを契約主とした、《血の契約》を結んだ存在。そしてこのメンバーがテロ組織として名を上げる《力を受ける物》のメンバー。数は少ないが脅威となる存在だ。
数が多くなればそれだけスパイとなる人物は腐る人物が表れる。そのような隙を作るのはあまり良くないという判断、および本当に信頼できるメンバーでしか構成する気がなかったのだ。
「言ったそばから来ましたね」
「どういうことー?」
「何でもないですよ。こっちの話です。それじゃあ、皆さん集まったみたいですし、今回の作戦をお伝えいたしますね」
楓馬はサッと空に手を当てると電子黒板が表れる。
「今回の目的は旧愛知県にある現三笠町に対する国際連投の人類虐殺を止める事です。人類虐殺が行われるのはこれから三日後の5月3日。敵勢力、《リーヴ》の数はおよそ12万。うち、《血の契約》を結んでいるのは2000人です」
すらすらと述べていく楓馬。楓馬の情報網には目をみはる。流石の一言に尽きた。
「進行予定に狂いは出てる?」
「出てません。ですのでもうそろそろ来るころかと」
「じゃあ、結界解いておく」
ののかはパチンと指を鳴らす。その瞬間ここを包む雰囲気が変わる。楓馬は電子黒板を閉じる。それを見てからののかは《真の声》をだす。対象はののかの血が流れている全員……。ののか自身も含めた。
「みんなの演技は一流。これから発する言葉はすべて真実味を帯びるようになる」
全ての行程を終える。後は台本通り進めるだけだ。
「動くな!我々は《リーヴ》だ」
ドッドッドッという足音の後、制服を来た男たちが表れる。
「どうして?結界ははってあったはず」
ののかは疑問の声を漏らす。その声は心の中のしらじらしいと思う気持ちと裏腹に、発せられた言葉は真実味を帯びたものだった。
「そんなものはなかった」
少しいぶかしげに思いながらも返す男。後ろの者たちはすべて拳銃を手にののか達を見据える。
「ちっ、風の……」
氷空が言葉を発するより早く《リーヴ》が引き金を引く。
パンパンという乾いた音、の後に湿り気を帯びた大きな爆発が起きる。
ドオン。
「ガハッ―――」
吹き飛ばされる《リーヴ》。
「だから一応トラップを仕掛けておいた方が良いと助言しておいたんだよ」
天馬は意味もなく眼鏡を触り短く告げる。無理やりここを突破してきた地点で微量のガスを《リーヴ》の前に漂わせていた。それが拳銃を放った瞬間に引火したという寸法だ。
ののか達の前にはそれと同時風の壁が生成されていた為にダメージは無い。
「だけど、これはやべーぞ」
「けほっ、こんなことしたところで追い詰められていることには変わらない」
ギリッと歯ぎしりをしてののからに敵意のこもった目を向ける男。
「ならアタシがとりあえず攪乱するよ。風を超えて」
手を拳銃のようにして言う紫苑。
「ぐわぁ」
少しすると肩や額から血を流して倒れる《リーヴ》たち。
「くそが」
悪態をついて立ち上がろうとするが、それより早くののかは告げる。
「ここであなたたちを殺しても意味がないし無駄に疲れたくもないから私は逃げるよ」
「させる―――」
「風と共に」
氷空は言う。全員を連れて逃げる。
そして旧愛知……ではなく当初の予定通り旧静岡へと移る。一応痕跡は残らないだろうが、変な能力をもった近人やその契約者がいる可能性も捨てられないためこちらの動きを悟らせないように直接乗り込むのは良作とは考えなかった。
「……成功」
ののかは皆にかけていた《真の声》を解く。
「そうだな。たくっ、面倒だったな」
「でも、これは敗走したようにみせる方法。相手からしたら多少ダメージは受けたけど敵のアジトを放棄させたと考えるはず」
ののかの作戦に不平を漏らす氷空に解説する。目的は敵を蹴散らすことにはない。国際連闘の動きを止めること。その為には一戦一戦が負けようがかまわない。最終的に勝てればいい。
「これでどれだけつられますかね」
不安げにつぶやく楓馬。
「正直わからない。でも、敵も慌ててたみたいだし大丈夫じゃないかと思う。それに情報操作は楓馬がやった仕事。自分の仕事には責任を持つ」
「う、うん。わかってますよ」
多少たじろぎながら頷く楓馬。ののかは励ましたつもりだったのだが逆にプレッシャーをかけたかもしれないと少し反省する。
今回の作戦は楓馬が全てのキーを握っていた。《リーヴ》の情報をリークし、逆にこちらの情報を相手側にリークさせたりしたのは楓馬がいたからこそできたことだ。
楓馬は契約主であるののか以上に能力の微調整を得意としていた。特にののかにも使えない風信号の声を扱う技術はほれぼれする者がある。これにより10キロ先からでも特定の声を聴き、特定の声や音を出すことができる。情報操作はこれで行っていた。他にもいろいろやっているが潜りをやらせれば楓馬の右に出る者はいない。
「とりあえず目的地に行こう。ゆっくりしている時間は無い」
天馬は眼鏡のブリッジを抑えて促す。
「そうだね~。ゆっくりするなら向こうでゆっくりすればいいし」
暢気な声を上げつつ肯定する紫苑。ののかも小さく頷いて歩き出す。
「ああ。ののかは一応真ん中にいてください」
そんなののかを楓馬は止める。
「別に気にする必要性はないよ」
「僕たちの中で懸賞金第一位はののかなんですよ。それに、ののかに怪我を負わせるわけにはいかないですし。ね?」
諭すように言われて口答えはできなかった。頷いて真ん中に移動する。
「じゃあ、いつも通りアタシが前。次に楓馬で中がののかと氷空、ラストが天馬ね。何か問題はある?」
「ない、それでいく」
「おっけー」
紫苑は手でOKサインを作って歩みを進める。
「大丈夫……だよな」
隣で真剣な瞳で独り言をつぶやく氷空。
「…………」
「あっ……」
ののかは黙って氷空の右手を握る。一瞬驚いた表情を見せた氷空だが黙って握り返す。
それは氷空自身が落ち着くためか、ののかの手が細かく震えていたからなのか。
およそ二時間半、ののからは余り人目につかないように歩き続けた。
「そろそろ、泊まれる場所を“作る”」
ののかは時間を確認して皆に提案する。
「もうそんな時間かそうだな」
「賛成」
氷空と紫苑が同意したためののかはきょろきょろと辺りを見渡す。そして人目がないことを確認してから地面に手を置く。
「やっぱりあんなでかい崖があるような場所は無いもんな」
氷空はため息を吐きながら言う。
「地下はいや?」
「嫌ではないが……」
「なら作る。大丈夫。狭くはしない」
そっと気を集中させる。
「風の逃げぬ道」
天馬は地においてある右手部分が出るようにしながら防御を展開する。これで心置きなく攻撃が可能になる。
―――ドン。
大きな音が鳴り響く。土埃が舞うがそれも風を流して飛ばす。
「お疲れ様」
「一応簡易的なものだから全4室。リビングと氷空、楓馬、天馬の男部屋、私と紫苑の女部屋、あとお手洗い。紫苑、危ない部分の処理はお願い」
「はいは~い。風のそよぎ」
ののかが作り出した地下道に紫苑が風を流す。ガラガラという音が少しした後に鳴る。
「うん、危なそうなところは削れたと思うよ」
「ありがとう。いこう」
簡単に礼を言ってみんなに先に行かせる。その後、最後に私は簡易的な結界を張る。この結界は前の洞窟の時にもはっていたものと一緒。ののかと同一の血が流れているもの意外の侵入を防ぐもの。これである程度のカモフラージュもすれば大方の安全が保障される。
「それにしても、家具はまた買い直しだね」
眼鏡を上げて、あっぴろげな部屋を見てため息を吐く天馬。ベッドの類や多くの衣服は前アジトに置きっぱなしだった。安全に移動をするためには仕方のない犠牲と割り切ってはいるのだが。
「資金は潤沢……大丈夫」
「今は、そうだけど、それがいつまで続くか」
「あはは、まあ……お金に関してはののか便りですからね」
「大丈夫、適当に稼ぐ」
心配する天馬に声をかけた楓馬に同意するように頷く。お金に関してはすべてののかが管理していた。どのようにお金を稼いでいるかというと……。
「というか、よく考えたら全部ギャンブルのあぶく銭なんだよな」
「あぶく銭は苦労をせずに手に入れたお金のこと。私は苦労をした、イカサマを身に着ける」
「ノウハウを身に着けるならまだしもイカサマなんだからあぶく銭でいい気がするが」
ののかの唱えた意義に苦笑いを浮かべる。
「まあ、いいじゃない。お金はお金なんだし。それより明日からの予定を聞かしてよ」
「あっ、じゃあ説明しますね」
紫苑の言葉に楓馬が返事をして例の電子黒板を出す。
「とりあえず現在地はここですので、明日はここより西南に向かって歩きます。途中街がありますのでそこで食糧や衣食住を整えましょう。最終目的地には18:30分ごろ到着予定です」
ののかの立てた作戦を楓馬がもう一度整理しなおしたものを皆に説明する。ののかは簡単に大雑把にしか作戦をたてない。その理由は楓馬がいるからだ。楓馬は作戦を立てるのは苦手だが、まとめるのがうまい。それに穴をよく見つける。その穴やまとめたものをののかにフィードバックし、また作戦をたてる……。これで大体がうまくいっていた。今朝の洞窟脱出作戦も二人で共同でたてたものだ。
「―――という感じで進んでいこうともいます。あさって以降の三笠市の大量虐殺を食い止める作戦についてはまた明日お知らせします」
電子黒板から目を離して「質問は?」と声をかける。特に無いようで返事はなかった。
「そこまでは今日と同じ感じで進んでいきましょう。街にはなにがあるかわかりませんのでもしかしたらそこで宿泊する可能性もあります」
「了解。んじゃあ、そんな感じでいいんだな」
氷空はピッと手で合図をしながら答える。
街では確かになにがあるかわからない。資金は潤沢とはいったもののそこの地域の物価が高い可能性もある。そうなればカジノに行くことも視野にいれよう。イザヴェルとなってからは資金を手に入れるようにと国がカジノを公的に利用している。ののかにとってはカモであるために稼ぐのは難しくなかった。
「んー、じゃあ、これからどうするー?」
伸びをしながら紫苑が訪ねる。
「別になにしててもいい。寝ててもいいし遊んでてもいい。ただ、あまり派手なことはやめて」
「分かってるって……。うーん、どうしよっかな」
「たまには落ち着いて本でもよんだらどうなんだ?」
「そんなのアタシの性にあわないもーん」
「あっ、お前」
天馬が読んでいた小説を奪って投げ捨てる紫苑。なにやら言い合いが始まるがののかはそれを無視して氷空に話しかける。
「氷空、ちょっと出かける」
「へっ……?あ、あぁ。わかった」
急に話しかけられたからか驚く氷空。そのまま小さく手を振ろうと氷空がしたのだが。
「違う、氷空も」
「えっ、俺も?」
「そう」
「わ、わかった」
「あっ、お二人とも出かけるんですね。天馬たちのことは僕が見ときますので行ってきてください」
「ああ。頼む」
楓馬に後処理は任せののかと氷空は外にでる。橙色の光から深い暗い色へと移り変わろうとしていた空がきれいに思える。だが、この抜けるような空が見えるようになった要因は人の犠牲のもとにできたものである。
「それで、どうしたんだ?」
「明日は移動だけだけど、明後日からは本格的に作戦に入る。だから、それまでに伝えとくべきことをいっておく」
「なんだ?」
氷空は眉を顰め真剣な声音で尋ねる。ののかはできるだけ平静に返す。
「今回の作戦名はクローバー。《リーヴ》は東西南北からやってくる。だからそれぞれの方向から止めなければならない。その際の編成は楓馬、紫苑ペアが北、氷空が西、天馬が東、私が南……。そして、南には《リーヴ》の水大将の青崎七海が来るらしい」
「なっ、青崎……!?」
驚く氷空。
《リーヴ》には三人の近人の大将がいる。それぞれ緑大将、黄大将、青大将と呼ばれている存在。彼女たちが作戦に来ることは非常に稀であった。それゆえに名前だけが轟いているが彼女たちの姿を実際に見たことはない。どんな人物なのか、身長はどれくらいなのか、年齢がどうなのか、そもそもこれらの名前は本名なのか、すべてが不明だ。
「どうして、大将が直々に」
「おそらく私たちが出しゃばることを考えてのことだと思う。その情報が入ったから、私は洞窟を犠牲にする作戦やその他惑わすものを残す作戦を立てた」
「もしや、朝勝手にどっかに行ってたのは」
何かに気づい様子の氷空にののかはこくりとうなづく。
「当たり。あそこに下見に行くふりをしていた。一応辺りには印らしきものをたくさん残してきた。意味のない暗号も」
「なるほどな……。まあ、来るぞ来るぞと思ってる敵より、来ないだろうなと思っている敵と戦う方が楽だな」
「そう。それにそっちの捜索に時間を割かせることができれば私たちの行動が読めにくくなるだろうし、うまくいけば人員を減らせるかもしれない」
「なるほどな……。だが、青崎が来ることは決定事項なんだろ?」
「恐らくは」
「だったら、楓馬と紫苑はバラバラにして俺とののかで向かい出た方がいいんじゃないか?」
「それはダメ。青崎の能力は強力。多分、私じゃなかったら相手にもされない」
「…………」
そのことはわかっていたのだろう、氷空は黙った。
契約者である彼らは近人とも対等に戦うことだってできる。だが、やはり契約主であるののかにしてみれば劣化。ののかと同じレベル、それ以上の相手をするならばよほどの不意打ちでもない限り勝負にならないだろう。
青崎とは直接相見えたことはない。だが、想像はたやすかった。少なくともののかと同等以上の人物。
「でも、それじゃあののかが」
「私は大丈夫。それに目的は《リーヴ》の侵攻を止めること。青崎を倒す必要性はない」
「向こうはそうは思わないだろ?」
「私を信じて。青崎を倒すのは確かに難しいけど、水の能力者相手に風の能力は有利なはずだから」
「……自信はあるんだな?」
「必ずみんなの元に戻ってくる、という約束は結べないけど、最善を尽くす。これが最高の作戦であることには変わらないから」
「わかった」
氷空はののかの頭を撫でる。決意を見抜いたのだろうか。それにののかは一度言い出したら引かない性格ということも知っている。
「それにしても、どうして今まで秘密にしていたんだ?」
「敵を欺くには味方からって言う。それに、怖かったから。青崎と立ち向かうということが。それを皆が知ったら、きっと私を止めようとすると思うし、それをはねたとしても私に対する態度が変わるかもしれない。そんなものを見たら嫌でも青崎という存在を意識する。それを防ぐために……黙っていた」
吐き出すののか。氷空は少し動きを止めた後、ののかを抱きしめた。服の上からではわからない胸板の厚さや筋肉質の体がののかの全身に甘い痺れ帯びさせる。
「旧目黒区から俺たちを救ってくれたのは嬉しかった」
「だけど、私は皆を救うことは出来なかった」
「そんなの当たり前だ。人類虐殺は唐突にやってくる。そんな中で俺たち、《復讐の子ども》のメンバーを救い出すのはすごいことだ」
「……ありがとう。だけど、十字架を無視するつもりはさらさらない。私が私であるためにもみんなの命は背負っていくつもり」
「ののかがそうしたいならそうすればいい」
ゆっくりと同意する氷空。ののかは腕を氷空の背中にまわす。
暖かくて心地の良い匂いが全身を巡る。
「もう少しこのまま。今はただこれからの事を考えていたくない」
「わかった」
氷空がすくようにののかの頭を撫でた。
気持ちの良い風がののと氷空の熱を奪う。恐らくこの気持ち良い風はののかから、ののかたちから色んなものを奪ったおかげで気持ちの良い風になったのだろう。
ⅲ
「さいしょはグー、じゃんけんほい!」
歴史的教会の中の広場に五つの声が響く。
出された手の形は全てで三種類だった。
「あーいこで、しょ」
そこから決まるまでじゃんけんが続く。途中で二人が勝ち抜け、最後に負けたのはののかだった。
「1、2、3……」
感情の表現が薄いののかは小さな声で数えていく。それを受けてほかの四人……、氷空に楓馬、紫苑、天馬はかけていく。
「10」
数え終えたののかはゆっくりと目を開き駆け出す。
鬼ごっこの範囲はこの教会内。ただし、礼拝堂を除く室内は禁止だった。といっても、礼拝堂であまり暴れまわる事もできない。暴れれば必然的にシスターに怒られる。それゆえにその場に逃げないのが通例なのだが、だからこそ目をつけられにくいという浅はかな考えで氷空はまずそこに逃げ込んでいた。
「やっぱり」
「ゲッ」
その浅はかさを見破ったののかが氷空と一直線に立つ。礼拝堂にある出口は一つ。その出口をののかが封鎖しているので逃げだすことは、不可能だ。
ジリジリとにじり寄るののか。氷空は必然的にゆっくりと後ずさりしていく。そしてとうとう角に追い詰めてタッチする。
「次は氷空が鬼」
「ちぇー」
舌打ちを打つ氷空。いわゆる鬼返しというものは禁止のルールなのでののかはのんびりとその場に佇みマリア像を見上げる。
この教会は養護施設と併設された作りになっている。
ここに来る経緯はそれぞれバラバラ。両親が死んだ子ども、捨てられた子ども、虐待にあった子ども……。
ののかの両親は贖罪の日々を送っていることだろう。罪名は児童虐待防止法違反。
逮捕されたきっかけはののかの泣き声だった。笑えば殴られ、泣いても殴られる日々を過ごしていたののかは徐々に感情を出すことを苦手にしていった。しかし、ある日。ほんのちょっとしたことが気に障り、殴られたことがきっかけで、五歳のののかが泣き出し、その泣き声に苛立った父親がビンをののかに振り下ろしたのだ。その異様な音とののかの不自然な泣き声を訝しげに思った隣人の通報により両親は逮捕された。しかし、ののかには消えない傷跡を作った。心だけではない……。そのビンの割れたさいの破片が深々と額から右まぶたにかけて刺さったのだ。
ズキリとその傷跡が痛み軽く押さえるののか。
「ののか?どうした?」
「なんでもない……」
この痛みは心的要因によるもので実際に痛みを発しているわけではないということを幼いながらも理解しているののかはゆっくりと頭をふる。
「なら、いいけど」
「それより、早く捕まえに行った方がいい」
「ああ、そうだな」
氷空は明るく笑って走り出した。
ののかは氷空が、他のみんながどうしてこの施設に来たのかを知らない。あまり楽しい話ではないし、気になることもなかった。
ののかと氷空は同い年、紫苑と天馬は一つ上、楓馬は一つ下であろうことぐらいしか知らなかった。あろうというのはみんなが全員孤児であるため、恐らく間違ってはいないだろうが、経緯によっては一つぐらいであれば年齢が違っていてもおかしくはないからだ。
「ののか?どうしたの、そんなところで」
「……シスター」
ののかが後ろを振り返るとそこには布巾にアルコール消毒液をもった、ののかたちの親代わりのシスターがいた。
「みんなで鬼ごっこ」
「そう。別にしてもいいけど、あまりここで暴れてはだめよ」
「分かってる」
きちんと頷いたここのにそれならよしと頭を撫でるシスター。ここのもずっとここにいるわけにはいかないと外に出ようとする。
幸せな時間の終わりがもう目の前まで迫っていることはののかは知らなかった。
ゆさゆさ、ゆさゆさと眠り船を揺らされる。意識が半分覚醒して自分が起こされているということをののか少し遅れて理解するが、体は眠ろうとし続けた。
「―――か。……のか、起きろ」
脳の覚醒とともに聴覚が声を拾い始める。ののかは次に視覚を手に入れる。
「ののか……って、起きたか」
「……紫苑は?」
「もう起きてる。俺が起こすかかりとしてきたんだ」
「そう」
無感動に返して氷空の手をどかせ起き上がる。日はもう完全に登り切っていた。ののかは昔から朝に弱く、シスターにも手を焼かせてきりがなかった。
「っ」
少し過去を思い出して久しぶりに傷が痛んだ。ののかは悟られないようにさっと髪をいじって傷をかくし立ち上がる。
「…………」
「どうした?」
「着替えたいんだけど」
「えっ?あっ、ああ……。ご、ごめん」
慌てて部屋からでていく氷空。部屋とはいうが扉なんてないので簡易的な区切りでしかないのだが。
ののかは使える最低限の水を顔につけて寝起きの顔の熱を消し去り、てぐしで髪を整え服を着替える。なけなしの化粧品で軽く化粧をしてから外に出る。
「お待たせ」
「ああ。天馬が朝飯用意してる。行こう」
「うん」
氷空に連れられリビングに向かう。適当に作られたものなので辺りを見て自分のやった仕事ながらののかひいてしまう。といっても、今日出ていくときに壊すものだ。別段、気にするほどでもない。
「おはよう」
「ああ、ようやく起きたんだな」
焼けた魚と果物が乗った皿を置きながら天馬は呼びかけに答える。
「この魚、どうしたの?」
昨日の夜は道中で見つけた果物を食べたのだが、魚などはなかった。
「ああ、近くに沢があったろ?そこで捕まえた」
「……すごい。というよりいつの間に?」
「朝取ってきた」
「その隈どうしたの?」
隠そうとしていたみたいだがののかは目ざとく見つける。もしや、魚を取るがために寝る時間を削ったのであればという思いもあるがそれ以上に。
「大したことはない」
「……なにかあったんだったら言って。作戦に支障がきたすと問題だから」
「たいしたことは無い……。ただ、小説読んでたらいつのまにか夜が明けていただけだ」
目線をそらす天馬。
「そう、ならよかった」
病院や怪我をしていたのでは作戦に支障をきたす恐れがある。そしてなにより、仲間が傷つき倒れる姿を見るのはもう、ゴメンであった。
「小説バカのせいだよねー」
いきなり部屋に入ってきた紫苑が天馬を罵倒する。後ろにいる楓馬は苦笑いをしていた。
「あのな……、そもそもお前が小説取り上げるから寝る前に読めなかったんだろうが」
「取り返せなかったのが悪いし、それと明け方まで小説を読むのは別問題だしー」
「このっ……」
「ま、まあまあ。天馬落ち着いてください。紫苑も、あんまり挑発しないで」
いつも通り楓馬がいがみあう二人の仲裁に入る。
予定調和といえば言葉が悪いような気もするが、二人の喧嘩はもはや恒例。それを楓馬が止めるのは習慣だ。慌てる必要もなければ心配する必要もないものだ。
果物を食べようと皮をむいているののかの隣に氷空が座り囁いてきた。
「あのこと、青崎の事は二人には言わなくていいのか?」
「うん。余計な心配をかける必要性は無用。作戦立案者である私と楓馬、それと一応副隊長の氷空……。これだけ知っていれば十分」
「お前がそれでいいならいいけど……」
まだなにか言いたげにののかを見る氷空だが、ののかは残った一口大の果物を口に放り込んで席を立つ。嚥下し終わってからみんなに声をかけた。
「用意できてる?そろそろ出発する」
尋ねられ、喧嘩をしていた二人も含め大丈夫という内容の返事をする。
「なら、いく。私は最後に痕跡を消していくから先に出てて」
「あぁ、了解」
氷空を先頭に出ていく。ののかはお手洗い、男部屋、女部屋、リビングの順で壊していく。壊し方は単純なものだ。
ののかの力は風に関するものが多い。風は古来から私たちに利と害をもたらしてきた。
ガラガラと大きな音を立てののかの目の前には瓦礫が崩れる。
元が風の力で適当に彫ったものだ、崩れやすさもひとしお……。
「風のそよぎ」
粗が目立つ部分を細かく修復していく。
契約主と近人の違いのひとつが力を使う時の媒体。
近人は自らの力を放出するがゆえに言葉を放つ必要性はない。だが、契約者はあくまでも契約主から力を分け与えられている身分。どのような力を、ののかに対してならばどのような風を導きたいかを言の葉として伝える事で力を使う事が出来る。中にはその言の葉が上出来で、力のコントロールをかなり的確にする事が可能なものもある。風のそよぎや、風信号の声もその典型であった。
風信号の声の言の葉は精密な処理や技術が必要なため、とてもではないがののかには使えないが、その他のものならばののかにでも使えるものがほとんどなのだが。
辺りを見渡し不自然なところがないかの確認をし終えた後、ののかは地上に出て入り口を潰す。
「うん、行こう」
ののかは呼びかけて真っ直ぐに歩き出す。
陣形は昨日の通りのものだった。
まず紫苑が前に進み危ないところがないかを確認、楓馬が風信号の声で辺りを感知し、最後尾の天馬は後を誰かに付けられていないかを感知していた。ののかと氷空は奇襲攻撃などに備えいつでも力が出せるようにしていた。
もちろん、そのようなことが起きることなんて稀である。だが、油断しないにこしたことはなかった。
そのおかげかどうか、特に問題もなく私たちは栄えている街が視認できる距離に着く。
「そろそろ、変装しはじめて」
「おう」
氷空が返事をして度の入っていない眼鏡や帽子を被る。
他の面々も簡単な変装を始めた。ののかと紫苑はメイクという武器でかなり印象を履き違えさせることも可能だ。
懸賞金付きのお尋ね者として《復讐の子ども》の情報は回っている。ののかは5000万、氷空は3000万、楓馬、天馬、紫苑は1000万の懸賞首。情報提供だけでも5万の情報提供金が与えられるため、必然的にののかたちは顔を隠す必要性が出てきた。
変装を終え最後の仕上げしかかる。
「私たちは全員、《復讐の子ども》のメンバーではない。全員の名前も異なる」
《真の声》を響かせる。
「それじゃあ行こう」
ののかは後ろの“友人”に声をかける。
「ああ、そうだな。アヤノ」
ののか……もといアヤノは小さく頷いた。
イザヴェルとなって数年。人類虐殺や植林活動のため、旧日本のようなどこまでも家が点在しているようなものではなく、一つ大きな街がありしばらく街がなくまた街が表れるというような形となっていた。
今、ののか達がいるのはそこそこ発展している街だった。
「姉ちゃんたち旅の人たちかい?」
ののか達に声をかける行商の男。
「……ええ、まあ」
ののかは頷く。たくさんの買い物に食料品……、みるからにただの買いだめでないことはわかる。緑が多くなり、数日の派遣の仕事で数万稼ぐ金もあるため旅人としてあちこちを放浪する人物も珍しくはなかった。
「こんなにたくさん買い込んでくれたんだ。これはおまけだ」
「ありがとう」
ののかは礼を述べお金を出す。荷物は氷空が受け取った。
「多分、シオたちももう買い出し終わってるはず。待ち合わせ場所に行こう、ソウタ」
氷空に話しかけ待ち合わせ場所に行く。
賞金首である彼女たちがまさか街中で本名で呼び合うわけにはいかなかった。その為今回はののかはアヤノと氷空はソウタという名を使っている。
「いた」
先についていたメンバーを見て小走りで辿り着くののか。
「お待たせ」
「待ってないよー。もっとゆっくりでもよかったのに」
笑いながらいう紫苑に天馬は文句を言う。
「シオは荷物を全く持ってないからそう言えるんだろうが」
「女の子に荷物を持たせるつもりー?そんなんだから、アマトは女の子に持てないんだよー」
「関係ないだろうが」
苛立ったように天馬は吐き捨てる。ののか自身も多少は荷物を持っているがあまり多くを持っているわけではなく氷空が持ってくれていたため強くは言えなかった。ただ、ののかと氷空の場合は氷空が進んで持ったという違いがあるのだが。
「お疲れ様です。次はどうしますか?」
天馬と紫苑を宥めながら楓馬はののかに尋ねる。
「衣服類を買うつもり。私とシオの服は多めに避難させることが出来たから三人の服を中心に買う」
「はい、わかりました。というか、アヤノとシオは僕らに付き合わせる形になりますね」
「別に、気にしない。行こう」
「はいっ」
ののかは先導して歩き出す。喧嘩をしていた残りの二人もそれをみてしぶしぶとののかたちについていく。
入ったのはこの街でもなかなかにおしゃれそうな衣服屋だった。これはののかの方針で、今回のように大量に衣服を失ったり汚れたりすることもあるがだからといって安物の衣服でそろえないようにしていた。理由は変装の為。まさか賞金首の人間が高そうな服を着飾って街を歩いているとは思わないだろう。だが、その高そうなものの中にも動きやすさは重視しているため、華美な服ではないのだが。そもそもある一定のラインを超えると華美すぎる服というのは減少されていくものだ。
パッパッと服をとりののかは三人に手渡す。
「これ、試着してきて」
「あ、相変わらず早いな」
氷空は苦笑いしながら受け取り半ば押し込まれるような形で三つ並んでいる試着室の一室に入っていった。シオは一人でうろうろと女性もののコーナーを見て回っていた。個々人に渡しているお小遣いの範囲ならばなにを買おうがその人物の勝手だ。そもそもお小遣いというよりは働いた分の給料と値する方が正しいような気もするのだが。
ののかもののかでその隙に色々と物色していた。
数分後、まず出てきたのは天馬だった。
「どうだ?」
服装は青いジャケットにグレーのインナー。パンツは白。利発そうな顔立ちとのギャップ差が浮き出るファッションだった。
「完璧、なはず」
「なはずって」
「アマトが気に入ればそれを購入。それだけ」
「……じゃ、購入で」
気には言っていたらしく少し顔をそらしカーテンを閉めた。天馬のそのやや素直になれない性格はいつもの事だ。そういえば天馬からまともに礼を言われた記憶はなかった。
「あっ、着替え終わりましたー」
次に出てきたのは楓馬。薄桃色のクルーネックにそれに合わせた淡い色のロールアップされたパンツだ。
全体的に柔らかい印象が強い楓馬にピッタリの服だった。
「うん、ソウマは気に入った?」
「はいっ。アヤノから見てもおかしくないですか?」
「もちろん」
「じゃっ、これにしますね」
ニッコリと笑って楓馬はカーテンを閉め着替えを始めた。そして、最後……氷空はその少しあとにカーテンを開いた。
「アヤノ……これ」
明らかにその顔は困惑していた。
氷空の服。それは派手なシャツに、それと合わせると目が痛くなるようなレイヤード。さらには紫色のチノパン。それぞれの質はいいはずなのに合わせると非常にチグハグしたもの。一言で言えばかなりダサい服装だった。
「……いいと思う」
「よかねえだろ!?」
ののかがふっと目線をそらしたのを合図に怒る氷空。自分がもてあそばれていたことに気が付いたらしい。
「ちょっ、ソウタなにその恰好」
その時運悪く、物色を終えた紫苑が帰ってきて腹を抱えそうな勢いで笑っていた。
「ののかが選んだの?」
コクリと頷く。それを受けてさらに笑う紫苑。氷空はいい加減恥ずかしくもなり文句を放つ。
「あのなぁ……笑うな―――」
だが、それより早くスッとののかは別の服を出す。
「これは真面目に選んだ。ソウタに似合いそうな服が短時間で見つからなかったからちょっと遊んでた。ゴメン」
出鼻をくじかれ文句を言うタイミングを失う氷空。何も言わずにののかから服を受け取る。
ののかの言葉は暗に自分の分は時間をかけて選んだといっているようなものだ。気にならないはずがなかった。
「アヤノも面白いことするねー」
「……別に。ただ、楽しみたかっただけ」
「楽しみたかったって。まあ、確かにアタシも楽しめたけど」
ケラケラと笑う紫苑。その間に着替えを終えた天馬と楓馬が出てくる。
「お待たせしました。何かあったんですか?」
「騒がしいと思ったら、やっぱりシオも来ていたのか」
「ちょっと、ソウタで遊んでただけ」
「やっぱりってどういうことよー」
「ソウタでって……。まあ、アヤノらしいといえばアヤノらしいですけど」
「そのまんまの意味だ。騒がしいだろ?」
二車線の会話を広げていく。これは幼い頃からよくあった光景だ。その後しばらくして氷空がどこか不機嫌そうに出てきた。だが、服装はもともと来ていたものだった。
「あれ?試着しないんですか?」
「別に、わざわざ確かめるほどでもないだろと思ったからな。さっさと、会計を済ませよう」
氷空は楓馬と天馬の持っている服を取り会計を済ましにいく。お金はすでにののかから受け取っていた。
途中でののかに渡された最初の服はその途中で返していた。
「多分、あんなこと言ってるけど普通に見た目で気に入ったんだろうね」
紫苑は意地の悪そうな笑顔を見せる。それに呆れた息をついたのはやはり天馬だった。だが、天馬が吐いたため息は紫苑あてではなく氷空あてだった。
「アイツらしいな」
その言葉はまんま天馬にも当てはまるのだがそのことをあえて言及するものはいなかった。ぼそりと聞こえないように紫苑が「アンタよりマシでしょ」とつぶやく以外は。
しばらくして戻ってきた氷空は少し顔をそらしながら行こうぜとみんなを連れて外に出て行った。
氷空たち以下のメンバーはその様子にまた小さく笑いあい氷空に続き外に出た。太陽は丁度南中していた。
「これ、換金して」
ののかは大量のコインを受付に持っていく。受付人は驚いたように目を丸くしたのち、
「か、かしこまりました」
とあわてて下がっていった。
ののかが購入したコインは100枚。そして現在持っているコインは5000枚だ。レートは一枚当たり千円。つまりはののかは10万円分を購入し500万にして帰ってきた。差し引き490万の勝ちだった。
「アヤノの土壇場だったな」
氷空が意気消沈しているディーラーをチラリとみてから呟く。
ののかが行ったゲームはバカラだ。最初の内は少額をかけていき、そこでの勝率はおよそ45%。だが、ある時から高額をかけていき一気に攻め落としていった。
ののかの行ったイカサマは自らの能力を使った風の探知だった。風の力を自分の周りに薄く展開させカード一枚一枚の微妙な凹凸具合を探りどの凹凸がどのカードであるかを一致させていく。全て一致した後は高額の勝負にでた。その結果、最終的にははおよそ93%の勝利率をたたき出したのだった。
「お客様、即現金引換えがお望みでしょうか?」
受付の人間が女性から年配の男に変わる。恐らくあまりの高額に女性だけでは判断できないと思ったらしい。ののかは小さく頷く。
「うん、でも全額が無理なら残りは小切手でも構わない」
ののかは最大限の譲歩案を出す。できれば小切手は使いたくなかった。というのも小切手を使うとなると銀行などの公的機関に出向かなければならなくなる。カジノより警備も厳しく、さらには証拠も残りやすいがために利用は控えていた。
「……かしこまりました。では300万円ほどご用意させていただきます。残りは小切手でよろしいでしょうか?」
「うん。少し急いでるから早くして」
「かしこまりました」
男性は大きく頷き現金を用意して渡す。300万というお金は大金のように思えるが実際に目にしてみるとアタッシュケース一個分にもならない。サイフに入れるには大きいが鞄に入れるとほとんど重さを感じさせなかった。
「そして残りの小切手となります」
「ありがとう」
「またのおこしをお待ちしております」
本当はあんな強運を持つ客など来てほしくなどないだろうに男性は定型文を言ってののかと氷空を見送る。実際はイカサマなのだが。楓馬たちは外で待機中だ。
「おかえりなさい」
「ただいま。儲けてきた」
「でしょうね」
「じゃあ、天馬。後はお願い」
「ああ、わかった」
ののかから現金の入った袋を手渡される。
そして天馬はネットカフェへと入っていく。
天馬が行おうとしているのは資金洗浄。不正な方法で手に入れたお金を市場に使っても大丈夫なようにする行為。いかさま行為をしていることもあるがそれ以上にテロリストでもあるののかたちはこういったところで莫大に稼いだお金を市場で使うのにはやや抵抗があった。
天馬が帰ってきたのはおよそ30分後。お金は地味に500万から502万に増えていた。
「方法は?」
「金の売買をしている業者をいくつか使ってそれを売ったり買ったり。海外のサイトも使った」
「了解」
はたから見れば不穏な会話他ならないのだがそれをあえて言及する者はいなかった。そもそもこのマネー・ロンダリングもののかがやっていたものを天馬が教わり天馬の仕事になったものだ。この光景はもはや見慣れたものなのだ。
「じゃあ、これ以上ここにとどまる理由もねえな」
「よっし、じゃあイコー」
紫苑が片手を上げる滞在時間は大体5時間。予定よりやや長い滞在。買うだけ買い、それ以上に設けこの街から去って行った。