第7話 見知った異世界
「おー……」
意識が戻り、視界が回復して最初に出たのは感嘆の声だった。
よく知った、それでいて初めての西サヴァル平原。
目に映る景色を間違いなく幾度も自分の足で駆け抜けたそれと認識しつつ、草原を割って通る街道や、特徴ある木々を現実として体験できることに対してはやはり感嘆が勝った。
意識が戻った瞬間に、自分が「俺」でもあり、「シン」でもあることは無理なく理解できた。
なんとなく想像する頭が割れるような痛みとか混乱は全くなく、それぞれの記憶を「ああこれは俺のだな」「こっちはシンのだな」と自然に判断できる。
同じものを見て、自分では矛盾なくひとつの意識なのに相反した思考をすることが我ながら面白い。
「世界は消滅から免れたんだな。夢じゃなかったのか……」
俺とシンの思考が混ざった言葉が出る。
世界が続く、という意味は決して「俺」がやっていた「F.D.O」というゲームのサービスが継続され、俺だけがVRMMORPGの如くこの世界を楽しめる、というものではないだろう。
理屈は分からないが、サービス終了で無くなってしまう「F.D.O」の世界に抵抗するように、本物の世界が俺を楔とした神様たちの力で成立したってことなのか。
シンの記憶からすると、俺がゲームと思って進めていたグランドクエストをはじめとする冒険も、多少の齟齬を内包するものの本物の世界であったことのようだ。
サービス開始時からこの本物の世界はあったとして、なぜゲームである「F.D.O」のサービス終了が世界の消滅の危機になったのかはよくわからない。
アストレイア様が言っていた、世界が救われた暁にはすべてを理解するという言葉も、俺とシンがどういう関係か、結果どうなっているのかという点においては間違いなく理解できたが、本質的な部分においては未だ疑問だらけだ。
本物の世界の消滅が、ゲームの世界の消滅に起因しており、それを免れるために俺がこうして本物の世界に来る必要があったのはわかる。
でもそれが「何故なのか」がわからない。
まあいい。
考えて答えの出るものでもないだろう。
最優先で今すべきことは現状確認だ。
シンの記憶にとっては使い慣れた、俺にとっては自分の身体で使うのはもちろん初めての「神の目」を起動する。
俺の思考に遅れることなく、空中にステータス・ウィンドウが展開する。
ある程度俺の視線に連動しているようで、首の動きや、身体ごと向きを変えると追従する。
文字の判読には困らない程度に半透明で、西サヴァル平原の景色が透けて見える。
おお、ファンタジーなのに、この表現はSFっぽいな。
さすがはゲーム。というかこういうのを目の当たりにすると、やはり「根本」はゲームの「F.D.O」、その世界だというのを強く感じる。
シンにとっては読めなかったいくつかの文字も、今は何の問題もなく読める。
俺にとっては見慣れたステータス画面だ。
そこに表示されている情報は愕然とするものであったが。
まず時間表示がおかしい。
地球時間の表示がなくなっているのはまあ順当だとしても、世界暦が2842年3月1日となっている。
サービス終了の正確な日時は覚えてないけれど、確か世界暦は1842年だったはずだ。
――いや間違いない、シンの記憶でそうなっている。
この世界はゲーム当時から千年たってるって事か?
西サヴァル草原を見る限りそんな時間がたったようには見えないが。
これは街にはいって確かめるまでは何とも言えないが、もし本当に千年たっているのなら、俺たちが知り合った人たちは、もっとも長寿種族であるエルフをもってしても誰もこの時間に生きていないことになる。
まあこれも今考えても仕方がない。
当面それよりも切実なのは、戦闘力に直結するレベルがリセットされているという事実だ。
スキルカスタマイズもスキルコネクトもすべて解除されており、ジョブ、レベルは初めて「F.D.O」を始めたときに選択した「格闘士」。
苦労して上げたレベルがリセットされてるという驚愕の事実。
慌ててステータス画面を切り替えて他の情報を確認する。
取得ジョブはすべて取得した状態で存在しているがすべてレベル1に戻っている。
戦闘特性は当然格闘士の格闘、数値はレベル1の上限値になっている。
スキルも取得したものはすべて表示されているが、レベル1で取得可能なスキル以外は灰色反転していて使用不可能だ。
スキルカスタマイズレベルは最大の5のまま、カスタマイズポイントもフルにある。
スキルコネクトレベルも最大の5、リンクポイントも同じくフル。
ジョブの取り直しや、特殊スキル、イベント取得スキル、スキルカスタマイズ、スキルコネクトの再取得という最悪の事態は免れているものの、10年以上の月日を費やして上げた全職のレベルはすべてリセットされている。
なんてこった。
救いはレベルに追従して上昇するステータス、戦闘特性、スキルの上限値はレベルに制限されているだけで、上げきった状態のらしいこと。
その根拠はレベル1で一度も戦闘していない状況にもかかわらず、ステータス、戦闘特性、スキル共に青字、つまりそのレベルでの上限値になっていることだ。
現在でも各戦闘特性値に連動してレベル1で習得可能なスキル、術式はすべて使用可能ということを意味する。
全てがリセットされて最初からという状況に比べれば、相当マシだ。
正直ジョブ、戦闘特性値、スキル、術式が揃っていればレベル上げそのものはそう大変なことではない。
ストレージにはアイテムも所持金も失われることなくあるし、恵まれているといってもいい。
ただし装備はレベル制限があるので、現時点で装備可能なものはほとんどないが。
うわ、今気付いたけど、たまたま種族装備とレベル1武器を装備してたからよかったものの、夜やクレアと同じように最強装備だったら、真っ裸で西サヴァル草原に突っ立ってる変態になるところだった。危ない。
ん?
ってことは、夜とクレアもレベルリセットされていた場合、最強装備で固めていた二人は装備レベル制限に引っかかる…
!
いやそうじゃないだろ、夜とクレアはどうなってるんだ。
自分のステータス確認に夢中になってる場合じゃない。
何で最初に気づかないんだ。
「三位一体」は常時発動。しかし夜とクレアがたとえば眠っていた場合、視覚情報が送られてこない。
ゲームと違い、普通に現実世界にいるような感覚の現状では、「俺」にとって「三位一体」が発動していない状態が当たり前すぎて気づくのが遅れた。
「シン」からしてみれば違和感しかないはずなのに、やはりこの状況に混乱しているのか。
それともやっぱり「俺」の影響力の方が強いんだろうか。
意識を集中すれば「三位一体」が発動しているのはすぐわかる。
とりあえずホッとした。
目を開けようとしてもあかない、体の感覚もないし、動かせない。
どういう状況なんだ一体。
痛みや苦しさはないから、危機的状況ではないのだとは思うが。
『夜! クレア!』
右手の指にはまっているパーティーリングを確認して、パーティーチャットで話しかける。
これなんか念話みたいだな。
シンの記憶がなければ実際に声を出してしまいそうだ。
――最初は、遠隔会話しながら実際にしゃべったんだな、シンの記憶からすると。
『……シン君?……ふぁぁ、おはようございます』
『我が主?……あれ、なんで目が開かないんですの? 動けませんのよ?』
眠りから覚めるような、二人からの答えが返る。
よかった、二人ともとりあえず無事のようだ。
聞きなれたはずの二人の声を聴いて、俺はすごく動揺した。
夜の柔らかな優しい声。
クレアの凛とした通る声。
さんざん聞きなれているはずなのに、頭で思い描いていた理想の声そのままで、思い描いていた性格そのままのリアクションで思わず泣きそうになった。
初めて聞く声が懐かしい、っていうのは不思議な感じだ。
主観的にはそんなに時間経過してないのに、懐かしいと感じるのは安心の故か。
『二人ともとりあえず無事か、よかった』
『――シン君、今どこですか』
『我が主、どちらにおられますの?』
目が開けず、身動きもできない状態にもかかわらずまず俺の心配をしてくれる。
そういえば二人とも、俺をメンバーのリーダーとして扱うくせに、なぜか自然にお姉さん目線なんだよな。
クレアは「我が主」呼ばわりのわりにその傾向が強い。
月に一度、幼児化するくせに。
『ああ、俺はあのまま西サヴァル平原だ。こっちは目も見えるし普通に動ける。そっちは?』
『……俺?……シン君?』
『我が主?』
ん?何か引っかかるところがあったか?
ああ、そういえばシンって、「僕」だったっけ、一人称。
二人にとっては自分たちよりちょっと子供っぽいと見ていたシンが、突然大人ぶってるように見えるわけか。
そりゃ違和感あるよな。
中身おっさんとしては、ちょっといたたまれないなこの状況。
いや足して割られてると考えれば、ちょうどいいんじゃなかろうか。
だめか。
『そこら辺に関しては後で説明するから、とりあえず現状を報告してくれ』
『シン君、なにか急に大人っぽくなってませんか?』
『……キリギリ、ギリギリ少年と青年の過渡期な感じがよかったですのに……』
なんか嬉しそうですね、夜さん。
なんで失意のどん底なんですかクレアさん。
まあ反応見る限り、危険な状態じゃない事は間違いないだろう。
一安心だ。
『ほーうーこーくーしーろー』
『あ、すいません。とりあえず目は開かないです。あと身体の感覚もありませんが危機的な状況ではないと思います。一番ありそうなのが敵意によらない結界の中というところでしょうか』
種族が「吸血鬼」である夜と「神子」であるクレアは結界の類には詳しい。
その夜がそう分析するのであれば、悪意を基にした状況ではないのだろう。
二人が目も開けられない、体も動かせないほど完全に封じた上、俺の呼びかけに即意識が戻るようにしている状況で悪意があるとは考えにくい。
恐ろしい話だが害そうと思えばいつでも害せる状況だ。
ゆえに、「守るための封印」と考えた方が納得がいくのは確かだ。
『そうですわね、夜の見解でほぼ間違いないと思いますの。しかし解せませんわ。我が主が結界に囚われていないのは何故か、という疑問は置くとしましても、私や夜にしましても、そう簡単に結界に囚われる強さではないと思うのですけれど』
ああ、うん。
『そうですね、守護系の結界であったとしても、仲間ではない第三者にかけられた場合、私やクレアには種族的な加護がありますので、相当な使い手でなければこうまで完全に封じられるのはちょっと想像つかないです』
仰る通り、レベルカンスト状態で、理想形のジョブ構築をしていた俺達なら大概の術式には抵抗できるし、意識が戻れは解除することも難しくないはずですね。
特に「吸血鬼」は「闇系結界」、「神子」は「神聖系結界」の専門家な訳だし。
うん、レベルカンスト状態なら。