第78話 決意
神竜は、今はもう滅んでしまった世界――今の世界の前に、存在した世界――の神であった。
兄弟神である。
だが雌雄を持たぬ、いやどちらにでもなれる「神竜」にとって姉妹であったのか、兄妹であったのか、姉弟であったのかはわからない。
あるいは番であったのかも知れない。
ただはっきりしているのは神竜が先に生まれた存在であり、神竜が次に生まれた存在であった事だ。
世界もまた、今の世界と同じく人を軸とする世界であることに変わりはなかった。
それを統べる神々が神竜達であり、その頂点に兄弟神が在ったのだ。
しかし人は人である故に、神と決別する。
それぞれの世界を管理するために生み出された神々と、その世界の本質的な主役であり、ある意味においては細分化した「システム」そのものともいえる人々は、最終的には相容れないのかもしれない。
時には凌駕することで。
時には忘却することで。
そして時には冒涜することで人は神々と決別する。
世界は最悪の「神との決別」をした世界であった。
突き抜けて進化を果たした科学力によって、神々をすら研究対象とし、捉え、刻み、開発すらした。
最高神である双竜も人の手におち、「兵器」として改造された。
最強の兵器として神竜。
最高の兵器として神竜。
神々を冒涜し、黒と蒼の究極兵器を擁した世界は皮肉なことに大いに栄えた。
圧倒的な科学と、それによって支配した神々の力を十全に使い、天上――宇宙開拓にまで手が届く高みに至ったのだ。
だがそれは突然の終焉を迎える。
世界をよしとしなかった「システム」によって、文字通り一夜にして消滅したのだ。
戦闘も抵抗も、嘆きすらもない。
ただ初めから世界はなかったかのように消え去った。
神の座から「兵器」へ堕とされ、好きなように利用されたにもかかわらず、神竜は世界の消滅を悲しんだ。
どうあれ、神竜は神として己の統べるべき世界と、そこに暮らす人々を愛していたのだ。
一方で神竜は、人々は然るべき報いを受けたのだと感じた。
快哉こそ叫ばなかったが、神たる己を道具の如く扱った人々の消滅に、さしたる感慨はなかった。
ただ「システム」なる物の恐ろしさを心に刻み込んだ。
双の神竜が消滅しなかった理由は解らない。
たが「システム」は月――「天月迷宮」に人を除く世界の粋を集め、残した。
その中には「方舟」も含まれ、自分たちは「聖櫃」に固定され、次の世界へと残されたのだ。
それからどれだけ時間が経過したのは解らない。
あるいは覚醒に至るまでに、いくつかの世界が、世界のように滅びたのかもしれない。
それほどの時間を経て、再び神竜が意識を取り戻した時、そこは今の世界がはじまる直前の空間だった。
目の前に、まだ世界を生み出す前の「創世神アストレイア」が居て、
「神様として手伝って!」
と言われた。
難しいことを考える事もなく、ただ己の心に従ってそれを了承した。
それほどまでに目の前の女神アストレイアは魅力的に映り、己の力で出来ることなら何でもしようと思ったのだ。
一目惚れと言っていいかもしれない。
ともに封印されていたはずの神竜について尋ねると、何をどうしても反応がないと、困ったような顔のアストレイアに答えを返された。
自身でも幾度も問いかけたが、物言わぬ兵器として屹立するだけの存在になってしまっていた。
どうしようもないので、そのままにしておくこととなる。
そうして女神アストレイアの手によって、無粋な装甲や後付けの兵器を解除された神竜は、女神アストレイアとともに世界の創世からずっと、この世界を見守り続ける神の一柱となる。
再び「システム」により、理不尽に世界の終焉が訪れんとし、それに女神アストレイアが抵抗をするその時まで。
「これが、今の我が語れる全てだ」
神竜が己の歴史を語り終える。
やはりというか、「天月迷宮」で感じた通り、神竜はこの世界とは違う世界の神であったのだ。
そして、神殻外装として在る神竜がこの世界に残った正しい形であり、自分の今のあり方はアストレイア様の手によるものだと。
成程、グランドクエストで魔王が呼び出したモノとの決戦時に力を貸してくれたあのスタイルは、元は兵器に改造されていたが故なのか。
俺自身を神竜の本体に取り込み、俺の意志に従ってその権能を使用する。
あれは今考えれば、神竜を「神殻外装」としている形だ。
という事はつまり、神竜はいつでも使用可能な「神殻外装」として俺達の手に入ったという事なのか。
圧倒的な戦力と言っていいが、神竜はそれでいいのだろうか。
仮にも、兄だか姉だか旦那だか年上女房だかにあたる存在なのだ。
「兵器」として使われることにいい気持ちはしないだろう。
「ちょっと待ってください、いいですか神竜?」
「ええ、確認したい事がいくつかありますわ」
夜とクレアが疑問の声を上げる。
確かに聴きたい事も多いはずだ。
「我に答えられることならば何でも答えよう」
「えーと、神竜はつまり、アストレイア様に一目惚れして協力したんですよね?」
「にも拘らず、今現在女性形なのはどういう事ですの? の?」
そっちか。
またしてもそっちの質問か。
「……は?」
よし返事も同じだな。
あの時と同じように、神竜は困惑している。
あれだけの話をして、最初の質問がこれ。
まあぶれないともいえるけれど。
「言われてみればなぜじゃろうな。アストレイア殿に懸想しているのであれば男性形になって然るべきか……ふむ?」
相変わらず天然系だな神竜。
今の姿でアストレイア様と並べば、確かにかなり絵になるとは思うけど。
「じょ、女性同士もありだと思うんです私」
「妾も別に否定はしませんわ」
「……ありかな」
駄目だこいつらはやく何とかしないと。
神竜が語り始める前の、あの神妙な空気はなんだったんだよ。
いやまあ深刻な顔してりゃ、それでいいというわけではないけれど。
あとアラン騎士団長、お前は有罪だ。
量刑は後程告げるので覚悟しておけ。
「神々によるガールズラブ。どっちがどっちなのでしょうね、シン様」
やめてヨーコさん聞きたくない。
というかなんなの? 何でおれに聞くの?
あえていうなら、アストレイア様がタチかな。
――想像してしまった、俺も有罪だ。
いやそうではなく。
「いや、あれだろう? 神として存在していた神竜にとって、最初に欲しいと思ったのは彼氏や彼女じゃなくて、友達だったってことだろ? 友達なら同性になるだろう普通」
「あ、ああ、なるほど。シン君、説得力があります」
「ですわよね。その答えを聞きたかったんですのよ?」
嘘だろ君たち。
「言ってみれば夜とクレアみたいなもんだろ、アストレイア様と神竜って。別に不自然なことじゃないさ」
「――ッチ! きれいにまとめましたねシン様。ひとまず反論の余地はないので黙りましょう。しかしそうなると夜様とクレア様にとってのシン様ポジションが必要ですが、誰なのでしょうね?」
舌打ちしましたね、ヨーコさん。
その図式が成り立つんであれば、それもまた俺ということになるんだろうか。
アストレイア様の「告白」からすればそうだよな。
神竜からはそういう感情感じられないから、あくまで神竜はアストレイア様の友人として女性形でありたいんだろう。
――恋敵だったりしたら嫌だな。
ああまた不用意なことを考えるから、夜とクレアが俺の背中睨んでる。
「三位一体」便利。
「シン殿。たしかにこの神殻外装「神竜」は強力な兵器といえる。我が堕神として降臨した際にこれがあれば、我の本体のみでは苦も無く無力化されたであろう。「神竜」はそれほどまでに強力だ。「堕神群」の予定ではそうであったのであろうが。だがシン殿、覚えておられると思うが、「神竜」を神殻外装として使用する代償は我の時と同じだ。つまり――」
「――魂が削られる」
「然り」
魂が削られる。
ゲームであった「F.D.O」においては、レベルが削られる事をさした。
いやレベルというのは結果で、実際に削られるのは経験値だ。
現実であるこの世界でも、おそらく同じだろう。
一度合一してしまえば、レベルが下がっても戦闘能力は落ちることはない。
だが合一したプレイヤーキャラクターの経験値が零になった場合どうなるのか。
それはプレイヤーキャラクターがロストすると、運営からアナウンスされていた。
その覚悟をもって、グランドクエストの最終イベントには望んでくださいと。
とはいえ、そこは「ゲーム」だ。
グランドクエストの最終イベントに到達できるプレイヤーキャラクターのレベルは実装当時で70越えを必要とした。
当時のレベルキャップが75であったことを考えれば相当の高レベルであるし、戦闘自体は難易度の高いものでもない。
起動している時間で徐々に減少し、使用する攻撃スキルで一定値が減少し、ダメージに応じて減少する。
言ってみればイベント戦闘だ。
普通にやっていれば負けることはなく、レベル70から71になるのに必要な経験値の半分も使えば余裕を持って勝利できた。
基本的に敗北はあり得なかったのだ。
だが今回戦う相手はそのイベントボスではない。
それにゲーム時代、有志による実験で経験値を使い切った場合どうなるかは証明されている。
攻撃することなくダメージを受け続け、経験値がゼロになったプレイヤーキャラクターは、本当にロストした。
わざわざ70越えまで育てたプレイヤーキャラクターによるこの実験は賛否両論を巻き起こしたが、運営が本気でその仕組みを組み込んでいたことに、かなり驚いたものだ。
現実であるこの世界で、キャラクターロストが意味することは明白だ。
危険度が高すぎて、おいそれと起動実験もできない。
俺のレベルであれば、一瞬で吸い尽くされて消滅することもないだろうが。
しかしこれで一つはっきりしたことがある。
「神殻外装」の仕組みが神竜との合一時と基本同じであり、その技術は神竜が生まれた世界であるという事は――
――ダリューンがもたらした茨の冠は、「神殻外装」の技術を流用したものであったという事だ。
茨の冠の危険度もまた、使用者の経験値を消費することにあったのはその証左だろう。
ずっと緩やかだったらしいが、幾人かはロストしているという。
これは「シン」への巨大な力の提供か、あるいは「俺」への罠か。
経験値消費とロストを利用した、「俺」だけを消滅させる仕掛けがあるのかもしれない。
罠であれば、それでも使わざるを得ない状況も用意してくるはずだ。
「シン殿、神殻外装である「神竜」がこういった形でシン殿に提供されるとは、我は知らされていなかった。信じてもらえぬかもしれぬが本当だ。そして正直に言えば「罠」である可能性も高いと思う」
俺の考えを見抜いたように神竜が語りかけてくる。
ダリューンの仕込みである以上、「俺」に対する罠は疑ってかかるべきだ。
夜とクレアだけではなく、他の皆も同じ意見なのは間違いない。
「だな。圧倒的な戦力なのは確かだろうが、おいそれと起動実験もできない。正直危険度が高すぎる。俺がやるにしても、他の誰かがやるにしてもだ」
俺の言葉を、無言で神竜が首肯する。
誰もが解っていることだ。
「そこで我に提案がある。基礎スペックは微妙に違うが、我は「神竜」と基本的に同等の存在だ。そして「聖櫃」が復活した今、ここには我を「神殻外装」とするための装備一式が揃っておる」
つまりこういう事か。
罠が仕込まれているかもしれない「神竜」は封印し、ここの装備を使用して神竜の本体を「神殻外装」化する。
「けど神竜、お前それ……」
「何としても「次」の「堕神」は解放してもらわねばならぬ。何としてもだ。我は訳も分からず顕現し、幸いにして堕神化を解除してもらい、仲間に入れてもらって今がある。感謝しておる、本当だ。「堕神群」の事を多く語れぬことも申し訳なく思っておる。だが次の堕神を解放できぬのであれば、我が今ここにいる意味などない。次の解放を確実にするためなら、我に出来ることなら何でもする」
神竜がここまで言うという事は、「次」の「堕神」はやっぱりそうなのか。
――創世神「アストレイア」
全ての神々の頂点に立ち、全ての権能を持っていると言われる彼女。
戦ったことがあるものなど居る訳もない、戦闘力が未知数な最高神。
未知数なだけに、万全を期すのは難しい相手ではあるのだ。
しかも勝つのではなく、無力化して「堕神化」を解除しなければならない。
そのための力はいくらあっても多すぎるという事にはならない。
「危なすぎて「神竜」が使えぬというのはよく理解できる。だから我を使ってくれ。我の本体であれば危険度も明確だし、「神竜」に劣らぬ「神殻外装」となるための物もすべてここにはある。――頼むシン殿」
神竜は絶対にアストレイア様を失いたくないんだな。
「堕神群」の目的どころか、自分自身よりも。
「……わかった」
夜もクレアも言いたい事はあるだろう。
だが俺達は、神竜の想いが理解できる。
俺達だって、お互いを確実に取り戻すためなら、出来ることはすべてするのに変わりはないのだ。
だが一つだけ問題が。
まあ一度やっているし、神竜は友人としてアストレイア様が大事なので、気にならんのかもしれないが。
「分体」一つやろうかと言い放つくらい、基本が豪快だからなあ。
神竜との合一って、今思えばあれなんだよな。
あの時は男とか女とか思ってなかったけど、今は間違いなく女の子だし。
本体はあれだとしても。
「シン君、神竜の気持ちはよくわかりますし、反対はしません。でもそうする前に、どうしてもしてもらいたい事があります」
「我が主、私も同じくですわ。理解はできますけれど、これだけは譲れませんの」
夜とクレアから物言いが入る。
こうなるよな。
覚悟決める必要があるな、俺も。
「うん。皇都ハルモニアに帰ったらデートしようか、夜。クレア」
「……シン君」
「……我が主」
二人とも顔が真っ赤だ。
二人の目に映る俺も。




