第71話 嘘
『やあダリューン、久しぶり。すべてが徒労に終わった気分はどうだい? 今の俺とどっちが最悪な気分かな?』
今や世界を統べる組織となった「救世連盟」の新首都ロドス、その最深部ともいえる代表執務室で沈思黙考するダリューンの前に、突然その男は現れた。
魔力が失われ、術式が行使できなくなって久しい現在、転移術式など使える者は皆無だというのにだ。
唯一術式を行使可能なアレスディア宋国の人間にも見えない。
額部分に大きな第三の眼がある意匠をした白面を頭頂のとがった黒いフードで覆い、赤いダブルのスーツを身に纏っている。
どうやら実体では無いようで、輪郭が定期的にぶれている。
「突然、なれなれしい人ですね」
『ふむ、動じないところはさすがだな。既存の「逸失技術」である「映像窓」などでは驚かないと思って、立体映像で登場してみたが無駄か。歳をくっても相変わらずで何よりだ』
神々と英雄の消失から約二十年、若かったダリューンも四十をいくつか越えた歳になっている。
若い頃は女と見紛われたほどの容姿は崩れてはいないが、年相応の物にはならざるを得ない。
何よりも今、その姿には疲れと苦悩が色濃く見出せる。
「貴方のような珍妙な格好をした人に、知り合いはいないと記憶しているんですが」
美中年と言っていい姿で、ため息を一つつく。
淵の無い眼鏡をくいと左手で上げ、謎の男に向き合う。
『くっそ、やっぱりこの世界の住人にこの衣装は通用しないか。まあ台詞も踏襲しないのにこの格好をした意味などないんだが、まあいい。「シン」の時には一つの物差しになるはずだ。少なくともダリューン、君が「システム」側の人間として、ここ最近の行動をとっている訳でないことは、俺に対する態度で解った』
指をパチンと鳴らすと、その姿は全く別のものに変わる。
「この仕草も練習したのに」とか言われてもどうしようもない。
漆黒の長外套を身に纏い、同じく漆黒の面をつけているため顔は解らない。
「――シンの名前が出ましたね?」
『顔色が変わったね。――そんなに大事かい、あの「救世の英雄」君が? 他にも結構気になる台詞を言ったつもりだったんだが、そんなことはお構いなしか』
確かに「システム」という聞きなれない言葉はあった。
それに自分が属していないという判断も。
しかし今、手詰まりとなったダリューンにとって「救世連盟」の最奥部に苦も無く侵入を果たす存在が「シン」の名を出したことが何よりも重要だった。
しかもその言い方からして、いずれこの存在が「シン」に逢うことを暗示している。
「ええそうですね。突然いなくなってしまった彼にもう一度逢うためだけに、私はこの二十年間、世界を引っ掻き回してきたのですから」
『ストレートだな』
だが二十年間、自分の望みを叶えることはできなかった。
当たり前だ。
そもそも自分はなぜ神々と「宿者」達が消えたのかという、根本的な問題を何も理解できていない。
だから最初はただ世界を保ちながら待ち、それが無駄と判断してからは「英雄」が必要となるような世界にしていった。
我ながらあまりにも場当たり的だとは思う。
だが何もせずに待ち続けるのは無理だったのだ。
ここ数年は、「シン」が嫌う世界にすれば、あの真っ正直なお人好しが、自分を止め、世界を元に戻すために現れるんじゃないかという妄想と言っていい考えに従って「人種差別」や「奴隷制度」を立ち上げてきた。
当たり前の帰結として、なんの成果も出ていない。
ただ「シン」の守ろうとした世界を、めちゃくちゃにしただけだ。
「今更隠して何の意味があります? 我ながら愚かなことばかり二十年やってきて何の成果もありませんでした。貴方が何者かは解りませんが、接触してくるという事は私にもまだ何らかの利用価値があるという事でしょう。いいですよ、何でも乗りましょう。彼にもう一度逢えるのであれば今更惜しむなにものもありません」
『――狂ってるね、ダリューン』
そう、自分は狂っているのだろう。
ダリューンは自覚している。
それでも、何を対価にしてでも望むことは一つなのだ。
もう一度シンに逢い、彼が「英雄」としてこの世界で生きていく事。
「英雄」には美女が必要だ、それには夜とクレアの二人は申し分ない。
自分はそれを見届けられれば、この二十年やったことの罰を彼本人から受けて殺されても構わない。
「そうですねえ、自分でもなぜここまで拘っているのか不思議ではあるんですよ。それこそ神に意志を操作されていると言われれば、納得できるほどです。だがもはやこの想いは間違いなく私のものです。誰かに植え付けられたものであったとしても、この二十年間私を突き動かした事実は変わりませんし」
『自覚してなお、変わらないわけか。すごいすごい。――だけど……』
「やはり逢えませんか、もう」
さっきこの男が現れるまでも考えていたことだ。
もう、とっくに不可能になってしまってるんじゃないか。
求めてやまない「シン」は、二十年前に神々とともに消えてしまっていて、自分が理解できていないだけでもう取り返しが付かない事態になってしまっているんじゃないのか。
手出しこそできないが、なまじ「天空城」の夜と、アレスディア聖殿のクレアを確認できているだけに、諦めきれていないだけなんじゃないかと。
それならば滅ぼしてしまってもいいか、世界など。
さっきまで確かにそう考えていたのだ。
それとも「永遠の命」を研究し、永遠に待ち続けるか。
『いや、俺達に協力してくれれば逢えるともいえる。だけどそれはダリューン、君の望むシンではなくなっているんだ、確実に』
「どういう意味です?」
だが光明は細いながらもつながった。
さっきの言い方通り、シンに再び会える可能性はあるという。
だがどういう意味かわからない。
自分の望むシンではないとはどういう意味だ。
『神々と「英雄シン」とその両翼、「吸血姫夜」と「聖女クレア」が消失すると同時に、彼らと同じく英雄と目されている「宿者」達の多くが姿を消したことは把握してるよね?』
直接的な答えではないが、応えに繋がる会話なのだろう。
ここは素直に返答しておく方がいいとダリューンは判断する。
「それはもちろん。正確には「吸血姫夜」は「天空城」で、「聖女クレア」はアレスディア聖殿で結晶封印に封じられている状況で健在ともいえますが。ですが今現在も極少数ですが生き残っておられますよ。神々の消失と同時に大部分が、十年ほど前の戦乱の際に、残っていた「宿者」様の半数以上が消失したようですけど」
彼らの小規模とはいえ圧倒的な組織には手を焼かされた。
何しろ介入されるともはやそれまでなのだ。
シンたちと肩を並べて闘った彼らは、魔力を失い術式を行使できない一般の兵などものともしない。
まあそれは術式が使えたとしても結果は変わらなかったであろうが。
だが十年前の戦乱期、それまで積極的に介入していたものがパタリと止んだ。
その際に再び多くの「宿者」が姿を消したことが確認され、原因究明に迫れるかもしれないと判断したダリューンは相当の労力を割いて情報を収集したのだ。
集まって来た情報は世迷言としか思えないものばかりであったが。
「目の前で突然消えました」などと報告されても、判断のしようがない。
結局積極的に介入してくることがなくなっただけで、シンを取り戻す手掛かりにはなり得なかった出来事だ。
『さすがだね。完全に把握しているというわけだ。ではなぜ彼らが消えたと思う?』
「それが解らないから、二十年間のたうちまわってきたんですよ。世界に犠牲を強いながらね」
『正直なのはいいことだ。いやもう言葉を飾っても意味がないからそのままいうとね? 要らなくなったから消されたんだよ。舞台装置である神々もいっしょくたに、シンも含めてね』
「――誰に?」
ダリューンの声が殺気をはらんだものとなる。
こんな声を出したことなど、生涯で数えるほどしかない。
要らなくなったから消した、彼を。
それがどんな存在だとしても自分は決して赦さないだろう。
そのために出来る事ならばどんなことでもする。
『さっきも言った「システム」――ま、解りやすく言えば神々をすら創造した、この世界の絶対な仕組みにだよ。意志が在るのか無いのか、俺にもわからないんだけどね』
謎の男はダリューンに説明をする。
「宿者」とはなんなのか。
異世界の「プレイヤー」の意志を、この世界に及ぼすために用意された「器」、それゆえに「宿る者」と呼ばれたという事。
「宿者」は「プレイヤー」によって生み出されたという事。
「プレイヤー」こそが、彼らの卓絶した能力の源泉であった事。
そして異世界からの干渉を期待できなくなった状況で、「器」は不必要と判断された事。
『二十年前、俺達は失敗したんだよ。詳しくは言えないんだけどね。だけど完全に失敗してしまったわけじゃない。「システム」の一部とはいえ掌握することには成功した。だからこそまだ残っている「宿者」はいるし、君も確認できているように「天空城」に「吸血姫夜」、アレスディア聖殿に「神子クレア」は健在だ』
つまりこの男は「システム」と対峙する存在という事だ。
だからこそ最初の受け答えで、ダリューンが「システム」側でないことを確認した。
「システム」側であれば、この男の事を何らかの手段で知らされているという事だろう。
そしてダリューンという手駒を欲するという事は、「敵」も存在するという事だ。
いいだろう、とダリューンは考える。
目的のために邪魔なものを排除するのは、自分の流儀に一致する。
『そして時間はかかるが、必ず消えてしまった「英雄シン」をサルベージする。ざっとこの世界の時間で千年ほどかかるんじゃないかな。俺達に協力してくれたら物理的にその時間に対抗する手段は差し上げよう。だがその時間に耐えられるかな、ダリューン。偉そうに言ってる俺も耐えられるかどうかまだ不明なんだけどね』
笑いながら物凄いことをさらっという。
だが千年を渡る手段をくれ、シンを取り戻してくれるというなら、たとえ嘘でも今はそれに縋るしか手段はない。
この二十年間は文字通り徒手空拳で、嘘だの駆け引きだのが入り込む余地もないほどに絶望的な日々だったのだ。
それがここまで具体的な提案があって乗らないわけがない。
「だが、サルベージ? とやらをされたシンは、私の知るシンではないと?」
そこが一番気になるところだ。
シンに似た何かを代用にするくらいなら、この二十年でそんなことはとっくにやっている。
そんなもので自分が納得できないのはとっくにわかっているのだ。
今も秘書室に控える有能な少年は、黒髪黒目でシンそっくりだ。
冷静に考えると我ながら狂気だと思う。
こうやって具体的な可能性を示され、冷静な思考を取り戻すと、さっきまでの自分が如何に狂っていたかが自覚できる。
『そういう事だ。千年かけてサルベージに成功したとしても、彼は確実に混ざってしまっている。さっき説明した、シンを「宿者」として生み出した「プレイヤー」とね。君の知らない世界の記憶と経験を持ち、その意識に引っ張られてシンはもう君が知るシンではなくなってしまっているだろう。だがそうであるからこそ、他の「宿者」とは違ってシンをサルベージする事が出来る。感謝するべきなんだよダリューン』
贋者ではない。
だが余計なものが混じっている状況だという事か。
「プレイヤー」はシンを生み出してくれた存在だという。
サルベージとやらが可能なのもその「プレイヤー」と混じっているが故だというのであれば感謝もしよう。
だが、シンでないものがシンに「混ざって」生きるのは赦せない。
「それでも私に声をかけるという事は、何か手段があるという事ですね?」
そうでなければダリューンに声をかける意味はない。
この謎の男が求める事と、ダリューンが求めることの利害は、最終的に一致しなければならない。
であれば確実にその手段はあるはずだ。
『それもまたそういう事。まあ察してはいるだろうけれど、俺も「プレイヤー」だ。失敗したけどね。で、俺達の目的なんだけど、神々の復活ともう一つ』
つまり、消えてしまった神々を復活させる手段をこの男は持っているという事だ。
可能性がある、というレベルなのかもしれないが、神々もまた完全に消された訳ではない。
そしてこの男が「シン」のサルベージに拘るのは、それこそが神々を復活させる手段となるからだろう。
間違いなくシンのサルベージそのものは、この男にとって目的ではなく手段だ。
「それは?」
ダリューンの協力は、その手段にこそ必要なのだろう。
だからこそ、シンに拘るダリューンに話を持ってきた。
『サルベージした「英雄シン」を「システム」に代わる神に育て上げ――その上でその能力を奪う事だ』
「そんなことに私が協力するとでも?」
問い返しながらも、ダリューンは自分が協力するしかないことを理解している。
しないと言えばそこで詰むのだ。
とはいえ最終的にシンが害されるというのであればそれは論外。
相手が素直に本当の事を言うわけがない。
だがシンを何とか取り戻すにはこの男を利用するしかない。
必要な情報を極力得つつ、ここからは虚実乱れる化かしあいだ。
いいだろう、と思う。
そういう戦場は自分の得意とするところだ。
この男が「プレイヤー」という超越的存在だったとしても、その戦場でそうそう後れを取ることはない。
何と言ってもシンの奪還がかかっているのだ。
この男も。
必要であればシンも。
夜やクレアも。
世界も。
自分自身でさえ騙してでも目的は遂げてみせる。
『するんじゃないかな? 別にシンの身体を乗っ取ろうというわけじゃないんだ。奪うのはあくまで神としての権能、能力だよ。それには混ざってしまった「プレイヤー」ももちろん含まれる。残るのは君が絶対にもう一度逢いたいと望んだ純粋な「シン」だ。不満かい?』
この男の言う通りであれば不満はない。
今ここで質問を続ける意味もない。
まずは具体的な行動に入るべきだと判断する。
動き出してからすべてを御せはいい。
「――私は何をすればいいんですか?」
だからここは素直に指示に従う。
今はまだ自分は何もわかっていない状態だ。
まずはこの男がしようとしていることを十全に理解し、シンにとって都合の悪いことを見抜いてそこをこっちの都合のいいように制御する。
『千年後への仕込みだね。残念ながら失敗した俺は直接世界に干渉できない。今はね。ダリューン、君の存在は我々にとって渡りに船なんだよ。寿命が尽きたらこっちへおいで、そこで一緒にシンを待とう。それまでは出来る限りのことをしてもらう』
そう言って謎の男は、ダリューンのこれからすべき事を提示する。
約千年後に復活する「シン」を神の座へ至らせるために必要な仕込みを。
「茨の冠」による残存「宿者」を支配下に置くことがその一つ。
これは「消失」を恐れる「宿者」の心理を利用すれば簡単だろう。
この男から与えられる「茨の冠」は、表向きの使い方とは別に、「システム」から「宿者」を切り離すことが本来の機能らしい。
他にも「救世連盟」を利用して世界をどういう状況に置くか。
シンが復活した時、各国にどのような行動をとらせるか。
効率的にシンを神の座へ至らせるためには何が必要か。
そして神々を復活させ、それを統べる存在にシンが至った時、どうやってその力を奪うか。
そのために必要なすべてを、ダリューンは残された生涯と、その能力の全てをかけて仕込んでいくことになる。
謎の男の思惑を、少しずつ歪ませ、最終的にはシンの利益になるように。
その上でシンの中から余計な「プレイヤー」を確実に排除できるように。
お互いの目的を、ひとまずは共有した時点で男は言う。
『我々はまず、混ざっているシンに「味方」だと思ってもらう必要がある。そのためにはわかりやすい敵が必要だ。ダリューン、君の当面の役目だな。我々の事は「堕神群」と呼んでくれ。いずれ君もその一員となる、最終的にこの世界を統べることになる集団だ』
どんな役目を課せられても、ダリューンは内心で喝采を上げていた。
諦めかけていた「シン」との再会は確実に叶う。
それが叶うのであればシンの敵になろうが、世界の誰を騙そうが、どれだけ大変な準備があろうが問題ない。
千年の時間など、再会を楽しみに過ごせると思えば何の苦でもない。
その膨大な時間をかけて、確実にこの男を出し抜く。
そしてシンに混ざっている余計なものも確実に排除する。
『我々の本当の敵は「システム」であり、その配下となる「異能者」達だ。それとこっちが最大かもしれないな。無条件でシンの味方となる夜とクレア。彼女らはシンが自らの創造主と混ざっていても変わらず忠誠を誓い、献身を惜しむことはないだろう。厄介だぞ、あの二人は』
それにはダリューンも完全に同意見だった。
自分の想い人であるシンと、自分の創造主である「プレイヤー」が合一した存在となれば、彼女らにとっては理想的な存在だろう。
それに害為す相手は、眉一つ動かすことなく排除するだろう。
ある意味においては最も信用できる相手であると同時に、「プレイヤー」の排除を望むダリューンにとって最も手強い敵となる。
それでもなんとかする自信はある。
彼女らとて、シンを敵に回すことはあり得ないのだ。
自分の目的が遂げられさえすれば、彼女らにでもシン本人にでも殺されても構わない。
仕込みのための時間は、たった今から死ぬまですべてを使える。
全身全霊を込めて策を成らせる。
充実した人生が送れる確信があった。
その果てに、彼ともう一度逢えるのであればどんなことでもやって見せる。
まずは「宿者」を味方につける事から始めよう。




