第68話 舞台裏で踊る者 下
先程まで普通に薄暗いだけだった部屋は闇に包まれ、本当にさっきまでの部屋かどうかすらわからない。
元々外と接する部分のある部屋ではなく、そのため窓もない。
だが「逸失技術」である微調整可能な灯りにより、いかにもそれっぽい薄暗さを演出出来ていた。
別に「世界会議」ごっこではなく、実際に世界を左右し得る会議の場であるにもかかわらず、そういった演出を好むのが「権力者」というものかも知れない。
しかしその空間は今、自分の身体の一部でさえ、視覚では確認できないほどの完全な闇に落ちている。
「……あれ? 聞こえませんでしたか。シン君に失礼では、と言ったんですけど」
上下の感覚さえ曖昧になりそうな、あまりに絶対的な闇のため隣にいるはずの「世界会議」メンバーの気配さえ感じられない。
そんな中に、再び「吸血姫:夜」の、どこかのんびりした声が響く。
それと同時。
完全な闇の中に、万人が「美しい」と讃える、夜の紅眼が開く。
一つではない。
二つでもない。
美しさを保ったままだが、人の大きさではない紅の眼が無数に暗闇に浮かび上がる。
美しければ美しいほど、人の恐怖と嫌悪感を喚起する光景だ。
漆黒に灯る焔のような無数の紅眼に見据えられ、「世界会議」メンバーから悲鳴が上がる。
「――謝らないんですか?」
脅している風な声色ではない。
だがその場にいる全員の背筋が凍った。
ソテルやアデルもその例外ではない。
無数の巨大な紅眼以外何も見えないが、無数の何かがはばたいている音がする。
おそらくは蝙蝠。
「英雄シン」の「片翼」は上位種である「吸血鬼」なのだ。
「救世神話」において誰もが知っているはずの事。
だが、自分に対してその力を向けられるまで、シンに傅く美女としか認識できていなかった。
「申し訳ございません。不遜な言い様でありました。二度とあのような口のきき方は致しませんので平にご容赦を」
先ほどまでは楽しそうですらあったソテルが慌てて謝罪する。
あくまでも楽しめる相手は「シン」なのだ。
シンさえ激発せねばその配下はシンに従う。
そこを読み誤った。
確かにシンが突出しているとはいえ、「両翼」と称される夜、クレアはシンに近しい力を持っている。
そしてその「力」はシンの意志によらずとも、シンのために振るわれるのだ。
「……ふうん。ですってクレア。どうします?」
「咎めの言葉を発しませんでしたわね、アレスディア教徒たる者達が」
漆黒の闇に無数の夜の紅眼が浮かぶ空間に、「光輪」が現れ、金色の光が闇を削る。
「光輪」に呼ばれるように、ダルマティカに身を包んだ「神子:クレア」が顕現する。
左手にはアレスディア教を象徴する錫杖を手にしている。
一斉にアレスディア宋国の者たちが膝をつき、頭を垂れる。
それはリィン大陸最大の宗教であるアレスディア教に君臨する教皇とて例外ではない。
「我が主が貶められる発言を、咎めぬ訳はなんですの教皇聖下?」
「……そ、それは」
シャン。
言いよどむ教皇に言葉を遮るように、錫杖が地にうちつけられる。
「二度目は赦しませんわ」
クレアの言葉に、より深くアレスディア宋国所属である「世界会議」メンバーは平伏する。
「天空城」の「逸失技術」で自分たちの行動を確認されるとか、そういうレベルの問題ではない。
自分たちが何を言い、どういう行動をとっているのか、少なくとも「両翼」の二人には筒抜けだという事だ。
シンが未だグレイリット辺境領にいるという事は、間違いなく「両翼」の本体はそこにいる。
「両翼」がシン本人の指示によらず、シンから離れて動くことなどありえないからだ。
にも拘らず、こういった形で自分たちの前にも姿を現す。
「吸血鬼」と「神子」という「上位種族」を、自分たちは甘く見ていた。
ざあ、という音と供に元の薄暗い部屋に戻る。
巨大な円卓を囲むように、四人の人影が立っている。
入り口を押さえているのが「神子:クレア」
頭上に「光輪」が耀き、薄暗い空間を照らし出している。
「神子」の正式衣装であるダルマティカ。
純白をベースに、クラヴィと呼ばれる筋飾りが肩から裾にかけて2本と袖にあり、色は金。
他にも凝った刺繍が金糸で成されている。
髪は何も手を加えずに、そのまま豪奢に波打つ金髪を流している。
これは夜会でクレアが見せた、「もっともこの場の人々の印象に残っている姿」である。
クレアは「光輪」を顕現させることによって、そこにいる人間が持っている、最も強い自分のイメージを抽出して存在させることが可能なのだ。
この姿はアレスディア宋国のメンバーが強烈に持っているイメージに引きずられた結果だろう。
もし戦場で共に戦った兵や冒険者たちが主たるメンバーであれば、戦場でのクレアが再現されていたはずだ。
その対面に立つのが「吸血姫:夜」
クレアの「光輪」が発する光によってできた影は、本来からすればありえない大きさで、ゆらゆらと反対側の壁に映されている。
静かに立つ本人は、先だって正式に設立された、「天空城騎士団」の正式衣装である、純白の長外套に身を包んでいる。
朱文字で染め抜かれた№は「Ⅱ」
だが壁に広がった巨大な影からはキィキィと蝙蝠の啼声がもれ、先ほど空間中を覆った紅眼が無数に影の中を蠢いている。
「吸血鬼」として、敵と相対する際に解放する能力を展開している。
クレアと違い、夜はまだ「赦す」という言葉を発していない。
事と次第によっては、「世界会議」メンバー全員があの影の中に喰われる可能性すらもある。
夜とクレアの間、その左右に二人、「天空城騎士団」の正式衣装である、純白の長外套に身を包んだ影がある。
一方は純白の長外套だけでなく、白面を着けた小躯。
朱文字で染め抜かれた№は「Ⅷ」
だがその影は天井の高い壁に大きく広がり、明らかに竜の形を成している。
もう一方はおなじく純白の長外套を身につけてはいるが、顔を白面で隠してはいない。
朱文字で染め抜かれた№は「Ⅴ」
千年の時を、ウィンダリア皇国の守護召喚獣として過ごした「異能者」にしてウィンダリア皇国元第一皇女、フィオナである。
その影も巨大に広がり、対面の「竜」と同じく、巨大な「鳳」の形を成している。
「ウィンダリア皇国に属すもので妾を知らぬ者はよもや居るまいな。妾が何のために千年の時を「天を喰らう鳳」として過ごし、誰にこの身体に戻ることを叶えてもらったか。それを知った上での先の発言か。つまり貴様ら妾の敵だな?」
フィオナの発言にウィンダリア皇国の「世界会議」メンバーがざわめく。
フィオナ元第一皇女は、「英雄シン」と生きて再び会うためだけに、「天を喰らう鳳」と合一して、実際に千年を生きる覚悟を決め、実際にそうして再会を叶えたのだ。
その相手に仇なす存在と見做せば、自身の持つすべての力を行使して排除に動いても不思議はない。
完全に諦めていたであろう、自身の身体に戻る事すら、その想い人によって叶えられているのだ。
「そ、そのようなことは決して」
今上帝である皇帝シルウェステルが慌てて弁明する。
「では馬鹿な発言をしたものを咎めよ。シン兄様は赦しても、妾は二度目は赦さぬぞ」
やっと肉体的には二桁になったばかりの少女が、大国ウィンダリア皇国の今上帝を恫喝する。
だが精神は千年を生きてきた老賢者だ。
その態度に異を唱えられるものはこの場にはいない。
ウィンダリア皇国に属する「世界会議」メンバーも全員が膝を折り、頭を垂れる。
「我は言ったな。「英雄シン」が味方である限り、我も味方だと。だが人間。貴様らが「英雄シン」を蔑にするのであれば、我は貴様らを焼き払って何の痛痒も感じぬぞ。何か勘違いしておらんか? 「英雄シン」を破壊神だのなんだのというておったが、貴様らにとっての「化け物」とは我らのことぞ」
フィオナよりも小さい身体から発せられる、かわいらしい声。
しかし背後に揺らめく巨大な竜の影と、この場に何事もなかったように現れることが可能だったことから、この少女が神竜が姿を変えたものであることを理解するしかない。
そう、今自分たちを囲んでいる四人は文字通り化け物なのだ。
「神子」
「吸血鬼」
「六喰四象と呼ばれる最強召喚獣の一角、天を喰らう鳳」
「神竜」
この場にいるものどころか、文字通り世界を滅ぼしうる「化け物」
それは「英雄シン」に従うばかりではなく、自らの意志で「敵」と見做した者を排除する。
そして自分たちはその判断の俎上に上がってしまっている。
すでにウィンダリア皇国、アレスディア宋国に属する「世界会議」メンバーが膝を折り、頭を垂れるのに合わせて、この空間の全ての者が平伏している。
ソテルとアデルもその例外ではない。
「シン君は今、違う世界の常識や知識も交じって「甘い」かも知れないです。でも私たちは違いますよ? 勝手なことをしたとシン君に怒られても、シン君を馬鹿にするならあなたたちを皆殺しにします。ソテル老? シン君はそんなことをした私たちを許してくれないと思います、か?」
「……いえ」
いつものように美しい声で、いつも通りの調子で夜がソテルに尋ねる。
ソテルとしては否定を返すしかない。
シンは止めてくれるだろう。
強行すれば怒りもするだろう。
だけど最後は己の「両翼」を赦す。
いや怒って見せているだけに過ぎないかもしれない。
あの「少年」はそれだけの狂気を内に秘めている。
なぜ今、あれだけ普通の判断で動いているのか、疑問に思うほどに。
「我が主が居てくださるのなら、私たちは世界から人が居なくなっても構いませんわ。別にあなたたちに限らず、我が主を煩わせる者すべて排除しても構いませんの。怒られるでしょうけれど、我が主は最後は赦してくださいますもの」
そして「英雄シン」の「両翼」は全く以て揺らがない。
世界を救うのも、滅ぼすのもすべてシンのため。
一時的にシンの不興を買うとしても、そんなことは足枷にもならない絶対的な献身。
これは狂気だ。
だが否定できない。
特に人のいない世界でも、「英雄シン」と「両翼」は楽しく生きていくだろう。
気に入った幾人かはその世界に連れて行ってもらえるかもしれない。
「宿者」も「天空城」には存在している。
それに神のごとき力を持つ「天空城」であれば、「次の人々」を生み出すことすら可能かもしれない。
まさに神の如く、気に入らない世界を滅ぼして、好みの世界を一から作り直すことも可能かもしれないのだ。
「まあすすんでシン君に怒られたくないですし、今回は目を瞑ります。でも二回目はないですよ。次は警告もなしで行きます。そのつもりでお願いしますね」
言っていることのえげつなさに比べて、「吸血姫:夜」の声は美しく、楽しそうだ。
するべき警告を済ませた満足感さえも感じられる。
「分を弁えぬ愚物は論外だが、己の命ひとつ賭けたくらいで、やさしいシン兄様と世界を賭けた駆け引きをしているつもりになどなるな、ソテル老。たかだか百年に満たぬ生で、何を思い上がっておるのか。次やれば「理不尽」をその身に刻み込むぞ、そう覚え置け」
ソテルは一段と深く頭を下げる。
千年を再びシンと会うためだけに生きたフィオナは、ソテルの老獪めいた思い上がりが腹に据えかねるのだろうか。
シンがいるときにはついぞ見せぬ厳しい声と態度だ。
「面倒くさい、見せしめに焼き払えばよいのではないか? 次の「世界会議」は素直になろう」
神竜が本当にめんどくさそうに言う。
この四人にとって、それは充分以上に選択可能な手段なのだ。
今の状況を知れば、現「世界会議」を殲滅したことくらいならシンもそう怒らないかもしれない。
「まあ、今回はいいじゃないですか神竜。やっちゃうとシン君、多分真剣に怒りますから、言うこと聞いてくれるならできれば避けたいです。いいですね? あとこれ、解ってるとは思いますけど、シン君には内緒ですよ?」
夜が、好きな男の子にずるい所を知られたくないような程度の表情と声で告げる。
彼女の中では本当にその程度の事なのだろう。
この場にいる全員が理解する。
世界は「シン」が居るから存続できているのだと。
シンの敵を滅ぼすためであれば、この四人は世界ごとでも焼き尽くすことに躊躇いなど持ちはしない。
実際に今、「シンを馬鹿にした」という理由で自分たちは皆殺しにされていたかもしれないのだ。
「ああ、今後はアデル君が「世界会議」を仕切ってください。シン君が信頼してますから。ソテルさんはその補佐を」
その言葉を最後に、忽然と四人は姿を消した。
まるでそこに居たことなど嘘であるかのように、元の薄暗い部屋に戻っている。
平伏したもの全員から、安堵のため息が漏れる。
見逃してもらえたのだ。
今後同じ過ちさえしなければ生きていられる。
個体として絶対的な差を持つ存在に、殺気を隠すことなく対峙されれば普通の人間は持たない。
狂乱状態にならなかったことが、「世界会議」のメンバーが、どうあれ一定基準を超えた人材であることの証明であったかも知れない。
「思い上がっておったのは儂も同じだったか。死を恐れてはおらなんだが、生きた心地がせんかったわ」
ソテルの言葉に同意しない者はいない。
アデルが「世界会議」代表になることに異を唱えるものも、またいない。
アデルがシンに好かれていたからこそ、あの四人は現「世界会議」にチャンスをくれたのかもしれないし、さっきの体験をした以上は、その決定に逆らう気などない。
自分たちは全力で、シンの望む世界を実現するために力を尽くせばよいのだ。
それが「甘い理想」に立脚していることに、今は感謝するべきだろう。
「我らはシン様が再臨されて以降は王族でも皇族でもなく、本来「公僕」 それを忘れておったが、本日よりは「シン様の僕」よな。努々忘れぬようにしようぞ。シン様は鷹揚でも、あの四人は二度目は赦してくれまい」
誰からも否やの声は上がらない。
それでも成すことを成せば、今までよりもいい暮らしにはなるはずなのだ。
考えてみれば当然のことだ。
自分たちを権力者足らしめた最大の「力」である「軍事力」は足元にも及ばず。
衣食住はこの世界の誰よりも優れたものをすでに持ち。
それが揃っているのであれば金などに価値はなく。
美女で籠絡すると言っても「両翼」を超える者などな居ない上に、欲しければ自分で奪える立場だ。
そうでありながら先の「大侵攻」から世界を守ってくれている。
そんな相手には、自殺願望があるのでもなければ、誠心誠意仕えるのが最も理にかなっている。
仕える主が寛容であることを祈るくらいしか、実際に出来ることは他にないのだ。
全員が脱力している中、突然拍手が響く。
先刻四人が現れた時とまったく同じく、突然に。
「はっはー、こっぴどくやられたようだが、ちゃんと理解できたようだな。よくできました、いい傾向だ。そうであれば厄介事は俺らが片付けてやる。いいか、シンを敵に回すな。俺達は立場上、そうなっちまったら勝てなくてもシンとやらなくちゃあならんのだ。仲良くしてくれてりゃ、助かる。勝ち負けは置いても、友人とガチで殺し合いなんざしたかねえしな」
そう言って三人の影を引き連れながら現れたのは「魔獣遣い」、ガル・ギェレク。
鍛え上げられた巨躯、短く刈り込まれた濃い灰色の髪、常に閉じられている左目。
厳つい顔に鋭い隻眼は、深い蒼色。
神話に謳われる通り、人化はしているが蒼竜アオヒメ、白虎シロヒメ、黒熊クロヒメを従えている。
「相変わらず夜が怒ると怖いのお」
「クレア姉ちゃんも結構切れてたよあれ。シン様の悪口言うんだもんなー、こいつら」
「フィオナ元第一皇女は本気で切れてましたね。よくそこのご老人は喰われなかったものです」
「いやオメエら、めんどくさいからっつって、本気で吹き飛ばそうとしてた神竜が一番こええだろ。もうちょっとで出ていくとこだったわ、俺は」
確かに、と三体が頷く。
「お、おそらくは「魔獣遣い」、ガル・ギェレク様とお見受けしますが、我々に何か?」
はからずも「世界会議」代表となってしまったアデルが恐る恐る尋ねる。
どうやらこの場に居るものは全員、先の件で「驚く」という感情を使い切ってしまったのか放心に近い状況だ。
敵でないことが解ればそれでいいのかもしれない。
「いや、シンのやつも考えてると思うんだが、一つ頼みがあってな。手っ取り早く俺の同類を集めたいんだわ。シンと世界もなんとか折り合い付きそうだしな」
そこでガルが語ったことは……
「言ってやりました。どうしましょう、シン君怒りますかね?」
「だ、大丈夫ですわ。最終的に我が主は私たちの味方です。それに実際は何もしていませんし、ばれませんわ」
「夜お姉さま、クレアお姉さま、さっきまでの狂気を含んだ恐ろしさはいったいどこに。シン兄様に怒られるのが怖いのであれば、「三位一体」が切れてる隙にこんなことしなければいいではありませんか」
「いや、我にはフィオナ殿が一番怒っておったように見えたのだが」
「いや怒ってはいましたけど。シン兄様を甘いとか破壊神とか。万死に値します」
「ガツンと一度やっとかないとと思いまして、いい機会かなと……」
「そうですわ、我が主のためですの」
「その割にシン殿にばれるのは怖いんじゃな」
「「………………」」
「それよりも夜お姉さまやクレアお姉さまが、シン兄様に隠し事あるのがちょっと驚きです」
「結構あるんですよ、これが」
「や、やましい類の事はありませんのよ? よ?」
「ヨーコ様が居れば餌食ですよ、その発言」
「「世界会議」の連中も、あの後こんな会話がされてるとは思うまいよの」
「そ、そろそろ本体に戻りましょう、か」
「そうですわね」
「我は迷宮に戻ることとする」
「「同位分体」いいですよねー、妾もはやくできるようになりたいです」
「今日の事は秘密厳守で。シン君にばれたらかなり怒られます。いいですね?」
「もちろんですわ」
「はい」
「承知」




