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第5話 合一

 「神の目(デウス・オクルス)」に表示されている時刻が神託の瞬間に近づいてゆく。


 5……4……3……2……1……


 僕の目、(ヨル)の目、クレアの目に映るそれぞれが寸分の違いもなく同じ時を示す瞬間。

 身構えていた僕たち三人が拍子抜けするように何事もなくその時を迎えた。


 いや。


 いやおかしい。


『夜! クレア!』


 声をかけても反応がない。それどころか「三位一体(  トリニティ)」が発動していない。つまり今この瞬間、僕は「宿者(ハビトール)」ではなくなっている。神託の通り、「なにか」が二度と宿らない状況が、何の前触れもなく発生したということか。


『夜!!! クレア!!!』


 もう一度話しかけてみるがやはり反応はない。

 焦燥感がじわりと足元から這い上がってくる。

 今や僕のものしかない視界のなかで、「神の目」の窓がぶれるように掠れていく。このまま「神の目」も消えてしまうのか。


 まて、これもおかしい。


 さっきまで三人の視界で凝視していた時刻が00:00のまま動いていない。

 あわてて焦点を「神の目」ではなく西サヴァル草原の景色に合わせる。

 何の変化も起こっていないまま、すべてが静止していた。


 流れない雲。

 そよがない風。

 動かない魔物(モンスター)


 ――時間が止まってる?


 何らかのスキルや術式ではない事は確信できる。

 今までの戦いの中、疑似的に時を止めるようなスキル、術式を使ってきた敵は何度かいたが、「三位一体」、「神の目」に干渉することは不可能だったからだ。

 視点を「神の目」から外した瞬間、最後に大きなブレを示して「神の目」は消えた。


 それと同時。


 西サヴァル草原上空に鮮烈な金色の光があふれる。

 神顕現の予兆。

 幾度もの「世界(ヴァル・ステイル)の危機」に際して、何度か目にしたことがある。金色の光ということは、女神アストレイア様が顕現するということか。


「「救世の勇者」シン様。神託の刻はきました。今この瞬間、世界は存亡の分水嶺に立っています」


 以前、世界の誰も気づかぬまま迎えた最大の危機を回避する際、何度も神託をくれたアストレイア様の懐かしい声が届く。

 言葉を交わすのは、その危機を回避した()()()以来か。


 少し気まずいな。


 神様に対して気まずいというのもどうかと思うが、あれはアストレイア様も悪いと思う。

 いや今はそんな埒もないことを考えている場合じゃない。


「アストレイア様。神託を下されたのはそれに対処するためではなかったのですか。なすすべもなくその瞬間を迎え、僕は何をすれば!」


 夜、クレアと連絡が取れないことが焦りに拍車をかける。女神様に対する態度ではないことを理解していても声は荒くなる。


「落ち着いてください」


 上空の金色が強くなり、天使の梯子(エンジェル・ラダー)と呼ばれる光の柱が目の前まで伸びてくる。


 落ちついていられるか、と思うものの慌てても何ができるわけではない。 くそ、戦闘でどうにもならない事態に対して僕は全くの無力だ。

 その戦闘でさえも「宿者」ではなくなり、「三位一体」も「神の目」も使えないとなると「世界の危機」レベルの敵に通用するとは思えない。

 付けて加えて夜もクレアもいない単独とあっては、どれほどのことができるか。


 神託を受けた時から、戦闘でどうにかなる類の問題ではないとは思っていたが、この無力感は正直きつい。


 夜とクレアがどうなっているのかが心配でたまらない。


 もうずっと「三位一体」が発動しているのが当たり前になっていたから、完全な二人との途絶は我ながらみっともないくらい動揺する。

 後で情けないといくら笑われてもいいから、無事でいてくれ。


 目の前に、こんな状況でさえなければ夜とクレアに心を奪われている僕でさえ見惚れるしかないアストレイア様が顕現する。


 世界に二つと同じものはないと断言できる、金と緑の混ざり合った瞳。それ自体が光を常に放っている乱れひとつないまっすぐな金髪。

 凜として、言われるまでもなく神位にある存在だと、本能で理解できるほど整った顔の美しさと、理想という言葉を形にしたようなプロポーション。

 下卑た欲望を恥じるしかない神々しさに打たれてなお、それでも男であれば欲望の視線を向けざるを得ないのが、美と創造の女神、アストレイア様である。


 本来は僕とてその例外ではないのだが、今は見惚れている場合じゃない。


 そのアストレイア様が少しだけ眉尻を下げた、困ったような笑顔で告げる。


「大丈夫です。今は世界のすべてが、私とシン様を除いて停止している状況ですが、それ以外に何の異変も起こってはいません。夜様もクレア様も時が止まっているだけでご無事です」


 一番ほしい答えをくれた。


 莫大な安堵で、我知らず過剰にこもっていた力が全身から抜ける。

 もちろん気を抜ける状況ではないが、とりあえずまだ深刻な危機的状況ではないようだ。

 しかし時間が止まったまま、「最悪の場合、世界が終わります」と最初に告げられた神託の通りに事が進めば何の意味もない。

 とはいえ、目の前でため息をつきそうな表情のアストレイア様は存外余裕がありそうで、なんとか落ち着きを取り戻す。


「相変わらずですね。あのお二人がそれほど大切ですか」


 はっきり苦笑とわかる表情と口調で告げられる。

 答えるまでもない質問だが、さっきまでの取り乱しようもあって赤面するしかない。

 そもそもこれだけ綺麗な女神様が目の前に顕現していれば、男である僕としてはそれだけで赤面してしまうのだ。


 基本的に神様がた、薄着過ぎるんだよ。


 僕は「相変わらず」とアストレイア様がおっしゃられるように、過去にアストレイア様と、今と似通った状態で、二人きりで言葉を交わしたことが確かにある。

 アストレイア様の全面的な協力に助けられて、なんとか解決した世界最大の危機。それが去った直後、僕は今みたいに世界から切り離された空間で、顕現したアストレイア様と対面し、会話をした。


 その時の記憶がより一層、ある程度おちついた僕を赤面させるわけだが。


「ふふ、落ちついてくださったようですね。夜様とクレア様には、シン様が私に赤面してくださったことは内緒にしておいてあげます」


「…………」


 それほんとにお願いします。


 前回の初めて「三位一体」が機能しなかった時間に対しては、ものすごく二人に疑われてえらいことになったので。

 だいたいあの時はいきなり抱きついて来て、アストレイア様から「ずっとお慕いしておりました」なんて言われたもんだから、おもいっきり混乱した。

 赤面どころの騒ぎじゃなかった。


 まあオチは、「人違い」だったわけだけど。


 ――人違い、でいいのかな?


 アストレイア様は僕に宿る「なにか」を「ずっとお慕いして」おられたらしい。


 ふーん。


「シン様のこともお慕いしておりますよ?」


 くすくす笑いながらそう言われる。

 そんなに顔に出ていただろうか。女神様だからとはいえ心が読めるというわけではないだろうし。


 いや別にアストレイア様に懸想してほしいってわけじゃない。


 僕には夜とクレアがいてくれるし、なぜだか想ってくれている。

 充分どころか分不相応も甚だしいと思ってる。

 でも女神様であるアストレイア様から慕われるってすごいなあ、と思うわけだ。

 間違えられた身としては特に。


「さて、このような状況でふざけている場合ではありませんね。ごめんなさい。今のところ理想的な展開で来ているので、ちょっと気が緩んでしまいました」


「どういうことなのでしょう」


「はい。詳しいことは言えませんし、言っても()()()()()では理解できないのですが、正しくこの瞬間、世界は存亡の分水嶺にあります。ですが世界を救う鍵の一方である『あの方』はこの世界を救うためにあるものを除いて全てを捨ててもよいとの言葉をくださいました」


 アストレイア様が「あの方」と呼ぶってことは、僕に宿る存在ってことだ。

 つまり世界(ヴァル・ステイル)を救うためには今までの異変の解決と変わらず、僕に宿っていた存在の助けが必要で、宿す側であった僕も今までと変わらず何か行動する必要がある。

 なんとなく理解できるが、気になる言葉がいくつかあった。


「今の僕では?」


 真っ先に引っかかった、最初の疑問を投げかける。


「はい。ただし世界が救われた時、シン様はすべてを理解されています。それはお約束できます」


 今の僕では、という言い回しである以上そういうことだろう。

 逆に言えば、今いくら問うても理解できない、言葉で伝わるようなことではないって事でもある。

 つまるところ世界を救えなければ理解していたところで意味がないし、救えた暁には理解できると言うんならそれで良しとしよう。


「あるものを除いて?」


 間違いなくこの世界を救うための鍵である、ずっと僕に宿っていた存在、アストレイア様の慕う「あの方」が、何を条件としたのか気にならないといえば嘘だ。

 僕を「宿者」たらしめる「なにか」が、アストレイア様に想いをよせられるような意思ある存在だと知った時から、興味はずっと持っていたのだし。

 他の何を犠牲にしてもいいということは、逆を返せば「それ」だけは絶対に譲れないものだということだ。


 僕にとっての夜やクレアにあたるもの。


「それを今からお話しします。あの方が望まれたのはシン様、夜様、クレア様が変わらず供にあり続けること、あの方が今までと変わらずこの世界を守れること、この二点でした」


 ちょっと、いやかなりびっくりした。


 僕たちに力を与えてくれていた存在は、世界の終わりに至っても僕や夜やクレアを気にかけてくれていて、ほかの全てと引き換えにしても僕たちとこの世界を救ってくれるというのか。

 何が起こっているのか全く理解できていないが、その条件で俺が否定の答えを返すことはない。

 僕だって「世界の終焉」というこの究極状況で、何を引き替えにしてでも守りたいのは夜とクレア、それに二人とともにいる自分なのだ。


「今は詳しいことは言えません。ですがもう一人のシン様、シン様の半身ともいえるあの方はそういってくださっています。シン様が同じ想いを持ってくださりさえすれば、この世界は救われます」


「同じです。夜とクレアを、ついでに世界を救えるのなら、なんだってします!」


 僕の答えにアストレイア様は少し悲しそうに微笑んだ。


「やはりあの方の半身ですね、シン様は」


 そのあと少し吹き出すようにして「世界はついでですか」と笑っている。

 どこか悲しそうなのは「あの方」との会話で何かあったのだろうか。

 こんな綺麗な、しかも女神様に想いを寄せられたうえで悲しい表情させるなんてすごい存在だなあ、と改めて思う。

 その半身と呼ばれることは、今やこの世界では英雄と呼ばれるようになって久しい僕でもどこかこそばゆい。


「シン様の答えはお受けしました。これで世界は間違いなく救われます。ですがシン様が知っている世界とは大きく変わってしまっているかもしれません。世界が救われた後は、まず夜様、クレア様と合流してください。その後のことは申し訳ありませんが、シン様にお任せするしかないのです。世界(ヴァル・ステイル)が救われた後のシン様であれば、今理解できない全てを十全に理解されているはずです」


 アストレイア様が自身を象徴する金色の光に包まれていく。

 なんだ今の言葉は。

 まるでアストレイア様がいなくなってしまうような言い方じゃないか。

 世界が救われてもそこに創造の女神であるアストレイア様がいないなんて事があり得るのか。

 聞きたいことが山ほどあるが、逆に山ほどありすぎて言葉を選べない。

 何も見えない金色に満たされてゆく中で、アストレイア様の声が聞こえる。


「あの方のどうしても守りたいものに、私も含まれていればうれしかったのですが……」


「待ってください、『あの方』とやらは、僕と夜とクレアが一緒にいられることと、もう一つ、世界を守ることも条件だったんですよね? それならば世界を生み出したアストレイア様を守りたいってことじゃないですか。含まれていますよ、きっと」


 泣き笑いのようなアストレイア様の気配が、かすかに伝わる。


「やさしいのですね、シン様。そうですね、そういってくださるのでしたら、できれば私を探してください。もしももう一度会えたなら、私は今度こそちゃんと、夜様やクレア様と、あなたを……」


 遠くなる声、金色に埋め尽くされていく感覚。

 アストレイア様は最後に僕を「あなた」と呼んだ。


 ああそういうことか。


 不意に得心する。


 今は理解できない事を、世界が救われた後は理解できる。「あの方の半身」という言い回し。「あの方」の合意と、それに呼応した僕の合意が鍵となること。

 つまり僕は僕に宿っていた、「あの方」とアストレイア様が呼ぶ存在と、今までとは違い完全に一つになるってことなのか。

 そうすることによって「今後二度と宿ることがなくなる」と言われた宿者としての自分を維持し、結果それが世界を終わりから救うことになるんだろう。

 女神様に想いを寄せられるような存在と一つになったら、今の自分が消えちゃうんじゃないかとちょっとだけ不安になったけど、いつも僕や夜やクレアを助けてくれた存在ならうまくやれる気もする。難しいことはよくわからないけど、乗っ取られるとか、自分が消えてなくなってしまうっていう不安は思ったほど強くない。

 お互い直接会ったことはなくても、僕たち三人とずっと旅を続けてくれた「あの方」を、供に危機を乗り越えてきた時間を信頼しているからかもしれない。

 そんなことを考えていると、金色が薄れ、視界が復活する。


 そこは――





 



 合わせ鏡の世界。

 鏡の向こうには、見たこともない服を身に着けた、僕が大人になったらあんな風になるんじゃないかなって人が、驚いた表情でこっちを見ている。僕も似たような表情だと思う。


 リリン。


 鈴の音が聞こえると、向かい合ったお互いの左目から女神アストレイア様の色である金の光がお互いの右目に向かって伸びてくる。

 繋がった。別に痛いとかそういうのはない。

 その瞬間、お互いの視界を突然共有した。

 同時に相手の記憶が僕に、すごい勢いで流れこんでくると同時に、身体がお互いにとっての「鏡」に向かって引き寄せられ始める。

 「鏡」は「個」の境界線ってことなのかな。そんな知識があるわけじゃないのに漠然とそう思う。

 記憶がまじりあって、僕と僕を大人にしたような不思議な人、お互いの視界に映る姿のどっちが自分かわからなくなりつつ、一つになってゆく意識が相反した思考を生む。

 

『ああ、これ「三位一体」発動中に似ているな。夜とクレアともこんな風に一緒になることできるのかな』


『やっぱシン若っかいなあ……』


 引き寄せられた身体が境界線に触れる。限界いっぱいまでお互いの視界に広がった僕と、たぶんアストレイア様が「あの方」と呼ぶ人が境界線を越えた瞬間、記憶は完全に混ざり合い、意識が統一されたことを理解する。


 たぶん僕の感情とかはあまり表に出てくることはなくなる感じだ。でも自分がなくなる不安は全くない、不思議だな。 


 そんな思考を最後に、()は意識を手放した。

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