第56話 堕神降臨 神竜
「天空城」の索敵哨戒システムがけたたましく警報をがなり立てる。
複数表示された「映像窓」は、巨大な生命体が突如「天空城」の上空に現れたことを示している。
同時に発動した防衛機構が生み出す、雷撃をまき散らす竜巻をものともせず悠然と「天空城」を睥睨している。
神竜。
ゲームであった「F.D.O」においては、絶対的な人類の味方ではないものの、世界の危機に際してプレイヤーを試し、その試練に応えた者にのみ「力」を与えた竜の神。
そしてグランドクエストの最終決戦において、魔王が呼び出した「ある存在」に対抗するため、プレイヤーキャラクターにその力を貸した「絶対的強者」
神竜=バハムートとするのは日本のゲーム系ファンタジー世界の特徴と言えるかもしれない。
本来は、さっきまでその肉煮込んでシチューにして食べてた「完璧な獣」をアラビア語読みしただけの同一個体なのだが、イスラム世界でなぜかレヴィアタンと少々混ざって魚にされた。
そこから何がどうなってそうなったのかはわからないが、米国の超有名テーブルトークRPGでは強大な力を持つ神の竜として扱われるようになる。
その影響を受けたであろう、日本のコンシューマーゲーム最盛期を代表する一作に、とにかく強力な竜の王、神の竜として登場したことから、日本のゲームにおいて「バハムート」といえば「なんだか強い竜」のイメージが定着していると言っていい。
「F.D.O」もその枠からは外れない。
巨大な体躯と、それに匹敵する大きさの主翼を持ち、副翼を五組十翼持つ。
竜と言えば思い浮かべる洋風、あるいは和風のものではなく、巨大な竜人といった方がしっくりくるようなシルエット。
強力無比な無属性攻撃を多数持ち、プレイヤーとイベントで闘う時は「試す」という前提のためもちろん全力ではその力を行使していない。
高い知能と意志を持ち、世界の始まりからこの地を見守り続ける竜達の王にして、神の一柱。
それが今、意志宿らぬ暗い瞳で「天空城」を睥睨している。
「天空城」の索敵哨戒システムが反応するということは敵性存在であることに間違いはないだろう。
ガルさんが言っていた「神様は今や敵」の実証一例目がまさか神竜になるとは。
本来「完璧な獣」と同一個体であったはずの「神竜」が、物語の配役として「敵」であった「完璧な獣」を討伐した後、味方よりであった立ち位置を棄てて「敵」として出現するのは少々出来すぎな気もする。
「物語」を破綻させ得る存在を排除するために、「物語」を破綻させる。
確かに俺が得た権能、「聖餐」は、この世界本来の物語を破綻させ得る力と言える。
だがその力を滅するために、本来「宿者」――プレイヤー側、世界を守る側にいた存在を差し向けては、その時点で物語が破綻する。
この世界を律する「システム」が、二律背反に陥ってるような印象を受ける。
それとも「俺」は異分子とみなされているのか。
それも世界を存続させるために俺を必要とした事実と相反する。
「夜、意味がないから防護機構停止。ただし「天空城」の高度を可能な限り上げてから。今でも充分皇都ハルモニアは混乱してるだろうけど、この後戦闘になったら巻き込んでしまう。多分「天空城」が高度を上げれば神竜は付いてくるだろう」
「わかりました」
即時、夜が「天空城」の上昇を開始させる。
こんなことなら初めから「天空城」の高度を限界まで上げておくべきだった。
皇都ハルモニアはさぞや大騒ぎになっているだろう。
まあ即座に防御機構が発動したようなので、神竜の出現を実際に自分の目で見た人はそう多くないかもしれない。
だがその後皇都ハルモニアの上空で「天空城」が防御機構を発動したことは全ての人が見ただろうし、数人の目撃者から事実が広がることを止めるすべはない。
「どうしますの? 我が主」
「とりあえず戦闘態勢で外に出て神竜と対峙だな。ここで「映像窓」眺めてても大技一発かまされたら「天空城」とはいえ無事で済むとは思えない。高度上がり切ったら空中戦準備に入る。久しぶりだけど、まあ問題ないよな?」
「ありません」
「お任せくださいな」
「天空城」を陥されると、「世界会議」が進めている改革におけるインフラの中核を失うことになる。
それは拙い。
戦いになるにしても、戦場を天空城から離すことは必須だ。
まあ、俺達が負ければ同じこととも言えるが、辛勝した場合に「天空城」が半壊している状況は避けたい。
空中戦とはいっても常に魔力による足場を形成し続けるだけなので、今のレベルの俺達にとってはさほど難事ではない。
「空の王」とも呼ばれる神竜と空中戦というのもぞっとしないが、地上戦だと遠隔攻撃しか使えないので話にならない。
バカみたいな高度で戦うことになるから、足が震えないようにしないとな。
「ヨーコさんとフィオナは申し訳ないけど、転送装置で皇都ハルモニアへ行って混乱を収めてくれ。どのみち神竜と戦闘になったら、俺たち三人以外は現時点ではどうにもならないと思う。俺たち三人でも、本気モードの神竜となると不安だが……」
「神竜を目の前にしてなお、戦う意志を維持している時点で驚愕ですが、本気ですかシン様。神の一柱、そのなかでも最強の存在である竜達の王相手ですが、「勝てる」と、そうお考えですか?」
ヨーコさんが真剣に心配してくれてるな。
まあ相手が相手だ、いつものようにふざけている場合でもないだろう。
「いやわからない。けど勝たなきゃならないのは確かだろ。とんでもない相手だけど、かかってくるんなら戦うしかない。正直無茶だなーとは思ってるけど」
正直に言うしかない。
絶対に勝てるさ、余裕! っていうには相手が悪すぎる。
なにより、ゲーム時代にも戦ったことがないというのが大きい。
普通の戦いならそれが当たり前なんだろうけど、ゲームとしての「F.D.O」を識っている俺のアドバンテージは、難敵であってもすべて戦ったことがあり、基本的な攻略方法や、大まかな強さを把握できていることだ。
それが通用しないということは、ぶっつけ本番あたって砕けろしかない。
「シン兄様……」
「一言で夜様、クレア様、フィオナ元第一皇女の好感度MAX突破しそうですね。かくいう私もクラっときました。了解です、こちらはお任せください。それから先程の提案を忘れないでください。後でちゃんと私とフィオナ元第一皇女で「聖餐」の検証をすると約束をしてください」
「シン兄様、ご武運を」
「ああ」
どこに好感度MAXにする要素があったのかは解らないが、夜やクレア、フィオナの様子を見れば、今の俺の台詞はカッコいい部類に入ったようだ。
解せぬ。
ヨーコさんもいつもの調子に戻ったということは、腹を括ってくれたんだろう。
そうだな、せっかく申し出てくれたんだから……って、俺の血肉を与えるって結構あれだな。
夜がへそ曲げそうな気がするな。
というか「吸血鬼」としての夜の特性についてはどうなるんだろう。
「三位一体」の相手には無効となるのか、何らかの別の効果が出るのか。
どちらにせよ、夜に俺の血を定期的に与えるのは必須事項だから、こっちの検証も必要だ。
さて出るか。
しかしこれ、「聖餐」を神竜に使うこと可能なのか?
可能だとして、疑似「宿者」――プレイヤーとして世界に干渉できるようになった神竜って、どんな行動取るんだろう。
というか「群体化」可能ってことは、その気になれば神竜を使役可能になるってことになる。
ジョブに竜騎士はあるけど、相棒が神竜ってのはものすごいな。
ああ、そうか。
何とかここを凌げた場合、「聖餐」の実験第一号は神竜になる可能性もあるのか。
いや、止めをささずに血肉を与えるような状況へ持っていけるかどうかは疑わしいか。
どうなる事やら。
かなりの高度に上昇した「天空城」から神竜の待ち構える外へ出る。
疑似的な地上戦とするために、神竜を中心に半径五百メートルクラスの「戦闘領域魔法陣」を展開する。
「聖騎士」であるクレアが持つ結界術式の一つで、対象を中心に常に一定の足場を形成する、けっこう便利な術式だ。
相手の最下点を基準とするので、今回の神竜のような巨大な敵と戦う場合、近接職は自身のスキルで空中戦を仕掛けるしかない。
だけど基準となる足場が対象がどれだけ移動しても、結界に含まれる自分たちを含めてそれに追従してくれるので一気に戦いやすくなる。
空中系のボス級との戦闘には、必須の術式だ。
金色の光で描画される魔法陣はとても美しく、いかにもボス戦という感じになるのもいい。
今であれば眼下に雲海、天空は抜けるような蒼。その狭間で神竜の巨躯を中心に、巨大な魔法陣が展開されている状況だ。
まさにイベントボス戦の風情。
神竜はやはりというか、俺達――正確には「俺」だろう――の元に降臨したようで、俺達が「天空城」がら距離を取ると、素直についてきた。
攻撃行動をとるわけでもないし、何かを話しかけて来るでもない。
ただじっと、意志の宿らぬ暗い瞳で俺を見ているだけだ。
こちらから攻撃しないと何も始まらないのか……
「仕掛けるか?」
「しかないですよね」
「ですけれど、仮にも神様相手に先手必勝ですの?」
うーん。
確かにこの巨躯で降臨された上、自動で追従されるのは迷惑極まりない。
とはいえ、今のところ明確な敵対行動をとられている訳ではないのも事実だ。
まあ、ゲームのボス級っていうのは、大概こちらから攻撃を仕掛けて戦闘開始なものが多いんだけれども。
左肩の黒竜がその首を上げ、神竜を見上げる。
そういえば黒竜の竜としての造形は、「F.D.O」に登場したどの竜にも当てはまらないな。
黒竜も竜であるからには、神竜の配下の一頭なんだろうか。
黒竜に反応するように、今まで無反応に見えた神竜の眼に意志の光が宿る。
『此処は……「世界」か。我は再び我が世界に戻ってこれたのか……』
そのまま巨大な首をめぐらせ、千年前に聞いたそのままの声で言葉を紡ぐ。
戻ってこれた?
千年前に、世界を存続させるために自らの力を使い切り、自らの意志で姿を消したんじゃないのか、神々は。
少なくとも創造神であるアストレイア様は俺にそういっていた。
その言葉は事実とは違うのか。
『権能を奪われ……神座から堕され……永遠に狭間にいることを強いられた我を再び世界に降臨させたのは誰だ。もはや巨大な飛び蜥蜴にすぎぬ我に何をさせようというのか……』
神竜自身、己の現状を把握できていないようだ。
意思がないときはじっと俺を捉えていたのに、今は俺達がいる事にも気付いていない。
というかいきなり独り言で重要なことポンポン言ってるけど、まさにゲームのイベント戦闘っぽいなこれ。
プレイヤーキャラクターである俺達が無言なこともそれに拍車をかける。
意志疎通が可能っぽいし、話しかけよう。
そう思ったら向こうがこっちに気付いた。
『おお、「英雄シン」とその「両翼」か。久しいな。我を再びこの世界に降臨為さしめたのは…………』
俺を認識し、話しかけてきた途中で言葉が止まる。
確かに言葉が途切れるまでは試練を課し、それをクリアした俺に力を貸してくれた神竜だった。
親しげな光すら、その目には宿っていたと思う。
だが今は再び意志なき目に戻り、今度は明確にこちらに敵対行動を開始する。
一瞬で本来蒼をベースにした巨躯が黒く染まり、赤い光が線の形にその全身を走る。
同時に「神の目」が立ち上がり、赤字の緊急メッセージが表示される。
『堕神降臨:「神竜」:緊急事態:緊急事態:強制的に「Scutum Fidei」を起動、固定。堕神討伐開始』
俺に力を与えてくれる「システム」は、堕神討伐を御所望らしい。
緊急メッセージが表示されたと同時に俺、夜、クレアの全身が黄金のエフェクトに包まれる。
物凄い力が宿っているのが実感できる。
この能力が「Scutum Fidei」ってことか。
どこで身に付けたのか覚えのない能力で、勝手に超絶強化されるのはプレイヤーとしてはけったくそ悪い。
所詮システムに与えられる「力」とはいえ、自分の意志で、自分の努力で得たものでなければそれはもはやゲームですらない。
とはいえ本来敵うはずもない神竜と戦うには助かるのも事実だ。
だからこの力は使わせてもらう。
――だが思惑通りには動いてやらない。
舞台装置として、俺達に敵対するためだけに堕神として降臨させられ、俺達に倒されることを強いられている神竜を、その軛から解き放つ手段は先刻手に入れた。
それを可能にしたのも「システム」なのが引っ掛かるが。
神竜を俺達にけしかける事もそうだが、常に何か矛盾を感じる。
まあ、それを考えるのも後だ。
「夜、クレア、とりあえず神竜ぶっ倒すぞ! ただし絶対殺すな。「聖餐」の実験第一号になってもらう!」
「承知です!」
「承知ですの!」
もはや知性無き巨竜としてその強大な力を行使する神竜に対し、俺達は戦闘を開始した。
クレアの「戦闘領域魔法陣」の中心で、神竜がやっとその巨躯を倒れ伏させる。
正直、「絶対に殺すな」とか生意気言ってすいませんでした。
おそらくは「Scutum Fidei」の効果である、強烈な強化を受けいてなお、九死に一生を拾ったような戦闘だった。
なにこれ神様って本気で戦うとみんなこうなの?
一手間違えたら死ぬよこれ、「Scutum Fidei」が発動してても。
「Scutum Fidei」による強化で、もはやバグかと思えるスピードで常に回復を続けるHP、MP、スタミナを駆使して戦っても、神竜の一撃を正面から喰らえば一気にHP半分くらい持っていかれるし、連撃喰らえばご臨終だ。
こっちの攻撃は微々たるダメージしか通らないが、MP、スタミナが回復し続けるのをいいことに、レベル上限突破で入手した三者三様の特殊スキル、「権能砕き」、「絶対防御」、「完全召喚」を使いまくってなんとかHPを削った。
おかげで現レベルでのスキル上限値までは届かないまでも、相当該当スキルの熟練値は上昇した。
というか俺の「権能砕き」がなければ神竜のHPMPスタミナの常時回復止められないし、そもそも多重結界になっている防御を抜けない。
クレアの「絶対防御」がなければ三人一まとめに消し飛ばされる攻撃が何度もあった。
夜の「完全召喚」で定期的にタゲ外さないと、立て直せなくて詰んでたし。
その上倒すわけにはいかないから、麻痺とか睡眠、石化が入るまでまずHPと状態異常耐性下げて、その状態で入るまで戦い続けるしかないのが、なお一層難易度を高めていた。
HPが一定値を切らないとボス系に状態異常は入らないと同時に、HPが一定値を下回ると、ボスってものは強くなるのだ。
何もかもがめちゃくちゃに。
本来であればその狂乱モードにさせないために、ある程度まで削ってから一気に大技で畳み込んで仕留めきるのが定石なのだ。
その正反対をやっていたことになる。
もう一回やれと言われても無理かもしれない。
それほどギリギリを何度も潜り抜けた。
「天空城」が戦闘記録を取っているだろうから後で見よう。
実は俺はリプレイ好き。
「シ、シン君。麻痺入ってるうちにやっちゃってください。はやくはやく」
「我が主、もう無理ですのよ。またあんな狂乱モードで大技連発されたら今度こそ止めさしてしまいますの」
これ以上の無理はできないしな。
「システム」のレールから外れるのも重要だけど、そのために死んだら何にもならない。
命を懸ける価値があると思ったから挑戦し、成功したからにはさっさとやらねば。
麻痺が抜けたらさっきの繰り返しだ。
「瞬脚」で神竜の倒れ伏した頭部まで接近し、巨大な口の中に入って、右掌を鋼糸で切る。
あふれ出した鮮血が、神竜の舌の上に広がってゆく。
これここで神竜の麻痺切れたら、俺のみ込まれるよな。
そうなったら「聖餐」の効果ってどうなるんだろう。
一応「血肉」を与えたことになるから、俺は死ぬけど神竜は疑似「宿者」にはなるのかな。
馬鹿なことを考えていたら、血が吸収された瞬間、神竜が大きく跳ねた。
夜とクレアの視界に映る神竜は、黒がはがれるようにして本来の蒼に戻り、脈動のように浮かんでいた赤い線は空中に霧散する。
麻痺は解除されたようだが、神竜は意識を失っている状態のようだ。
どうやら思惑通りに事は進んだとみていいだろう。
案の定、強制的に「神の目」が立ち上がる。
『堕神討伐失敗:「Deus ex machina」に必要な権能取得失敗:堕神消失:旧神復活の可能性:代替を模索:「Scutum Fidei」停止』
再び赤字で表示された文字が流れ、俺、夜、クレアの黄金のエフェクトが消失する。
これだけの戦闘をしたのに、経験値もドロップアイテムもなしだ。
「システム」の敷いたレールから外れるためとはいえ、少し徒労感を覚える。
いや、それも考えようか。
神竜そのものがドロップアイテムというか、テイム化に成功したと思えば、これほどの報酬もないかもしれない。
立ち上がったままの「神の目」に、再び赤い文字が表示される。
『権能「聖餐」の行使確認。神竜はシンの支配下で疑似「宿者」となります。ジョブ設定を行いますか Y/N』
なにそれ。
神竜のジョブ設定とか意味が解らん。
とりあえず試してみるしかないか。
まだ神竜の意識は戻らないみたいだし、今のうちに一通り試そう。
『よっし、やっとつながった!』
そう思った瞬間、空中に巨大な「映像窓」が展開され、覚えのない声が聞こえて来た。
俺、夜、クレアは揃って空中の「映像窓」へ視線を奪われる。
誰だ一体?




