第54話 新たな力
目の前に「完璧な獣肉のシチュー」が置かれている。
ここは「天空城」の一番大きなダイニングルームである。
この世界での正式な晩餐となれば、グレート・ホールでのものとなるが、今回は内輪での食事会なので、落ち着けるダイニングルームの方にしている。
落ちつけるとはいっても。こちらでも充分以上にだだっ広い。
広さだけではなく、天井や壁の意匠、敷かれている絨毯の品質たるや、現代日本で生きていた俺では一生触れることもなかったであろうレベルの代物だ。
まあ、ある意味当然だ。
術式と「逸失技術」の溢れるこの世界で、最上の「城」として存在している「天空城」は、地上の巨大国家の王城よりも全てにおいて豪奢な作りとなっている。
基本が庶民な俺には落ち着かないが、慣れるしかない。
透明な天板を持つダイニングテーブルには、すでにこの食事会に参加するメンバーが着席している。
最奥の上座、肘付椅子に俺が座り、その左右に夜とクレアが肘なし椅子に腰掛けている。
夜の隣に、ヨーコさん、クレアの隣にフィオナが並ぶ。
今日の食事会に参加するのはこれだけだ。
珍しい食材なので、アラン騎士団長も誘ったのだが固辞された。
何がどうあれ、自分の主君である皇帝陛下が未だ招かれぬ席に、自分が先に招かれる訳にはいかないとの事。
めんどくさいと思う反面、それはそうかとも思う。
「完璧な獣肉のシチュー」はクレアの手によるもの。
普通に肉として料理しようにもただの刃物は通らないし、焼こうが煮ようが通常の味付けが馴染むことはない。
「宿者」――プレイヤーキャラクターにのみ許された「料理スキル」による調理以外では、「料理」の形にすることが不可能なのだ。
「料理」になれば普通に食べることが可能だが、肉のままでは普通の人間には手が出せない。
倒した「完璧な獣」から肉や素材をはぎ取る事すら、「宿者」――プレイヤーキャラクターにのみ可能な行為なのだ。
やばい、「完璧な獣」の遺骸放置してる。
あれの処理とか考えたくない、デカいしエグイ。
とはいえ重要アイテムの塊りだからやらないわけにもいかんしなあ。
「ですけど、スキルでの料理は味気ありませんわ。素材と触媒があれば画一的な味に確実に仕上がるだけですもの。料理には創意工夫の余地がありませんと」
本日のシェフであるクレア様のお言葉。
うん、クレアは基本的には料理上手なんだけど、俺としては「料理スキル」での料理の方が好きかな。
腕があり、良い素材を使っていても、常に創意工夫がおいしいにつながるとは限らない現実を俺は知っている。
「クレア様の場合、すばらしい基礎の上に、創意工夫という名で珍妙なことを積み上げるのがいけません。オーソドックスに行きましょう」
「くっ……料理をできないヨーコ様に言われましたわ」
「料理はできなくとも味は解ります。「だったらお前が作ってみろ」理論は子供っぽいのでやめましょう、クレア様。――失礼。もう大人でしたね」
「っ違います、まだ大人ではありませんのよ!? あれはなんと言いますか前哨戦。そう前哨戦ですの!」
「クレア。クレア。ヨーコさんの狙い通り盛大に自爆してます。自重しましょう。このままだと確実に私にも被害が及びます。延焼はいけません」
ああ、やっぱりその話題は振られるよな。
俺でもそうする。
そして簡単に釣り上げられるクレアと、保身に走る夜。
そうなると当然――
「そうですか。まだ大人ではありませんか。なかなかに生々しい。しかしあそこまで大胆な行動に出られておきながら踏み止まるとは。シン様、ヘタレですか、紳士ですか、どちらがいいですか? なんならあれとやらを詳しく語ってみましょう。大丈夫です。フィオナ元第一皇女はこう見えても千十歳です」
――やっぱりこっちに延焼が来た。
ついでに関係ないフィオナも被弾した気もするが。
ヘタレ7:紳士3くらいでお願いできませんか。
「……冷める前にいただこうか」
――ヘタレ9:紳士1でいいです。
このままヨーコさんのペースで話が進むと、ロクな未来が見えない。
話を変える、いや元に戻すのが最善手だ。
「そうですね、せっかくクレア様が基本通りに作ってくださったレア料理です。冷めては申し訳ない、さっそくいただきましょう」
ヨーコさんの言う「レア料理」が地味に両義語でひどい。
クレアも理解していて、プルプルしてる。
駄目だ我慢だ、ここで切ろうクレア。
反撃はより強い反撃を呼ぶ。
撤退に在らず、転進である。
「いただきます」
食べる前のこの言葉に違和感を持たれることはない。
みなお父さん席に座る俺に続いて唱和する。
お約束展開がないのは少し物足りないが、シンの記憶でもずっとこうしていたので当たり前の事だ。
「……さすがにおいしいですね、レア料理だけあります」
「妾も食べたのは初めてですけど、さすが「完璧な獣の肉」だけありますね。レア料理と言われるのも納得がいく味です」
「おやどうなさいましたクレア様。クレア様が作ってくださった「レア料理」、大変好評なようですが」
「そ れ は ど う も で す の !」
もうやめてあげて。
というかこの反動で次にクレアが作る料理が怖くなるだろ。
食べるのは俺と夜なんだぞ、間違いなく。
夜はなぜかクレアのつくったものに文句は言わないし。
俺の皿の横に置かれた小皿から、存在感を薄くした黒竜もシチューを突っついて食べている。
まさかいきなり覚醒して大竜になったりしないだろうな、こいつ。
「神の目」が立ち上がる。
クレアの予想はどうやらあたりだ。
「――来た!」
見てるぶんにはシチューを一口啜って「来た!」ってかなり痛いな俺。
夜とクレアの目から見る俺はグルメ気取りの人みたいだ。
このまま、この肉は「完璧な獣」の肉、間違いない!(キリッ)とかやったらあきれ果てられるんだろうな。
風呂から上がると同時に、「三位一体」を再起動させている。
二人の感覚を得るのが恥ずかしい以上に、ああいうことがあった後で、お互いのつながりが薄いままなのはなぜか逆に気恥ずかしかったのだ。
『神獣級の討伐証明取込を確認。対象「完璧な獣」。限定解除第一段階、レベル上限が解放されます。――PATER「シン」――FILIUS「クレア」――SPIRITUS SANCTUS「夜」のレベル上限解放開始……』
「神の目」が見えるのは俺だけだ。
とりあえず簡潔に情報を伝えていくことにする。
「レベル上限の解除はじまった。他にも何かあるみたい」
俺の言葉に全員の目が、驚きに見開かれる。
レベルカンスト――99を超えるレベルに至った存在は、神様を含めて今までこの世界にはいない。
そこに俺、夜、クレアが到達することが確定した瞬間だ。
『上限解放完了。蓄積経験値のレベル換算を開始。――PATER「シン」:Lv107――FILIUS「クレア」:Lv104――SPIRITUS SANCTUS「夜」:Lv104。限界突破によるジョブ別特殊スキル取得。今後レベル10ごとに新たに取得されます』
続いて表示された情報がけっこうとんでもない。
「完璧な獣」倒したあの膨大な取得経験値で、夜とクレアとのレベル差が3しかない事と、夜とクレアが膨大な数とはいえフィールド魔物程度で104まで上がっているところから考えて、おそらくLv105を境に必要経験値が跳ね上がっているのだろう。
それも重要だが、ジョブ専用スキルの新規習得が最重要だ。
99以上はスキル、術式の熟練度も青字カンストではなくなっているし、新スキルともなれば一から上げる必要がある。
それでも下位スキルよりは強力であることは間違いないだろう。
「新スキル取得来た。俺のレベルが107、夜とクレアが104。新スキルは今後レベル10刻みで来るらしい。今から各自のスキル確認する」
俺の情報に夜とクレアが嬉しそうな顔をする。
ヨーコさんとフィオナはちょっとうらやましそうだ。
戦いの場に身を置く人間にとって、強くなることは嬉しく、また憧れでもある。
自分たちでは至れないところへ行こうとしている存在を見ると、羨ましくなるのもよくわかる。
確認したスキルは以下の通り。
『「術式格闘士」Lv100スキル:「権能砕き」』
『「聖騎士」Lv100スキル:「絶対防御」』
『「召喚士」Lv100スキル:「完全召喚」』
全て戦闘系スキル、使ってみないと何とも言えないがおそらくはボス系特化スキル。
再使用制限がない所を見ると、膨大なMPやスタミナを喰うにしても、戦闘中に何度も使用することを前提とされたスキルだ。
ここからはこういうスキルが必要になってくるということを指し示す。
早急に鍛えよう。
「……まってくれ、まだなんかあるっぽい」
しばらく何も表示されなかった「神の目」に、カーソルが点滅している。
強制起動の場合、全てが終了すれば自動的に「神の目」は閉じる。
それがまだだということは、まだ何かある。
『…………「転生」イベント進行確認。第一フェーズ・第二フェーズのクリア確認。イベント対象者「シン」の転生第一段階が実行可能。※注意:不可逆イベントです。 Y/N』
「俺の「転生」イベント進行してる。第一段階の承認確認来てる」
なんでだ、どっかでフラグ立てたっけ?
というか「F.D.O」の「不可逆転生イベント」はすべて記憶してるけど、こんなパターン知らないぞ。
「シン君、転生イベントって?」
「夜の場合「吸血鬼」、クレアの場合「神子」のアレ。俺はずっと何も選ばなかったけど、今回の一連イベント、どうやら俺の「転生イベント」絡みらしい」
夜もすでに不可逆転生イベントこなしてるのに何言ってんだろ。
「選ばなかったとはどういうことですの? 我が主」
ああ、そうか。
二人にもまだ、ゲームとしての「F.D.O」がこの世界の骨子にあって、「俺」がこの世界をゲームとしてやっていた存在だということを説明していない。
そこを説明しなければ「転生イベント」などという単語を言われても反応できるはずもない。
夜やクレアにとって、「吸血鬼に戻る」ことや、「神子になる」ことは、現実の世界での出来事の結果なのだ。
選んでやるやらないと言われてもピンと来るはずがない。
「えーと、夜やクレアのように、俺が人で無くなる選択肢が今出てる。まず間違いなく強化されて、デメリットはほとんどないはずだ。それこそ夜の「吸血鬼」やクレアの「神子」みたいな感じだと思う。ただ何になるかは表示されて無くて、こんなのは初めてだ」
「よくわかりませんけど、シン君はシン君ですよね?」
「私が「神子」となっても私は何も変わりませんでしたわ。我が主が我が主であるままなら、強くなるのはいいことだと思いますの」
そりゃそうだ。
ゲーム時代はなんとなく種族転生しなかったけど、それは必要に迫られていなかったからということも大きい。
自分がなるなら「吸血鬼」と思っていたけど、それは夜になってもらったしな。
他にこれとてなりたい種族があった訳でもないし、こういうレアイベントにはのるべきだ。
「うん、ずっと説明してなかったことも、この後説明するよ。ヨーコさんやフィオナも聞いてくれ。そうだな、強くなるのにためらってる場合じゃないよな。夜、クレア、俺は俺で変わらないけど、角とか鱗とか生えてきてもひかないでいてくれると有難い」
「どんとこいです」
「今更ですのよ」
まあそんなことは種族転生で見たことないので大丈夫だと思うけど。
一番見た目が変わるのが、獣人覚醒系かな。
それだって獣化した時に大きく変化するだけで、通常は人のままだ。
それでもためらわず即答してくれるのは嬉しいものだ。
「さすがですねえ。肌を合わせた上での発言はキレが違いますね」
「一切躊躇しませんでしたわ、夜お姉さまも、クレアお姉さまも。一線越えることに比べれば種族など、そういうことですか。うらやましいです」
「まだです。まだ越えてません」
「少し、そうほんの少しだけ以前より仲良くなっただけですの」
「肌を合わせたことは否定しませんでしたね。夜様。クレア様」
「「…………」」
勘弁してくれ。
視線で「Y」を無言のまま選択する。
『対象者による転生第一段階実行承認を確認。「権能」付与実行。「聖餐」を対象者「シン」の第一権能として付与します』
権能ってなんだ。
スキルじゃないのか。
承認した瞬間、体の奥で物凄い力がぞろりととぐろを巻く感覚がした。
苦痛はない。
だが今、俺の身体は根本から作り変えられていっているという確信がある。
この感覚はどこかで覚えがある。
そうだ、この世界に来ることを決めた時、アストレイア様に抱き着かれたあの時に感じた、あれ。
暖かい何かが俺の中に流れ込んでくるような感覚。
あれが俺の「転生イベント」のキーイベントだったのか。
あの時のアストレイア様からの「力」が今、俺の身体を別の何かに確実に変えていっている。
邪悪ではない。
だが聖なるものでもない。
何か生々しい「力」が俺の中で渦巻き、形を成してゆく。
「聖餐」
俺の血肉を与えた対象を、疑似的な「宿者」として覚醒させ、支配する能力。
「三位一体」の下位互換、「群体化」をプレイヤーキャラクターだけではなく、NPCにも適用できるようになるという、支配者の権能。
俺はいったい、何に変わり始めたんだ。
いつの間にか黒竜が、音も無く俺の左肩に止まった。




