第53話 素直な想いと、したい事
「天空城」には無駄とすら言える設定が山ほどあるのは知ってはいた。
ゲームとしての「F.D.O」サービス終了直前と言っていい時期の、運営のはっちゃけ気味なイベントの賞品というには、設定を含めたその作り込みが異常と言って良いレベルだったのだ。
本来であれば新拡張シナリオの中核を成すギミックだったんだろうなあ、と寂しい思いをしたこともまだ記憶に新しい。
ただこの風呂はやりすぎじゃなかろうか。
なんでも「魔力」と「逸失技術」で片付くのがファンタジー風MMORPGのいい所かもしれないが、突き抜けすぎると笑いを誘う。
大きさの規模からいえばローマ帝国のカラカッラ浴場を越えるほどであり、無数の豪奢な石造りの浴槽に、あらゆる種類の薬湯が湛えられている。
中央奥部分にある主浴場では、馬鹿みたいな高さを誇る天井近くから滝のように流れ落ちる湯が、空中に浮遊するいくつもの魔力結晶を中継して、一番高い位置の巨大浴槽に流れ込む。
そこから日本の棚田のようになっている下層の浴槽へと湯は流れていき、一番下の大浴槽まで流れ落ちている。
湯を途中で中継する結晶にはそれぞれ何らかの魔力付与があるようで、HPMPの回復率上昇、美肌、低レベルではあるものの各種強化術式効果、魅了の効果まであるそうだ。
そもそも浴場自体が一つの結界であり、入ると同時に休息状態となる。
その上で、通常の風邪や疲労などは言うに及ばず、長いこと浸かっていれば欠損レベルの傷や重篤の病も治してしまうこの風呂を一般に公開すれば、間違いなく一大名所になるだろう。
大元の魔力を補充する必要はあるとはいえ、これからもあるであろう戦闘の後、騎士団や冒険者たちをまとめでぶち込めば、死んでさえいなければ回復できるという便利な代物だ。
回復術者の術式熟練度稼ぎを阻害する事にはなるが、各国首都や冒険者ギルド、可能であれば重要拠点の城塞都市にも同様の施設を設置すれば、大規模戦闘時の回復効率が大きく向上するだろう。
そういう実利を除いても風呂はいい。
贅沢を言わせてもらうのなら、和風の露天温泉なども望みたいところだが、この笑いが出るような巨大な風呂を独占して使えるというのは贅沢も極まる。
露天、という意味においては今この瞬間に望みさえすれば頭上も足元も「天空城」が捉えている映像を映し出すわけではあるし。
まあ本格的な「露天風呂」は、この広いリィン大陸で、すばらしい渓流を見つければその近くに作ればいい。
俺は露天風呂については、断然海っぱたより山渓流が好きなのだ。
「ぷはー」
おっさんくさいとは自覚しつつも、こういうのは魂の声だ、止められない。
今俺が浸かっているのは、棚田状になっている浴槽の最上段のものだ。
なんかこの棚田状の浴槽、それぞれに名前が付いていて、今俺が浸かっている最上段のものは「天空城」の主しか入ってはいけないものらしい。
雛壇か。
ばかばかしい。
しかしこの湯船だけでも百人くらいは余裕で入れる大きさに、俺と黒竜だけというのは贅沢を通り越して、すこしもの悲しいかもしれない。
まだ名前もつけてない黒竜、一体何者なんだろうな。
しゃべりこそしないが、明らかに意志を持っている。
なんか今は湯に使って首だけ出してのんびりしてる感じだ。
間違いなく『七罪人「ira」形態:コード「Satan」』の起動は俺と黒竜の意思疎通? を持って行われているわけだし。
それに『至聖三者「PATER」形態』では明らかに存在感が薄い。
俺が認識していなければ消えてるんじゃないかと思うくらいに。
とりあえず今の俺は『七罪人ira形態:コード「Satan」』状態だ。
理由は俺が風呂に入ると同時に、夜、クレア、ヨーコさん、フィオナが女風呂に入っているからだ。
夜とクレアは不満顔をしたが、夜とクレアの目を通してヨーコさんとフィオナの裸を見るわけにもいかない。
というか自分たちの裸や風呂に入っている感覚、体を洗う感覚が俺に伝わるのは平気なんだろうか。
いまさらか。
相変わらず二人は、極端に「三位一体」の解除を厭う。
俺も説明しがたい不安を感じるから常は「三位一体」発動状態でいたいが、風呂とかその他諸々においては解除したいと思わなくもないんだが。
いや俺の感覚が夜とクレアに行く事はないから俺としてはあれだが、二人が平気なのがなあ……
まあ正直風呂でゆっくり考え事したいときに、刺激的すぎる二人の感覚がないのは助かる。
あの二人が素っ裸で風呂で寛いでる感覚と映像が常時伝わって来ていては、考え事どころじゃない。
ともあれ。
ゲームとしての「F.D.O」でのイベントですら、先の戦闘ほど大規模な魔物の侵攻はなかった。
それを最小限の被害で凌いだ際、アラン騎士団長からもたらされた情報は充分に吟味する必要がある。
だいたいガルさんが復帰済みで、今回助けてくれたってだけで重大情報だ。
アラン騎士団長が聞いた限りでは、ほかにも複数の「異能者」達が参戦してくれたのは間違いない。
中規模以下の魔物領域からの侵攻がなく、その方面に犠牲を前提で派兵された兵達が無事だったこともそれで納得できる。
彼らにかかれば、フィールドの魔物領域の敵など雑魚でしかない。
「刀聖」ヒイロ・シィ・ロックイーダ、「剣聖」ブレド・シィ・ロックイーダの刃物狂い兄弟や、こういう助けるだけでややこしい柵が発生しない件であれば「竜騎士」ハルカ嬢、傷ついた人を回復させる事こそが生き甲斐みたいな「白の癒手」アリスさんあたりは参戦してそうだ。
この借りは高いもんにつくなあ、多分。
まあ武闘派の人たちは、落ちついてからリィン大陸全土に「世界統一武闘大会」開催のお知らせでも流せば、探さなくてもぽこぽこ出てくるだろうけど、頭脳派の人たちの動向はちょっと予測がつかない。
ダリューンとの件には不干渉だというのは解ったが、ガルさんがアラン騎士団長に伝えた言葉が重すぎる。
「神様は今や敵」
アストレイア様すらその例外じゃないかもしれないという言葉は、ガルさんの言葉であっても俄かには信じられない。
いや、信じたくない。
そもそもこの世界を消滅から救うために、アストレイア様の願いを受け「俺」はシンと合一してここにこうしているのだ。
俺の「願い」は夜、クレアとともにいる事だったとはいえ、アストレイア様の願いは世界の存続だったことは間違いない。
そのために創造神であるアストレイア様をはじめ、全ての神々の力を使い切って世界を存続に挑み、それに成功したからこそ今俺達はこうして存在出来ている。
その神様達が「俺」の敵に回るのは納得しにくい。
俺は彼らの望みに協力したはずで、アストレイア様とはそのなんだ、そう、約束もしている。
いろいろあって後回しになってしまっているが、夜とクレアも納得して、アストレイア様を探そうとしていたのだ。
だけどガルさんは意味もなくこんな嘘を言う人じゃない。
ガルさん達だけが知り得て、俺たちの知らない情報があるってことなのだろう。
ほんと事態が進めば進むほど、解らない事ばっかり増えていく。
ヨーコさんの言う様に難しいことを考えないで、順次対処していくしかないのか。
ガルさんは同時に
「多分この流れで誰かしらちょっかいかけてくるはずだ」
ともアラン騎士団長に伝えてくれている。
とりあえずその神様ぶっ倒してから話聞くことが早道か。
……野蛮極まりないな。
そのためにも風呂から上がったら、お食事会だ。
クレアの予想があたるかどうかはわからないが、「完璧な獣の肉」を食べてみるのはやっておくべきだ。
「完璧な獣」からドロップしたアイテムの確認も含めて、短期的にでも強化につながることはすべてやっておこう。
それくらいの時間はあるはずだと信じたい。
『シン様。ご武運を』
『妾は何も聞こえません。「天を喰らう鳳」の権能も封じますので何も見えません。この発言を最後にパーティー指輪も外しますので。シン兄様、グッドラック』
こればかりは風呂に入るときも付けているパーティー指輪から、ヨーコさんとフィオナの念話が届く。
は? 何言ってんだ二人とも。
それよりも同じ「異能者」であるヨーコさんとフィオナなら、ガルさんの言ったこと何か知らないのかな。
『ヨーコさんやフィオナはほんとに心当たりない? ガルさんが……』
かこーん。
風呂特有の音がしたな、今。
どこで鳴るんだ、この豪華洋風の大浴場で。
それとも今のは俺の心象効果音か。
今俺が浸かっている浴槽まで上がってくるための大階段が、この棚田状になっている巨大浴槽の中央を貫いている。
湯気でけむるその先に、間違いなく人影が二人分。
『ではシン様。さよーなら。さよーなら。清かった頃のシン様を、私はきっと忘れませんとも。ではほんとうにさよーなら』
そういってヨーコさんの念話も切れる。
ああ、やばい、「三位一体」切ってるとこういう弊害もあるのか。
「シン君! 大丈夫です! 裸じゃないです! タオル巻いてます! 問題ないです!」
いや夜、そういう問題じゃないだろう。
というかそれ俺的には裸と同義。
それに今は俺しか「天空城」に居ないとはいえ、ここ男湯。
「そうですわ! お湯に浸かってしまえば見えません、多分。それに見えてもかまいませんもの、いえ見てもらいに来たんですもの、問題はありませんの?」
クレア、混乱するくらいなら無理するな。
後、君らの付けてるタオル薄手で湯気吸って湿ってるから、もう肌色になってる。なってるよ。
どうすんだこの事態。
なんで女の子が二人で、自分から男湯突撃するような事態になってんの?
ラッキースケベとかそういう次元の問題じゃない。
もっと恐ろしい何かが進行している。
「今度はヨーコさんに何言われてこういう行動に出たんだよ、二人とも……」
「い、言われたからではないです。自分の意志です」
「そ、そうですの。自ら望んで我が主に見ていただこうと……」
「クレア。クレア。違います。見てもらうだけじゃありません。もうちょっと頑張ります」
「そ、そうでしたわ。えーと、我が主?」
……なんでしょう。
「とりあえず恥ずかしいんで、一緒のお湯に浸かっていいですか?」
「許可をいただきたいんですの」
「……どうぞ」
二人とも真っ赤になって可愛いけど、気にするところ間違ってませんか。
というかそこまで恥ずかしいならこんな暴挙に出るなよ、俺の顔も多分真っ赤だよ。
黒竜は速攻で距離取って別の湯船に行きやがった。
……ん? あいつがオスだとしたら夜とクレアの裸見られてないか。
まだ見られてないか、バスタオル巻いているし。
いい判断だ黒竜。
お前と敵にならずに済んだ。
馬鹿なこと考えてると、夜とクレアが俺と同じ浴槽につかって側に来る。
もちろんバスタオル付けたまま浸かるなんてマナー違反はしないので二人とも今は完全に裸だ。
現在のお湯色は乳白色、結晶に触れて色を変えるお湯は時間とともにその色を多彩に変える。
確か無色透明になるときもあったような……
今はセーフ、とりあえずセーフ。
「三位一体」は発動していないので、今の心臓バクバクいってるのと熱くなってる身体の感覚は間違いなく俺自身のものだ。
夜とクレアの視界も感覚もない分、素になる要素がどこにもない。
俺に今見えるのは湯気に濡れ、赤く上気して潤んだような瞳の二人の綺麗な顔だけだ。
漫画みたいに鼻血が出たらどうすんだこれ。
おずおずといった感じで、いつも通り俺の左右に位置し肩に頭を預けてくる。
その後腕を取られて、二人の両手で抱きしめられる。
胸とか下腹部に、確実に俺の腕が触れてる。
柔らかい。
そうじゃなくて。
「……で、この暴挙の真意はなんなのでしょう」
あまりの事に妙な敬語になる。
「あ、あのですね」
「はい」
「無理。無理です。クレアお願いします」
「無、無茶ぶりですね!? こういうときだけヘタれるんですの? そっちの方がポイント高い気が! いえそうではなくて、我が主?」
「はい」
「つまりですね? 万が一があり得る以上、やれるうちにやることをやっておこうという至極当然な判断を下した私と夜は、意を決して我が主のいる男湯に突撃を決意したんですの」
「直球。それにちょっと支離滅裂です。落ちつきましょうクレア」
「無茶ぶりしておいてその言い様ですの? 泣きますわよ?」
「えーっと、あの、シン君」
「はい」
のぼせて意識失うまで繰り返すんじゃないだろうな、この会話。
というか二人がリアクション取るたびに強く俺の腕を抱きしめるので、伝わる感覚がもう大変なことになっています。
後よばれてそっち見ると、二人の濡れた顔がドアップでもうだめかもしれません。
「落ちついて言いますと、やれるうちにやれることやっておこうと……あれ?」
「夜。夜。同じ。同じことしか言ってませんのよ?」
二人とも相当テンパってるんだな。
いつもは余裕のフリする夜も、いつも通りテンパってるクレアも、こうして具体的な行動に自分から出るとこうなるわけだ。
見た目や、身に纏う色気と甚だしく乖離していて、やらしい意味だけじゃなく可愛いと思ってしまう。
ちょっとだけ余裕出た……かな?
「つまり、せっかく合流できたのに三人での時間が取れてなかったし、世界巻き込んだ騒ぎに巻き込まれるどころかこっちから起こしちゃったし、万が一……考えたくないけどそんなことがあるかもと考えたら、今したいと思ってることに素直になろうと思った?」
「それ! それです! さすがシン君」
「そうですわ、そう言いたかったのですわ。さすが我が主」
いや持ち上げてくれるけど、何となく伝わったよ、二人が必死過ぎて。
しかしそういう思考から、とりあえず裸で男湯に突撃するというのはどうなんだ。
いや嬉しいんだけどさ。
もうちょっとこう、深夜に寝室に忍んで来るとか、そういう……
ああ、そうか、そうなるともう一直線だもんな。
冗談めかしつつ、意思表示もして、後は……
俺次第ってことか。
これは間違いなくヨーコさんの入れ知恵。
「一緒にお風呂入るのって、ちょっと憧れてたんです……」
「は、裸の付き合いって言いますものね? あってますよね?」
うんちょっとずれてるかな、クレア。
まあ大体わかった。
わかったからと言って余裕が出るわけではないんだけれど。
「あとシン君の背中流したり、シ、シン君が良ければ私を洗ってくれても、その、髪とか身体とか」
それ全身ですよね、他どこ洗うんですか夜さん。
……洗うって、すげえな。
「あ、私はお風呂の中で我が主が背中から抱っこしてくれることをリクエストしますわ」
定番ですよね。
その場合間違いなく胸触ると思うけど、俺。
「で、でしたら私は……」
二人の妄想シチュエーション言い合い合戦みたいになってきた。
結構お風呂ネタで妄想してんのな、二人とも。
余裕は全然ないけど、ちょっと笑ってしまった。
「わ、笑われましたわ! 笑われましたの!」
「シン君、ひどい!」
あ、意外と素でショック受けている。
フォローいれないと。
そんな二人を馬鹿にして笑えるほど余裕あるわけじゃないんだよ。
「そうじゃないよ。ただ可愛いなと思ってさ。俺も余裕ないけど、お互いのリクエスト叶えていこうか。その後はお風呂あがってお食事な。強くなって続きできるようにならなきゃならんし」
「ですね」
「ですわね」
二人とも素直な笑顔でうなずく。
照れくさい、恥ずかしいから茶化したりもするけど、お互いの気持ちは伝わっているだろう。
「三位一体」に頼らなくたって。
「となると俺も、リクエストあるんだけど、引かないで聞いてくれる?」
「い、いいでしょう、等価交換といきましょう」
あ、夜がちょっと引いた。
そんなえぐいリクエストする気はないよ、まだ。
それに等価交換て。
一方的に俺がいい思いしてるだけじゃないのか。
それともお互いがそう思っているのか。
そう考えると、面白いな。
好きな相手と、何かするってそういうことか。
「それにあれですのよ? 我が主が辛抱溜まらんようになったら、我が主がしたいようにしてくれても、その、いいんですのよ?」
「クレア。クレア。もう少しぼかしましょう。そうしましょう」
鼻血出るわ。
さすがにそれはまだちょっとはやい気がするんだ、自分の理性にそこまで自信はないけどさ。
その後、俺と夜、クレアは今よりちょっと仲良くなって、ちょっと人には言えない体験を共有した。
女の子って、いろんなこと考えてるのな。
びっくりした。
三人の素直な想いと、したい事。
好きだというなら、照れてばっかいないで、ちゃんと向き合っていかないとな。