第50話 それぞれの矜持
side――ユリア・リファレス――冒険者――
兵士達の屯所にも表示されている「映像窓」には、今この瞬間も魔物の大軍から私たちの国を、暮らしを守るためにその力を行使してくださっているシン様、夜様、クレア様の様子が映し出されている。
この短い間に、なんとなく当たり前に感じるようになってしまっているこの「映像窓」すら、「救世神話」に謳われる「英雄シン」様、「吸血姫夜」様、「神子クレア」様が再臨されるまでは、私たちのような一兵卒が――いえ私の実家であるリファレス侯爵家であっても――目にする機会などあるはずもないとびきりの「逸失技術」だ。
シン様が再臨後、あっという間に世界を――どういったらいいんだろう、征服したわけでもないし、支配しているわけでもない。
ある意味ひっくり返している最中、「世界会議」がいまだ終了していないタイミングで起こった、北方ザナルガリア方面からの魔物大量発生に対応する為に、私たちはシン様の「浮島」のひとつに待機している。
千年の間にほとんど失われてしまった魔物と戦う「力」――なかでもシン様や「宿者」様方、異能者の方々が姿を消すと同時に失われた「魔力――は、再臨したシン様達の手によって取り戻すことが出来ている。
とはいえ各国の正規軍精鋭と、シン様が再興した「冒険者ギルド」に参加した私を含む約千人。
すべてを糾合しても、いまこのリィン大陸で魔物と戦える「力」を持っている――いえ、与えられている者の数は万に満たない。
それであの地表を埋め尽くす数の魔物から、戦う力を持たない人々を守らなくちゃいけない。
怖い。
「映像窓」でシン様たちが苦もなく蹴散らしている様子を見て、私の周りに居る「冒険者」となったみんなは、歓声を上げている。
でもみんなも本当は怖いはずだ。
みんな実際に「冒険者」となって、魔物と戦うという経験をしている。
それを経て強くなったし、パーティーを組んで安全に狩りをする方法もわかってきてはいる。
ギルド本部で魔力を充填してもらい、術式も使えるし回復担当だってちゃんと居てくれる。
でも魔物と戦うっていることは、犠牲者だって出る。
当たり前の事だ。
あの日、「冒険者ギルド」に登録し、みんなで強くなっていこうと気勢をあげた仲間のうち数人は、今はもうこの世界のどこにも居ない。
一旗揚げる為に村から出てきたといっていた、名前を覚える間もなかった男の子。
術式特性があるとわかって、家族に楽をさせてやるんだといっていたおじさん。
腕っ節はないけど、術式が使えるんなら私でもって言っていたお姉さん。
次は私の番かもしれない。
それに今回は魔物側から攻め寄せてきている状態なんだ。
魔力がつきそうだから、スタミナがつきそうだから安全を見て引き上げるなんてことはできない。
油断なんてしていなくたって、力尽きて魔物に貪り食われるかもしれない。
怖い。
でも逃げ出す事なんてできない。
戦う力なんて無いくせに、お父様の立場を使って近衛師団に所属していた私に、ほんとに誰かを守る力を与えてくれた。
そのシン様に、情けないところを見せるわけにはいかない。
「針突」を使える私は現時点の「冒険者ギルド」におけるトップランカーの一人になってしまっている。
「与えられた力」に過ぎないにしても、戦える事実に変わりはない。
私は――
「ユリア! 西サヴァル平原の魔物領域から相当数の魔物が皇都ハルモニアに侵攻中との知らせが入った! 出るぞ!」
「冒険者ギルド」で固定パーティーを組んでいる、リーダーのトウジさんから声がかかる。
いよいよだ。
「解りました!」
――「正しく鍛え」て、いつかシン様の隣に立てるくらい、「強く」なりたいのだから。
side――アラン・クリスフォード――ウィンダリア皇国騎士団長――
これはよくありませんね。
「映像窓」に映る、神か悪魔のごとく魔物を蹴散らすシン様や「両翼」二人を見ていますが、さすがにこいつは拙いんじゃありませんか、シン様。
こんな化け物見たことありませんよ。
騎士団長として、シン様達の「育成」の後詰に付き、巨大魔獣を倒すところは何度も見せて戴いたが、さすがにこんな山みたいなデカブツは見たこともありません。
もっとも、ダンジョンに存在できる大きさでもありませんが。
ついさっきまで魔物を蹴散らすシン様たちに歓声をあげていた部下達も、そいつが現れると同時に、一瞬で黙り込んでしまった。
これから実際に魔物に対する防衛戦を行う我々騎士団が、ここで士気を失うのは致命的といっていいでしょう。
まあ、今「映像窓」に映っている化け物をシン様たちが止められないのであれば、遅かれ早かれ結果は同じ事になるわけですが。
胃が痛い、せっかく取り戻した髪を再び失いそうです。
いえ、あんな化け物に世界を蹂躙されれば、前線で戦う私たちは真っ先に死んでしまうでしょうから、心配する必要もありませんね。
せっかく夜会でもてたのに、もったいない事です。
そう思っているとシン様が「光の巨人」に化けました。
なんですかあれは、あれが人の技だとでも言うつもりですかシン様は。
「正しく鍛えれば」あの域まで、私たちでもたどり着けると。
そんな馬鹿な。
「映像窓」に映し出される、シン様が化けた「光の巨人」に対して、部下達も声を上げるのも忘れて見入っています。
私も人のことは言えませんが。
ゆらゆらと輪郭さえも定かではない「光の巨人」は、その巨体にもかかわらずシン様が駆使する技をそのまま使い、どうしようもないと思われた化け物を一方的に蹂躙しています。
山のような巨体から放たれる、その一撃で我が騎士団すべてを消し飛ばせそうな攻撃すら、片手で弾き飛ばして苦にもしていない様子。
「団長、よくシン様に喧嘩売りましたよね……」
「……あの時はここまでとは知らなかったんですよ」
どこか放心したような副官の声に、力なく答える。
本当によくもあの程度で済ましてもらったものだと思います。
私の一人や二人消し飛ばしても、シン様たちには何の痛痒もないでしょうに。
まあそれを言うなら、今必死になって我々の世界を守ろうとしてくれていることも、考えてみれば不思議な事です。
「天を喰らう鳳」であるフィオナ様の事や、流れもあってウィンダリア皇国に好意的なのはまだ理解できますが、あからさまに喧嘩を売ってきた「救世連盟」所属の各国家をも守ろうとしておられる。
放って置いても、「天空城」を擁するシン様達ならそんなに問題ないはずですからね。
それこそ気に入った者達だけを「天空城」と「浮島」に収容して暮らしていく事も充分可能でしょう。
いざとなればそれを実行することも厭わないのでしょうけれど、シン様は。
あの人は極論すれば、夜様とクレア様が無事なら後はどうでもいいという気配がしますし。
ただ、現時点では守れるものなら守ってやろうとは思ってくださっているということらしいですね。
私や部下達にも気さくに声かけてくださいますしね。
ああ、倒した。
倒したんですよね、あれ。
なんですか最後、組んだ腕と思われる部分からものすごい光の柱放って、化け物消し飛びましたけど。
周囲から爆発的な歓声が上がっています。
それはそうでしょう、みんな間違いなく一度は絶望したはずです。
「あんな化け物に敵うはずがない」
その絶望を、正面から否定してのけて見せてくださいましたね、シン様。
ああ、私も思わず一緒になって歓声をあげています。
これはしょうがない。
戦う者にとって、人の身であそこまで到達できるのを見せ付けられれば興奮しないはずがない。
届かないかも知れないが、私もあの域を目指す。
あると示された領域を、指をくわえてみているだけなど「戦士」には不可能です。
私の部下達も同じ思いでしょうね。
そのためには意地でもここを乗り越えねばならなくなりました。
まだまだ強くなれるのに、こんな中途半端なところで死んでる場合ではないですね。
「ウィンダリア騎士団、出ます! シン様があの絶望的な化け物ぶっ倒して下さったのに、我々が魔物領域程度の雑魚から人々を守れなければ、騎士団の名折れなんてものじゃないですよ。シン様に苦笑いされながらフォロー入れられたり、麗しの「両翼」から蔑みの目で見られたい特殊性癖の者を除き、各自奮戦してください!」
「そりゃ団長の事でしょうが!」
「それはそれでいいような気もしないか? するよな? 俺だけか?」
「夜様に罵られるのか……罵ってくれるかな?」
「クレア様に踏んでいただけるのなら、足跡の型とって家宝にするぞ、俺は」
私の号令に、部下達の答えが返る。
みんなやる気は充分ですね。
うちの騎士団が変態集団だったことは今知りましたが。
大体私はマゾじゃありません、あの時はシン様の実力を読み違えていただけです。
「後出来るだけ死なないように。死ねばあそこを目指せなくなりますし、シン様にフォロー入れられる事も、麗しの「両翼」に蔑まれる事もできなくなりますからね」
「住民に被害が出ない段階では、死ぬまで戦うよりゃ逃げますよ。生きてりゃまた戦えますしね」
「最終防衛線までは、そんな殊勝な奴はいませんよ。俺達だって生きたいんだ」
いい事です。
死ぬしかないなら死ぬのも吝かではありませんが、生きられるのであれば自己犠牲など糞喰らえですからね。
「しかし団長、シン様の前ではいつまであの無骨なしゃべり方続けんです? 聞くたびに私ら笑いそうになるんで勘弁して欲しいんですが」
副官が尤もな疑問を私に投げかける。
彼が、私がシン様と会話する際岩のような無表情を維持しているのは間違いなくそのためだろう。
「いえ、最初の時に自分のあまりの負けっぷりと、直前まで堪えていた激痛のせいであんなしゃべり方になっちゃったんですよね。シン様あれが素だと思ってうれしそうな表情見せてくださったんで、期待を裏切れなくて、そのままずるずると」
「生き残ってその辺の誤解も解きましょうよ。死ぬにしてもちゃんと素の自分で覚えててもらいたいじゃないですか」
「もっともです」
さて行きますか。
シン様の加護を今現在最も受けている我が騎士団が、魔物領域の敵程度、掃滅できねばあそこを目指すなどと、とてもいえたものではありません。
全員生き残った上で、その程度はやって見せましょう。
「全軍出撃!」
side――アデル・バルフレット――商業都市サグィン総督補佐 兼 世界会議メンバー――
「馬鹿なことを言ってないで、やるべきことをしなさい。今のは冗談として聞かなかった事にしてあげます。ただしもう一度言えば「天空城」への叛意ありとし、すべての資産を凍結して放り出しますよ。――二度目はありません」
自分もそうであることが歯痒くてたまらないが、戦う力を持たない文官がみなこうだとは思いたくない。
文官だからこそ、武官には出来ない戦い方があるはずで、今はそれを発揮できる最高の舞台が用意されているというのにこの体たらくである。
「今からでも資産を持って逃げるべきでは?」
だって?
大体どこへ逃げようというのか。
今戯言を言った人物は、金貨が魔物から自分を守ってくれるとでも思っているのだろうか。
たしかに今起こっている魔物の一斉侵攻は心胆寒からしめるのには充分な出来事だ。
だが、これをシン様はじめ、今戦う力を持っている人たちが止め切れなければ、逃げたところで世界は終わる。
社会が機能しなくなれば、金など何の意味も持たないただの金属だ。
そんなもので身の安全や食べ物、贅沢な暮らしを誰が提供してくれると思っているのか。
社会が機能しなくなれば、ものを言うのはむき出しの「力」だ。
社会が機能しているからこそ、我々「文官」が「力」を持っているように錯覚されるが、それはみなが共同生活するために成立を支持している「社会」が「力」をもっており、それを引き出しやすい立場に居るのが我々「文官」であるからに過ぎない。
その社会が保障する「金」が「力」足りえるのは、社会が成立していてこそだ。
それを人の思惑がなんら関わらない魔物に破壊しつくされては、金に力なぞなくなる。
完全に人類が殲滅されるとは考えにくいが、分断され各所で自活を始める人々にとって、力とは「暴力」を意味するようにならざるを得ないだろう。
「食料」や「水」といった真に価値ある物を、「暴力」を持った存在が独占する。
「暴力」無き者は「食料」や「水」を生み出すため、もしくは「暴力」をもった存在を楽しませるために生かされる存在になってしまう。
それは今シン様が撤廃を宣言し、その方向へ一歩を踏み出した「奴隷」に、ほぼすべての人々が堕とされる事に他ならない。
そうなってしまうかどうかの瀬戸際に、金を持って逃げようとする思考がもう愚か過ぎる。
彼には遠からずその責務から離れてもらおう。
今日世界が破綻しなければだが。
今我々がやらねばならない事は、命をかけて前線で戦ってくれている「戦える人」たちが作ってくれた時間で、出来るだけ多くの人を出来るだけ安全に避難可能な準備を整える事と、事態が最悪の状況を迎えるまでは混乱を防ぐ為に、いつもと変わりない日常を演出するという、二律背反した難事だ。
そこには残酷な「選別」も含まれる。
差別といわれようが人非人といわれようが、「天空城」と「浮島」へ収容可能な人数は有限だ。
「天空城」と「浮島」を除いてこのリィン大陸が悉く魔物に蹂躙され、そこに避難した人しか生き残れないという最悪の事態も想定し、その人選もしておかなければならない。
もちろん王族貴族を優先すればそれで良しというわけには行かない。
「食料」を生産できる人々、衣服や道具を生産できる人々、それらを組織的に管理できる実務レベルの能力を持った人々、魔物への反攻作戦を実行する為に「戦える力」を持った人々。
状況次第によっては、王族ですら全員を収容することは叶わないかもしれない。
つまるところ王族とはカリスマであり、その血を残すのに充分な数が居ればそれでいい。
いやそれすらも人類社会が「天空城」と「浮島」に限定されるのであれば必要ないとさえいえるのだ。
こんな事に時間を取られる事が歯痒くて仕方がない。
頼みます、シン様。
今我々が必死で行っているこの作業が、すべて無駄になるようにしてください。
本来であれば私達は、今頃もっと生産的でもっとやり甲斐のある仕事に没頭しているはずなのです。
再興された「冒険者ギルド」に相応しい潜在能力を持った人材を発掘し、連携する事。
その戦力を以て、千年間手が出せなかった魔物領域を開放し、入植を進めること。
姿を消した「異能者」の方々を探索し、見つけ出して社会の発展に協力要請すること。
「天空城」と「浮島」という、現在の技術とは隔絶したインフラを有効利用し、より経済を発展させる事。
なによりもシン様が断行した「奴隷解放」「種族差別撤廃」を実務レベルで推し進める事。
これほど自身の能力に自信のある文官にとって、やり甲斐のある事業などそうそうあるものではない。
千年にわたって、奴隷であることが当たり前になってしまっている人々の意識改革、それを綺麗ごとだけではなく進められるように、開拓できる土地の確保と運営。
奴隷商を営んでいた者達に対する保障と、奴隷をよく知るからこそ可能な協力の取り付けと、それが利益になるような仕組みの立ち上げ。
奴隷の持ち主達への保障と、その元を離れたがらない人々が居た場合の調整。
圧倒的な大開拓時代、人の世界が広がる事を背景にした、夢物語ではない「理想的な社会」の追求に、自分の全能力をつぎ込める機会を目の前にしながら、こんなところで魔物に攻め滅ぼされるなんて真っ平です。
祈りが届いたわけではないだろう。
だが愚か者がその発言をする原因となった、人の手にはどうしようもないと思えた山のような化け物が、「光の巨人」と化したシン様の手によってたった今倒された。
魔物領域からあふれる魔物に対応する武官達の士気も否応なく上がった事だろう。
ありがとうございます、シン様。
届くことはないと知りつつ、感謝の思いを持たずには居られない。
そうだ、ここさえ乗り越えれば毎日忙しい忙しいと愚痴を垂れながら、自分の仕事に胸が張れる、やり甲斐だらけの日々が訪れるのだ。
「さあ、避難計画の骨子はまとまりました。次は前線で戦ってくれている人たちの魔力補充フローと、休息のローテーション、食事の手配確認に入ります。頭脳はフル回転でしょうがまだ叩き起こされてから半日もたっていません。我々「頭脳」を売りにする立場の人間の、ここががんばりどころですよ!」
らしくない僕の発破に、線の細い文官たちがそれでも勇ましく応じてくれる。
まだまだ出来ることはある。
シン様があんな化け物ぶっ倒してくれていることには及ばなくても、前線で命を懸けて魔物と切り結んでくれている兵隊さんや冒険者さんには及ばなくても、それでも文官である僕らにしかできないことも山ほどある。
がんばろう。
そして誰にも褒めてもらえなかったとしても、シン様の前で胸を張れる僕で居るのだ。




