第44話 夜会
夜会が始まる。
夜会といっても舞踏会よりや、晩餐会よりのものもあるが、今回はウィンダリア皇国皇都ハルモニアにおける宮中舞踏会の色が強い。
明日から開始される「世界会議」に先立って、リィン大陸を構成する大国、強国の首脳が一堂に会して交流することを目的としたものだが、主催者となっている俺――再臨した救世の英雄……って、改めて聞くとすごい呼称だな――との誼を通じさせるのが第一目的となっているらしい。
しかもその手段が、女性による――有り体に言えば色仕掛けめいたものも含まれることが、主にヨーコさんとフィオナから指摘されている。
おかげで対貴婦人の所作をこの数時間叩き込まれてちょっとぐったりしている。
今なら微笑めば、俺の歯が光るかもしれない。
とはいえそこまで露骨なものもないだろうという、ほっとさせる意見もある。
あくまで現時点で有利すぎるウィンダリア皇国と、その皇女であるシルリア姫に対する牽制程度のもので、俺がまったく相手にしないという態度でさえなければ、すぐに側付だのの話は出ないだろうというのがさっきまで俺の社交先生役を務めていた、新生アラン騎士団長のご意見だ。
いわく各国の姫君たち数人と、またいずれお茶会でもという約束さえしておけばこの場はしのげるだろうと。
その後その約束をした姫君たちが、何らかの理由をつけてウィンダリア皇国へ留学なり滞在なりをしてくるようになるそうだ。
俄かには信じられない話だが、どうもそういう状況らしい。
懇々と言って聞かされたので、そういうものとして対処する所存だ。
綺麗なお姉さま方とお話しするのは、うれしいというよりも気後れの方が先に来る。
ヨーコさん曰く「ヘタれた」部分らしいが、性分はそうそう変えられない。
だいたい相手に恥をかかさない程度には振る舞うつもりだが、今夜初めて会うような相手をいきなり側に置くつもりは毛頭ない。
あくまでシルリア姫、ひいてはウィンダリア皇国を必要以上に優遇している訳ではないと示せればいいのだ。
ある程度の優遇は、ウィンダリア皇国と俺の関係性から已む無しと理解しているだろうし。
シルリア姫に脅威を感じるなら、夜とクレアをある意味籠絡しているところが一番恐ろしいと思うんだがな、俺としては。
もう間もなくの開幕を待ち、各国の貴人たちは夜会会場である広間に各々与えられた小部屋に控えているはずだ。
俺達もその例外ではないが、とりあえず最初に参加者の度肝を抜く手を考えている。
ペースを握るのは重要だ、偉い人や女の人たちと話すのには。
「シン君かっこいいです」
「我が主の、お気に入り衣装ですわね」
俺と同じ小部屋に控えている夜とクレアが、今の俺の衣装を褒めてくれる。
夜とクレアの目に映る俺は変じゃない、とは思う。
そう信じたい。
黒髪黒目の日本人そのものの見た目の俺には、豪奢な洋風衣装よりはいくらかマシな筈だ。
有爵者大礼服。
何を思ったか運営が有料配信し、速攻で飛びついた衣装である。
黒色の立襟燕尾服型であり、肩章がついている。
衿章と袖章は緋色で、これは侯爵を意味しているがこの世界では意味はない。
釦は金地に五七桐紋が入ったもの。
さすがに飾毛付の山型帽は着用しない。
代わりに第二種帽でも被りたいところだが、無いものは仕方がない。
本来明治の有爵者のための大礼服だが、豪華な軍服のような見た目がお気に入りだ。
その上から裏地が緋色の黒色インバネス・コートを羽織っている。
とても現代日本で出来る格好ではないが、まあここは開き直りだ。
二人が褒めてくれてるので良しとしよう。
偉そうに見える効果くらいはあるはずだ。
「夜とクレアも似合ってるよ」
一方夜とクレアの衣装はかなり気合の入ったものだ。
夜は「吸血姫」のイメージをそのまま示すかのような、黒をベースに要所に紅をあしらった豪奢なゴシックドレスを身に纏い、髪は珍しくアップにまとめ上げられている。
髪型に詳しいわけもないのでなんと呼ぶのかは知らないが、晒されたうなじが強烈に色っぽい。
クレアはダルマティカ。
純白をベースに、クラヴィと呼ばれる筋飾りが肩から裾にかけて2本と袖にあり、色は金。
他にも凝った刺繍が金糸で成されている。
髪は何も手を加えずに、そのまま豪奢に波打つ金髪を流している。
身体をすっぽりと覆い、その圧倒的なプロポーションを隠してしまっているのに、それが逆に妙な色気を出している。
胸は隠しきれてないような気もするし。
二人とも、自分が好む衣装というよりは「吸血姫」「神子」として人々が期待するであろう格好を選んだのだ。
このあと、「度肝を抜く」狙いにおいてもそれは正しいだろう。
「そういってもらえるとホッとします。こういう格好も久々ですから」
「動きにくいんですの、これ」
二人とも照れ気味に答えを返す。
人々がまさに「吸血姫」「神子」と聞いて想像するような衣装に身を包みながら、本人たちは着慣れないものを着ているという気恥しさが拭えないようだ。
「いいじゃないか、美人は何着ても映えるんだから。まあ俺は二人にさえかっこいいと思われてたらそれでいいかな」
あ、いかん。
さっきまでの訓練の弊害か、日頃ならまず言わない台詞がすっと出る。
歯も光っていたかもしれん。
まあ日頃から内心思っている訳で、今はそれが出やすい状態になっているんだろう。
良しとする。
「そ、その調子ですけど、誰にでもそんなこと言っちゃいけませんよ?」
「……そういう言い回しって、破壊力抜群ですのね。危険ですわ」
こう言う台詞を言って、夜とクレアほどの美女が照れてくれると自分が本当に男前になったように錯覚するな。
いつもはいかんいかんと思うところだが、今は夜会が終わるまではその方がいいかもしれない。
「さて、はじまるね」
楽団が開幕の音楽を奏で始め、各控え部屋付の従者が扉を開けて貴賓客を会場である広間に誘う。
広間にはすでに料理や酒が並び、給仕が全ての貴賓客に対応可能なように控えている。
ウィンダリア皇国の面子にかけて総力を挙げた夜会だ、豪華絢爛の極みと言っていい。
第一回目の「世界会議」の開催地になったことは、大きなアドバンテージであると同時にプレッシャーでもあったはずだ。
料理を用意した宮廷料理人、宮廷お抱えの楽団、皇城付の給仕や従者も胃が痛いことだろう。
「明日の「世界会議」のためにお集まりいただいた各国の方々よ。開催地であるウィンダリア皇国の主として、ささやかながらも宴席を設けさせていただいた。及ばぬところもあるであろうが、少しでも楽しんでいただけるとありがたい」
シルリア姫の父親である、現ウィンダリア皇国皇帝シルウェステルの控えめ過ぎる挨拶だ。
各国との調整上、言葉も選ばねばならないのだろうが大変だなあと思う。
本来であれば開催者である皇帝の挨拶で本格的に夜会は開始されるのであるが、今回は真の開催者である俺の発言を待って、まだ本格的に動き出さない。
楽団が奏でる音楽もごく静かな、発言を妨げないものが継続されている。
夜とクレアを左右に従えた俺に、広間中の貴賓客からの視線が集中している。
緊張するなこれは。
父親の横でニコニコしているシルリア姫と、その護衛のようなポジションでこっちを無表情で見ているヨーコさんを視界に入れて、自分を落ちつかせる。
ここでかんだりした日には、何言われるかわかったものじゃない。
というかすごい格好ですね、ヨーコさん。
下品ではないですが、それ肌見せすぎじゃないですか。
「三位一体」が伝える、夜とクレアの落ちつきっぷりが頼りになるやら感心するやら。
よくもまあこの状況で鼓動の一つもはやくならないものだ。
さっきはあっさり動悸はやくなってたのに。
「集まってくれたみなさん。難しい話は明日にして、今宵は大いに楽しみましょう。料理や楽団を用意してくれたウィンダリア皇国には感謝を。そして我々から皆さんにちょっとしたサプライズがあります」
声を発した俺に客が反応し、楽団が派手な音楽を奏で始めようとする気配があったが、俺の台詞に一拍空白が生まれる。
夜の方へ視線を投げる。
「シン様の許可により、皆様を今宵、我らが居城たる「天空城」へご招待いたします。どうぞお楽しみください」
そういって頭を下げ、とびっきりの笑顔を見せると、一瞬で夜は無数の蝙蝠に分かれる。
美人の本気の笑顔ってすごいよな、わかるわかる、おもわず固まるよな。
驚く隙を自らの笑顔で奪い、この広間に存在する全ての影に夜である蝙蝠が沈み込む。
次の瞬間、限界高度まで上昇させておいた「天空城」の広間に、この広間に存在する全てを、夜が転移させる。
雲が存在する高度を遥かに超えているため、満天の星空を遮るものは何一つない。
この世界が丸い星だということを一目で理解させる、四方に広がる境界線。
もはや宇宙空間といっていい高度にある「天空城」の広間は、全天型の映像窓を展開し、まるで空中に浮かんでいるかのような映像を転移された皆に見せている。
悲鳴の一つや二つ上がるかと思ったが、あまりの事に声も出ないようだ。
貴賓客だけでなく、楽団や給仕の人たちも呆然として目に映る景色を眺めている。
自分でやっといてなんだが、俺自身も呆然としそうだ。
足元の感覚がしっかりしているから、うろたえなくて済んでいるが。
高所恐怖症の人がいても、ここまで来るとピンとこないんじゃなかろうか。
「強引にお連れして失礼いたしました。ここがシン様の居城、「天空城」、その大広間です。先ほどの広間をそのまま転送いたしましたので、このままお楽しみください」
無数の蝙蝠が集まり、再び夜の形を成して頭を下げる。
楽団が音楽を奏で始めて、皆も騒ぎ始める。
打ち合わせしておいたとはいえすごいな宮廷楽団。
驚きからの復帰がはやい、さすが宮廷専属だけはある。
完全に予想外の事だったのであろう、貴賓客達は互いの交流や俺へのアプローチを一先ず置いて、身近な人たちと興奮気味に会話を始めている。
自分たちが神話に謳われる「天空城」に招かれたことを理解して興奮するなという方が無理なのだろうし、今この大広間に映し出されている映像は、現代日本に生きる人たちであったとしても魅了するものだろう。
シャン。
という錫杖の音が、場を一瞬で静寂に戻す。
クレアが目を閉じて、これからダンスが行われる大広間中央に佇んでいる。
左手にアレスディア教を象徴する錫杖を持ち、右手には神楽鈴を持っている。
自分たちの母なる星を眼下に、満天の星空を頭上に、クレアが今から謳い上げるのは「神子」のみが許された、神に捧げる「聖歌」
この千年、神子が封印されていたアレスディア教には、謳うことを許されなかった最上の祈り。
アレスディア宋国からこの夜会に参席している人たちは、最初の錫杖の音を聞いた瞬間から教皇以下全員が膝をつき、祈りの姿勢を取っている。
感極まって泣いている者さえいる。
熱心かどうかはべつとして、このリィン大陸においてアレスディア教に関わらない人間など居ない。
アレスディア宋国の人々とまではいかないものの、全ての人が頭を垂れ、クレアの「聖歌」に聴き入っている。
心地よい拍子で繰り返される錫杖の音と、神楽鈴の響き。
歌詞のない、ただ澄んだクレアの声の音程だけで捧げられる「聖歌」が、遥か天空に浮かんでいるかのような人々の間に広がってゆく。
やがて終わりを告げた「聖歌」に、全ての人が頭を上げる。
そこには夜に負けない笑顔を浮かべたクレアがおり、今度こそ本当に夜会の開始を告げる。
「千年ぶりに「聖歌」を捧げられました。この後は皆様、心行くまでお楽しみください」
クレアのその声に、わっと歓声が上がる。
楽団はそのタイミングを外さず、華やかな曲を奏で始める。
二人とも緊張しただろうけど……あんましてないなこの感じは。
まあいい、つかみは成功と言っていいだろう。
これでこの夜会をこっちのペースで行える。
さて。
「シン君、ここで問題です。どっちと最初の一曲を踊りますか?」
「わ、私はほら、いま「聖歌」を謳った直後ですから、お先にどうぞですのよ?」
「クレア、こういうところでシン君に逃げ道を用意しない。さあ、どうします?」
やっぱこう来るよな。
と言っても俺はもともと踊りは得意じゃないんだよ、知ってるだろうけど。
「俺だけまだ何も出し物してない状態だし、あれやろうぜ夜、クレア」
「いいですわね! それはいい考えですわ我が主!」
「ぬ、うまく逃げられた気もしますが……まあいいです、妥当なところでしょう」
お許しいただけましたか。
三人で舞う、剣舞。
これ楽しいんだよな、「三位一体」発動状態でやると。
久しぶりだし、トチらないようにしないと。
何やらやりだしそうな俺たち三人に、大広間中の視線が集まっている。
とりあえずこれで俺たちの出し物終わりな?
あとはうまく夜会が進んでくれることを祈ろう。
これが終わったら、シルリア姫はじめ何人かと踊らねばならんだろうし、ヨーコさんも言ってくるだろうしな。
あのドレス着たヨーコさんと踊るのは目のやり場に困るし、夜とクレアの視線が痛い気もするけど。
まあがんばろう。




