第37話 非日常の日常
僅か数日間の出来事を境に、世界は激変した。
再臨した「救世の英雄」――つまり俺達の事なんだが――が、「天空城」を従え、実質的な世界政府であった「救世連盟」首都ロドスを急襲したのが十日程前。
わずか数時間かつほとんど犠牲を出すことなく城下の盟を誓わされた「救世連盟」は、現総督ソテルの名の下、事実上属国であったフィルリア連邦、バストニア共和国、及び宗教国家アレスディアに対して、自身の「天空城」への完全服従を宣言し、その支配下に入ることを明確にした。
ウィンダリア皇国へ討伐軍を差し向けるきっかけとなった、脱走したシルリア皇女と同じく、建前はどうあれ人質として「救世連盟」首都ロドスに滞在を強いられていた各国要人は、即日それぞれの国元への帰還を認めさせた。
帰国する要人にはソテル老からの直筆の書状が託され、間違いなく「救世の英雄」がこの世界に帰還したこと、余計な戦乱を起こすことなくその支配下に入ることを望む旨がしたためられている。
ウィンダリア皇国討伐軍として動員された各国の軍を、自国要人帰国の護衛に付ける為「天空城」の捕虜から解放し、要人と共に自国への帰還を認めた。
彼らこそが、ソテル老の書状よりも雄弁に「英雄の帰還」を語るだろう。
それに逆らうことの無謀さ恐ろしさを、現実感を伴ったものとして。
現在、本来討伐対象として扱われていたウィンダリア皇国は微妙な状況にある。
それは俺がウィンダリア皇国を冒険を始めた地、いわば故国だと認識しており、事が落ち着いた際には基本的にウィンダリア皇国の皇都ハルモニアで暮らすことを好むからだ。
当然夜とクレアが俺から離れるはずもないので、現時点で「世界の支配者」ポジションである俺達が全員ウィンダリア皇国にいることになる。
結論として、リィン大陸の政治的な中枢が皇都ハルモニアになってしまっているからだ。
事実、象徴的な存在だろう「天空城」は皇都ハルモニアの上空に存在し、「浮島:壱」から「浮島:伍」は主要国家首都の上空に展開させている。
商業都市サグィン――「救世連盟」及び首都ロドスという名称は「天空城」の支配下に入った時点で抹消し、千年前の呼称である商業都市サグィンに戻している――、フィルリア連邦、バストニア共和国、アレスディア宋国首都上空にそれぞれ「浮島」を展開し、最後の一つは千年前に魔族がその本拠地とした北方ザナルガリア地方へ配置した。
「天空城」と各「浮島」に存在する転送装置により、物理的な問題は解消されている。
俺達が協力すれば、各国首脳はほとんど時間をかけることなく実際に顔を合わせて「世界会議」を行うことが可能な状況だというわけだ。
「映像窓」を使用すれば、わざわざ集まらずとも、各国首脳がそれぞれ「浮島」に来れば「世界会議」の開催は可能だが、最初の一回は実際に顔を合わせてするべきだろう。
そのための準備に、今各国首脳は、自分がその立場になってから最大の忙しさを味わっていることだろう。
ソテル老からの話は興味深いものもあったが、現状の問題解決に直結するものはなかったので保留している。
はっきり言えば核心に迫り得る重要な情報は何も伝えられてはいなかった。
茨の冠の所有者が誓いを守らず、「宿者」をどう扱っていたのを知りながら止める手段を持たず、放置したことを悔いていた。
「宿者」同士で戦うことだけは避けねばならないとの判断から、どうしても御しきれなかったという懺悔を、一応は受け入れた形だ。
それでも許容範囲を越えていた茨の冠の持ち主達には、相応の報いを受けてもらったが。
現存する「宿者」はすべて、暫定処置として俺の「群体化」を受けてもらっている。
今は全員、「天空城」の一室でクレアの封印術式をかけて眠ってもらっている状況だ。
一度に全員を「群体化」した時は頭がくらくらしたが、言うほど違和感なく制御することができた。
失礼な例え様ながら、ファ〇ネルを制御するのはこんな感じなのかもしれないな。
複数の視点とそれを制御する主たる自分の意識を保つことに慣れれば、戦闘機動もとれそうだ。
初めて「群体化」が起動したときも思ったが、この能力こそが複垢の現実再現に最も近い気がする。
「三位一体」はうまく言えないが、似て非なる何かだ。
まあ俺の知る人も含むプレイヤーが心血注いで育てたキャラクター達を、自分の群体として勝手に扱う気はないので、今は眠ってもらっている。
どうしようもない危機が訪れれば助けてもらうかもしれないが、それまでに何らかの解決策を見つけられればいいのだが。
今俺は、皇都ハルモニアの商業地区、元冒険者ギルドのあった場所へ一人で歩いている。
基本的に中世風の街並みでありながら、ゲーム特有のSF風のギミック、たとえば街灯や噴水、大通りの主要な場所にある「転移装置」――いまは起動していないらしい――が、ここが現実化した世界であることを、これ以上ないくらい俺に伝えてくる。
ゲームとしての「F.D.O」で、忘れようもないほど覚えている街並みが、現実のものとして俺の目に映っている。
「シン」の記憶があることを差し引いても、やはり新鮮なものは新鮮だ。
最近巷で騒がれていたVRシステムが本格的なMMORPGを発売したとしてもこうはいくまい。
それほどの「実在感」が、今俺が歩を進めるこの街並にはあふれている。
何よりも遠巻きにこちらを窺う街の人々が、その「実在感」をいや増している。
あの人たちがNPCとはとても信じられない。
人質となっていた自国の皇女シルリアを救い、たった一日で傲慢なる「救世連盟」を解体し、今も頭上に存在する「天空城」の主にして、神話の時代から現世に再臨した「英雄シン」
同じく神話世界の住人である「吸血姫夜」「神子クレア」を神話通り両翼に従えて、世界を正しい方向へ導くために行動している。
それが今のウィンダリア皇国、いやこの数日間で激変した世界に住む人々の共通認識だ。
正確にはだいぶ違っているが、まあしょうがないよな。
我ながら派手すぎる行動だったし、もともと神話にも俺の故国として謳われているウィンダリア皇国の人々は、特に俺に対して好意的だ。
こんな仮面をかぶっていても。
これ外すタイミング難しいよなあ、下手すると「贋者だ!」って指差されることになるかもしれないと思うと、胃のあたりが重くなる。
そうなるとまた、夜とクレアが怒るだろうし。
どうしたものか。
まあ今は、この仮面と左肩の黒竜のおかげもあり、簡単に話しかけられない空気ができているので良しとしよう。
皇都の人々が守護召喚獣として崇める、「天を喰らう鳳」であるフィオナからの「妄りに話しかけてはならない」というお達しが行き届いているだけで、「英雄シン」は仮面を愛する痛い人だと思われている節が無きにしも非ずな気はするが。
夜とクレアは、それぞれ騎士団の訓練と、「強化術式部隊」の強化、魔力補充をしている。
「三位一体」を通して、彼女らが今何をしているのかを正しく掌握できている。
戦闘機動に入っていない現状では、彼女らの行動は彼女らの意志に沿い、俺は彼女らの視覚をはじめとした感覚を共有している状況だ。
「宿者」全員の「群体化」が完了し、「天空城」の一室で眠りについてもらった時点で、「三位一体」は再起動し、「群体化」の能力は停止した。
俺の左肩が定位置となった「黒い竜」は消えることはなかったが。
それ時以来、俺は自分の意志? で形態を切り替えることが可能になっている。
疑問形なのは、「三位一体」から「群体化」に切り替える際、俺の左肩に止まる「黒い竜」――名まえ付けてやらんといかんかな、クレアが喜んで考えそうだが。いや意外と夜も――に合図と言おうか視線と言おうか……
ふと視線を黒竜へ向けてしまう。
何を考えているのか読み切れない、よく見ると小さいだけで威厳溢れる顔を、少しかしげる。
こういうのを可愛いというんだろうか、クレアは。
あ、いかん。
「神の目」が立ち上がり、赤字のログが流れる。
『形態:至聖三者PATER:停止。「三位一体」を一時停止』
『形態:七罪人ira:起動。コード「Satan」を起動』
「三位一体」が停止し、夜とクレアからの感覚を喪失する。
それと同時に、「天空城」の一室で眠る、凜さんをはじめ複数の「宿者」が俺の「群体」として起動したことが認識できる。
おそらく俺がそう思考すれば、彼らはクレアの結界術式など軽々と無効化して動き出すだろう。
こんな風に、どうやら「至聖三者PATER」から「七罪人ira」への形態の切り替えは、この黒竜が行っているとみて間違いない。
ちなみに「七罪人ira」から「至聖三者PATER」への形態切り替えは俺の意志で出来る。
さっさと戻さないと、夜とクレアがうるさい。
なぜか一度「三位一体」が切れてからこっち、二人とも「三位一体」が発動しているか否かをかなり正確に把握できるようになっている。
なぜだ。
勝手に俺が「三位一体」を切ると大変ご立腹されるので、さっさと戻す事にする。
さっきと逆のログが「神の目」に映し出され、「三位一体」が再起動。
夜とクレアの感覚が……
「シン君! 何かありましたか?」
「我が主、何事ですの!」
遅かった。
一日一回しか使用できない、パーティー指輪の「リーダーの場所へ瞬時に移動する」という機能をあっさり使って、俺の目の前に現れる。
ぬあ、酔う酔う、視界が復活すると同時に転移系エフェクトはきつい。
俺一人の時は、視線をこちらに向けながらも遠巻きにするだけで騒ぎを起こしていなかった街の人々が、一斉に歓声を上げる。
そりゃまあ、「吸血姫夜」と「神子クレア」が目の前に現れればこうなるか。
「救世神話」がもともと市井の人々の間ですごく親しまれていたこと、その「救世の英雄」が再臨してからの行動が、少なくとも今のところ人々にとって喝采に足るものであることから、特にこの二人は物凄い人気だ。
美人だしね。
それでも「天を喰らう鳳」フィオナのお達しを律儀に守って、近づいて話しかけてきたりはしない。
我関せずの夜と、少し照れながら手を振ったりしているクレアに歓声が大きくなる。
これ男より女の声の方が大きいのはどういうことだ。
『夜お姉さま、クレアお姉さま、何してらっしゃるの! シン兄様は地味だから一人で街に出ても騒ぎになりにくいのでいいのですが、お姉さま方が揃って街に出たらこうなることくらいは理解してください!』
念話でフィオナからお叱りを受ける。
地味て酷いな、フィオナ。
こんな仮面被って、左肩に黒竜止まらせた男が地味なわけあるか。
『ごめんなさい。シン君がまた勝手に「三位一体」を切ったので……』
『我が主がいけませんのよ。街中とはいえ何があるかわからない状況で不用意に「三位一体」を切れば不安に、いえ心配になるではありませんの』
俺は子供か。
いや二人が子供なのか。
『シン兄様……』
『ごめん、考え事してたらつい』
まあいい、来てしまったのであれば一緒に元冒険者ギルドまで行く事にしよう。
ここで追い返したら機嫌が悪くなることは確実だし。
「まあ合流ついでだ、一緒に元冒険者ギルドまで行こうか」
「はい」
「もちろんですわ」
各国家の偉い人たちが「世界会議」に向けて準備にてんてこ舞いしている間、俺達は俺達で日々忙しくやるべきことをやっている。
毎日皇都ハルモニアの地下迷宮に潜っての、俺たち三人のレベル上げ。
騎士団と「強化術式部隊」に対する魔力補充と強化補佐。
有為な人材を選出してのレベル上げによる、戦力増強。
これはシルリア姫をはじめとした何人かに対して行い、今はもう彼らは安全圏で自分たちだけで育成に入る段階まで来ている。
経過した時間と照らし合わせれば、順調すぎるくらい順調に進んでいる状況だが、いくつか懸案がないでもない。
その一つが、今から向かう「元冒険者ギルド」だ。
「本当に無くなってしまってますのね、冒険者ギルド」
「意外……でもないですか」
そう、千年前には隆盛を誇り、国家とも対等に交渉できるくらいの組織であった「冒険者ギルド」は、千年後の世界ではその姿を消している。
魔力を失い、術式や魔力系スキルの使用が不可能となった人々にとって、魔物と戦って稼ぐ「冒険者稼業」は、危険を通り越して無謀なものになってしまったのだろう。
「宿者」が姿を消し、強力な魔物に対抗可能な存在がいなくなってしまったことも影響したのかもしれない。
ゲームとしてやっていた俺の記憶では、冒険者ギルドで「クエスト」を受け、こなすのは「プレイヤーキャラクター」、すなわち「宿者」のみだったが、「シン」の記憶ではこの世界の住人達にも多くの冒険者はいた。
であれば「冒険者ギルド」を復活させ、この世界の住人達自身に戦う力を取り戻してもらうことは悪いことではない。
千年前のようにはいかないかもしれないが、俺たちがいれば使い切りとはいえ「魔力」の補充は可能だし、小規模で再開すれば短期間のうちに「戦える戦力」を整えることが可能になるかもしれない。
組織としての運営は、各国家の頭のいい人たちに任せるとして、まず立ち上げてみることは必要だ。
その際、「救世の英雄」の名と存在はいい宣伝要素になるだろう。
その下見のために、俺は「元冒険者ギルド」の建物に向かっていたのだ。
「魔力抜きで魔物と戦うのは確かになあ」
「厳しいですもんね」
そのため、「冒険者」というものではなく、数と装備と訓練で何とかする「傭兵団」というのはいくつか存在するらしい。
各国の正規兵の手が回らない魔物討伐や、開拓のための魔物排除に雇われてその任務をこなす存在。
どちらかといえば王家ではなく、貴族や資産家に雇われて動くことが多いそうだ。
千年後の世界では、「冒険者」というのは子供の絵本か、お遊びの中にしか存在しなくなってしまっている。
「でも、冒険者がいない世界なんてさみしいよな」
「なんとなく同意できますわ」
「確かに」
異世界に来た身としては、是非冒険者登録をする際に絡まれたり、夜やクレアにちょっかい出そうとした先輩冒険者をあっさりあしらって、ギルドの登録担当のお姉さんに驚かれるとかしてみたかったものだが。
そううまくはいかないものだ。
ここまで目立ってしまっては、冒険者ギルドがあっても不可能だっただろうけども。
いや、立場を隠して登録するという、これもまたお約束の……
「シン君、悪い顔」
「ほんとにクエストお好きですわね、我が主。千年前も時間があればずーっと受け続けてましたものね」
ああ、うん、好きなんだクエスト。
ランクが上がっていくのも、ちょっとした物語があるのも。
なんとか「冒険者ギルド」を再興して、千年前のような活気ある組織にしたい。
それに冗談じゃなく、世界の人々を戦えるようにするのは重要な気がする。
今行っている「奴隷制度」の停止と奴隷解放も、ちゃんとした雇用に切り替えると言っても、今の状況より大きな利益を生む仕組みを作らなければ破綻するだろうっていうのは、素人の俺にもなんとなく理解できる。
それなら「冒険者ギルド」を再興し、魔物から採れる素材や肉、時にドロップする有用なアイテムは、千年間それを大規模に得ることができなかった経済を活性化させるはずだ。
魔物を討伐して開拓可能になった土地も、利益を生むだろう。
「浮島」五つを開拓したところで、受け入れられる人数などはたかが知れている。
空中都市っていうのには憧れるので、実行するつもりではいるけれど。
実行面での難しいことは、専門家たちに任せるしかないとしても、俺達に出来ることをやっていくのも大事なことだ。
それがこの世界の「戦う力」を底上げするのであれば申し分ない。
ダリューンが何を画策しているのかはわからないが、それに対抗可能な力は、俺達限定というわけじゃない。
ダリューンに報いを受けさせるのは、今のこの世界の住人こそがふさわしい気もする。
この世界の住人であるダリューンが、この世界の住人に酷いことをしたのであれば、その報いを「英雄」にやってもらうのではなく、自分たちでこそやりたいものじゃないだろうか。
あいつが酷いことをやった理由も、これからやるであろう事の理由も「俺」にあるから、俺が決着をつけることに否やも躊躇いもない。
でもあいつが画策していることを、俺や夜やクレアじゃなく、あいつが踏みにじったこの世界の人々に阻まれた時の顔を、見てみたい気もする。
余裕ぶってる場合じゃないことはよく理解している。
自分の望みをかなえるために全力でやれることをやる。
赦すとか赦さないとか。
全てはまず勝ってからだ。
今は「冒険者ギルド」の再建に集中しよう。




