第35話 謙和恭順
「救世連盟」首都ロドス上空に到着した。
数時間で到着すると思っていたが思いのほか時間がかかり、もう日が落ちている。
夜の時間だ。
今回の接近ははじめから「防御機構」を切っているので、必要以上の騒ぎは首都ロドスに発生していない。
暴動や避難騒ぎに繋がるような騒ぎが起こっていないだけで、充分な騒ぎは発生しているが。
上層部だけしか詳しい事は知らないだろうが、市井の人々もウィンダリア皇国へ向けて一万もの軍勢が出立したのは目にしていただろう。
出陣パレードなどもあったはずだ。
千年の覇権、世界の中心で在り続けた「救世連盟」首都ロドスの人々は、今回の戦も自国の勝利を微塵も疑っていなかったのだろう。
だが馬鹿でなければわかる。
他国に戦争を仕掛け、自軍が帰還せぬまま他国の軍勢が、自国の首都へ迫る意味くらい。
信じられない気持ちも、もちろんあるだろう。
さすがというのも業腹だが、ダリューンが構築した国防の仕組みは優れている。
ただの大軍を動員したところで、そう簡単に首都であるロドスへ矛を届かせる事は難しい。
地の利と、そこへ薄皮のように幾重にも構築された防衛拠点、縦だけではなく横の連携で攻め入る敵を迎え撃てるように配置されている。
一点突破したとしても、侵攻した敵部隊の背後から攻撃可能な配置は、それこそ「救世連盟」以外の全国家が全方面から侵攻を開始してたとしても相当の期間、持ちこたえる事が可能なように計算されつくされている。
だがそれも、「天空城」には何の意味もなさない。
すべての防衛力を無視して、直接首都ロドス上空に到達している。
通過ルートの防衛軍、知らせを受けた他拠点の軍が即応したとしても、もう間に合わない。
間に合ったところで、敵対するなら叩いて潰すだけだが。
お前達が誰の逆鱗に触れたか思い知らせてやる。
ダリューンという先人が築いた「選民国家」に胡坐をかき、終わるはずだったこの世界の継続に尽力した「宿者」――プレイヤーキャラクター達――にした仕打ちがどういう報いとなって帰ってくるのか充分に理解してもらう。
奪うものは奪われる覚悟を。
殺す者は殺される覚悟を。
支配するものは支配される覚悟を。
そんな話じゃない。
自分達が無自覚にやっていた事が、自分達が敵わない相手の尻尾を踏んだとき、理非善悪の区別なく磨り潰される事実を思い知るがいい。
俺はこれからする事に、その自覚を持って望む。
正義じゃない。
復讐でもない。
自分が許せぬと思うことをやった相手を張り倒し、自分の大事なものに少しでも危害を加える可能性があるものを根切りにする。
全面服従するならそれでよし。
そうでないならば取り得る手段のすべてを使って、俺にとっての脅威を排撃する。
自分が同じことをされる可能性も理解したうえで、それでも俺はこの手段を取る。
さあ行こうか。
「夜」
「はい」
俺の合図で夜が「天空城」の機能を操作する。
「逸失技術」の一言で、大概の事が成立してしまうゲーム的ファンタジー世界は実に便利だ。
もしかして俺が必要だと思った機能が、後付で付与されているんじゃないかと疑うほどに。
確か以前にもふと一度思ったな、世界が、俺の意識の覚醒と共に出来たんじゃないかと言う妄想を。
今はそんな取りとめのないことを考えている時でもない。
この瞬間に、首都ロドスのすべての人間が見ることが可能な「映像窓」が、無数に発生している。
そこには黒衣に身を包み、「七眼九尾の黒獣」の仮面を被り、左肩に黒竜を従えた俺を中心に、右側に和装の夜、左側に白と金のドレスアーマーに身を包んだクレアが立った映像、つまり今の俺達の姿が映されている。
夜とクレアは仮面をつけては居ない。
誰が見ても、「救世神話」の登場人物である「吸血姫夜」と「神子クレア」である事を理解できるだろう。
巨大な浮島を伴った「天空城」と共に現れ、「逸失技術」を駆使している時点で、偽者かどうかを疑う余地もあるまい。
俺の仮面はしょうがない、最初に誰あれ? と思われるわけにもいかないし、二人を従えていればわざわざ言わずとも「英雄シン」だと思ってくれるだろう。
腹の中に渦巻く怒りを隠すことなく口を開く。
『「救世連盟」の首都ロドスを支配する者共よ。貴様らが誰に剣を向けたのかを、この地に住む全ての者達にわからせに来た。貴様らは我々を知っていたはずだ。その復活も。その上で剣を向けた報いを受けよ』
首都ロドスのあらゆる場所に映し出されている「映像窓」から俺の声が響く。
俺達の目の前に表示されている、首都ロドスに表示されているのと同数の「映像窓」に表示される、それを見る人々の表情が凍るのがわかる。
自分達の頭上を埋め尽くす、五つの浮島とそれを従える「天空城」
今自分たちが実際に目にしている、「逸失技術」による「窓」に映っている人物。
それは神話でよく知る「救世の英雄」としか見えまい。
そして隠しもしない、俺の声に滲む「怒り」の感情。
何のために「救世の英雄」が、「天空城」がここに現れたかをこれですべての人々が理解しただろう。
「映像窓」に映し出される画像を切り替える。
最初、小さな黒点のように映ったものが何かは理解できないだろう。
だがそれは徐々に拡大されてゆく。
さすがに音声は切っているが、その映像は「天空城」から、首都ロドスの総督府にむかって降らせた、三人の映像だ。
映っているものがなんなのかを理解した人々が、悲鳴をあげる。
息を呑む音や悲鳴が混ざり合い、首都全体が声を上げたように聞こえてくる。
この三人は最も効果的に殺すと決めていた。
涙と涎でぐちゃぐちゃになった三人の顔が映し出されたあと、一気に映像は引く。
総督府の中央に聳え立つ三本の塔の先端に、遥か上空から降ってきた三人が突き刺さり、その衝撃でバラバラに弾け散る。
今回ははっきりと首都中から悲鳴が上がった。
『我々に剣を向けた指揮官共の末路だ』
自分がもっと動揺すると思ったが、出てきた声は我ながら冷徹な色をしている。
何の後悔もない。
あっさり殺しすぎたかとさえ思う。
再び俺達三人に切り替わった映像の前で、俺の声を聞いた人々が凍りつく。
『素直に報いを受けるつもりがあるなら、今から一時間以内に総督府の三塔すべてに白旗を掲げ、主要な人物を総督府広間に集めよ。茨の冠を持つものは全員だ。出来ねば次は貴様らが派兵した一万と、各国から出させた各五千、二万五千の兵を首都中に降らせてやろう。その後は首都ロドスを殲滅する』
悲鳴も、怒号も上がらない。
自分達の指導者が俺の要求に従わない場合、逃れようもなく自分たちは死ぬしかない。
それを理解するしかない状況だ。
「救世の英雄」どころか「魔王降臨」そのものだな。
どこかから勇者が現れそうだ。
そんな者が本当に居るなら、プレイヤーキャラクター達を先に救うべきだが。
ここまでのことをすれば、確実に暴動が起こる。
今の茫然自失状態を抜ければ、住民は我先に逃げ出すだろうし、巻き込まれて命を落とすものも大勢出るだろう。
だが指導者共が指示に従わねば、俺は言った事を確実に実行する。
躊躇いはない。
俺には首都ロドスどころか、この世界すべてより優先するべきものがある。
そう思い定め、茫然自失から抜ける住民達の狂乱が始まるのを覚悟していると、総督府三塔の上部に巨大な映像窓が展開される。
さすがに世界の指導者を自称する「救世連盟」、「映像窓」程度の「逸失技術」は所有しているという事か。
全住民の視線がそちらへ集中する。
そこに映っているのは、いかにも指導者階級と見える複数の男たち。
その中でも中央に立つ老人が、歳を感じさせない声を発する。
『再臨された「英雄シン」様とその両翼、「吸血姫夜」様と「神子クレア」様。すべて指示に従います。お怒りを鎮めて下されとは申せませぬが、せめて弁明の機会を戴きたく、伏してお願い申し上げます。我ら全員の首を差し出す事も厭いませぬゆえ、罪なき首都ロドスの住民には何卒御慈悲を』
そう告げると、「映像窓」に映る全員が地に頭をつけて平伏する。
この事態はすでに想定済みという事か。
ダリューンが、茨の冠を与えた時点で、もし俺達が再臨した場合、その逆鱗に触れることを予測できていなかったはずがない。
あそこで平伏している何人が、ダリューンの思惑を正しく理解しているかは不明だが、少なくとも声を発した老人――おそらく現総督だろう、つまり今の世界の王だ――は間違いなくダリューンが残した指示に従って動いている。
「天空城」を確認した瞬間から、指示通り動き出しているのだろう。
会見へ向けての「演出」は不要だったな。
そう理解しても、あの三人を殺した事に後悔の念はわかない。
どうあれ殺すつもりだったし、他の茨の冠の持ち主達も殺すべきやつは殺す。
そこに迷いはない。
なにが狙いかは解らないが、まあいい望むところだ。
『いいだろう。今からそちらへ出向く。待っていろ』
『御慈悲に感謝します。首都ロドスの住民よ。御慈悲は戴けた、今は落ち着いてそれぞれ控えて居てくれ。これで騒ぎを起こせば、慈悲無き鉄槌が下ると心得よ』
なるほど。
ここまで準備周到ということは、首都の各地に、万一の暴動鎮圧のための兵も配している事だろう。
混乱を最低限に、ここを乗り切る自信、根拠があると見るべきか。
こちらの「映像窓」を切る。
「シン君、これ……」
「可能性はある。だが予定通りで」
「了解ですわ」
向こうも思惑通りかもしれないが、こちらも望みどおりの展開だ。
罠があるなら、罠ごと喰い破ってやる。
どうあってもここで、夜とクレアに対する後顧の憂いは断つ。
「夜、頼む」
「……わかりました」
「吸血鬼」のスキルである「影渡り」で総督府の広間に直接移動する。
そう時間が経過していないにもかかわらず、広間には多くの人間が集まっている。
みな一様に緊張した面持ちだ。
それは先ほど声を発した老人も変わりはない。
今の世界を統べる場所にたる豪華絢爛な広間の中心に、僅かな影から俺達は姿を現す。
「吸血鬼」のスキルなど、神話の彼方に逸失した人々にとっては驚愕の出来事なのだろう、全員が滑稽なくらい一瞬で固まった。
いつも通り俺が中央に立ち、少し後の右に夜、左にクレアが控える。
俺達三人を目の当たりにした全員が、最初に膝を折った総督であろう老人に従って膝を付き、頭を下げる。
震えている者も多い。
罠などを仕掛けているような空気ではないな。
全員が平伏したまま、沈黙を守っている。
こちらからの許可を得る前に、自分から発言することはないらしい。
ダリューンの癖そのままだな。
「名は?」
「現「救世連盟」総督、ソテルと申します」
敵対しようとする意思はまるで見受けられない。
少なくともこのソテルと名乗った老人、実質的にこの世界の王といってもいい立場に居る老人は、「神話」の人物である俺達にあえた事に喜んでいるようにさえ見える。
だがこの老人ほか数名を除けば、この場に居るものに共通しているのは「恐怖」という感情だ。
「絶対者」の尻尾を自分達が思い切り踏みつけた事、それに対抗する手段がないことを理解しているからだろう。
さっきこの総督府に降った三人は、いずれも茨の冠を持つ貴族達だ。
それがなす術なく殺されたということは、自分達の「宿者の抜け殻」を持ってしても、俺達に勝てない事を指し示す。
数の力で押すという考えの者も居るかもしれないが、敗北がそのまま死に繋がる事は先の三人から明確だ。
故に「恐怖」をこらえて膝を屈しているのだろう。
「ではソテル。今から聞くことに知っている限りのことを話せ。貴様らの処遇はその後決める」
「承知しました。知る限りの事を偽りなく答える事をお約束します。その前にひとつよろしいでしょうか」
「話せ」
「ダリューン様より、代々申し付かっております。シン様が再臨なされた際、我々の「宿者」様への扱いを、決してお許しになられないだろうと。いつ再臨なされるかは解らないが、なされた際には茨の冠の持ち主全員の首を差し出せと。それだけは守らねば、この世界はシン様に否定され、この世界の住人すべてがシン様の敵となるだろうと。この場に茨の冠を持つものは全員集めております。「宿者」様のお身体は別室にすべておいでいただいています。まずは私を含めた茨の冠を持つ者への断罪を」
一息に長い台詞を告げる。
ダリューンあの野郎。
やっぱりすべてをわかった上でこの所業か。
俺の怒りに反応したのか、左肩の黒竜が一声啼く。
「貴様を殺せば、誰が俺の質問に応える?」
何とか怒りを飲み込んで問えば、ソテルの脇に控える少年が一段と頭を下げる。
「我が孫のアデルがすべてを。この者はまだ私から茨の冠を継いではおりません。最終的に処断されるにしても、シン様の御下問に答えることは出来るよう仕込んでおります」
怒りのぶつけ所を失った様な気がして、喚き散らしたくなる。
ダリューンあの野郎、なに考えてこんな仕込みをしたんだ。
「ソテル老! そんなことは聞いておりませんぞ。わ、私たちはっ、世界を維持するため代々与えられた茨の冠と「宿者の抜け殻」をもって尽力してきたのだ! なぜ処断されねばならぬ!」
助かった、俺が喚きだす前に馬鹿が暴発してくれた。
なるほど、ダリューンの思惑を知るのはごく一部の者だけか。
いや本来は茨の冠を持つものすべてが継承するべきものだったが、千年の栄華の中で腐れ落ちた結果か。
喚き出した者に同調して騒いでいるものが十数名。
変わらずに膝を屈し、頭を下げている者はソテル老と孫のアデル以外に二人。
なぜダリューンの思惑を外れて暴走する者を座視し続けたのか。
なぜ継承が出来ている者たちと、暴走する者たちに別れたのか。
聞かねばならないことは多いようだ。
「貴様らも継承の際に誓ったであろうが! それを誓うからこその茨の冠継承であろう。恥を知らんか!」
ソテルが一喝するが、茨の冠を持つ者すべてが俺に断罪されると聞いて暴発した恐怖がそんな一声で収まるわけもない。
総督の権限がもっと絶対的なものであれば、茨の冠を腐った使い方をする者などそもそも居ないはずだろうし。
「知らぬわ、そんな黴の生えた継承の儀の文言など。それにそこの仮面が本当に「英雄シン」である証拠はあるのか。本物であるならなぜ怪しげな仮面などを被っている! だいたい……ぎゃあああああああ」
くそ喧しいし、今騒いでいる連中がプレイヤーキャラクターを碌でもない扱いしていたことは間違いないだろうから、片腕くらい切り飛ばしてやろうかと思ったら、夜とクレアのほうが速かった。
「我が主に暴言を吐く愚か者は他に居ませんの?」
「シン君がお話ししているのにうるさいですよ?」
ああ、この二人怒らせたら駄目だって。
俺なら片腕くらいで済ますのに、騒いでた全員地に伏している。
何のスキルを使ったのか知らないが、相当な苦痛を与え続けられているようだ。
殺した三人ほど屑じゃなければ生き残る可能性もあるのに、無駄に騒いで余計な苦痛味わう事もなかろうに。
怒りはまだ消えたわけじゃない。
茨の冠の始末もまだ完全についたという保証もない。
だが今この世界を統べている「救世連盟」は完全に恭順の意を示している。
十数名の同僚が白目を剥いて痙攣しているのに、頭を下げたまま微動だにしない二人は、ソテル老と同じく、ダリューンの意志を正しく継承している者達なのだろう。
なぜこんな迂遠な手段を取ったのかも含めて聞くべきことは多くある。
「ソテル老。あなたが選んだ人間と共に、我が「天空城」へ来ていただこう。同時に「宿者」もすべて収容する。よろしいか?」
「仰せのままに」
聞かせてもらうぞ、ダリューン。
この反吐の出そうな世界にした理由を。
俺が怒ることをわかった上で、プレイヤーキャラクターをこう扱った理由を。




