第31話 本物の贋者
戦場になるはずだった場所を、奇妙な沈黙が支配する。
頭上を埋め尽くすかの如き、天空に浮かぶ複数の大地。
彼らが神話でよく知る「天空城」を中心に、幅七キロメートルに渡って横に並ぶ浮島の威容。
眼前まで迫っていた、自分たちに逃れようのない死を与えるはずだった雷雲渦巻く六柱の竜巻は、その轟音と共に、突如として跡形もなく消えさった。
画面を突如切り替えたように晴天を取り戻した空に、「圧倒的に巨大なもの」が静かに浮いていることが、より一層現実感を奪う。
その光景がついさっきまで「軍」であった集団を、ただ武装した人の集団に変えてしまっている。
これが十万の軍勢が迫ってきているというのであれば、軍として、兵士として何らかの動きを取ることもできるのだろう。
だが手の届かない天空の高み、「敵」と称していいのかどうかすらわからない状況で、どんな行動が正解なのかわかるものなど一人もいない。
とはいえ、沈黙が永遠に続くわけもなく、いずれ念話を中心に声は戻ってくるだろう。
ただ敵を殲滅することが目的であるなら、今この瞬間の呆けたような状況に突撃を行えば、ほぼ間違いなく勝てる。
それにそれを言うなら、防御機構を解除することなく、そのまま「天空城」で磨り潰していれば事は済んだ。
だが本当の目的を効果的に達成する為には、タイミングが重要だ。
5、4、3、2、1――0。
自失から抜け、目前に迫った死も当面遠のいた為、自分たちが「軍」であり「兵士」であることを思い出した者たちが、声を発そうとしたまさにその瞬間。
竜巻によって巻き上げられていた岩や木々、地表を抉り取った土塊が、天空から地上に降り注ぐ。
あまりの巨大さのため、真上にあるように錯覚する「天空城」と浮島だが、実際は二万五千の兵たちから、ある程度距離は開いている。
とはいえ、幅七キロメートルの長さに渡って天空から降り注ぐ、岩土、木々で出来た大瀑布を目の当たりにして、再び声をなくす二万五千の兵たち。
山ごと崩れ落ちるような大轟音が消え去るのを待たず、それ以上の大音が二万五千の兵士ら悉くの脳内に、「念話」で響く。
『聞きなさい、無用な戦を起こそうとする兵たちよ』
クレアの凛とした声。
こういう役をやらせて、クレアの右に出るものはいない。
だからこそ「神子」として選ばれたのだ。
アレスディア教で神の姿は金髪金眼で描かれ、同じ特徴を持つ人間は「神子」候補としてただそれだけで保護対象とされる。
その中でもクレアは、「神子」候補として幼少時から神童の声も高く、故にこそ長じた後の自由奔放な行動――我が侭放題ともいえる――を権威的にも、能力的にも止め得る者がいなかった。
自由にさせるしかない神の現身とまで言われたクレアが、どこの馬の骨ともしれぬ連中――つまりは俺と夜の事だ――と冒険を開始した時など、教会に近寄るのを避けざるを得ないほど大騒ぎになった。
まあ結局それを切っ掛けに「救世の英雄」の一角となり、「神子転生」も行い、今に伝わる「救世神話」となるわけだが。
あの後詳しく調べた、今の世界に伝わる「救世神話」におけるアレスディア教会は、「英雄シン」とその両翼たる「吸血姫夜」と「神子クレア」の忠実なる協力者として記されている。
最初はクレアの目がないところでは、俺と夜を汚物を見るような目で見ていたくせに、魔王討伐に至る過程で魔族を倒すたびに態度が変化し、魔王討伐の暁には、最初に俺を「救世の英雄シン」と呼びやがったいけ好かない教皇、ヒギヌスのじじいも聖人君子だ。
その後、教皇なんてものがいかに大変かを酒飲みながら、子供のシンに語ってからはけっこう仲良くなったけれども。
この辺、「俺」の覚えているゲームである「F.D.O」での教皇ヒギヌスは、「救世神話」にあるとおりの聖人君子、好好爺だったな。
千年前の世界で「聖女」とまで称された「神子クレア」の声は、アレスディア教を信じるリィン大陸の住民にとって、無視できる代物ではない。
とはいえ、頭に響く声だけでは、それが伝説に謳われる「神子クレア」のものであるとわかる者はさすがに一人もいない。
ある程度の危険を冒してでも、姿をさらす必要がある。
「念話」の存在を知悉し、軍の運用に活かしてさえいる「救世連盟」だからこそ、自分たちの制御の及ばない状況で、「逸失技術」である「念話」を使われたことに動揺する。
彼らの使用するシステムでは、「天空城」がもつ上位システムの干渉を排除することは不可能だ。
こちらの声を止めることは叶わず、こちらの制御で彼らの念話を完全に阻害する事もできる。
これ考えてみたら、怖い話だな。
おそらく何らかのアイテムとして運用しているのであろうが、上位システムとして「呪い」をかければ勝手に外すこともままならなくなる。
その上でずっと「ジャイ〇ンの歌」でも流してやれば、気が狂うだろう。
いや、俺の歌がジャイ〇ン級ということではないが。
ああ、魔力が尽きたらそれまでか、「レ〇ルE」みたいには行かないな。
クレアの声に、反射的に「天空城」を見上げる兵士たちの表情が、夜が操作する無数の映像窓に表示されている。
ここまでは完全に出鼻を挫くことに成功している、と言っていいだろう。
組織的に動ける状況を恐慌状態に陥れて吹き飛ばし、その恐慌状態を防御機構の停止と「天空城」の出現で強制的にリセットさせる。
人はあまりにも驚くと一定時間思考が停止する。
俺の場合なぜか自分でもよくわからない笑いがもれることが多いが。
映像窓にはそれに近い表情をしている兵士にも幾人かいる。
友達になれるかもしれんな。
その上で自分たちの専売特許であると確信していたであろう「念話」を使い、クレアの声で一斉に注目を集める。
さてここからが重要。
「神子クレア」の降臨と、殺さない程度の「蹂躙」だ。
痛くなければ覚えませぬ。
その上できちんと回復すれば、二万五千の「宣教者」が出来上がる。
……予定だ。
どうせ暴発する連中はある程度いるだろうし、それはねじ伏せられるはずだ。
そのために俺と夜も一緒に地上へは降りる。
何かあった際は、計画をすべて放棄してでもクレアの安全を優先する。
まあそんな阿鼻叫喚になることはないだろうし、そうであるように慎重に事を進めよう。
予定通り、強化術式の派手なエフェクトに身を包んで、クレアが二万五千の前に姿を現す。
「浮遊」術式を使用し、全員から見える位置に浮かんでいる。
「三位一体」のおかげで、俺の感覚も空中にいるクレアと同じだ。
うわあ、これは金玉きゅっとなる。
高い高い高い、もうちょっと高度下げませんかクレアさん。
「天空城」や乗物系であれば平気だが、術式が発動しているのを理解できてはいても、己の身一つでそれなりの高度に浮かんでいるのは心臓に悪い。
万が一に備えて、すでに視覚阻害術式をかけた上で地上に転移済みの俺と夜だが、空中のクレアの感覚を受けて、地上の俺の金玉竦みあがるってなんか納得いかない。
クレアにはないしな、竦みあがるものがそもそも。
しかし慎重に装備選んでいると思ったらそりゃそうだよな。
あれはチョイスしくじったら下から見える。
聞きなさいと言い放ちながら現れたくせに、次の言葉を発さないクレアは、俺たちの目から見れば突っ込みを入れたくなるが、地上の兵士たちにとってはそうではないらしい。
遠見用の双眼鏡などで、クレアの姿を確認して驚きの声を上げ始めている。
うん、直接見れば神話に謳われる「神子クレア」と一発で分かるよな。
「救世神話」の絵師さんは優秀。
おかげで俺は、この後の蹂躙劇で「救世の英雄」三人の中で一人だけ贋者がいた、などと言われないように仮面着用だ。
くっそ、俺の正体を隠すために夜とクレアに仮面付けさせる方向だったのに、どうしてこうなった。
なぜか夜は狐面を阿弥陀被りすることが気に入ったらしく、今もつけているが。
俺はいっそ開き直って、思いっきり痛い仮面をチョイスした。
「七眼九尾の黒獣」を模した、白地に紅い七眼をあしらっているそりゃもうかっこいい仮面である。
正直ちょっとつけてみて高ぶるものがあった。
やばい、仮面やばい。
「念話」を封じられた兵達が、己の声でお互いがあれは「神子クレア」ではないかという確認を重ねている。
その上で次のクレアの言葉を待つように、再び沈黙してゆく。
「天空城」を離れてもなお、俺たちの周りに展開される「映像窓」には、あわただしく駆け回る連絡兵も捉えられているため、まったく反撃ないまま終わることはないだろう。
夜が「蹂躙」の準備に入る。
『私たちが姿を消してから、千年の間に何があったのかは問いませんわ。ですが私を「神子クレア」と理解してもなおその剣を向けるというのであれば、あなたたちを「神敵」と見做します。その覚悟はお持ちですわね?』
堂々と宣言しながら、クレアは高度を下げてゆく。
人が割れるようにして、クレアの立つべき場所が空けられ、そこへゆっくりと降り立つ。
かけられた強化術式のエフェクトは派手極まりなく、かなり距離のある俺や夜の位置からでも、空中へ吹き上がる光を視認することができる。
クレアの目に映る、直近の兵士たちの表情はちょっと見ものだ。
一応まだ敵だぞ、お前ら。
気持ちはわかるけどな。
少なくとも即座にクレアに接敵可能な距離の兵たちが、いきなり襲いかかるようなことはないだろう。
そういう空気ではない。
敬虔かそうでないかの差はあるとはいえ、アレスディア教を信じていない人などほとんどいない。
「神子クレア」から直接「神敵」扱いされるとあっては、安易に切りかかるなど出来ようはずもない。
『お返事はいただけませんの?』
クレアの重ねての問いかけに、クレアの周りの兵たちは剣を捨てようとしている。
まあ普通に考えれば「天空城」の出現からここへ至るまでの流れで、抵抗するのが無謀なことくらい理解できるだろう。
それもクレアを直近で直視している兵たちにしてみれば、尚の事そうだ。
うまくけしかければ、周りの兵に対して敵対すらするかもしれない。
おい、まだかお約束。
そのために「念話」の制限を最低レベルにしているんだ、お前らの「念話」用アイテムならまだ使用可能だろ。
『神子クレア様を騙る愚か者め! 「救世連盟」は貴様のような道化にまんまと騙されるウィンダリア皇国のように間抜けではないわ! すぐに思い知らせてやる』
よっしゃきた、さすが二万五千もの兵力があれば、こういうお約束な上官はいるはずだと信じてたよ。
おお、クレアの周りの兵士が絶望的な表情してる。
そうだよなあ、もうちょっと考えてもの言ってほしいよなあ。
戦意を失わないことで、ある程度の交渉を行うことは有効だ。
戦って勝つことは容易くとも、味方はおろか敵にも被害を出したくないと言う思惑を強者側が持っている場合、当然上限はあれどある程度の譲歩を引き出すことはそう難しくはない。
その場合、命令に逆らえない立場である自分達を主張し、恨みはないが誇りと任務のために引く訳にはいかないという論調へ持っていくことが大事だ。
それが相手を贋者、愚か者扱いした上で、味方する陣営まで嘲笑してから宣戦布告ときたものだ。
これはフォローできないな。
クレアを直視できる距離にいるものは、自分達が勝てないことを理解しているだろう。
先の「絶望的な表情」は、本物の「神子クレア」に敵対してしまうことによって、自分たちに必ず訪れる未来を十分に理解しているからだ。
つまり、二万五千の軍勢をもってしても、「神子」であるクレアに勝利することが叶わない事を本能的に理解している。
数でなんとかなる相手ではない、と。
だが直接対峙できていない、クレアの位置からすれば後方にいる指揮官レベルの者はもちろん、兵士達にしても二万五千が剣を抜けば、たとえ「神子クレア」相手でも勝てると思っているのだろう。
馬鹿の念話での発言にも、クレアの周りにいる兵たち以外に騒ぎがないところを見ればそうなのだろう。
まあ確かに普通で考えれば、二万五千が一人に負けることなんて想像すらしない。
しかし、もうちょっと想像力はないものかなと思う。
「天空城」があのまま止まらずに直進すれば、この二万五千はひき潰されて終わっていたことぐらい理解できるだろうに。
それを止めて、わざわざ姿を現した相手が本物であろうが贋者であろうが、「勝てる」と判断する根拠が理解できない。
なぜ「天空城」を止め、姿を現したのかという意味を考えようともしない。
千年間、圧倒的な強者として血を重ねれば、こんな愚者が完成するものだろうか。
ダリューンと言えどもこれは制御不可能だな。
まあいい、ある意味予定通りだ。
『……では戦いですわね?』
『当然だ!』
その声と同時に、クレアの位置に向けて無数の矢が放たれる。
いや構えていたのは見えてたけど、それで何とかなると思うのか。
それにその広範囲で撃てば、クレアの直近にいる味方も巻き込むぞ。
味方の犠牲も当然という、そこまでお約束な「無能な指揮官」か。
こいつだけは殺そうかな。
いやいかん、初志貫徹。
その辺のことは後で考えよう。
レベル格差の「攻撃無効」もあるが、自軍の攻撃に巻き込まれて命を落とす敵を出すわけにもいかない。
「三位一体」を通して、クレアに低レベルの広域防御術式を即時発動させる。
弧を描いて飛来する、なんの術式も強化もかかっていない、数だけは多い矢が、防御術式に触れると同時に全て砕け散る。
本当にこんなもんでダメージ与えられると考えてるんだろうか。
驚愕の声が上がったところを見るとどうやらそうらしい。
とはいえ、今指揮を執っている馬鹿は、ちょっと想像の斜め上行く馬鹿だ。
クレアは無事でも、クレアの傍に居る兵士が巻き込まれて死ぬ未来しか見えない。
今の防御術式だけでも、クレアの傍に居る兵士隊へのアピールは充分だし、さっさと終わらせてしまうとしよう。
自分の作戦通りに事が進まないことはよく理解できた。
机上の空論とはよく言ったものだ。
『クレア、夜』
『了解ですわ』
『とりあえず2の14乗、16,384匹猫さんの大行進お届けします』
俺が声をかけると同時に、クレアが広範囲波状系状態異常術式「罪切」を発動させる。
「光輪」が即時発現し、波状の光が半径100メートルに一瞬で拡散する。
その範囲にいる者は、今持っている罪の意識、後ろめたさに応じた激痛を喰らって倒れ伏す。
このスキルは「神子」の持つ広範囲攻撃の一つで、対人戦ではかなりの効果を持つ。
この戦場で持っている罪の意識、後ろめたさに限らず、各々が自分の人生の中で持っているそれに応じて激痛と行動不能を与えるからだ。
「F.D.O」では「PK殺し」とまで呼ばれたスキルで、プレイヤーキャラクターがPKなどで増加するカルマ値に応じて発動する即物的な技であったが、倒れ伏す兵士さんら見てると、みんな人生後ろめたいこと多いんだなあと感慨深いものを感じる。
このスキル喰らうとカルマ値が少し下がるので、フレンドがたまに喰らいに来てたなあ。
何してカルマ値貯めてたんだろうな、あの人。
夜は地下迷宮でも使用した、「猫多羅天」をレベル39の最大値で発動する。
「うにあああああああ」というちょっともう、ものすごい数の雷を纏った猫が一匹一殺で兵士たちを無力化していく。
あれを躱せるレベルの人はいないだろうから、16,384人はこの一撃で戦線離脱だ。
猫にやられた精鋭一万五千超ってのは、なんかこう申し訳ない気になるな。
クレアの「罪切」と夜の「猫多羅天」で、あっという間に二万五千の精鋭は五千を割り込む数になる。
「天空城」の機能でさっきの馬鹿の位置は把握できてるので、「救世連盟」の主力五千が残った形だ。
さてどう出る。
『ば、バカな……』
それ念話でいわなきゃならん台詞か?
もう次の台詞解ったわ。
とはいえ一応奥の手も念のため用意していたことは、認めるべき点なのかもしれない。
『これって……』
『……千年前の重要な戦いでも、よく聞いた台詞が来そうですわね』
夜とクレアも同じ意見だ。
うーん、やっぱり現実化したとはいえ、世界は「F.D.O」時代のお約束展開に縛られるんだろうか。
『……こうなったら、最後の手段だ!』
ほらね。
脱力しそうになる、俺の目に突然「神の目」が立ち上がる。
強制メッセージの字が赤い。
なんだこれ?
『特殊状況発生』
『false log in system 起動確認。』
『player character:ユニークIDxxxxxxxxx:固有名「凜」:job「侍」レベル70』
『player character:ユニークIDxxxxxxxxx:固有名「エルノア」:job「暗殺者」レベル73』
『player character:ユニークIDxxxxxxxxx:固有名「イングウェイ」:job「忍」レベル74』
『「Deus ex machina」進行に重大な問題発生』
『至聖三者に危機的状況発生。「Scutum Fidei」の起動許可』
『false log in system 起動完了確認。player character三体が起動します』
『特殊状況は危機的状況へ移行』
なんだこれ、なんだこれ!?
プレイヤーキャラクターって、それどういうことだ。
ダリューンが用意してた切り札って?
駄目だ混乱してる、何よりやばい。
レベルが最低でも「凜」さんの70、辛うじて攻撃が通るのは俺くらいで、夜もクレアも何一つ攻撃が通らない。
あとの二人に関しては俺でも攻撃が一切通らない。
対してこっちは一撃でもスキル系を喰らえば即死しかねない。
――「凜」さん?
……まさか。
『シン君、何が起こってるんですか? 拙い状況ですか?』
『我が主! 相手の切り札はそんなに拙いんですの?』
この世界に残された、プレイヤーなきプレイヤーキャラクターを傀儡にしたのか。
それを異能者たちへの対抗策に。
油断したのか俺は。
油断してたな俺は。
やばい状況だ、レベル差が洒落になってない。
だが意志なき人形のように立ち上がる、プレイヤーが愛情込めて育てた分身、プレイヤーキャラクター。
そのうち一人は、俺がよく知る人のものだ。
それを見た瞬間、俺の頭から冷静な思考は吹っ飛んだ。
操作しているやつを殺してやる。
必ず殺してやる。
夜とクレアに声もかけず、「三位一体」も意識せず、俺は起動したプレイヤーキャラクター三人めがけて突撃を敢行した。




