第30話 先制
ワインは呑める代物じゃなかった。
というかすでに飲み物ですらなかった。
どうやら「天空城」も千年の時が実際に経過しているのは間違いないようだ。
詳しくはないが、百年を耐えられるワインってそうそうないらしいし、千年経過してなおワインとして楽しめる物などないのかもしれない。
夜がせめてビネガーになっていてくれたら、ドレッシングにするのにとか言って騒いでた。
骨董品として売れば、ある程度お金になるかもしれないな。
いやいくらなんでも無理か。
同じく千年経過しているはずの、俺のストレージにあるポーションをはじめとした消費系アイテムが、普通に使用可能なのが不思議なところだ。
武器や防具というアイテム類もすべて何の問題もなく無事なので、そういうものだと思うしかないだろう。
「F.D.O」というゲームとして考えるのであれば、むしろもっともな仕様と言えるしな。
いや中には時間経過や仕様で、アイテムが劣化する要素を取り入れたものも結構あるか。
とはいえ現実として、時間経過でまったく劣化しないアイテムを目の当たりにすると、違和感を覚えるのは確かだ。
同じ時間を経てきたものが、置かれていた場所によってこうまで違うとなれば興味を引く。
こういった細かい部分も含めて、「現実となった世界の謎」をはやく追いかけて世界中を巡りたいものだ。
俺と夜、クレアの三人の場合、目的ももちろん大事だけれど、その過程を三人で共有する事が最重要課題だ。
それを阻害する要素は排除する。
一夜明けた今、「天空城」の哨戒・索敵システムが、ウィンダリア皇国国境付近に展開する「救世連盟」を中心とした兵力展開を捉えた。
その数二万五千。
これはおそらく、この短期間で「救世連盟」が動員できる兵力の最大数と見ていい。
中核を「救世連盟」が担っているのは間違いないであろうが、フィルリア連邦、バストニア共和国、アレスディア宋国の各軍も協力を強いられているに違いない。
いや、彼らも彼らの思惑があって、この機にウィンダリア皇国に対する優位を確立しておきたいのだろうか。
無駄だが。
おそらく「救世連盟」の直轄軍が一万、三国それぞれの軍が五千といったあたり。
三大強国の一角を占めるウィンダリア皇国を相手取るとはいえ、一方面に動員できる兵力としては規格外と言っていい数だ。
ウィンダリア皇国と対峙している間に、後ろを脅かす存在などいないという自信を、これ以上ないくらい表現しているともいえる。
しかし「天空城」の哨戒・索敵システムはちょっと強力すぎる。
夜が操作する画像窓には、国境を越えて来ている敵対兵力が、正確極まりない地図に投影される形で表示されている。
その情報から、先程の勢力別の兵数分布もほぼ読み取ることが可能だ。
兵数、展開状況はもとより、全員を把握した上でのレベル分布まで表示されている。
最大レベルは7、平均レベルは3に届かない。
レベル7が二名、レベル6が八名、後はレベル3以下の者ばかりだ。
それでもレベル5以上の戦力が二桁、レベル2、3の戦力が四桁含まれた軍勢は、この世界の通常兵力としては圧倒的なものと言っていいだろう。
ウィンダリア皇国が、自国の兵力を一兵も余さず動員したところでその数は二万には届かない。
数で劣り、平均レベルで劣り、勝っているのはアラン騎士団長がレベル9ということと、地の利くらいだ。
それでも、「天空城」の正確極まる哨戒・索敵システムと、その気になれば俺たちが提供できる念話システムを併用すれば、その程度の不利は通常の兵力であっても、余裕でひっくり返すことが可能だ。
敵味方双方の状況把握を可能とするシステムと、それを瞬時に共有できるシステムを連動させた運用は、大規模戦闘であればあるほど、圧倒的なアドバンテージとなる。
その上今は平均レベルが劇的に上昇しているだろうし、魔力を使い切りとはいえ行使できる状況であれば、数倍する兵力を撃破することもそう難易度の高いことではない。
……はずだ。
戦争の経験なんてないから、正直よくわからない。
よくわからない、たぶん大丈夫だから、そんな程度の判断で、絶対に必要なわけでもない戦力――とはいえ、それは一人一人の人間が作り上げているのだ、当たり前だが――を死地に立たせるつもりはない。
味方なのだ。
だから「天空城」が規模拡大したことを受け、今回はウィンダリア皇国軍は前に出さない。
俺たち三人と「天空城」で「救世連盟」率いる二万五千を完全に無力化し、「絶対者」の存在を誇示可能な算段が付いたからだ。
その算段が付いていなければ、犠牲を覚悟してでも動員する覚悟はあったのだが。
後、なおも都合のいいことに、「救世連盟」率いる二万五千の軍は、おそらくダリューンが何らかの形で確保、提供したのであろう「念話」のシステムを運用している。
本来であればウィンダリア皇国領内での戦闘という、地の利に劣る不利を覆すに足るアドバンテージとなったであろうが、俺たちが介入している状況下では逆効果でしかない。
魔力消費型の「逸失技術」であることは十分理解しているらしく、定期的に最低限の情報を、簡潔にやり取りするだけで済ませている。
それでも自軍の展開状況、索敵情報の一斉共有など、その仕組みを持たない軍に対して相当に有利な状況だ。
ウィンダリア皇国軍にも提供されているシステムなのではあろうが、自分たちで完全に制御可能なのだろう、念話内容が暗号化されている様子はない。
そのふりをしている可能性も考えたが、念話内容と軍の動きの一致からそれはないと判断した。
こちらの準備はほぼ整っているし、お客様は会場に入場した。
残った準備を片づけて、早急に開幕と行こう。
公都ハルモニアに帰還すると、アラン騎士団長率いる騎士団及び「強化術式部隊」は一兵も欠けることなく無事帰還していた。
全員、レベルは1以上上がったとのこと。
さすがにアラン騎士団長は二桁レベルには到達できなかったらしい。
犠牲者は出なかったものの、数十名の重傷者は出ており、シルリア姫の魔力では数名しか治癒する事が出来なかったそうだが、今は夜とクレアがついて、回復術式を使わせている。
夜とクレアが即魔力補充を行うので、シルリア姫の魔力不足は問題ない。
たぶんこれでシルリア姫のレベルも5に届くんじゃなかろうか。
なんか二人とも、本格的にシルリア姫気に入ってるな。
その後きっちり魔力を使い切っていた騎士団と「強化術式部隊」に魔力を補充する。
もはや彼ら、彼女らが、自らに魔力を無限に補給してくれる夜、クレアを見つめる視線は崇拝のそれだ。
彼らこそがまず最初に「絶対者」の存在を深く理解した、「この世界の住人」と言えるかもしれない。
皇帝や重臣も交えて、アラン騎士団長に今回の作戦を説明する。
せっかく強化した自分たちが前線に立てないことに、武人として不服がないわけでもないのだろうが、俺たちの思惑を理解し納得してくれた。
「麾下の兵力ごとなんでも指示に従う」というアラン騎士団長の言葉は、軽いものではないのだろう。
まあざっと説明した作戦内容と、俺達が「天空城」を伴って皇都ハルモニアへ帰還した際の大騒ぎがあるせいで、反論する気もなくなっていたという方が正しいのかもしれないが。
今回はきっちり防御機構を切った上で、皇都ハルモニアの上空まで降下させた「天空城」だが、増えた五つの浮島を従えて頭上を埋め尽くす空に浮かぶ大地は、人々の度肝を抜くのに充分な光景であったらしい。
「救世の英雄」がウィンダリア皇国に味方していることを、自分達の守護召喚獣として信仰している「天を喰らう鳳」であるフィオナから直接告げられていたこと。
五つの浮島は知らなくとも、「天空城」の存在、見た目が「救世神話」でえらく有名だったことが、辛うじて混乱を防いだ理由と言える。
いや、今こうして頭上を見上げた時に目に入る光景が、現実のものとは思いにくいというのは俺も同じ意見だ。
各浮島から流れ落ちる水が、雨のように街角を濡らしているのも冗談にしか思えない。
これを従え、自在に操る事が可能な存在が言うことに、逆らう気になどなれはしないだろう。
ともあれこれで準備は完全に整った。
「救世連盟」率いる、国境付近東サヴァル平原に展開する二万五千に向けて、たったの三人での先制をはじめる事としよう。
十分に皇都ハルモニアから距離を取ってから、「天空城」を中心に横に並べた浮島それぞれに、防御機構を発動させる。
それぞれが雷を纏う竜巻と化し、轟音と共に進撃を開始する。
「天空城」にいる俺達から見れば、ひどくゆっくりとした進軍だが、地上に身を置く人々からすれば高速で迫りくる、六柱の竜巻など悪夢以外の何物でもないだろう。
ゆるく包囲するように横に広がった「天空城」と五つの浮島が作り出す、晴天下でありながら雷を纏って渦巻く長大な竜巻は、間隔も含めれば7キロメートルもの幅に及ぶ。
竜巻同士が上空で一つになり、遥か高空に雷雲を形成させ、迫りくる自然の災害そのものでしかない。
その威容から見れば、地上に整然と展開された二万五千の軍勢など、巨人の前の蟻にしか見えない。
東サヴァル平原の皇都ハルモニア側の地平から湧き上がり、雷雲を伴ってあたかも六つ首の竜の如くのたくりながら迫りくる6つの竜巻を前に、すでに「救世連盟」率いる二万五千の軍勢は「念話」を通して狂乱の様相を呈している。
それはそうだ。
「天を喰らう鳳」でも「救世の英雄」でもなんとかする絶対の自信を持って、二万五千もの大兵力を、なんの小細工もできないであろう東サヴァル平原に展開していたのだ。
どこで迎え撃たれるとしても、大軍を大軍として整然と進軍し、ウィンダリア皇国軍が守護召喚獣と崇める「天を喰らう鳳」ごとねじ伏せるべく構えていたはずだ。
いや、ウィンダリア皇国を除くすべての強国の軍旗を揃えて進軍すれば、戦わずして軍門に下る事すら期待していたのかもしれない。
だが、そんなものは荒れ狂う幅七キロメートルの竜巻の前には何の役にも立ちはしない。
何もない平原の岩や、ところどころに生える木々を飴細工のように巻き上げ、地表をすら捲り上げながら迫る竜巻に呑みこまれれば、栄光ある軍旗も、鍛え上げられた兵士も、等しく塵に過ぎない。
遥かな地平から、ものすごい勢いで迫りくる「絶望」から逃れる手段はもはやない。
右に逃げても、左に逃げても、竜巻が到達するまでにその範囲から逃れられる距離ではない。
後ろを向いて全力で走ったとて、迫りくる竜巻の速度の十分の一の速度にも及ぶまい。
これだけの「自然災害」が偶然、自分たちが兵力展開した地を都合よく襲うことなどありはしないことくらい、二万五千の一兵に至るまで理解出来ているだろう。
そう、これは俺たちの「攻撃」だ。
それになすすべなく蹂躙され、何の意味もなく死ぬ事から逃れる手段はない。
それを本能的に理解した時、軍は唯の人の集合体に堕する。
もはや「天空城」の哨戒・索敵システムが捉える念話は、軍としての機能していない。
東サヴァル平原に堂々と展開された初期、最低限の言葉で理論的に交わされていた念話は、怒号や意味不明な指示、中には泣き声や祈りも入り混じった、混沌の様を呈している。
軍はもはや軍ではなく、二万五千の一人一人が、それぞれの絶望が取らせる行動に走っている。
中には冷静な指示もあるにはあるが、それは諦観からくる矜持のようなもので、死に際して潔くありたいと思っているに過ぎない、目の前に迫る事態に対する具体的な対処を語るものではなかった。
このまま粉砕するのも一つの手だな、という思考が頭に生まれる。
まず勝利は間違いないとはいえ、ダリューンの作った組織の事だ、どんな隠し玉を持っているか分かったものではない。
今回の作戦の主役であるクレアに万が一のことがあるくらいなら、小細工の出来ない力技で敵対兵力を殺戮し尽くせば、結果的に俺が考案した作戦と変わりない成果が手に入るのではないか。
であれば要らんリスクを背負う必要など……
「我が主。手段を選ばないのは、手段を選んでられなくなってからでいいと思いますの。今はまだその状況ではないと思うのですけれど」
「そうですね。まだシン君が怖い顔する必要ない状況だと思います。油断しているわけでもなし、当面は作戦通りにしませんか?」
しまった、顔に出てたか。
うん、これは二人の言うとおりだな。
夜とクレアに釣り合うものなどこの世界にありはしないが、必要のない殺戮をするためにこの世界に来たわけでもない。
二人に呆れられるのも避けたいしな。
「いや? 変なことは考えてないけど?」
しらばっくれてみるが無駄なことなのかもしれない。
「そうですか? ならいいんですけど……あのう」
「……何?」
「……そろそろ防御機構停止しませんと、結果として同じことになりますのよ?」
何で二人とも落ち着き払ってるんだ。
黒いこと考えてたこっちが焦るわ。
結局二人にとっては、「こうしたほうがいいのでは?」程度の意見提案に過ぎず、俺がそれでもそうしたいとすれば、特段なにも思うことなく従うのか。
こわ。
これよっぽど「俺」がしっかりしないと、「救世の英雄」はあっさり「世界の敵」になりかねないぞ。
「停止!!! 可及的速やかに防御機構停止!!!!!」
俺の大声に、夜が即座に反応する。
今や蜘蛛の子を散らしたような状況の二万五千の人々を、まさに呑みこんで空中へ引きずり上げる寸前、耳をつんざく轟音と雷光をまき散らしていた竜巻は嘘のように消滅した。
本来の天候であった青空が、何事もなかったように空に広がる。
二万五千が右往左往する騒音があるにもかかわらず、直前までの轟音が消滅したことによる、奇妙な静寂が地上を覆う。
あれだけ溢れ返っていた念話による怨嗟の声も、今は一言も交わされていない。
天に巻き上がった木々や岩、草木や土が地に戻るまでの数瞬。
陽光射す、穏やかな東サヴァル平原の上空、竜巻が消えた空間に突如出現したようにしか見えない巨大な浮島と、それを従えるかのように中央に浮かぶ「天空城」
その威容を見上げる二万五千の元軍勢は、誰一人として口を開くことができていない。
まあ茫然自失になるよな。
作戦の第一段階はこれでまあ成功かな。
次は主演女優にお出まし願おう。




