第21話 千年記 黎明
ウィンダリア皇国の皇都ハルモニアは、千年前と変わらず、霊木「月樹」を中心に水と緑の調和が取れた美しい街並みを維持している。
ただ街壁は当時より物々しくなり、市街区には見慣れない建物などがいくつか見られるが。
おそらくは先行した「天を喰らう鳳」を使役する、「六喰召喚士」であるフィオナ――現在の公的な身分はなんなんだろうな――の指示で、皇都ハルモニアは全住民が集まっているんではないかと思えるほどの騒ぎになっていた。
到着までの移動の間、幼皇女本人に確認したところ、予想通り「皇女シルリア」は人質として「救世連盟」に差し出されていた立場であり、「天を喰らう鳳」の復活の知らせを受けて脱出、帰国を目指していたということだった。
まあこの質問をする間に、幼い皇女様の質問攻めにあった俺をはじめ、夜とクレアも結構くたびれることになったが。
なかでも「救世神話」として語られている物語の真贋と、自分達の国であるウィンダリア皇国と俺たちの繋がりについては、従者の人たちも含め興奮状態で聞き入っていた。
まあ解るけどな、神話の人物が生きて目の前にいるとなれば、そうもなるだろう。
御者レベル1、従者レベル1、君らが夜とクレアに見惚れるのはしょうがないしまあ許す。
ただ侍女レベル1、俺を見て笑い堪えるの止めてくれませんか。
そりゃ、ひどい改変って言うか、別人なのは認めますけども。
普通なら、そういう態度に怒るはずの夜とクレアも「さもありなん」という表情をするのがきつい。
ああ、ちなみに御者はバーリミルさん、従者はガウルさん、侍女はミリアさんという。
介入の際受けた三人の怪我は、シルリア姫が既に完全に治している。
夜とクレアが面白がって、魔力供給をシルリア姫に繰り返し、本人も喜んで「回復術式」を使用したがったからだ。
結果として三人の怪我は完治し、シルリア姫の「姫騎士」のレベルは3まで上がった。
幼女ではあるが、これでその辺の屈強な兵士でもシルリア姫に勝つことは、ほぼ不可能だろう。
それを目の当たりにした三人、レベルが上がった当人からも、俺たちは尊敬というか、そういうレベルを超えた視線を向けられることになる。
あまりにも扱いが人間離れしたものになると、少し辟易する。
脱走のきっかけとなった「守護召喚獣復活」の知らせは「念話」によって、フィオナ――「天を喰らう鳳」としか認識できていなかったそうだが――から直接シルリア姫に伝えられており、御付の者達は半信半疑のまま、それでも皇女の指示に従っていたらしい。
まさか脱走など企てるはずが無い、そもそもする意味が無い、と油断していた故にこそ、行き当たりばったりといっていい脱出行がまがりなりにも成功したと言える。
上層部は救世の英雄、つまり俺、夜、クレアの復活と、それに連動した「逸失存在」の復活を予測していたものの、数日のうちに巨大な組織の末端までそれに対応した体制にするのは不可能だったのだろう。
すべての情報を、無制限に開放するわけに行かない事情もあるようだし。
ともあれ正門から、巨大な霊木「月樹」の根元に建てられた皇宮までの大通りは、「皇女シルリア」の帰還と、「天を喰らう鳳」の復活を祝う人々であふれかえっていた。
俺たち三人は目立たぬように、馬車の中に隠れている。
他国の諜報員も確実にいるであろうこの状況下で、「救世の英雄」の復活と、それが当面ウィンダリア皇国に味方すると喧伝する気は、フィオナには無いようだ。
最終的にどうするかの決定権を、俺たちに預けてくれているのがいかにもフィオナらしい。
歓声は「皇女シルリア」と、それ以上に「月樹」の巨大な枝に翼を休める「天を喰らう鳳」に向けられている。
自分たちの国を守る象徴の復活とはいえ、これほどまでに熱狂する理由。
皇族の人質を取られていたところから見ても、意に添わない臣従を強いられていた故だろう。
「救世連盟」とやらは、すくなくともウィンダリア皇国の民衆にとって相当に忌むべき存在であるということだ。
俺たちの知るどの国家が実権を握り、何のためにできた「連盟」なんだか。
この世界で生きていく、俺たちの邪魔にならなければいいが。
いや現実逃避はよそう。
クレアを取り返した一件だけでも、敵対せざるをえない相手と見ておいたほうがいいだろう。
向こうにとっては「奪われた」という認識なんだろうし。
やれやれだ。
一度言ってみたかった台詞だが、実際言うべきシチュエーションではまさに本音に過ぎないな。
しかし四象の一角を召喚しっぱなしにできるとは、フィオナのレベルはいくつなんだろう。
魔力が失われていることが予測される――シルリア皇女救出の件でほぼ確定したといっていい――現状で、魔力を常に消費する「召喚獣」を使役可能ということは、相当なイレギュラー存在だ。
俺たちも含めて、千年前に直接つながる存在が、その立ち位置にいるのだろうか。
理由は不明だが。
まあ、それを聞くためにも、はやくフィオナのもとへ行こう。
『お待ちしておりましたわ、シン兄様、夜お姉さま、クレアお姉さま』
てっきり本人が出てくるかと思ったら、通された皇宮の「奥の院」――「六喰召喚士」と現皇帝しか入室できない――に現れたのは、「天を喰らう鳳」そのままだった。
広大な空間を誇る「奥の院」ゆえにサイズ的な問題は無いとはいえ、巨大な召喚獣と室内で向き合うというのはなかなか特殊な状況であるといえる。
『この姿のままのである、ご無礼をお許しください。それについても今からお話しする中で説明いたしますので。それとこのお話は妾とシン兄様、夜お姉さま、クレアお姉さまとだけするべきと判断いたしましたので、現皇帝を含め、誰もこの部屋へ通してはおりません』
確かに他に誰もいないようだ。
まあそれに対してどうこう言うつもりは無い。
どうせあとで挨拶せねばならないことに変わりは無いだろうが、はやく疑問を解消したい今、後回しにできることは後回しにしておきたい。
「フィオナ皇女、あなた……」
「理由は……問うまでもありませんの?」
夜とクレアの二人は、フィオナが本来の姿で現れなかったことで何か思うところがあるのか、様子が少しおかしい。
「三位一体」が伝えてくる夜とクレアの状態は、二人にしては珍しく体に影響が出るレベルで動揺している。
それに二人の視線は、目の前の巨大な「天を喰らう鳳」ではなく、なぜか奥の院の最奥、「六喰召喚士」が「四象」を使役する際に使用する祭壇、その石柱に向けられている。
そういえば変だな、四象を使役しているのに、祭壇にもフィオナの姿が無いなんてことが……
『やはりお姉さま方はするどいのですね。シン兄様をお慕いしておられるからこそ、妾が至った答えもすぐ解ると言うことですか』
どこかうれしそうなフィオナの声。
『……そうです、私はいなくなってしまったシン兄様にもう一度お会いする為に、「天を喰らう鳳」を我が身と致しました』
千年の時間を越える。
そんな手段は存在しない。
ただし、世界とともに「不滅」として存在し続けるものは確かにある。
それは神々であったり、両義四象の「六喰」であったり。
神々が姿を消した当時の世界で、フィオナはもう一度「僕」にあう為に、「四象」の一角である「天を喰らう鳳」と合一したって言ったのか、今。
そして「僕」や、夜、クレアと違い、実際に千年の時を過ごして今に至るって?
『やさしいシン兄様、これは妾が選んだことですからお気になさらないでください。それに妾の望みは叶ったのです。不満などあろうはずもありません。それらのことも含めて聞いてください、神々と英雄が失われたこの世界の、千年の時間を』
そうしてフィオナは。
「僕」のよく知る、だけど千十歳になってしまった第一皇女様は語りだす。
失われた千年記を。
変化はゆっくりと訪れた。
当時世界を形成するといっていい五大国。
リィン大陸に存在する三大強国、ウィンダリア皇国、フィルリア連邦、バストニア共和国。
三大強国の間でうまく立ち回っている商業都市サグィン。
大陸全土で信仰されている宗教国家であるアレスディア宋国。
それらの上層部にもまったく理由を把握できないまま、神々が姿を消した。
神々によって世界に満ちていた魔力は徐々に失われ、魔力がなければ行使することのできない、各種術式によって成り立っていた社会の仕組みは、根本から変わらざるを得なかった。
幸いにして、術式の多くは戦闘に関わるものであり、この数百年間それを最も必要とした「異変」、すなわち魔物の大量発生や、英雄である「宿者」によって排除された「魔族」、その指導者である「魔王」の再臨は無かった。
神々の消失と前後して、「英雄」と目されていた「宿者」達も、忽然と姿を消す。
地上迷宮を問わず魔物は変わらず存在したが、こちらから手を出さない限り襲ってくることはなくなったので、なんとか人々は変化に対応することができた。
それでも「回復術式」の逸失の影響は大きく、失われた命は多くあった。
「医術」という概念そのものが、「回復術式」が存在することで発達していなかったこともあり、病気、怪我にどう対応していいかを、体系的に確立できていなかったためだ。
これは都市部のほうが顕著であり、回復術式に頼り切っていた人々は慌てることになる。
たがそれは、アレスディア宋国の神官たちが、限定的とはいえ「回復術式」を行使可能なことが判明して、なんとか落ち着きを見せる。
回復術式などもとより望むべくも無かった辺境の村落は、昔ながらの対処方法で、骨折やある程度の怪我、病気などには対応できたし、大都市はアレスディア教の神官を最優先で受け入れ、アレスディア宋国と行き来させる仕組みを急ピッチで確立させた。
結果、一年が過ぎる頃にはなんとか落ち着きを取り戻す。
利益など度外視して、人々の為に尽くすアレスディア教会のあり方と、当時世界を「宿者」という「英雄」に救われた実感を持ち、神々の存在を実際として知る、強国の指導者たちの無期待献身といっていい行動が、世界を救ったといって過言ではないだろう。
神々や英雄が失われた世界は、失われたとはいえその存在を知り、信じるもの達の献身によって、ゆっくりと神々と英雄、魔力と術式のない世界に変化してゆく。
一部であるとはいえ継続している術式、しかも病気や怪我、命に関わる「回復術式」を継続可能としたその理由。
それが「救世の英雄」として当時から有名であったシン、夜、クレアの三英雄の一角、「聖女クレア」が封印された、結界結晶によるものだと公表された時点から、アレスディア教会の主導によって「救世神話」は市井の人々に広く浸透をはじめる。
姿を消した神々、英雄に対して、封印されているとはいえ目に見える形で存在するクレアが信仰の支えとなった。
そしてアレスディア教が、少々ご都合主義とはいえ、神と魔力を失ったこの世界でも、人々が希望を失わず生きていけるように「神話」を誘導する。
神々と英雄は、我々では知ることもできないこの世界に対する脅威に対峙し、世界を救いたもうた。
その結果力を使い果たし、一時的に姿を消しているが、いつか再臨して世界を導いてくれる。
みよ、その証拠に絶え間なく続いていた「異変」はなりをひそめ、なによりも「救世の英雄」の一人、「聖女クレア」が封印状態であるとはいえアレスディア教会におわし、回復術式の使用を可能にしてくださっている。
主である英雄シン、「聖女クレア」とともに、英雄シンの片翼である「吸血姫夜」もどこかにあって、いつか我々の前に姿を見せてくださる。
これを人々は素直に信じた。
緩やかな変化、何とか維持できる生活、献身的で無私を貫く権力者とそれが支える平等な政治。
目に見える象徴として「聖女クレア」の封印結晶が存在したのも大きいだろう。
何よりも当時の人々は、実際に「異変」に立ち向かい、自分達を救ってくれた「英雄」、それを支えた「神々」を実感として知っていた故に、信じられたのだ。
これは大いなる世界の異変、神々が存在し、英雄が人々を救っていた世界が、それを失うという大きすぎる変化に対して、望みうる最高の状況が実現できているといえる。
最初期の激動期に、大きな混乱を起こさず、犠牲も最小限にとどめ、大国同士と宗教の連携も乱れることなく、人々はゆっくりと「神と英雄なき世界」に馴染んでいけるはずだったのだ。
そのまま、誰も狂わずに、神々と英雄の消失を受け入れられさえすれば。




