第16話 神話
結論から言うと、さっさと合流してさっさと逃げ出すことは不可能だった。
慌てて忘れていたが、「吸血鬼」としての夜のスキルは夜にならないと使用不可能だ。
なんかややこしいな、夜にならないと夜の、まあいい。
到着時間から日没までは4時間くらい必要だった。
その間、何もせずに「天空城」で待っているのもあれなので、怖いものみたさも含めて、央都ファルスに夜と供に潜入してみている。
俺たちが到着に際してやっちまったことを除いても、現実化したこの世界ではじめて他者のいる場所に入るのは、情報収集としても必要なことといえる。
本来であればクレアとも合流した後が最良といえるのだが、時間を無駄にすることもない。
ゲームである「F.D.O」の時間から千年経っていることも含めて、調べるべきことは山ほどあるわけだしな。
俺と夜は、地味な旅人衣装に着替え、その上からアレスディア教徒の巡礼者が愛用する外套を纏って央都ファルスの商業区にいる。
そりゃもうものすごい騒ぎである。
城塞都市クラスに入る際に必須となる身分証明が、千年前のギルドカード、しかも記載されている内容が英雄レベルのものしかない俺たちは、どうやって都に入ろうか頭を悩ませていた。
が、さすがそこは宗教国家アレスディアの央都ファルス、近郊の農村住民を保護する指示がすでに出ており、それにまぎれて記名だけで入都することができた。
記名した際、神官兵になんか変な顔されたけど、忙しいからか何も言われることはなかった。
そのせいもあり、巨大な央都といえども通常の人口をはるかに上回る人数を収容しているので、活気があるというよりは混乱の中にあるといったほうが妥当だ。
まああんなもんが突然上空に現れたら混乱するわな。
街行く人々は誰もが央都上空に浮かぶ「天空城」を見上げ、各々の思うところを話し合っているし、中には跪いて祈りを捧げてる人たちもいる。
商人のなかには脱出を決めた者もいるのか、荷物を満載した馬車が多数、門へ向かって進んでいる
その合間を神官兵たちが行き来し、そりゃもう蜂の巣をつついたような騒ぎである。
まあ無理もあるまい。
商業区の屋台のひとつで「天空城」が現れたときのことを聞いたら、屋台主が興奮気味に教えてくれた。
「あれを見てないとはお前ら惜しい事したな。確かにあっという間の出来事だったから、見逃してるやつらがいるのも当然なのか」
そんな台詞から語られた「天空城」出現の顛末は、ほぼ俺が想像した通りといおうか、少し斜め上を行っているほどだった。
まず現れる前に風の轟音と雷音が響き、何事かと空を見上げたところへ嵐の塊が雲を突き破って出現。
そのまま雷を纏った竜巻みたいに央都へ向かってくる中、突然視界を奪うほどの光に包まれたと思うと、上空の雲さえ掻き消して「天空城」が存在していたらしい。
防御機構の解除は光を伴うのか……
うん、ここから見える「天空城」、ものすごい神秘的だもんな。
「天使の階段」が何本も城の周りを囲っていて、まるで宗教画のようだ。
熱心なアレスディア教信者が多いこの都で、あれを神聖視するなというほうが無理なのかもしれない。
『思ったよりも大事になっちゃってますね』
夜の意見には心から同意する。
とはいえ、やってしまったものは仕方がない。
クレアと合流して去ってしまえば今の所、実害はないだろう。
「天空城」の出現と、その日の夜のうちに「御神体」がなくなることは国家レベルの出来事として世界を駆け巡るだろうが、そんなことはとりあえず関係ない。
クレアは怪しいが、俺と夜の顔が千年後の世界に出回っているわけではないだろうし。
必要であればクレアにはお面をかぶってもらおう。
怒るだろうな、クレア。
『まあ面が割れているわけじゃなし、大丈夫だろ』
念のために外套の頭部分を目深にかぶり、顔が見えないようにはしているが、まさに念のため、だ。
そんなことより俺は今、千年経ったこの世界がさほど変化していないことに安堵していた。
地球で千年経過すればそりゃもう科学技術の進歩はえらいことになっていると思うんだが、ベースが「F.D.O」というゲームのせいか、俺がやっていたゲームの頃とまるで変わっているようには見えない。
シンの記憶としても違和感のない町並み、さっき見た馬車なども「いかにもゲーム世界のベースである中世ファンタジー」そのままだ。
いや街に入ったらいきなり、車とかスマートフォントか溢れ返ってたらかなり嫌だなあと思っていたのでほっとした。
常々思っていた「なんでファンタジーの世界では数百年、数千年、下手をすれば数万年経っても人類社会の文明レベルはそう変わらないんだろう」という疑問点は、そのままちゃんとこの世界にも適用されていたようだ。
これ現実的に考えると、誰かが意図的にそうしているとしか思えない。
誰かがって誰だよ、と我ながら思うが。
『まだ日は暮れませんの?』
一人封印された状況のまま、俺と夜が街を探索するのを聞いているクレアはさぞや退屈だろう。
早く合流したいと思うのも無理はない。
『まだ、もうちょっとかかるかなあ。とりあえず腹減ったしなんか食べて時間つぶすよ』
『……よろしいですわね』
『あ、私はおなかいっぱいなので何も食べませんよ?』
クレアは食いしん坊キャラだったなそういえば。
夜は血を吸った日はほとんど何も食べないのはいつもどおりか。
クレアはちゃんと合流した後に、好きなだけ好きなものを食べてもらおう。
大騒ぎになっているとはいえ、そこは一国の首都の商業区、すべての店舗が営業を停止しているわけではない。というよりも通常営業を続けている店舗のほうが多いくらいだ。
如何に宗教国家とはいえ、商人にとって神に祈るよりも金稼ぎが優先されるのは変わらない。
酒を飲むわけではないが、酒場に入って時間をつぶすことにする。
お金は大量に所持しているものが、そのまま使えるのを先の屋台で確認済みだ。
ゲームではいくら持っているか、とだけ数値で表示されていたものが、金貨、銀貨、銅貨、後普通では出回らないような特殊貨幣になっているのは、「俺」としては少し驚いたが、考えてみれば至極もっともなことだ。
シンの記憶でも普通に使用していたわけだし。
念のため、所持している中で一番価値の低い銅貨しか使ってはいない。
市井に出回るわけもない高額貨幣なんかを使って騒ぎを起こすテンプレが嫌いなわけじゃないが、今は騒ぎを起こさないことが優先だ。
すでに手遅れかもしれないが、今のこの騒ぎと俺たちは紐付いてはいない。
お金がらみの騒ぎは、官憲が関わってくる可能性もあるから要注意だ。
「F.D.O」はゲームとしていろんな遊び心を持っていた。
そのひとつに「料理」があり、プレイヤーは必要な素材と、対応スキルがあればかなりのバリエーションの料理を作ることが可能だった。
いかにもファンタジー然とした食べ物も多かったが、その一方、地球に存在する現実の料理も用意されており、ハンバーグやから揚げはもちろん、フランス料理やイタリア料理、寿司や鍋、テンプーラなど、なんでもござれの状態だった。
ゲームとして楽しんでいた「俺」にとっては、一定時間ステータスをブーストする即物的なものにすぎなかったが、シンや夜やクレアにとっては生活を豊かにする重要な要素だ。
三人ともに「料理」は得意で、中でもそれぞれに得意分野が分かれていた。
今俺が置かれている状況に似通った物語でよくある、現代料理で「この人すごい!」は望めそうにないな、と苦笑いする。
とはいえ酒場でいきなりハンバーガーがメニューに載っているわけでもない。
いかにもな料理を数点と、果実ジュースを頼み、日が暮れるのを待つ。
深くかぶった外套のおかげもあってか、夜の美貌に絡んでくるという、お約束を発生させることもなく時間を過ごせた。
『さて、おまたせしました』
街の騒ぎはまったく収束してはいないが、時間が経過すれば日は暮れる。
宵闇の中に浮かぶ「天空城」は、現時点でだれも住人がいないにもかかわらず僅かな光を帯び、幻想的な空気を昼間よりいや増している。
「吸血鬼」としての夜のスキルが使用可能になると同時に、俺たちは路地裏で影の中に沈み、影を渡ってゆく。
スキル「影渡り」を使用すれば、夜に侵入できない場所はない。
影が一切存在しない空間などほとんどありはしないし、ほんの少しでも影があればそこから出入り可能なのだ。
この騒ぎもあって、一段と厳重になっている王宮や聖殿の警備をまるで無視してあっさりと侵入する。
スキルを使用している夜は今時分がどこにいるのかを掌握できているが、一緒に影に潜っているだけのシンにはまるで解らない。
もっとも「三位一体」が発動しているため、俺には夜と同じように今どの影の中にいるかを把握できてはいるが。
『このあたりのはずですけど……』
周囲に人がいないことを確認して、影から外に出る。
確かにここが、あの瞬間クレアが剣と盾を装備して仁王立ちしていた聖殿だ。
それは間違いないはずだが、夜のような封印にとらわれたクレアはいない。
『いませんね』
『どういうことですの?』
『封印ごとどこかに移動させられたってことだよな』
それしか考えられない。
俺以外に封印の解除は不可能でも、封印ごとどこかへ移動させることは可能だったというわけだ。
まあ聖殿中央とはいえ、それなりに人の出入りが激しいこの場所に、封印されたクレアをそのままにしておくわけにはいかなかったということだろう。
しかし動かせたんだな、封印。海の底に沈められてたたりしたら厄介だな。
冗談はさておき、「三位一体」を強く発動する。
こうすればある程度だが、夜とクレアがどこにいるのかは伝わってくる。
幸いにしてクレアはこの聖殿内にいるようだ。
なんか下のほうにいるみたい。
少し探せば見つかるだろう。
『近くにはいるみたい。すぐいくよ』
『お待ちしておりますわ、我が主』
『夜、すまないが頼む』
そう声をかけるが返事がない。
確認すると、夜は聖殿中央の壁をじっと見つめていた。
『夜?』
『どうかしましたの?』
疑問の声をかけると、夜がこちらを振り向いた。
ちょっとびっくりしたような顔をしている。
『あ、すいません。……ちょっとこれ、シン君どう思います?』
そういって壁のほうを指差す。
いまだ封印状態のクレアには訳が解らないだろうが、夜が何かを見つけたことは伝わるだろう。
『なにかありましたの?』
『これ?』
聖殿中央とはいえ、人のいない時間はもちろん暗い。
夜は「吸血鬼」の目を持っているから昼間と変わらぬように見えるのだが、種族としてはただのヒューマンである俺の目には真っ暗な聖殿がおぼろげに把握できるだけで、夜が驚いているなにかを見ることはできない。
「三位一体」で夜の眼に映っているものは見えてるんだけどな。
意識をそちらに集中していなかったので、夜が何か宗教画のようなものを見ていたのはわかっていたが、それが何なのかを認識してはいなかった。
が、これは……
『これ……私たち、ですよね?』
そこに絵描かれているのは、俺と、夜とクレアが経てきた冒険と思われるものだった。
ウィンダリア皇国出身のシン、フィルリア連邦出身の夜、アレスディア宋国出身のクレアが出会い、三国の問題を解決し、その根底にあった世界の危機を救った物語。
これは「F.D.O」のグランドクエストをそのまま物語にしたものだ。
他にも拡張クエストや、クレアの神子転生クエストが物語になったものもある。
この聖殿中央の壁はもちろん、天井に至るまで描きつくされているのは、俺たち三人が経てきた冒険をすべて物語にしたものだった。
『……救世神話』
絵とともに記されている物語、その題を読んで愕然とする。
千年後のこの世界において、俺たちは救世の英雄として、神話として書き記されている。
この空間にあるのは、いわゆる最終イベントのものまですべてが書かれている。
書かれていないのは、俺にとってのつい先刻、世界の終わりに関わる部分だけだ。
おそらくそれは、移動されたクレアとともに記されている気がする。
なんてこった、千年の経過を経てこんなことになっているとは。
俺がショックを受けているのは、俺たちの冒険が神話とされていることでも、千年後の世界での俺たちがえらい有名人になっていることでもない。
そんなちゃちな問題じゃない。
アレスディア教の聖殿中央に神話を絵描くことを許される絵描きは、相当な腕の持ち主だろう。
事実、書かれている俺たちの冒険は、今にも動き出しそうな躍動感に満ち溢れている。
美しい夜の横顔、凛々しいクレアの表情も、本物に劣らない素晴らしさだ。
夜やクレアを直接見たことのある、千年前の画家にしか描けはしないだろう。
『……これ……シン君、ですよ、ね?』
笑いをこらえる夜の声。
『なんですの? なにがありましたの?』
見えていないクレアには解るまい、この屈辱。
『だ、だれだよこれはあああああああああ!!!』
そこに絵描かれているのは、黒髪黒目なことを除けば、俺と一箇所すら共通点はないんじゃないかと思えるような美丈夫。
こちらは本物どおりに美しい、夜とクレアを従えて世界を救っている。
引き締まり、均整の取れた長身痩躯、つややかな黒髪、鋭く凛々しい瞳、すっきりと通った鼻梁、引き締められた口元が鋼の意志を伝えるようだ。
構えられた拳はすべての理不尽を粉砕すると信じられそうだ。
ほんと誰だよこれ。
「救世の英雄シン」じゃねえよ。
美化にもほどがある。
というか美化するしかなかったんだろうな、夜とクレアに釣り合うように描くには。
ごめんな千年前の名画家さん、気を使わせて。
苦労しただろう、二人を知ってるってことは俺も知ってたはずだもんな。
でもこれ、もう美化じゃなくて別人だよ。
決定。
人前に出るときは夜とクレアは仮面必須。
俺には必要ない。
夜笑いすぎ。
クレア「後で必ず見ますわ」じゃねえよ。
何だこのやるせない感じ。