第13話 再会 ―夜―
結論から言えば、「天空城」の転送装置は生きていた。
というよりも城内に入ると、外で感じたのとはまるで逆、本当に千年も経ってるのかというくらいシンの記憶と変わらぬ状態だ。
埃が溜まっているわけでもなく、汚れが染みついているわけでもない。
城内まで木々が生茂っていることもなく、ただずっと動いていなかったであろう空気だけが、千年の経過を幽かに伝えてくる。
玉座のある広間、その扉が開いてゆく。
経過時間としては千年ぶり、「シン」としては数時間ぶり、俺にとっては初めての夜との対面だ。
それだけでも鼓動が速くなっているのに、これで本当に裸ならちょっとあれだな……
壮麗な大広間の中央に玉座があり、その上に水晶で出来た大星型十二面体多面体、おそらくあれが封印結界なのだろう――が浮いている。
高い天窓から差し込む光に反射して輝いている。
まさか本当に「守護人形」がやっているのだろうか、封印結界の周りは摘まれたのであろう、色とりどりの花で埋め尽くされている。
水晶の色彩は、鮮やかな紅。
夜の瞳と同じ色。
自然体で両手を少しだけ広げ、俯きがちに目を閉じている。
長い黒髪はまるで水の中にいるように広がっているが、揺らぐことはない。
喜べクレア、どうやらポーズは当時のままじゃないみたいだぞ。
素っ裸であることは確定したが。
見慣れた、同時に初めて見る完成された美貌。
当然だ、俺の理想を一切の妥協なく具現化するために、キャラクターメイキング画面と終日格闘した成果だ。
顔の各パーツから、身体のラインに至るまで、すべてが完全に俺にとっての美の具現。
ただそれを実際に目の当たりにすると、ここまで心を奪われるものとは思っていなかった。
ある意味自分が作った、などということはどうでもよくなり、ただただ見惚れる。
こんな娘に想いを寄せられて、たまに誘惑もされて、あれもあって、よく一線越えてないよなあ、シンというか俺。
それだけ「三位一体」の弊害は強いということなのか。
半透明な各面に、封印されて眠っているような夜の姿が部分的に映っている。
すごい、これ裸なのはすぐにわかるけど、肝心なところが絶妙の精度で見えなくしてる。
魔法か、これ魔法なのか。
封印結界だから当たり前か。
偶然ここに踏み込んだ立場なら、どこか一面くらいは「見えてる」面があるんじゃないかと全面確認する自信があるわ。
このお預け感といおうか、釣っといてあざ笑う悪意と言おうか……
『あのう……』
あ、「今から扉開く」と伝えてからかなり長いこと沈黙してた。
これは拙い。
『……もしかしてシン君今、私の目の前にいたりします、か?』
勘が鋭い。
というか流れとしては当然そうなるよな、それが可能なだけの時間が無言のままに経過したわけだし。
『……堪能してましたのね。夜の裸体を余すことなく』
その言い方やめて。
夜の綺麗さに魂奪われてたのは確かだけど、裸見て興奮してたわけじゃないんだ。
いや多面体全面確認しそうにはなったけども。
どういっても言い訳くさい。
『クレア、喜べ。ポーズはまともだ』
話題を変える事にしよう。
『ポーズを確認できるってことは、やっぱり見てるんですね、今。どんなポーズなんでしょうか、私』
『素っ裸を現在進行形で見られていながらその動じなさ。自信! 自信家ですのね!?』
……全く変わりませんでした。
後クレア落ち着け。
『いや見てはいるけど、封印結界がなんというかわかるかな?水晶の多面体になってて、顔とか手足とか一面ごとに部分的に見えて裸であることは解るんだけど、肝心なところは見えてないというか』
もう状況をそのまま説明するしかない。
しかしこれ、確かに大事な部分は見えてないとはいえ、裸であることははっきりわかる。
目を閉じて眠るような表情は、夜の元々美しい造作もあって神秘的で人を惹きつける。
クレアも同じ状況だとすると、おそらくかなり荘厳さをもった封印結界になっているのは間違いない。 夜もクレアも黙ってさえいれば、神族と言われても誰も疑問を持たないレベルの容姿を持っているわけだし。
これ、クレアが御神体として奉られている可能性が高まったな。
『肝心なところ……ですか』
『な、生々しいですわね』
駄目だやっぱり俺も動揺しているのか、言わなくてもいいことを言ってしまうというか、言い回しが我ながらグダグダだ。
夜に「肝心なところってどこですか?」なんて突っ込まれたら即詰む。
『あー、もうごめんて。とにかく裸になってるのは確かだけど、外から見たらそうとわかるだけで見えてはいない。見惚れたのは認めるから勘弁してくれ。とりあえず封印結界解けるかどうか試すよ』
もう開き直って本題に入るしかない。
このまま夜の封印状況について話を続けていたら、要らん傷を負うだけだ。
『あ、シン君。そのまえにちょっとお話しいいですか?』
『またあらたまってなんですの?』
さすがに自分の裸をネタにして話を続ける気はないらしく、話題を変えることを認めてくれたようだ。
しかし、封印解除の前にしたい話ってのはなんだろう。
というか、封印解除の前に話をして置きたいっていうことは、解除されれば即、あれが始まることを自覚してるってことかもしれない。
『なに?』
『私たちのことを再確認です』
『……』
確かに現状になってから、合流優先で、通り一遍のことは説明してはいたが、お互いつめた話はしていない。
その余裕がなかったというのもあるが、夜があれの前にきちんと話をして置きたいという気持ちはわかる。
先の話では「俺」を「シン」として受け入れていてくれはしたが、パーティーチャットを介しての会話だけと、封印が解かれた後、共に行動する事はやはり重みが違うだろう。
なにより「シン」の前でだけ見せていたあれが封印解除後、即起こるのなら、ここでの話というのはごく妥当だ。
『シン君が、宿者としての力の源であった存在と一つになっていることは、説明してもらったので理解できてます。少なくともそのつもりです』
『ですわね』
俺の説明を、自分たちなりに納得していることを夜とクレアが言葉にする。
少なくとも「俺」を全くの他人や、シンのふりをしている不審者とは思っていない事位はわかる。
それは「三位一体」や「神の目」もさることながら、千年後の世界で意識を取り戻したのちのやり取りによるところも大きいだろう。
シンと合一してお互いの記憶を共有している俺と違い、夜やクレアにとってみれば「俺」は万が一でいうなら、偽物という可能性だってあるのだ。
一人称もしゃべり方も「シン」とはほど遠いと自分でも思う。
逆によくもまあ、ここまで「シン」として信じてくれるものだと思いもする。
『その上で、少なくとも私のシン君への想いは変わりません。目が覚めてから今までの自分の気持ちでも、それは確信できます』
『わ、私もですのよ? ちょっと大人びたくらいで気持ちが変わったりはしませんもの』
あれ、主題は俺の思っていた通りだけど、話の方向はちょっと違うのかな。
「シン」対する不信、とまではいかなくても俺が混ざった「シン」に対する距離の取り方とかの話だと思ったんだが。
クレアの方はちょっとキョドってるな。
信頼とかそういうのじゃなくて、「シン」独特の初々しさが消えていることに対する違和感は強いだろう。
なんちゃってお姉さんを演じてきていただけに、なおさら。
そう考えれば、夜は常に自然体だったなと思う。
『ですよね。で、わざわざ確認なんて言い出したのはシン君の気持ちを確認しておきたかったからです』
『俺の?』
俺の気持ちの何を確認するというんだろう。
『私にとってのシン君は、今のシン君であっても何も変わりません。でも今のシン君にとっての私は、以前のシン君にとっての私と同じとは限りませんよね?』
『……あ』
なるほど、そういうことか。
クレアも思い至ったのか思わず声に出ている。
そうだよな、ヘタレてはいてもシンと夜、クレアはお互いの気持ちをちゃんと確認し合っている。
だからこそ、シンの記憶にあるような夜のあれも、クレアの月に一日の問題も、三人で共有できている。
それに対して、夜もクレアも「私たちは変わりませんよ」と明言したうえで、「あなたはどうですか?」と確認してくれているのだ。
『アストレイア様が想いを寄せた相手でもある今のシン君が、私たちを、いえ私のことをどう思っているのかを教えて欲しいんです』
ああ、それもあるのか。
夜とクレアが好きなのは「シン」。
そして今は合一しているとはいえ「俺」は、夜やクレアと直接語ったことも旅を共にしたこともなく、女神アストレイア様の想い人だということが当の女神様本人から二人には伝わっている。
自分たちが「邪魔者」である可能性も考えているってことか。
『ごめんなさいクレア。封印から解かれて、一緒に行動するようになる前にどうしても確認したかったので、なんか抜け駆けみたいになってしまって』
『構いませんわ、私とて聞いておくべき事だと思いますもの』
封印解除の順番が自分になったことで、クレアに先んじてこのような問答をすることになったことを詫びる夜を、クレアが了承する。
昔からこういうやりとりで二人がぎくしゃくしたところを見たことがない。
『変わらないよ。遠慮とか気遣いじゃなく、俺とシンの記憶が一緒になった上で断言できる』
なんかちょっと来るものがある。
この世界に来ることを選んだのが、間違いであったと思ったことはなったけれど、この会話だけで十分報われたような気がする。
こんな風に思われることは、あっちでどれだけ生きてもなかっただろうし、今のこんな気持ちを知ることなく生きていたのだと思う。
だから嘘偽りない気持ちを二人には伝えよう。
『「俺」の夜とクレアに対する気持ちってのはちょっと特殊でさ。正直すべてを理解したら、さすがの夜とクレアでもちょっと引くんじゃないかな。今はまだ勘弁してほしいけど、いつか全部話すから信じてくれると助かる』
さすがに今の段階で、実は俺にとって二人は俺が創造したともいえる存在であり、容姿や性格はもとより、「シン」に向ける想いすら、俺がある意味創造主ゆえのことであると伝えるのはしんどかった。
二人とも何か思うところはあるのだろうが、そこは認めてくれたようだ。
『……もうちょっと踏み込んでいいですか?』
その上で、夜がちょっと恥じらいを含んだ声で質問を重ねてくる。
うん、わかる、ずーっとヘタレてた「シン」に「俺」が混ざったこと。
今、お互いの想いを再度確認したこと。
そうなればふつう、この後どうなるかは明確だ。
……だけど。
『何を言いたいかはわかってるつもりだけど、それももうちょっと保留できないかな。「俺」なら今すぐにでも、っていう望みもあるんだよ。でも照れながらも、ヘタレながらも夜とクレアをすごく大事にしてきた「シン」の想いも軽く扱いたくないんだ」
これはヘタレてるわけじゃなくて正直な気持ち。
いやヘタレている部分があるのも認めるし、夜やクレアにはわからないだろうけど、「三位一体」の弊害をどうにかしなきゃならないっていう問題もあるけど。
『「俺」だって、今はもう「シン」なんだよ』
雰囲気や欲望だけで動けないのは本音なんだ。
「俺」と言ってるだけで、本当にシンでもあるんだよ。
『……躱された気もしますが、今は納得しておきます』
『……助かる』
恥、かかせてるよなあ。
女の側からここまで言わせたうえでのまたもや保留だ。
いずれちゃんとしよう、いろんな意味で。
『大人! 大人の会話ですのね!?』
クレア良いぞ。
こういう時は耳年増の、実は純真無垢は助かる。
『シン君の気持ちはわかりました。でもそれならこの後封印解いた後はよろしくお願いしますね』
『やっぱりあれがでますの?』
『申し訳ないんですけど、千年経過しているのが本当っぽいんで、まず間違いなく』
やっぱりそうか。
それがあるからこそ、先にこの話をしたともいえる。
シンの記憶にあるあれならば、まだ夜は自分で制御できていた。
もしそうなっても後悔しないように先の会話があったのであれば、夜自身今回は制御しきる自信がないのかもしれない。
『まあ、何とか踏ん張るさ。おっさんには欲望もあるけど、意地もあるしな』
『お願いします』
覚悟を決めて緋色の封印結界に触れる。
予想通り、俺を認識した瞬間、水晶の大星型十二面体多面体が音を立てて崩れてゆく。
「……あ」
パーティーチャットではない、生の夜の声が微かに耳に届く。
封印結界の大きさから、高い位置に封印されていた夜の身体が、重力に引かれて落ちてくる。
うわあ、ほんとに裸だ、と思いながらも受け止めるしかない。
極力意識しないように、「格闘士」の持つ体術を駆使して、衝撃の無いように受け止めた。
まさにお姫様抱っこの状態、ただしお姫様全裸。
閉じられていた瞼がゆっくりと開く。
見慣れた、初めての、美しく潤んだ真紅の瞳の焦点が合い、俺の視線を捉える。
「……服着てくれ、って言える状況じゃないかやっぱり」
封印されていた先程までとは全く違う雰囲気で、夜が自分を抱いている俺の首に両腕を回す。
潤んだ瞳、熱い吐息、じわりと浮き出した汗に濡れて光る肌。
熱に侵されたような潤んだ瞳が、徐々に赤光を発してゆく。
間違いない、あれだ。
吸血鬼である以上避けえない、「吸血衝動」。
さて、かっこつけた手前、ここは意地の見せ所だな。
「……シン君の、血」
ぞっとするような色気のある夜の声が、俺の耳元に響いた。
「……ください」