余話 世界に在りて ―another―
最近繁忙期で忙しかったからなあ……
今日もまた終電での帰宅。
三月末の決算を前に、業務用の清掃用品や環境美化用品の需要はピークを迎える。
毎年繰り返される二月から三月末にかけての繁忙期は、俺の仕事場である購買業務課にとっても地獄だ。
まあ営業の連中みたいに、毎日納品でふらふらになっているよりはまだましかもしれない。
無理な納期や、お前が発注忘れていたんだろうがと、喉まで出かかるお偉いさんの無茶にも最近は慣れてきた。
忙しいけど、それなりにやりがいのある仕事。
身体や頭はどれだけ疲れても、心を病むような心配はない。
なぜかちょっとやそっとの拘束時間や、仕事の負荷などで自分が病むなどありえないという深い確信がある。
そんな自信過剰な方ではないと思うんだが、なぜだろうな。
どちらかと言えば、実績を積んで自信とするタイプだと、自分の事を思っていたのだけれど。
根拠のない自信を持つことなどこれまでの人生でなかったことだ。
まあともあれ、激務で身体を壊すことくらいはあるかもしれないが、ノイローゼになったり鬱になったり、ましてや幻覚を見るような事とは縁遠い人間。
――その筈。
――なんだが。
今朝目が覚めたら一人暮らしの俺の部屋に、ものすごい美女が二人いた。
目覚める俺を、布団の左右にから心配そうに見下ろしていた。
普通に夢の続きだと思ったね、夢見てなかったけど。
うんエロゲとかでも最近ないよな、そんな導入。
しかも黒髪の方は見おぼえないけど、金髪の方は俺が知ってる存在なんだ、これが。
俺が十年以上はまっていた、MMORPG「F.D.O」の創世神アストレイア様を、そのまんま現実にしたような容貌。
よく覚えていないが、本人もそう名乗っていたような気がする。
あまりの事に二人がいう事をろくに聞かず、風呂場へ逃げ込んでスーツに着替えて出社した。
夢とか妄想とかじゃない、もっと恐ろしい何かだ。
一瞬誰かの悪戯も考えたが、あんな美人を二人も用意出来るわけがない。
というか本当にこっちでは見た事もない美人だ。
しかもアストレイア様そっくり。
何より身に付けている衣装が、現代日本のものではありえない。
最近のコスプレは、口が裂けても安っぽいなどと言えないような造り込みをしているのは知っているが、そういう次元の代物でもなかった。
あれは少なくとも今までの俺の人生で、触れる機会などなかったようなレベルの衣装だ。
要所要所についている宝石類がどう見ても本物。
購買という仕事柄、深くはなくても素材の知識はそれなりにある。
あれは本物。
という事はあれだ。
俺の妄想が、俺にとって現実としか感じられないレベルで暴走しているという事しか考えられない。
一人はアストレイア様、もう一人も思い出せないけど見覚えというか、知っている気もするし。
自分の妄想する女性の理想形を、あたかもそこに居るように感じてしまうレベルの妄想。
やばい。
どれくらいやばいかというと、他人に話せば職を失うレベルでやばい。
これで家について、まだ見えるようなら病院へ行こう。
いや消えていても念のために行こうかな。
俺、そんなに欲求不満なんだろうか。
「F.D.O」のサービス終了は、自分が思っているより自分に与えた影響が大きいのかもしれない。
だけどもしそうなら、なんで俺の複垢、妄想具現化プレイヤーキャラクターである夜とクレアじゃないんだろう。
――だって二人はシンのものだからなあ……
自分の思考に、無意識が反射的に答える。
まあ確かにな。
だったらなぜアストレイア様と、見知らぬ、だけど知っているような気がする黒髪の美女なんだって話だ。
家に着いた。
一人暮らしのそれなりに小奇麗なマンション。
扉を開けたら、そこには見たことのない美女が二人俺の帰りを待っています。
なんてすばらしい状況。
なんてありえない妄想。
もしまだ見えたら、ある意味人生終了かも知れない。
意を決して鍵を回し、ドアを開ける。
「……お、お帰りなさい?」
「これでいいのか? 本当にこれで間違っておらんか?」
三和土で三つ指ついて、二人の美女が俺を出迎えてくれている。
膝から下の力がへなへなと抜ける。
もう俺はダメだ、妄想の世界の住人になってしまった。
誰かこの俺の幻想をぶち殺してくれないか。
思わず頭を抱えて座り込む。
「ほ、ほらみろ。シン殿の言った通りじゃないか。無理するなと、この世界で不自然じゃない出会いから始めた方が無難だと言っておったじゃないか!」
「で、でもそんなのどうしていいかわからないですし、せっかくこうして一緒に居られるのに我慢できませんし、しょうがないじゃないですか!」
「でも主殿頭抱えておるぞ。シン殿も言っておったじゃないか、俺なら自分が病気になったと思うかなあ、って。思われとるぞ今、間違いなく」
「えーっとあの、病気じゃないですよ? 私たちは本物……って言っても今はシン様が記憶を一時的に封印してるからわからないですよね。どうしましょう?」
「儂に聞かれても知らんわあ!」
目の前で、俺の妄想が言い争いをはじめた。
――シン。
俺が十年以上やっていた、人生で一番はまったゲーム、「F.D.O」で、俺が使用していたプレイヤーキャラクターの名前。
夜とクレアを両翼に従え、世界の危機を何度も救った「英雄」
「F.D.O」サービス終了と同時に、夜とクレアとともに消えてしまったはずの、俺の分身。
それが何故こんなに懐かしく聞こえる。
俺の妄想が口にした言葉で。
涙が出そうになる。
なんでだ。
知らない筈の記憶が、浮かび上がる。
『――見たか。俺の中にあった俺の欠片を核にして、消え散った魂をかき集めてやったぞ。記憶はやらんがな。こっちは俺に任せて、そっちでアストレイア様と神竜と、楽しく暮らせ。アストレイア様と神竜の力はそのままにしてある、その気があるならやりたい放題もできるぞ。後こっちとは自由に連絡できるようにしている。気が向いたら連絡くれ。――あるいはこのメッセージを思い出さないまま、ふってわいた美女二人に振り回されて暮らすのも悪くないかもな。じゃあな。俺は待たせている人達が居るからあっちの世界へ帰る。――千年、おつかれさまでした。ありがとう』
合わせ鏡の空間で、一方的に話しかけているシン。
擦り切れて消えてしまった俺を、救ってくれたのか。
どれだけ時間がかかったものやら。
こちらこそだ。
本当にありがとう。
「アストレイア……神竜……」
目の前の二人が誰か、今はもうわかる。
どんな思いで、今ここにこうしていてくれているかも。
「私が……解るんです、か?」
「主殿、記憶が?」
泣きそうな顔で、アストレイアと神竜が、おそるおそると言った風に確認して来る。
「ああ。――ただいま、二人とも」
答えると、言葉もなく泣きながら抱きつかれた。
ああ、やっと触れ合えたな。
千年ぶりだ。
あたってるあたってる。
それにいい匂いだ。
これから、よろしく。
シンのメッセージに不穏なものが含まれてた気がするけれど、気にしないことにする。
複垢プレイヤーの俺が、「異世界」を召喚した。
無双もしなけりゃならんかな。
fin
本当に、ありがとうございました。
これにて完結です。
今後いくつか書き切れなかったエピソードや、後日談を投稿予定です。
その時はまたお読みいただければ嬉しいです。
ではまた、いつか。
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