最終話 世界に在りて
あれから一年が経過している。
大々的に行われた武闘大会からの一連の騒動。
神竜と創世神が戦い、「天空城」が墜ち、神竜同士が激突した。
その最中に魔物の第二次大侵攻が発生し、月までが墜ちようとした大異変。
人々に「月墜事変」と呼ばれるその出来事の、真実を知るものはほとんどいない。
その結果、この世界を縛り続けていた「システム」の支配が消えたことを知る者も。
それを成し遂げた英雄シンの意識は戻らぬままだ。
そんな中、復興を必要とするほどダメージを受けなかった世界は、今日も平和にその営みを続けている。
巨大な蒼い月にも、人々はもう慣れてしまっている。
英雄が、神々が自分たちを守ってくれた象徴として、親しんですらいる。
その神々は消え、英雄も消えても人々の暮らしは当たり前のように続く。
魔力は充分にめぐり、魔物は相変わらず湧出し、一年前の「救世の英雄」の再臨から世界にもたらされた恩恵は、その本人の意識が戻らずとも、今日の世界に降り注いでいる。
「今日もシン君は起きませんね。――寝坊助さんめ」
夜。
英雄シンの両翼、その片翼。
「天空城騎士団」№Ⅱ。
紅眼黒髪の美貌は、シンを待つこの一年でより深みを増している。
想い人の意識が回復するのを待つ憂いがそうさせるのか。
「意外とのんびり屋ですもの、我が主は」
クレア。
英雄シンの両翼、そのもう片翼。
「天空城騎士団」№Ⅲ。
金眼金髪の華やかな美しさは、最近大人びた色気を漂わせている。
こちらも想い人を待つという日々が、その想いがそうさせているようだ。
復活した「天空城」で、今日もシンが目覚めるのを待ち続けている二人。
一切の公職につかず、人前に姿を見せることもない。
シンが目覚めるまでは、世界に関わる気は一切ないようだ。
「天空城騎士団」の団員しか、逢うことすら叶わない。
シンの世話に、他者の介在を一切許さず、自分たちだけで行っている。
「天空城」に立ち入れるのは「天空城騎士団」の団員のみだ。
「このままだと我が主、夜の吸血専用眠り姫ですわね」
「そ、その言い方。その言い方。クレアだってたまに舐めてるじゃないですか。身体を拭くとか言って、術式で済むところを自分でやってる時に」
「見てましたの?! 見てましたのね?! ピーピング夜!」
憂いの影を持とうが、色気を漂わせようが、基本は相変わらずのようである。
凜として立つ姿しか知らぬ人々が見ればさぞや驚愕するだろうが、これが二人の本質ともいえる。
「早く起きてくれないですかね」
「ですわね。でも気長に待ちますわ。千年に比べればまだたかが一年ですもの」
「確かにそうですね」
千年を己の想い人のために費やし、そのため消えてしまった男がいる。
そんな悲劇を否定するために、神に等しい力を得たシンはその全能を駆使している。
未だ目覚めないという事は、まだ目的は果たせていないという事だ。
それを待つ自分たちが、たかが一年で情けないことを言うわけにはいかない。
千年であろうが、二千年であろうが待ってみせる覚悟がある。
実際にそれをやってみせた、アストレイア様や神竜の想いに、自分たちの想いが並ばぬはずがないという確信を持っている。
実際にフィオナという、約束もないままに千年を待った同輩が居るのだ。
負けてられません(わ)、というのが正直なところだろう。
それでも一日でもはやい覚醒を望むのは仕方がない。
望めば触れられる位置にその身体はあるとはいえ、言葉を交わし、触れて貰えないのはやはり寂しいのだ。
「ところで神竜はまた狩りですの?」
「ええ、本体はガラニエ渓谷のレアボス狩り、分体達は各地の隠し迷宮攻略らしいです。「神殻外装」としてではなく、神竜としてシン君の敵を排除できる絶対的な強さが欲しいって、一日も欠かしませんね」
神竜。
最初に「堕神」から解放され、「神殻外装」としてシンの最大戦力となり、両翼と称される夜、クレアに劣らぬ立ち位置で支えた竜の神。
「天空城騎士団」№Ⅷ。
シンの側に立つための分体は、竜眼を宿した少女の身体。
己の望む形に出来る分体を「主殿はこの姿の我を気に入っておったから」と、一切変えるつもりはないようだ。
その発言が、一部で「英雄シン」のロリコン疑惑が囁かれる原因となっている。
もっともロリコン「でも」あるという説が強いのは、夜、クレアの存在が強いだろう。
「神殻外装」で戦った際、目の前でシンの消失を目の当たりにしたことが――厳密に言えば消失ではなかったが――相当な心的外傷になっているようで、二度とそんなことが起こらないようにと、少々病的な育成に日々勤しんでいる。
「あ、光った。これでガラニエ峡谷一帯はしばらく魔物枯渇地域ですね」
「また「冒険者ギルド」――ヨーコ様から苦情が入りますわね」
「天空城」から遥か東、ガラニエ峡谷の方向に、一瞬強い光が生まれる。
神竜の「流星光雨」だ。
ガラニエ峡谷のレアボスともども、あたり一帯の魔物を一撃で根こそぎ殲滅しているのは間違いない。
最近はトップランクの「冒険者」の中には、ガラニエ峡谷のような「高難度地域」を攻略可能な者たちがぽつぽつ出てきている。
準備を整え、意を決して「高難易度地域」に踏み入れても、魔物が全く存在しない場合がある。
それを冒険者たちは「神竜の凪」と呼んで恐れている。
同時に殲滅しているという事は、同時に湧出するのだ。
一年前から、攻撃的な魔物は存在しなくなっているが、敵対意志共有はする。
目の前に湧出していた魔物と戦っていると、周りに次々と湧出して、敵対意志共有するという惨事が幾たびかあったらしい。
幸いにして、かなりのレベルマージンを取ることを徹底している「冒険者ギルド」の方針のおかげで死者は出ていないものの、危険なことには変わりない。
発見されるたびに、「冒険者ギルド」のマスターであるヨーコから、クレームが入るのだ。
フィア・ヨーコ。
「英雄シン」の再臨時、最初に駆け付けた、氷術式と格闘の二重職マスターである「異能者」の一人。
「天空城騎士団」№Ⅳ 兼 冒険者ギルドマスター。
肩の所で切りそろえた銀髪、褐色の肌、すらりと高い背に十分なボリュームを伴ったスタイルは、たかが一年で崩れるものでもない。
そもそも彼女は、千年以上を実際に生きている「ダーク・エルフ」であるのだ。
「ダーク・エルフ」であっても、あるいはある故か。
有力な冒険者をはじめ、想いを寄せる男性は枚挙に暇がないが、全て袖にしている。
「英雄シンの愛人」を自称し、時に嫁勢と諍いを起こしているとの噂がある。
本人に意識がないのに、愛人も何もあったものではないのだが。
たった一年の間に、今や国家単体よりも巨大な戦力を抱えるに至った「冒険者ギルド」を、破綻させることなく運営する手腕を高く評価されてもいる。
本人の圧倒的な戦闘力に加え、トップランカーである「冒険者」達のほとんどが、彼女の信者であることも大きいだろう。
「報われぬデリオ」もその一人として、冒険者ギルド本部付のトップランカーとして名を馳せている。
その二つ名はどうかと思うが、年の離れたパーティーメンバーと、なんとかやっているようだ。
「何回言ってもあのバカ竜は。まあ目の前でシン様が消えるのを見たのなら仕方ないですか」
冒険者ギルド本部の「広域魔物哨戒システム」が捉える光点が、ガラニエ峡谷の一帯だけぽっかりと消失するのを見て、ヨーコがため息をつく。
神竜に「冒険者達の危険」を説いて聞かせれば申し訳なさそうな様子を見せるが、高難度領域にまつわる利権や思惑を解いても理解はしてくれない。
高レベル魔物から取れる素材やアイテムは、今や経済に大きくかかわっている。
だがそんなものにまるで頓着しない神竜が、好ましくもある。
シンが目を覚ました時に褒めてもらいたくて、胸を張りたくて育成に勤しむ神竜の行動基準は、方向こそ違えどヨーコと何も変わらない。
もはや世界に必須となっている「冒険者ギルド」を盤石とすることで、シンに認めてもらいたい。
夜やクレアは愚かではない。
それがどれだけ大変で、それ故に価値がある事かを理解している。
その上でシンが認めれば、愛人の座くらいは認めざるを得なくなるだろうと踏んでいる。
冗談めかしてはいるものの、その目的は一切ぶれていないのだ。
「ギルドマスター」として威風堂々と立つ姿しか知らぬ人たちには、冗談にしか聞こえないだろうけれど。
「まあとはいえ、いまや神竜に抗しえる存在なんて、シン様以外に居ないでしょう。夜様やクレア様ですら、戦闘力という点では及ばない。私なんかは分体の一撃で消し飛ぶんじゃないかな」
アラン・クリスフォード。
「英雄シン」が再臨後、ウィンダリア皇国を訪れた際に喧嘩を吹っかけたという伝説の命知らずでありながら、男性で唯一シンの側近になった稀有な存在。
「天空城騎士団」№Ⅵ 兼 ウィンダリア皇国騎士団長。
復活した豪奢な金髪は未だ艶やかで、その男前な容姿を維持している。
先頃フィリアーナ公爵令嬢との結婚が発表され、部下たちには「禿げろ」と陰で言われている。
まれに「戻れ」という言葉も含まれているようだ。
「天空城騎士団」唯一の男性の結婚とあって、各国各貴族の思惑は渦巻いていたようだが、「世界会議」代表アデルの「また尻尾踏んでみます?」の一言で霧散、滞りなく結婚は認められた。
式と披露宴をいつするか、いろいろと憶測されているがシンの覚醒を待っているとも言われている。
なぜかアラン騎士団長は一年前から禁酒中であり、それを破る気は全くないようだ。
そのくせ「結婚式はともかく、酒の呑めない披露宴なんて」と言っているとも囁かれ、それがシンの覚醒と実は密接な関係があることを知るものは少ない。
「軍人」と「冒険者」に関わる、あらゆる調整を行うために、今日はヨーコの執務室まで出向いている。
今や「ウィンダリア皇国騎士団長」の身分では、「冒険者ギルドマスター」を皇城に出向かせるわけにもいかなくなっているのが実情だ。
もっともこの二人はそんなことに頓着しておらず、「冒険者ギルド本部」の機能が、二人が取り決める各種内容に便利だからそうしているに過ぎない。
「まあ戦力としてはそうでしょうね。シン様がお手って言えばお手しそうですけど」
「それは貴方もでしょう。本当にシン様の周りを固める女性はみな個性的でびっくりしますよ」
「自分で言っておいてあれですが、いいですねペットプレイ。シン様が目覚めたらぜひ提案してみましょう。――しかしアラン騎士団長、今の台詞を主筋のお二方にも言えますか?」
「あー……でも本当の姿知ってますからねえ、我々は。貴方だって「天空城騎士団」以外には「銀雹」とか呼ばれてますしね」
シンが好んで使う属性である雷に縁のある「雹」を自身が得意とする「氷系統術式」にかけ、その銀色の髪と合わせてそう呼ばれている。
アラン騎士団長は、ヨーコ自らこの二つ名を流しているのではないかと疑ってもいる。
ちょっと出来すぎだ。
今、ヨーコとアラン騎士団長が話題に出した、主筋のお二人。
その二人は今、新設された「王立魔術学校」の一年生にして生徒会長及び副会長として頑張っている。
学校に通うような年齢層にとっては、ある意味シンや夜、クレアを凌ぐ人気であると言っていいかもしれない。
「――っくし!」
フィオナ元第一皇女。
「英雄シン」に再び会うために、両儀四象の一角、ウィンダリア皇国の守護召喚獣「天を喰らう鳳」と合一してまで千年の時を越えた、肉体年齢十一歳の少女。
「天空城騎士団」№Ⅴ 兼 「王立魔術学校」生徒会 副会長。
「お風邪ですか、フィオナ姉さま?」
シルリア皇女。
再臨した「英雄シン」がウィンダリア皇国を訪れる際に偶然救われた、幼少時より「救世連盟」の人質となっていた、同じく今年十一歳になる少女。
「天空城騎士団」№Ⅶ 兼 「王立魔術学校」生徒会 会長。
成長したらとびっきりの美女になるというシンの言葉を疑う者とてない、齢十一にして可愛らしさよりも、美しさを感じさせるまでになった「王立魔術学校」が誇る美少女コンビ。
精神年齢千十一歳の落ち着きを見せるクール系美少女フィオナが副会長として補佐し、見た目通り、年相応の天真爛漫さを持つ、庇護欲直撃系美少女シルリアが生徒会長としてまとめる。
他の生徒会役員である、会計、書記、補佐の競争率は、男女問わずすさまじいものであったという。
単純な恋慕、憧れにとどまらず、二人とも「英雄シン」が拠点としたことで世界の首都と目されつつあるウィンダリア皇国の皇族、また「英雄シン」直属の「天空城騎士団」の団員とあって、誼を結びたい各国貴族の思惑がこちらも深く渦巻いていた。
「王立魔術学校」とはいえ、たかが学生の生徒会役員選出選挙に「世界会議」代表たるアデルが介入せねばならない事態となった事は、後世の笑い話として残るだろう。
「シンに相応しい女性となる」という目標をぶれさせる事なく、日々学業と女磨きに余念がない。
二人は今のところ、ほぼ同数の交際申し込みと、同数のごめんなさいを誇っている。
年上も含めて心酔する同性は数限りなく、彼女らが年頃になり夜会の主役になる頃には、その伴侶候補を含めて一大勢力になる事は疑いない。
公的な立場でいかに偉そうにしていても、家の嫁には勝てないのが世の男性の習いだ。
たった一年で、「女の子」が「女の貌」をするようになっている事実に、目覚めたシンが感じるのは男としての驚きか、父親めいた感慨か。
二人にとっては女の沽券に関わるところである。
「いやだわ、明日はシン兄様のお見舞いの日なのに」
「大丈夫ですわ、フィオナ姉さま。シン様の御顔見たら、風邪なんて治っちゃいますから」
二人とも恋する乙女である。
風邪など治癒術式でなんとでもなるなどという、無粋なことは言わない。
明日は日曜日。
週に一度、「天空城」で眠り続けるシンの下に、「天空城騎士団」が全員揃う日だ。
週に一回が多いか少ないかは意見の分かれるところだろう。
だが世界を運営する側にとっては、アデル代表が、アラン騎士団長に議題を託し、他の「天空城騎士団」の承認を得る場でもあることから「御前会議」とも呼ばれている。
「眠れる王」の御前にて執り行われる、承認の儀。
バカバカしいことだ、それはあくまでもののついでに過ぎぬのに。
ただ目覚めぬ想い人に、友人に会うための「お見舞い」
それ以上でも以下でもない。
世界は概ね平和だが、それ故に思惑は巡る。
ダリューンは牢に捉われたまま、一言も発しない。
彼が応答するのは、シンが目覚めた時だろう。
クリス・クラリスも眠ったままだ。
「宿者」や「異能者」達も、変わっていく世界の中で懸命に生きている。
何もかもが動き始めたばかり。
シンが目覚めずとも、世界は回り続けている。
「クレア、クレア、今日はみんな何時くらいに来る予定でしたっけ?」
厨房で今日の料理を用意しながら、夜がクレアに声をかけている。
相変わらず和服好きなんだな。
毎日の事なのに、手を抜いている感じは全くない。
女の子の身嗜みに対する姿勢は見習わないといけないな。
あったかければ、涼しければそれでいいと言うのはいずれ嫌われる原因になりかねない。
「ええと、御昼ご飯いっしょに食べるという事でしたので、もうすぐ来るはずですわ」
答えるクレアは掃除中。
スキルや術式でなんとでもなるものを、自分の身体を使ってやっている。
義務とか、こうあるべきとかじゃなくて楽しいからやるんだと、二人とも言っていた。
ほんとに好きなんだな。
クレアは掃除中にも拘らず、かなり本格的な白のドレスを着込んでいる。
みんなで逢う日だからなのか、夜もクレアも服装に気合が入っている気がする。
「あれ……」
「――あ」
もうちょっと狸寝入りしておこうかと思ったが、気付かれたか。
俺の寝ているベッドまで、二人がすっ飛んでくる。
「シン君?」
「我が主?」
「三位一体」の感覚でほぼ確信しているんだろうけど、おそるおそるという風に声をかけてくる。
ここで寝たふりしてたら、へそ曲げられそうだな。
「おはよう」
上半身を起こして、挨拶する。
「――もう、お昼ですよシン君」
「――我が主の分の御昼御飯ありませんわよ」
泣き笑いのような表情で、普通の休日に起きだしてきた寝坊助に言うような台詞を言われる。
「結構待たせたか? ――ただいま」
「「おかえりなさい」」
二人の声が重なって、抱きついてくる。
何でもない日常の、最初の一日。
物凄い勢いで、「天空城」の上空に神竜の本体が現れる。
『主殿か! 戻ったか!』
いや久しぶりに会うのに、その威厳あふれる声止めて。
見上げる俺と、夜と、クレアの所に、分体が降ってくる。
開いた扉からは、懐かしい面々が顔を見せる。
ヨーコさん、アラン騎士団長、フィオナ、シルリア。
みんな元気そうだ。
まずはみんなでご飯食べようか。
世界に在りて。
俺達はこれから、何を想い、何をやっていくのやら。
もう一人の俺。
そっちはどうだ。
俺はこの世界で、夜と、クレアと、変わらず「三位一体」でやっていく。
なんでもない、楽しい毎日を。
いつかそっちの話も聞かせてくれ。
fin
読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。
目指していた結末に、なんとかたどり着く事が出来ました。
少しでも楽しんでもらえたなら、こんなにうれしいことはありません。
次の余話でいったんこの物語は御終いです。
今後は、語り切れなかったエピソードや、ちょっとした後日談をいくつか投稿する予定です(神竜との戦いとか)
本当にありがとうございました。