第103話 無様でも
俺がこの世界で意識を取り戻してから、その瞬間までの事は全て幻となるという事か。
いや違う、そうじゃない。
やってきたことは変わりはしない。
事実は残る。
夜もクレアも、覚えていてくれるだろう。
世界も俺が望んだ方向へ動いて行ってくれるだろう。
それに「シン」が居なくなってしまうわけでもない。
「救世の英雄シン」は、ちょっと記憶喪失になるだけだ。
それも千年とは比べるまでもない、たかが半年にも満たない期間の事だけを。
そしてこの世界を救おうと、シンと夜とクレアがともに笑っていられる世界を維持できるならと、自分の世界を放り出して来た「俺」も、その宿願を果たす事が出来る。
千年の苦しみは報われる。
「システム」の代わりに、アストレイア様と神竜とともに、世界を見守って行ってくれるだろう。
消え去るのは、幻となるのは、今こうやって思考している「俺」だけだ。
たった半年間の、「本物の俺」が敷いたレールに従って動いてきただけの俺が消えるだけで、全てはうまく行く。
それで誰が不幸になるっていうんだ。
夜とクレアはもともと好きだった、余計な混ざり物がなくなったシンと、幸せにこの世界で冒険を続けられる。
アストレイア様は自身の解放のために千年を執念に生きた「本物の俺」と、世界の守護者としてともにずっと居られる。
もともとアストレイア様は、「俺」を好きだと言っていた。
シンは少し戸惑うだろうけど、周りのみんなが説明すればすぐに理解するだろう。
ダリューンなんかは大喜びするんじゃないか。
それに完全に消え去るわけじゃない。
夜とクレア、神竜は今の俺の事も覚えていてくれるだろう。
「天空城騎士団」のみんなや、アデル代表、ユリア嬢、ナタリア嬢とブリアレオス、知り合ったみんなも半年に満たない期間しか存在しなかった俺の事を、たまには思い出してくれる。
それですべてが上手く行くならいいんじゃないか。
自己犠牲っていうのは、こう言うのを指していうんだろう。
日頃耳に聞こえのいい理想論をぶち上げていた俺になら、苦にならない選択のはずだ。
力で強引に解決することを、理想論で覆い隠していたんじゃなければ、「本物の俺」の提案に笑ってのる事が出来て当然だろう。
それでこそ、千年の重みに対峙する事が出来る。
「今のシンには酷なことを言ってるのは理解している。それに吸収に近い形ではあるけれど、これも一つの合一と言える。俺の記憶として、今のシンは残ると思うよ」
それは救いか。
救いなのか?
千年を越える記憶を持つ今の「俺」に、たった半年の「記憶」として取り込まれたとして、それは俺が続いていると言えるのか?
解らない。
それにもう二度と、今の「俺」として夜やクレア、神竜と話すことも、接することもできなくなる。
アラン騎士団長と約束した、徹夜での呑み会もできなくなる。
平和になったらあれしよう、これしようと話していたことすべてが、「俺」じゃないシンがやっていくことになる。
いやだ。
いやだいやだいやだ。
みっともなくても、カッコ悪くても、嫌なものは嫌だ。
消えたくない。
言葉が出ない。
情けない。
でも無言で首を、僅かにふる事しかできない。
呆れられるかもしれない。
愛想を尽かされるかもしれない。
そうなったら消えたくないという思い自体が霧散するかもしれない。
それならそれでいい。
でも俺は。
ずっと一緒に居たいんだ、夜とクレアと。
その為にこの世界に来て。
俺なりにがんばってやってきた。
千年の苦しみには遠く及ばないかもしれないけれど。
たった半年間の事なのかもしれないけれど。
だからってみんなのために消え去る事が、一番役に立つなんてあんまりだ。
情けなさで泣きそうになっている俺の目の前に、「映像窓」が現れる。
赤枠、緊急事態。
それはそうか、突然「天空城」と「方舟」が墜ちたんだ。
これでも遅いくらいだ。
『状況から鑑みるに、そっちはそっちでえらいことになっているのを十分承知で報告します。「天空城」は墜とされましたが我々「天空城騎士団」は意気軒昂。直轄配下ともども全員無事に浮島「神竜の庭」へ移動し、指揮継続しておりますので御心配なく。それと案の定、リィン大陸全土で大規模な魔物の侵攻が発生。これより予定通り迎撃に入ります。シン様、呑み会の約束忘れんでくださいよ。死亡フラグだろうがなんだろうが必ず生き残りますので、こっちはお任せを。そっちはシン様達にしかどうしようもないでしょうし任せました』
アラン騎士団長。
そうか、無事だったか。
そりゃそうだ、こんなところで死ねないよな、あんな美人さんとの結婚控えてるんだから。
よかった。
それに案の定、魔物の大侵攻は開始されたのか。
ほんとに頼む、ここが正念場だ。
こっちは、任せとけとは言い切れないのが情けないけどな。
呑み会はもしかしたら「俺」じゃないかもしれないが、その時はすまん。
あなたが知ってる「シン」は俺だけだから、戸惑うかもしれない。
『おやシン様。らしくなく深刻そうな顔をされてますが、大丈夫ですか。さっきの怪獣大戦争みたいなのから、今度は「神殻外装」同士の大合戦ですか。私が行っても足手纏いなだけなのが悔しいですが、せめて応援を。あとこちらはお任せください。死にはしませんし世界を壊させはしません。「冒険者ギルド」も軌道にのってきて楽しいですし、シン様の愛人になるという野望も果たせておりません。今回の手柄で断りにくい空気をつくる予定なのでよろしくお願いします』
ヨーコさん。
ほんと俺と話すときはいっつもこんな感じだな。
黙っていれば相当なクールビューティーで通るのに。
千年前のシンの時はこんなことなかったんだけどなあ、好意を持たれていることに気付いてもいなかった。
頼みますヨーコさん。
だけど愛人は難しいと思いますよ。
「俺」じゃなくなったら、シンは真面目ですからね。
『シン兄様。千年待って再会できましたのに、これで終わりなんてマヌケなことは認められません。ちゃんと真っ当なパーティーで狩りとかしたいですし、妾の肉体年齢と状況故に神竜に後れを取りはしましたけれど、夜お姉さまやクレアお姉さまと同じ立ち位置、シン兄様の横に立つ事を諦めたわけではありませんのよ。ここをきっちり乗り越えて、シルリアと一緒に学校で学んで、卒業した暁には真面目に答えてもらいますので、そのおつもりでいてくださいね。では行ってまいります。シン兄様もご武運を』
フィオナ。
そうだ、フィオナも本当に千年俺を、いやシンを待っててくれたんだよな。
ほんとにあと数年もすればびっくりするくらい綺麗になると思う。
こんなところで死んでる場合じゃない、必ず生き残ってくれ。
千年前、フィオナが憧れた時のままのシンになっても、ちょっとおっさんくさかった俺も覚えていてくれるとありがたい。
『シン様! 大丈夫ですか! どこか痛くないですか! 夜お姉さまとクレアお姉さまがいるから大丈夫ですよね? 神竜は私よりちっさいのにシン様と一緒に居れてずるいと思います。でも「神殻外装」強くてかっこいいから仕方ないですね! 私もがんばります。絶対みんなで生き残って、学校で「イイオンナ」になってシン様のお部屋に入れてもらうの。フィオナ姉さまと一緒に。私たちは大丈夫だから、シン様必ず帰って来てね。じゃあ行ってきます』
シルリア。
ウィンダリア皇国へ向かう途中であった時には、レベル1の姫騎士だったのになあ。
まさかそれが「天空城騎士団」の一員になって、女性として俺と一緒に居たいと言い出すとは夢にも思わなかった。
フィオナと二人、学校ではすごい人気になると思う。
そのためにも絶対死なないでくれ。
シルリアも「俺」としてのシンしか知らないんだな。
たぶんこんなおっさんより、本来のシンの方が精神年齢近くて話しが合うんじゃないかな。
「イイオンナ」とやらになった頃には理解できてるだろうから、アラン騎士団長やヨーコさんと下ネタ話してたガッカリ気味のシンも覚えていてくれたらありがたい。
「アラン騎士団長。それにみんな」
『なんでしょう?』
「映像窓」が引き、四人全員が映った状態になり、アラン騎士団長が代表して返事する。
ああ、最後にみんなと話せてよかった。
「そっちは任せた。誰も死んでくれるな」
『承知しました』
アラン騎士団長、ヨーコさん、フィオナ、シルリア。
みんなそれぞれとびっきりの笑顔で返事をくれる。
「それと、こっちは任せて。なんとかする」
覚悟が決まった。
情けないことを言ってる場合じゃなかったな。
「それは最初から疑っていません」
「シン様は決めるところは決めますからねえ」
「妾はシン兄様を疑ったことなどありません」
「シン様は私を助けてくれたもの。今度も世界を救ってくれるんでしょう?」
四人四様の答えをくれる。
今のこの俺を、心から信頼してくれている。
この信頼を、裏切るわけにはいかないな。
「ああ」
俺の返事と同時に、「映像窓」は切れた。
ちんたらしている場合じゃないのだ、今は全方位一刻を争う。
此処の問題をさっさと片付ければ、「神殻外装」の圧倒的な戦力で応援に向かえる。
「本物の俺」へと決意を告げる。
「――解った。俺が今持っている権能と七罪人の力を――へぶっ!?」
覚悟を決めて、本物の俺にそれを告げようとしたら後ろから後頭部を神竜に蹴られた。
何をする。
深刻な決意をして……
あれ。
「三位一体」が伝える夜とクレアの視線が白い。
何故だ。
「ええ、っと。言葉選んで言いますけど、シン君正気ですか?」
「我が主? 今の四人の言葉を聞いて、選んだのが今の行動ですの? さすがにこういう状況が初めてなのは解りますけれど、殿方はこういう判断するものですの? マゾ?」
「主殿あのな? 我はそういう機微には鈍感な自信はあるが、主殿は少々度を越しておらんか? あの四人の言葉を聞いてあのような行動取られるとなると、死んでも死にきれぬぞ。あと夜殿とクレア殿と我をなんだと思うておるのじゃ主殿は」
どうやら俺が何を思い、何を選択したかはわかってくれているようだ。
それなのにこの呆れたような空気はなんだ。
「映像窓」で話すまでに俺が考えていたことを蔑んでいるような空気じゃない。
いつもの、俺がバカやった時に呆れられるような日常の空気だ。
俺はみんなの事を思うからこその決断をしたつもりなんだけど、ここで重ねて言うのは相当やばいと、それだけは確信できる。
でもどう答えれば正解なのかがわからない。
「わかんないんですね、ちょっと呆れた」
「正直ちょっと幻滅ですのよ我が主」
「ないわーという言い回しがやっとしっくりきたのじゃ。まさに今じゃの」
心底呆れた表情をされた。
情けなくも思っているようで、みんなちょっと涙目でさえある。
そろそろと三人が寄ってきて小声で話す。
「大体シン君、記憶があのシン君が成長したみたいな人に取られていいんですか?」
「私は嫌ですのよ。断固拒否しますの」
「我も嫌じゃなあ、恥ずかしい」
あ。
そうか、記憶だけは残るという事は、俺達の暮らしを、あの俺が記憶として持つことになるのか。
それは嫌だな。
素直に嫌だと思える。
『じゃあ戦うかい? 危機に陥っている世界を、仲間を放置して。その上で自分たちで「システム」とも戦うと?』
本物の俺が、真剣な口調で問いただす。
彼にしてみれば、そんなに大した条件ではないのだろう。
俺にしたってそう思う。
この俺が消えることを除けば、誰も困るものなんていない。
困るのは俺だけで、消えたくないからと戦うのは俺の我が侭じゃないのか。
「当たり前じゃないですか」
「当然ですわ」
「聞かねばわからんか? 主殿の分身だけあって察しが悪いの」
なのに彼女たちは僅かも揺るがない。
戦う事を当然としている。
本物の俺もぼろくそ言われている。
あ、千年の賢者の顔がちょっと引き攣った。
さすが俺、千年経っても基本余裕がない。
今まで黙って聞いていた女性陣三人が、「本物の俺」に向き直る。
何か言いたい事があるようだ。
いいですね?
いいですわね?
いいじゃろう?
と三者三様に目で訴えられ、俺は頷くことしかできない。
自分なりに真剣に考えて出した俺の判断と、違った判断を彼女たちはしている。
今の俺は、それを無性に聞かせて欲しいと思った。