第102話 千年前の事実
俺とシンの合一は失敗した。
それが「本物の俺」が語る千年前の事実だ。
今の俺が覚えている、最後の瞬間。
それは――
合わせ鏡の世界に、俺とシンが向き合っている。
お互いの左目から、アストレイア様の象徴である金の光がお互いの右目に伸び、繋がった瞬間から視界と記憶の共有が開始される。
向き合ったお互いが引き寄せられ、境界線を越えた瞬間、記憶も意識も統合された。
その後俺は意識を失い、西サヴァル平原で意識を取り戻す。
それが、俺の連続して持っている記憶だ。
俺が「合一に成功した」と思った瞬間から、西サヴァル平原で意識を取り戻すまでの千年間の記憶は全くない。
俺側の記憶も、シン側の記憶もそこに齟齬はない。
だからこそ俺は、何かしらの問題は起きながらも基本的に合一は成功していると信じ込んでいた。
だけど「何かしらの問題」で済ませられるものではなかったことも事実だ。
レベルが1に戻ってしまっていたこと。
上手く行けば、俺が「すべてを理解している」といったアストレイア様の言葉との矛盾。
なによりも千年もの時間が経過していたこと。
その空白を「本物の俺」が語る。
『アストレイアの計画では、俺とシンが合一すればすべてが上手く行くはずだった。「システム」の支配下に無い俺が存在し、世界を認識している限り、手品のように世界を消してしまうことはできなくなる。終末のお約束として、物理的に滅ぼす手段を取られたとしても、「宿者」としての力を持ったままのシン、夜、クレアが健在であれば、一方的に蹂躙されることはない。それだけの力を、アストレイアは最初に託してくれていたしな』
上位世界の存在。
確か俺をそう言っていたな、アストレイア様は。
その俺が存在していれば、システムと言えど一方的に世界を消滅させることはできないという事か。
そうでなければ、まるでフォーマットするかのように、真っ新な世界にされてしまうのかもしれない。
そして最初の時に、アストレイア様から流れ込んできた力。
あれは世界の継続が上手く行った場合に、「システム」が世界を物理的に滅ぼそうとする力に対抗する為のものだったのか。
「Septem peccata mortalia」――七罪人の権能は、確かにプレイヤーキャラクターやノンプレイヤーキャラクター、世界に存在する「逸失技術」に関わるものばかりだった。
俺の血肉を与えた対象を疑似「宿者」とする権能、「聖餐」を得た時も、アストレイア様から流れ込んできた力を感じた。
人でありながら神の力を持つ存在に、合一したシンを押し上げる。
それこそがアストレイア様が最初に目論んだ計画の骨子か。
では「Deus ex machina」――機械仕掛けの神の方はなんだったのか。
不完全な俺を排除するのではなく、七罪人や「聖餐」の力を得た俺を、文字通り機械仕掛けの神にして操る計画だったのかもしれない。
そうなれば、俺こそがこの世界を滅ぼす存在となっていた可能性すらある。
『最初の計画通り上手く行っていれば、それこそ「F.D.O」のグランドクエストとして採用できるくらいのシナリオだったぜ、シン』
楽しそうな表情で俺に話しかける、「本物の俺」
彼の中では、俺は「シン」でしかないのだろう。
『他の「宿者」が悉くその力を失い、神々もその姿を消している。そんな状況で発生する魔物の大侵攻に抗う、たった三人だけ「宿者」の力を維持し、消えてしまった全ての神々の加護を得たシン、夜、クレア。「システム」に操られる「異能者」を無力化し味方につけ、力を失った「宿者」を使役し、後に再び力を与え、消えてしまった神々さえも復活させ直接使役する。そして最後は「システム」に勝利し、真の神となる』
たしかに壮大だ。
それにシンプルでもある。
敵は明確で、それに抗い、倒すことで目的は果たされる。
犠牲も多く出たかもしれないが、正しく「システム」とそれに抗する世界の構図。
『燃えるだろ。これが本来用意されていたシナリオってやつだ。だが――』
だけど――
『そうはならなかった』
そう、合一に失敗したから。
記憶を共有し、意識の統一がされたところまではよかった。
アストレイア様の用意した空間で、俺とシンは問題なく合一したそうだ。
問題が起こったのはその後。
シンの身体、魂の器に、二人分の魂が合一したものを受け入れるだけの容量が無かった。
結果どうなったか。
魂と身体に径路が繋がれ、身体に収まるはずだった合一した魂は、親和性の高いシンの魂だけが、引きちぎられるようにして、アストレイア様によって夜、クレアと同じように水晶封印結界に封じられているシンの身体に取り込まれた。
その際に僅かに混ざったのが「俺」を「俺」として認識させている、俺の魂の欠片という事らしい。
それが無ければ、たとえ俺の記憶を持っていても、他人の記憶が存在するとしか認識できないという。
一度合一を果たしながらも、再び引き裂かれた「俺」は肉体もなく、アストレイア様が創出した世界に留まるしかなかった。
「俺」としての自我が戻るまで、数年間は発狂していたらしい。
救いはアストレイア様が創出した空間とはいえ、世界の一部に「俺」が存在することで、世界の消失は免れたことくらいか。
「俺」が存在することで、システムリソースに還元されながらも、俺の「認識」により世界の神として存在し続ける神々を介して奪取した、わずかなシステム権限。
そこから「本物の俺」の千年の苦闘が始まる。
それをもとに、神竜やダリューンに、「逸失技術」を介して接触し、世界への干渉を可能にする事を手始めに、千年をかけて今この時のための準備を積み重ねた。
一方、シンの身体に定着した方の俺は、準備が整うまで封印され続けていた。
「本物の俺」は、シンの方に僅かに残った俺の魂の如く、自身に残ったシンの魂の欠片を抽出し、それを夜とクレアに与えたという。
シンに戻そうにも、融合してしまった「俺」の分の容量が足りず戻せなかった。
シンと夜とクレアがレベル1に戻ってしまった原因は、魂が得た経験の部分の代わりに、シンの場合は「俺」の魂の欠片とアストレイア様の力の一部、夜とクレアの場合はシンの魂の欠片が置き換わったためだ。
思えばレベル上限解放とは、完全なる獣の肉を食べることで、魂の容量を増やすという事になるのか。
そうか、だからいつか、「三位一体」が発動していないにも拘らず、夜とクレアがスキル、術式を使えたのか。
あの時覚えた違和感は、なぜ「宿るもの」である「俺」とのリンクが切れているのにスキル、術式を使えるのかという疑問だったんだな。
この世界に来てから、「三位一体」が強くなったと感じていたが、それは夜とクレアの中に、シンの魂の欠片が入っていたからか。
「本物の俺」は、千年の中で何度も発狂したらしい。
肉体をもたない「本物の俺」は、誰にも触れられない、触れてももらえない。
意識だけが「狭間」にあって、同じように存在しているアストレイア様や他の神々との「会話」しかできない。
とてもじゃないけれど、そんな状態で千年を耐えきることはできなかったと笑った。
アストレイア様や神様方は本当に強いよと。
それはそうだ。
そんな状態にされるまで、「俺」はただの会社員だったんだ。
大好きだった「F.D.O」の世界を、シンとして夜やクレアと冒険できると思っていたのにそんな目に逢ったら、俺なら耐えられるだろうか。
だが、今目の前にいる「本物の俺」は耐えてみせた。
アストレイア様を「堕神」から解放し、この世界を「システム」の支配から解放する事に執念を持ち、幾度狂ってもその度に正気に立ち戻った。
アストレイア様の助けもあっただろう。
狂気に落ちた「俺」に、ずっと語りかけてくれたんだろう。
凄まじい千年だ。
ただ封印され、夜とクレアと共にのほほんと意識を失っていただけの俺とは、積み重ねてきたものがまるで違う。
俺と夜とクレアの絆を、軽いと思った事なんてない。
シンの頃からのつながりは強固だ。
だけど千年。
触れ合う事すらできないまま、心だけで支え合ってきた二人を超えられるものだろうか。
俺達は、恵まれていた。
それだけは間違いない事実なんだ。
他ならぬ、千年前のあの瞬間以降の俺が経験してきたことに比べれば、それは明白だ。
『まあそんなところだ。真実だと立証しろと言われても困るけどね』
「本物の俺」が語り終える、千年前の事実。
嘘だと喚こうが、沈黙を守って信じなかろうが、今のこの状況が変わることはない。
にも拘らず、この膠着状態で語ったという事は真実なのだろう。
「いいよ、というと思うか?」という俺の問いに、「条件次第だと思うけどね」と彼は答えた。
「こちらもカードを切ろう」と。
その結果、「神殻外装」神竜を起動し、戦闘力でこちらと拮抗状態を生み出した。
見かけ倒しではない証明に、「天空城」と「方舟」を叩き墜とすことまでして見せた。
犠牲者を出さないように配慮した上でだ。
そして自分こそがこの世界を救うために、アストレイア様の願いを受けた「俺」だと語る。
アストレイア様のため、この世界のため、それどころかシンや夜やクレアのためにすら、千年を費やした存在の望み。
それを拒否するだけのものが、俺の中に在るのか?
その「俺」という認識すら、「本物の俺の欠片」に縋ったものに過ぎないのに。
『ああ、ここまで大袈裟なことやっといてあれだけど、何もシンの身体を俺によこせとか、夜とクレアは俺の女だ返せとか、気が狂ったことを言うつもりはないんだよ』
俺は今や他人のこの男に、俺達の命運すべてを託すのは甘いと考えて拒否の姿勢を取った。
だが確かに「本物の俺」は、権能と七罪人の力をくれと言っただけだ。
主導権を渡すだけで済むなら、それでいいんじゃないのか。
「本物の俺」がシンや夜やクレアに害為すことはないだろうし、千年の時を越えさせた執念は、今の俺なんかよりもよっぽど世界を守るのに頼りになるだろう。
もともとは同じ「俺」なのだ。
『シンは今身体に宿している権能と七罪人の力を俺にくれればそれでいい。そうすれば後は俺と、アストレイアと、神竜で「システム」ぶっとばして、何の心配もない世界に出来る。してみせる。最初の計画通りの動きを、俺と、アストレイアと、神竜でやる形だな。今までのシンの動きのおかげで、本来の計画よりも間違いなく犠牲は少なく済むだろう。ただ――』
ただ、なんだ。
それならそれでいいじゃないか。
俺は別にどうしても自分の手で「英雄」になりたいわけでもないんだ。
俺と、夜と、クレア。
それに神竜や「天空城騎士団」のみんなと楽しく生きていけるんなら、それはそれでいいんだ。
情けないかもしれないけれど、頼るのは同じ俺だ。
しかも千年を積み上げた、今の俺よりも頼りになる俺だ。
夜やクレア、神竜に呆れられても、それでも――
『権能と七罪人の力をシンから抜く為には、俺の魂の欠片も一緒に抜くことが必要になる。――端的に言うと、シンがこの世界で意識を取り戻した瞬間まで、記憶は巻き戻る。そこからダリューンの望んだ純粋なシンとして、今この瞬間に意識がつながると考えてくれたらいい』
シンの魂の欠片を抽出した際、「本物の俺」からシンの記憶は失われたという。
逆に言えば今の夜とクレアは、シンの記憶を持っているという事になるのか?
これも二人の内緒の一つか。
だが、それが意味することはつまり――




