第101話 対峙
『失敗したんだよ、千年前。俺達の合一はな』
映像窓に映る「本物の俺」が、大した事ではないように言う。
その失敗した時から実際に千年を越えてきた身には、今更大した事ではないのだろう。
ただこの世界で意識を取り戻してから、半年もたっていない俺にはそうではない。
失敗した「本物の俺」は堕神群とともに「狭間」で、その状況を覆すために、失敗を取り戻すために可能なことは全て行って千年を積み上げた。
だったら今の俺は一体なんなんだ。
主観的には、合一から一瞬でこの世界で意識を取り戻した。
何の努力も、苦労もしてはいない。
別にフリをしていたわけじゃない、ちゃんと「俺」としての記憶もある。
世界だってちゃんと続いている。
失敗なんてしていないはずだ。
そう信じたい。
では、今面の前に映っている「俺」が贋者か。
それもありえない。
解る。
解ってしまう。
こいつは間違いなく「俺」だ。
そもそも俺のフリをする意味なんてない。
墜ちてゆく方舟から、「神殻外装Ver「神竜」/シン専用機」が飛び出し、一瞬で俺達の目の前まで到達し、静止する。
神竜とほとんど同じ、色だけが黒いという明確な違いを持つ威容。
大袈裟ではなく、世界を物理的に破壊しつくせる「神殻外装」
そうだ、こいつを制御できる時点で、この男が「俺」であることは立証されていると言える。
同じ力を持つ神竜が断言していた。
「神竜」《レヴィアタン》の操者設定は俺に固定されており、「神殻外装」である自分たちは、自分たちが認めた操者以外には合一も許さないし、自律行動の指示も受け付けないと。
「神竜……」
自身と姉妹神の名を、呆然と呼ぶ神竜。
そうだ、神竜はこうも言っていた。
「OSが起動していれば」と。
神竜がおそらくは自律稼働による攻撃で「天空城」と「方舟」を撃ち墜としたという事は、OS――神竜と同じ自我を持った存在――が起動しているという事だ。
完全に整備され、生体反応を示す本体を晒しながら、その自我の存在を感じさせなかった神竜。
その自我がどこかで目覚めているというのであれば――
未だ画面に映ったままの「本物の俺」の左側に、トッと降り立つ影。
黒犬。
やっぱりお前か、ロデム。
「Septem peccata mortalia」――七罪人の権能を、俺が得た時に現れた存在。
犬という事は、俺が未だ覚醒していない「嫉妬」
七罪人invidia、コード――
――「Leviathan」
出来すぎだな。
『ああ、シンが何の疑いもなく神竜を己の「神殻外装」としてくれる可能性もあったからね。計画通りシンが七罪人に覚醒した時点で、側についてもらっていた』
そういう事か。
『ちなみに、七罪人のうち「嫉妬」「怠惰」「暴食」は俺が覚醒させている。シンの七罪人、「憤怒」「傲慢」「色欲」「強欲」を合わせれば、完全覚醒状態だね』
完全覚醒することに何か意味があるのだろう。
それに拘るがゆえに、システムと戦う間にシンの力を欲しているのか。
ならばなぜ、それが揃う間に「システム」からの介入がないんだろう。
どちらにせよ、ロデムは敵だった訳だ。
俺達が何の疑問も持たずに「神殻外装」としての神竜を起動させた場合、ロデム――神竜の分体がOSとして起動してくれていたという事だ。
神竜が何か疑問を持ったとしても、OSに徹していれば問題ない。
実際、神竜としての自我があるのかどうか、今の時点でもわからないしな。
「堕神」としてのアストレイア様を解放するに足る戦力として、今この瞬間までは神竜にも劣らぬ活躍をしてくれたことだろう。
そしてアストレイア様の解放がなった瞬間に、俺達は詰む。
間違いなく合一している俺達から、七罪人の権能を奪う仕組みを仕込んでいるはずだからだ。
そうであれば、俺達と直接矛を交える必要もない。
シンの身体とともに、夜とクレアを取り込んだままの神竜を支配可能であれば、俺達は俎板の上の鯉に過ぎない。
なにをされたとしても、抗う手段を持ち得ないのだ。
そして疑ったところで、今の状況には持ってこれるというわけだ。
同じ「俺」なら、操者設定が固定されていても神竜を起動できる。
神竜が俺達の「神殻外装」となっていたとしても、同じ圧倒的な力を持つ神竜をもって「膠着状況」を作り出せる仕掛けは出来上がっていたという事だ。
そして今、実際その通りの状況になっている。
俺達は用心深くはあったが、「本物の俺」の掌から抜け出せてはいない。
全てはあらゆる可能性を想定された、千年をかけて編まれた策の範囲内に収まってしまっている。
その想定範囲から脱するには、アストレイア様が言った通り「解放」せずに「討伐」してしまう事しかなかったと言うのか。
確かにアストレイア様は言った。
夜とクレア、神竜が大切なら躊躇うな、と。
アストレイア様を「解放」するか「討伐」するか。
その選択肢がそのまま、俺達の先を決定する。
解放してしまえば、千年の策に絡めとられるしかない。
確かに「本物の俺」は言っていた、「アストレイアの解放さえ成れば、後は手成りだ」と。
それさえ通れば、後は何をどう選択しても己の望んだ通りに出来るという自信。
そしてその分岐はもう、過ぎてしまっている。
俺が選んだのだ、アストレイア様を「解放」すると。
『この世界の神の一柱とはなっていなかった神竜は「堕神」と化していない。この世界を創世する時に、アストレイアが神竜と一緒に救っていながら、神竜は方舟で眠り続けていただけだったからね』
人知れず封印されていた、前の世界の神。
それを利用した。
「システム」が管理するこの世界は、時に前の世界の一部を残す。
この世界創世の際、「天月迷宮」に封じられていた、神竜と神竜の様に。
「システム」の予定通り世界が消滅し、次の世界が生まれていれば、アストレイア様や神竜は、「天月迷宮」のような遺跡に「旧神」として封印されていたのだろう。
狭間に堕神として封じられた中から、救い上げるようにして。
今もこの世界の大気圏中に無数に浮かぶ、「天月迷宮」と同じような「月」の中には、いくつもの滅びを迎えた「世界」の欠片が封じられているのかもしれない。
一度そうして封じられたままの神竜は、世界の消滅に際して、狭間に堕神として封じられることはなかったという事だ。
『彼女は彼女で厄介なんだよ。最初は素直に協力してくれなくてね。苦労したもんさ』
その代わり時間はあったからね、と「本物の俺」は笑う。
千年かけて説得するつもりで、神竜が根負けするまで続けたそうだ。
『儂は「システム」をぶん殴れればそれでよい。お主はそれを叶えると約束したから協力した。それだけじゃ』
言うほど時間はかからんかったじゃろう、とロデム――神竜はいう。
それでもダリューンが老人になる頃になって、やっと首を縦に振ったらしい。
神竜にもしっかり自我はあるらしい。
口調も神竜と似ている。
俺の肩に乗っていた時は、役目に徹していたというわけだ。
「神竜、貴様……」
その事実に思うところがあるのか、神竜が再び口を開く。
『おう久しいな、神竜。よもや非難はすまいな? 貴様と同じように、己の目的のために行動したまでじゃ。シン殿はともかく、同族である貴様が見抜けぬのは無能よな。可愛らしい分体なぞ創って色惚けておるからじゃマヌケ』
辛辣だ。
姉妹神というのがすごく納得できる。
「――色惚けてなど」
反射的に反論を試みる神竜。
だけど確かに「可愛らしい分体」であることは事実だ。
最初からそういう目的でそうしたわけではないのは知っているが、今は意味合いも違う。
一緒に暮らしているのは事実だしな。
『おらぬか? ほんとうに?』
「――ぬ」
仲のいい姉妹がじゃれ合っているような会話。
世界を滅ぼしうる力を持った者同士の会話とも思えない。
『はいはい。やめなさい神竜。そういう一方的な立場で突っつくなら、今君の分体が人間形態取った時、どんな姿かなのかをばらすよ』
『お主、それは……』
神竜は神竜で「本物の俺」の方になついているのか。
千年の時を待ったのは、「本物の俺」やアストレイア様と同じ。
俺や夜とクレアにはない重み。
『まあ大体約束は果たせたかな、神竜』
アストレイア様との関係も、今こうやって話している神竜との関係も、俺達となんら変わらないものを感じる。
これでも協力し合うことは無理なんだろうか。
俺が、甘いんだろうか。
『まだ完遂しきれてはおらぬがな。とりあえずそれについては感謝しておる』
俺達の力も手に入れた上で、「システム」へ喧嘩を売ることも考えているのか。
確かにどうやって「システム」の支配から脱するかなど考えても居なかった俺達は、ずいぶん温く映るのだろう。
共闘することを考慮するにも値しないほどに。
『とりあえず合一してくれるかな。アストレイアも堕神解放されている。問題ないだろ?』
『承知した』
「シン様、夜様、クレア様、神竜……ごめんなさい」
「本物の俺」の言葉に従い、神竜が合一を開始する。
今まで傍に居たアストレイア様にも魔法陣が現れ、神竜に合一してゆく。
俺達とは違い三身合一だが、ほとんど写し鏡だ。
己の目的のために、我が身を「神殻外装」とすることを是とし、その協力者を操者として受け入れることを認めた神竜と神竜。
自分の好きな相手の力となるために、共に合一するアストレイア様と、夜、クレア。
そして自分の大切なものを守る為に、その強大な力を行使することを厭わない、「俺」と「俺」
だが神竜の願いはすでに叶い、神竜は未だ途上。
漠然と夜とクレア、他の大事な人たちと一緒に居たいと思っているだけの「俺」と、そのための具体的な手段として「システム」への完全優位を確立しようとしている「俺」
確固たる意志に基づいて動いているのは、間違いなく向うだ。
差がないのはアストレイア様と、夜、クレアの想いだけ。
俺と「本物の俺」との差が大きい。
『シン、やっぱり君はやさしいな。けど甘いともいえる。合一前の神竜なら、合一している神竜で撃破できる可能性は考えなかったのか? 結果として効果がなかったとしても、最大攻撃を即時叩き込むくらいはしてもいいと思うんだけど……「俺」の部分にいろいろ譲りすぎじゃないか? シン。夜とクレアの危機でもあるんだぞ?』
言われた。
まだ「敵」と断じきれていない。
そうだ、どうせ何らかの回避策は用意しているのだろうが、なぜそれでも一撃を撃ちこまなかった。
明確にこちらが有利な状況であったにもかかわらずだ。
夜とクレア、神竜や 「天空城騎士団」のみんなが大切なら、そうしたはずだ。
「シン」なら、「僕」ならそうしたはずだ。
向うの「俺」の様に千年の時を覚悟と共に過ごしてもいない。
「僕」のようになんの躊躇いもなく、大切なものを優先して動けもしない。
平和な現代日本で、ゲームを楽しんでいただけの「俺」が混ざっているせいで、シン本来の考え、行動を阻害してはいないか。
ダリューンとの戦いの時みたいに、勝てる相手には偉そうなことを言えても、同格以上の相手には通用しないんじゃないのか。
執念とともに千年を過ごした「俺」に対峙できるのは、揺るぎなく夜とクレアのためなら、世界を犠牲にしてもいいと言いきれる純粋なシンであって、薄っぺらい理想論を唱えるだけの「贋者の俺」は余計なものなんじゃないのか。
夜とクレア、神竜が心配してくれているのが伝わってくる。
でも誰も何も言わない、口を差し挟まない。
この問題は、「俺」と「俺」で決着をつけるべきものだからだ。
『さて、これで戦闘能力においてはほぼ互角だ。慌てて戦っても一緒だから、まず俺達「堕神群」が持っている情報をすべて話そう。どこまで話したかな……』
正直、不安定になっている俺に比べて落ち着いたものだ。
千年をかけて準備してきたものに、絶対の自信を持っているのが解る。
俺が執念とともに千年を過ごせば、ああなれるのか。
俺が俺である以上、千年の積み重ねを持つ俺には勝てないんじゃないのか。
「俺……達の合一が、失敗したってところだ」
自分を「俺」と称することが、少し辛い。
この世界で意識を取り戻してから、半年もたっていない。
一生懸命だったし、いろんな想いを得たことは間違いない。
それでも絶望に挑むような状況に陥ったことはないし、たかだか半年に満たない時間だ。
それも「本物の俺」が千年かけて敷いてくれたレールに従って、力を得てきただけともいえる。
そんな俺が、何か言えることがあるんだろうか、この男――本物の俺に。
『ああ、そうだった。わかりやすく伝える自信はあんまりないけれど……』
そういって「本物の俺」が語った内容は、俺の知る千年前の合一とはまったく違った結末だった。
そしてそれこそが事実であると認めざるを得ない。
だからこそ、今の状況がこうなっているのだから。