第100話 最後の敵は
夜とクレアに支えられた、意識のないアストレイア様に神竜が覆いかぶさる。
意識のないアストレイア様に、俺の血を確実に飲ませる。
そのために口移しをするそうだ。
俺は血の供給だけを行い、その様子を見守っている。
ちょっと切ない。
「聖餐」をアストレイア様に使う事に、背徳的なものを感じていた事はばれていたようだ。
「シン君は、血だけくれればいいです」
「意識がありませんから、確実に飲ませないといけませんわ。神竜お願いできますの?」
「我が口移しで飲ませる。主殿、はよう血をくれ」
そう言う流れで、鋼糸で指先を切り、溢れ出た血を神竜が口に含んで、今に至る。
指先が少し、じんじんしている。
クレア、はやく回復術式かけてくれないかな。
しかしまるで手水舎のような扱いだ。
まあいいけどね。
俺の血が御神水扱いって事でもあるし、神竜が口に含むときで十分ドキドキできたし。
そういえば、そろそろ夜の吸血のサイクルも迫っている。
今の状況で吸血衝動が来たら、いったいどうなることやら。
神竜幼女が創世女神に、口移しで血を飲ませる。
一方に意識がないため、こぼれる血が首筋から胸元へ流れて、なんというかこう……
夜とクレアも目を逸らしている。
うん、なんか直視できないよな。
確実に飲ませ終わったのだろう、神竜が顔を上げる。
口元拭きなさい、なんか猟奇的だから。
神竜の時と同じように、飲ませた瞬間アストレイア様の身体が大きく跳ねたが、夜とクレアが抑え込んだようだ。
今はもう、黒は剥がれて赤い線は霧散し、本来の美しい姿に戻っているはずだ。
「堕神化」状態でも充分美しくはあったが。
案の定、「神の目」が立ち上がる。
『堕神討伐失敗:「Deus ex machina」に必要な権能取得失敗:堕神消失:旧神復活の可能性:代替を模索』
機械仕掛けの神からは確実に遠ざかってるな。
響きからしてろくなものじゃなさそうだし、そっちへ行けば「システム」寄りなイメージだ。
逆に「堕神」を解放しつつ、七罪人を揃えていけば「システム」から離れるという感じか。
実際はどうだかわからないが、この後あの男からなり、アストレイア様からなり話を聞けるだろう。
極論すれば俺達はどちらでもいいのだ、俺達がこの世界で楽しく暮らしていけるというのであれば。
『権能「聖餐」(エウカリスティア)の行使確認。「創世神」はシンの支配下で疑似「宿者」(ハビトール)となります。ジョブ設定を行いますか Y/N』
神竜の時も思ったが、神様にジョブ設定というのがすごくシュールだ。
ゲームでならそう珍しいことでもないんだけど、実際に、神竜や創世神としてのアストレイア様の「神様としての権能」を目の当たりにした直後だと違和感が半端ない。
俺の支配下に入るというのも、すごい話だ。
「聖餐」で「堕神化」から解放した神竜も、「堕天」で「茨の冠」から解放した元「宿者」達も、原則として俺に刃向う事が出来なくなる。
「システム」側に行こうが行くまいが、俺がこの世界を支配可能な、いわば神の座へ近づいて行くような仕込み。
その一方が「人」の原罪をモチーフにした七罪人というのは興味深い。
この世界へのあらゆる干渉を、その能力として可能にしていく七罪人がすべてそろった時どうなるんだろうな。
「機械仕掛けの神」ではなく、全ての罪を内包した「人」としての完成。
それがこの世界に及ぼすものって……
いやよそう。
俺が俺であれば、どんな力を得たとしても変わらない。
夜やクレアや神竜。
「天空城騎士団」のみんな。
アデルを筆頭とする「世界会議」の面々や、「冒険者ギルド」の連中。
各国正規軍の、結構ノリのいい兵士達。
これからはアストレイア様や、あの謎の男を含む堕神群とも、世界がいい方へ行くようにやって行けばいい。
役に立つなら、ダリューンも虜囚の身のままで協力させてもいいだろう。
それが可能な状況に、なんとかたどり着いた。
そう言っていいはずだ。
「あ……神竜。――夜様、クレア様……」
――アストレイア様の意識が戻った。
よし問題ない、「堕神化」は完全に解けている。
なんか申し訳ない気がするけれど、とりあえずジョブ設定をさせてもらおう。
「創世神:レベル1」なんてめったに見られるもんじゃないだろうし。
「神の目」に浮かぶ「Y/N」を、視線で「Y」を選ぶ。
『エラー』
――え?
『「創世神」にはレベル概念が存在しません。経験値は測定不可能。設定不可能』
なんだそれ、どういう事だ。
「シン様……「堕神」から解放してくださったのですね。――解放してしまったのですね」
混乱する俺に、アストレイア様の声が聞こえる。
無事に解放されたというのに、悲しそうな声。
不可解なことは確かに有るけど、今の状況に問題なんかあるのか?
アストレイア様が堕神から解放されて、俺達に欠けは無くて、堕神群も協力すると言っている。
確実に助かってなお、アストレイア様の様子がこうな理由はなんだ?
「アストレイア……」
神竜が気遣わしげな声をアストレイア様にかける。
そうだ、ここにいる、「堕神解放」に成功した全員が、アストレイア様の憂いを理解できずにいる。
「私の可愛い神竜。解放してくれて本当にありがとう。だけどこうなってはもう、あの方は止まらないでしょう」
憂いの原因はあの男か!
だけどあの男はアストレイア様の解放を何よりも優先していた。
人を見る目に自信なんかないけど、そこだけは間違いないはずだ。
そのアストレイア様を無事に解放し、味方にしている俺達に何を仕掛けてくるというんだ、あの男が。
「夜様、クレア様……あの時にこうなる可能性に思い至っていれば、結果は違っていたかもしれません。ごめんなさい。――ごめんなさい。でもこうなってしまったら、私は――」
何を謝ることがあるというのか。
本当に申し訳なさそうに、夜とクレアに詫びるアストレイア様。
まるでこれから、俺達の敵に回ると言わんばかりの態度。
だけど、そうすることに何の意味があるのかが解らない。
あの男が世界の覇権を望んでいるとも思えない。
そんなある意味、俗物な空気は感じない。
「ちょ、ちょーっとまってください、アストレイア様。あの男が誰なのか知りませんけど、アストレイア様はあのう、シン君、というかその中の人というか、今シン君と一つになってる、もう一人のシン君が好きなんですよね? そのシン君はこうしてここにいるのに、なぜ……」
夜がアストレイア様の言葉を遮る。
まるでその先を聞きたくないと言わんばかりに。
そう、夜の言うとおり、今は千年前に望んだ通りの状況のはずだ。
合一した俺が居て、夜が居て、アストレイア様もこの世界に戻ってこれた。
神竜をはじめとした、あの時は想定していなかった仲間も増えたけど、それは決して悪いことじゃない。
あの男にしたって、なにも排除しようという気なんてない。
一緒にこの世界をいい方へ変えていける仲間として、付き合っていけると思える。
今この状況があるのは、あの男が千年を費やした執念の結果ともいえるのだ。
それに敬意を払わない俺達じゃない。
「そうですわアストレイア様。千年前のあの時、我が主に対する想いを競い合ったじゃありませんの! 合一してしまえば恋敵ですわねと、負けませんわ、と。あの男が何を企んでいようとも、アストレイア様の「堕神解放」がなった今となれば、我々に敵う戦力などありえませんわ。何を心配されていますの?」
確かに俺は、千年前の合一時、アストレイア様から想いを告げられた。
クレアの言葉から察するに、封印前の会話でクレアともそういう会話をしたのだろう。
でもクレア、それは千年前の話だ。
あの男がどういう状況で、堕神化したアストレイア様のために奔走することになったかはわからないが、千年の時を共に在るという事は軽いことではないだろう。
「そ、うか。――アストレイアが好いておったのは、主殿の中の人の方じゃったのか。我も同じ殿方を好いてしもうたが、夜殿、クレア殿、アストレイアの下でもよい。アストレイア、主殿は基本的に千年前と変わっておらんぞ。おぬしが心配するような事は何もない。そうじゃろう」
神竜が、千年前のアストレイア様の想いを知り、少し驚いたようだ。
自分が誰よりも大事としたアストレイア様が想いを寄せていた相手。
結果としてその横に女として立っている自身に思うところもあるのだろう、らしくもない遠慮をしている。
「違うのです、夜様、クレア様、神竜」
アストレイア様が頭を振る。
見たこともない、涙。
何が「違う」というのか。
それはつまり――
――心変わり。
千年もの間、自分の「堕神解放」のために、全てを費やした男に魅かれぬわけはない。
その男が何かを望めば、応えたいと思ってしまう事をそう不思議には思わない。
そもそも心変わり、というほどアストレイア様が俺を好きだったという自覚もない。
何で俺なんて好きになったんだろうなと、疑問を持ったのを覚えているくらいだ。
「僕」はたしか応援したんだ。
「僕」と、夜と、クレアを守るように、世界の存続も願った「あの方」とやらは、きっとアストレイア様の事も大事に思っているはずだ、と。
あの方。
それは俺だ。
なのになんだこの違和感は。
それにさっき、アストレイア様は確か――
突然「神殻外装Ver「神竜」(バハムート)/シン専用機」の前面空間が歪み、巨大な「映像窓」が表示される。
『さすがだな、シン。「システム」がこれでもかとばかりに強化した「創世神」モードのアストレイアを、「討伐」することなく「解放」してしまうとは心の底から称賛させてもらうよ。俺ならそこまでうまくできなかっただろう。おかげで「システム」の30パーセント以上を掌握することに成功した。シンの分と合わせて50パーセントを超過した。これで一方的に「システム」に好き勝手されることはない。俺とシンが協力すれば、システムの決定を否決できる』
突然現れた巨大映像窓の中で、謎の男は御満悦だ。
それはそうだろう。
宿願であったアストレイア様の堕神解放は成り、今の言葉を信じるのであれば、「システム」へ抗するだけの力も手に入れたようだ。
ご機嫌にならないわけがない。
シンの分という事は、発現した七罪人の事をさしているのか。
合わせて過半数という事は、「システム」からすべての決定権を奪ったという事だ。
千年前のような、理不尽な終末はもう二度と来ない。
俺とこの男の思う最適解が、常に同じでさえあれば。
つまりこの男が、こうなった上で望むこととはそれか。
――絶対的な安心。
もう二度と理不尽に世界が終わりを迎えたり、自分の想い人が一方的に堕神化させられたりしないという、確固とした保障。
それを、俺と共有する気はないという事か。
そしてその「想い人」の願いに、アストレイア様は協力すると。
――誰なんだこの男はいったい。
いや、まさかという予測はある。
あるが……
『というわけでシン、約束を果たそう。我々「堕神群」はすべてを君たちに提供する。力も、情報も全てだ。そしてその上で、俺も助けてくれ』
そうだ、この男はそう約束した。
アストレイア様の解放さえ成れば、全てを提供すると。
それは嘘ではなかったという事か。
確かにその上で、俺も助けてくれと言っていた。
「具体的には?」
どうすれば、この男を助けたことになる?
次にこの男を堕神から解放すればそれでいいのか。
違うという確信がある。
この男は絶対の安心が欲しいのだ。
そもそもこの男は「堕神」ではない。
間違いなく俺と同じプレイヤーだ。
文字通り俺と同じ。
『シン。――君の権能、七罪人の力をすべて俺にくれ』
予想通りか。
俺は、この千年をアストレイア様の為に捧げた男とであれば、「システム」に抗する力を共有してもいいと思える。
この男の正体が、俺の思っている通りであるならばなおの事だ。
だけどそれは、実際に千年を、ほぼ不可能と思えることに挑んだことのない故の甘えた考えなのかもしれない。
俺も実際に夜とクレアを救うために千年を費やし、その念願がかなった状況では絶対の安心を求めるのかもしれない。
他の誰を犠牲にしてでも。
「いいよ、と言うと思うか?」
だからと言って、俺もはいそうですね、という訳にはいかない。
いかに甘えた考えであっても、夜やクレア、神竜やこの世界で得た仲間たちの命運を、今や他人であるこの男に全て託すわけにはいかない。
『条件次第だと思うけどね。まあただお願いしても、はいそうですかというわけはないよな。だからこちらもカードを切ろうか』
俺のよく知る例の仮面、赤いダブルのスーツに黒い頭巾と黄色のネクタイ。
初めてあった時のような馬鹿な恰好のまま、その役に相応しい仕草で指を鳴らす。
そう言えばあの時こう言われたんだ、
「やはり今の君は「俺」か。――厄介な状況だな」
と。
あの時は「シン」が、プレイヤーと合一した状況なのかどうかを確信した故の言葉だと思っていた。
俺の好みや、「俺」となっていることで確信したことからフレンドの誰かかもと想像したりもした。
それが全く別の意味だったとは。
間違いなく俺と同じ好みの持ち主。
あっちの世界での、そういう情報を俺と同じくらい持っている相手。
アラン騎士団長も交えて、男同士で呑んでみたいなと思えたくらいの。
その指の音に応えるように。
視界のなかに浮かんでいる、「方舟」から巨大な光線が斜め上に突き抜ける。
それはすぐ隣に浮かんでいた「天空城」に突き刺さり、一瞬だけ浮かんだ「防御障壁」をあたかも紙のごとく引き裂いて直撃した。
自身を内部から貫いた光線に、爆発を生じて高度を下げ始める「方舟」
巨大な光線に基部を貫かれた「天空城」も、それを追うかの如く、斜めになって高度を下げる。
「天空城」が堕ちる。
絶対的存在の象徴であったものが、嘘みたいにあっさりと。
『ああ、心配しなくていいよ。人がいる空間は狙わせてはいないから、充分退避は間に合うはずだ』
何でもない事のように、謎の男が告げる。
お気遣いどうもとでも返すべきなんだろうが、あまりの事にとっさに言葉が出ない。
いま目の前に映っている光景が、意味することは理解できる。
だがここまで過激な手段で、それを突きつけて来るとは思っていなかった。
「天空城」を一撃で落とせるほどの攻撃を放てる存在は、「神殻外装」以外にあり得ない。
その攻撃が「方舟」から発したものである以上答えは一つだ。
「聖櫃」に固定されているはずのもう一つの「神殻外装」
――神竜が起動している。
敵として。
「どういう事じゃ!」
全員が愕然としている中、本来同等の神の座にあった神竜が声を荒げる。
「神竜の主操者は間違いなく主殿に固定されておった。OSが起動しておれば攻撃を含む自律稼働も可能じゃが、我々「神殻外装」は己の定めた主操者以外には従わん! 何が起こっておる!」
たぶん答えを言ってるよ、神竜。
俺でなければ動かない筈の「神殻外装Ver「神竜」/シン専用機」が起動し、「天空城」を攻撃する。
アストレイア様があの方と呼び、俺と夜とクレアの事を最優先とするならば、自身を殺せとまで言い放つ。
あり得ないことが起こっているのが事実ならば、どうすればそれが起こるのかを考えればいい。
つまりはそういう事だ。
謎の男は、芝居がかった仕草で、仮面を外しこちらへ微笑みかける。
「やあシン。顔を晒して会うのは千年ぶりだな。俺、俺。俺だよ」
畜生、俺でもそう言うだろうなこのシチュエーションなら。
そこにはシンというプレイヤーキャラクターとして若く、多少は整えられて創られたものではない。
あっちの世界で、毎日くたびれながらも出社する前に、いやでも鏡の中で見ていた顔。
――年相応のオッサンである「俺」が笑っていた。