第99話 分岐点
蒼い「絶対領域」と、金色の「絶対領域」が激突し、互いに互いを侵食しあう。
「神殻外装Ver「神竜」/シン専用機」を包む蒼は、「世界」の理。
美の極致ともいえる巨大なアストレイア様の神体を包む金色は、「世界」の理。
蒼か金色、どちらかの色に染め上げればその「絶対領域」の理は、それを統べる者の望みどおりに書き換えられる。
俺達が勝てば、「堕神」としてのアストレイア様を無力化し、拘束する。
その状態で俺の「聖餐」で疑似「宿者」化を行えば、神竜と同じように、アストレイア様は「堕神」から解放され、この世界の神として再臨できる。
レベル1から始める創世神って、なんかそれだけで一つの物語になりそうだけど。
だがそれが叶えば、全ての問題が片付くはずだ。
あの男が率いる「堕神群」は味方に付くし、ダリューンとのケリはついたと言っていい。
他の神々も順次解放することはさほど難しいことではないし、「システム」に対する支配力も、アストレイア様が「創世神」として世界に再臨すればたぶん問題ない。
それが叶うからこそ、あの男はアストレイア様の解放に拘っているのだろうし。
あの男の千年に渡る執念、その成果はこの一戦にかかっている。
思惑通りに動かされることに抵抗感がないとは言わないが、その結果全てが上手く行くのであれば抵抗する意味もない。
少なくとも、アストレイア様を「殺す」なんて選択肢よりはずっとましだ。
だからここで負けるわけにはいかない。
「絶対領域の相互侵食拮抗! 少しでも傾けば一気に書き換えられるぞ!」
神竜の報告通り、互いの「絶対領域」は蒼と金色に染めあいながら、その領域を増やしも減らしもしていない。
一度拮抗が崩れれば、一瞬だ。
「シン君、どのみち通常火力ではアストレイア様の「絶対領域」に干渉することは不可能です。火器管制に回されている神核の処理を全面停止、こちらの「絶対領域」形成に全てまわします!」
「我が主、攻性防御管制も同じですわ。こちらの「絶対領域」が抜かれれば攻性防御もへったくれもありませんもの。攻性防御管制も神核の処理を全面停止、「絶対領域」形成に集中させますの!」
「いい判断じゃな、情報管制もすべて停止。全神核の全能力をこちらの「絶対領域」形成に集中させる。――合一空間の余計な処理も止まるから、裸になるが構わんよな?」
こちらの了承を待たずに、合一空間に表示されていた各種「映像窓」が消え、同時に黒一色のラバースーツも消滅する。
「え?」
「ひゃ!」
「きゃ!」
「部屋で見慣れておるだろうに、その辺が我にはどうにも解せぬ」
自身も真っ裸になりながら、本当に解せぬという表情の神竜。
確かに当初は「裸よりも恥ずかしい」という評価だった黒ラバースーツだけど、人間っていうのは慣れるものなんだよ、神竜。
それがいきなり素っ裸になると動揺するの。
それに部屋での裸と、こう言う状況で突然裸になることは全然違うでしょ。
「他人に見られて嫌なのは理解できるが、ここには主殿しかおらんしの」
そういう問題でもないと思うんだが、今はそこを問答している場合でもないか。
この場合女性より、男の方が情けないことになっていると思うんだが、それは俺が男だからこその感想なのかもな。
「神竜、「絶対領域」を右腕に集中展開!」
「承知!」
強化されるという事は、それだけ削られる魂――経験値も増加する。
何かが引きずり出されるような感覚の中、俺は自分が最も信頼する、使い慣れたスキルを行使する。
「神殻外装」の状態でも主操者である俺の体術系スキルは発動可能だ。
この巨躯をもって、術式格闘士の攻撃スキル「累瞬撃」を発動させる。
いわば「累瞬撃・神威」。
レベル150を超過した今の最大ロックオン数は666に達している。
それらを全て、アストレイア様の神体の胸元に多重ロックオンする。
一点突破だ。
「いけえええええええええ!」
「神殻外装」の背後に666に積層された魔法陣が浮き上がり、発動と同時に物凄い勢いで割砕けて消えてゆく。
突き出した右腕で集中発動される「累瞬撃」が、アストレイア様の「絶対領域」に激突して、ガガガガガ! という物凄い轟音を響かせる。
地震に襲われたような振動が、合一空間を盛大に震わせている。
「「絶対領域」全開!」
神竜の宣言通り、右腕の「絶対領域」が大きく、より蒼く染まる。
ガガガガガと連続して聞こえる「累瞬撃」の発動音が666に達した時点で、アストレイア様の「絶対領域」を打ち抜けていなければ、おそらくこちらが負ける。
「主翼、副翼、推進力最大!」
「累瞬撃」の突進力に、神竜の主翼副翼が生み出す推進力が加算される。
じりじりと金色の「絶対領域」へ突き込まれていく右腕に集中した蒼い「絶対領域」
右腕を突き出し、前傾姿勢になっている俺の横に、もはやこの合一空間でやる仕事が残っていない夜とクレア、つい今仕事を終えた神竜が寄り添ってくれる。
いつも通り夜は俺の左腕にそっと自身の両腕を絡め、クレアはつきだした俺の右腕の付け根、肩のあたりを自身の胸元に抱え込むようにする。
小さい神竜は、肩車のように俺の頭にしがみついて来た。
「シン君」
「我が主」
「主殿」
三者三様の、俺の呼び方。
聞きなれたその声、言い方が俺の耳に届く。
何かの効果を伴った行為ではない。
こうしたから、数値的に何がどうなるというわけもない。
ただの――言葉。
「「「がんばって!!!」」」
応援の一言。
それに込められた、信頼と気持ち。
「おう!」
これに応えなきゃ男じゃないだろ!
一瞬爆発的に膨れ上がった蒼い「絶対領域」は、爆縮するように右腕に集中し、甲高い音を発する。
連続していた打撃音が一つに連なり、一つの音が鳴り続けているかのように変化する。
全面展開された主翼と副翼の感覚が熱い。
おそらく「神殻外装」の背後は、最大を振り切った推進力で陽炎のように揺らいでいるだろう。
じりじりと突き込まれてゆく右腕。
夜とクレアと神竜。
三人に支えられた俺の「意志」が、右腕を灼熱させる。
「――ぬ、け、ろおおおおおおおおおおお!」
連続していた打撃音が、その瞬間途絶える。
阻まれていたからこその振動も止まり、俺の右腕が突き抜ける。
美しく巨大な、アストレイア様の神体。
その前で合わせられた拝み手ごと胸の中心を、「神殻外装」がぶち抜く。
金色に輝いていた「絶対領域」は一瞬で蒼に染められ、幻のごとく神体の巨躯が消え去ってゆく。
残されたのは――
「神殻外装」――神竜本体の手にやさしく掴まれ、意識を失った創世神、アストレイア様の人間大の分体。
いやこちらの「絶対領域」の理に従い、それこそが本体となったアストレイア様だ。
操者として右腕に伝わる、はかなげな感覚が怖い。
下手に力を入れたら握りつぶしてしまいそうだ。
神竜がそんなことはさせないだろうけど。
とにかく、まずは勝った。
合一空間の機能がすべて回復する。
直列励起されていた神核は通常励起状態に戻り、右手に包まれたアストレイア様の周りにだけ「次元障壁」を展開している。
これでアストレイア様は完全にこちらの支配下だ。
世界の「絶対領域」を発生させることはできない。
「神殻外装」の状態を現状維持で固定、主操者としての連結を解除する。
「――い、や、ったああああああああ!!!」
思わず叫んでしまう。
これでほとんどの問題が解決されるはずだ。
アストレイア様が言ったように、「殺す」ことなく解放することに成功した。
これが叫ばずに居られようか。
左側の夜、右側のクレアの肩に手を回す。
そのまま強く抱き寄せ、後ろへ倒れ込んだ。
「ちょっと、シン君――」
「わ、わわわ我が主?」
「これ不意に倒れるな主殿、合一空間にぶつかる床はないが、重力は通常設定にしているから、その、ちょっと怖い」
突然の俺の行動に三人が驚いている。
縺れ込むように倒れた形になっているので、俺の胸元から見上げるような夜とクレアが可愛い。
頭にしがみついたままの神竜が小さな両手を俺の顎に絡め、視線を自分の方へ向かせる。
超至近距離で上から、逆さに俺の目を見る神竜。
真剣な光を宿した、綺麗な竜眼。
「――殺さぬのじゃな?」
やはり心配なのだろう。
神竜はよく知っている。
俺が、俺達が、お互いの害になる可能性があるものに対しては、ひどく冷徹に物事を決めるという事を。
だけど今回の場合は違う。
「解放」した方が、ただ単純な利だけで考えても大きいのだ。
「堕神群」が全面的に味方に付くかどうかは不明としても、少なくとも敵に回ることはないだろう。
逆にアストレイア様の解放に失敗すれば、あの男は確実に敵に回る。
「創世神」であるアストレイア様が味方になってくれることは言うまでもなく大きい。
神竜が自身を「神殻外装」にしてまで望んだことも叶えられる。
どうしてアストレイア様があんなことを言ったのかという疑問は残るが、基本俺達に害になる要素が思いつかないのだ。
もちろん俺自身がそんな事をしたくないという事も大きい。
アストレイア様は「俺」を、この世界に導いてくれた存在でもあるし、「俺」を好きだと言ってくれた女性でもある。
自身の圧倒的な戦闘力を知っているから、「解放」しようなどという無茶をせず、確実に撃破しろという意味合いだったんだろうか。
とてもそうは聞こえなかったけど、実際に戦った後であればそういう事だったのかとも思う。
それほどに圧倒的な存在だった、「創世神」は。
「神殻外装」という絶対的な力を得ていながら、辛勝となるほどに。
「当たり前だろう、何の為にここまで苦労したと思ってるんだ。夜もクレアも反対じゃないよな?」
だからこそ、せっかく無力化に成功したこの状態で、訳も分からぬままアストレイア様の望みに応える気なんかない。
もし何か理由があるのだとしても、アストレイア様を無事味方に加えた陣容ならばなんとかなると思えるし。
「言ったじゃないですか、シン君の決めたことに従いますって」
「私は常に我が主が決めたことに従いますのよ?」
ギュッと俺の身体にしがみつきながら、二人が答える。
二人の答えは揺るがない。
いや、害があると判断したらその限りじゃないだろう君たち。
「世界会議」に対して、なんかやったこと知ってるんだからね。
具体的にはアデルが頑として口を割らないのでわからないけれど、相当なことをしたんだろう。
怪老と呼んで大袈裟ではなかったソテル老が、今やすっかり好好爺だ。
「だとさ」
少し顎を上げ、安心させるように神竜に笑いかける。
俺たち三人一致で決定してるんだ、心配するな。
「――ありがとう、主殿」
左右の二人がしたように、俺の頭を小さな体でギュッと抱え込む。
おでことおでこが、逆向きにコツンとあたる。
顔にかかる神竜の綺麗な髪がくすぐったい。
「神竜のためだけじゃないよ。でもどういたしまして」
そういうと、逆さになったままおでこにキスされた。
夜とクレアが案の定騒ぐ。
やめて、ずり上がってこようとしないで。
諦めて首筋にキスされた。
くすぐったくてたまらん。
「でもそうだな、さっさと「聖餐」で「堕神化」を解除してしまおう。竜神レベル1に続いて、創世神レベル1ってなんか凄いけど、まずはそれだ」
そうだ、うれしさのあまりいちゃついてる場合じゃない。
完全に無力化しているとはいえ、未だアストレイア様の「堕神解放」は完了してはいないのだ。
「次元障壁」を展開し続けているという事は、魂も削られ続けている。
はやく済ませてしまおう。
「そうじゃな、頼む主殿」
同意する神竜達と一緒に体を起こす。
自身の腕への転送は一瞬だ。
蒼い「次元障壁」に囲まれた空間で、意識を失ったアストレイア様が巨大な右手に包まれている。
神竜の操作でゆっくりと掌を開き、その上にアストレイア様の肢体を横たえる。
ここで生唾呑みこんだら、一斉に白い目を向けられるんだろうな。
しかしそうなってしまうのも無理はない光景だ。
巨大な「神殻外装」の掌の上で、意識のない美と創造の女神。
今からこの人に俺の血飲ませるのか。
う……
「でもなんでアストレイア様、殺せなんて過激なこと言ったのかな? 解る? 神竜」
誤魔化すように視線を神竜へ向けて尋ねる。
だがこの疑問は正直なところだ。
油断するな、無理しないで倒してくれといった類ならまだわかる。
だが「殺してくれ」というのは穏やかじゃない。
「思いつめておるのは解ったが、殺せとまでなるとな。ちょっとわからぬ」
神竜も同じ意見のようだ。
何かにせっぱつまってはいたが、そこまで言うとは思っていなかったのだろう。
もしそれを予測できていたのであれば、事前に俺達に相談があったはずだ。
アストレイア様を「解放」することが、神竜の何よりの望みだったのだから。
「堕神群」に対する義理も、守秘すべき情報も、その目的の前では意味を失ったはずだ。
我は騙されていたのかもしれん、と神竜はポツリと漏らした。
アストレイア様がここまで思い詰める理由にたどり着けないことが、自分が「堕神群」から与えられていた情報そのものに欺瞞がある可能性に思い至らせる。
アストレイア様の「解放」がなると同時に、神竜の知っていることもすべて話してくれるだろう。
その「堕神群」にしても、どういう思惑があるにせよ望み通りアストレイア様の解放に成功した俺達に、そのまま敵対することは考えにくい。
ダリューンの解放、尋問も同時に出来れば、今関わっている全陣営の情報が一気に出揃うはずだ。
それにアストレイア様を加われば、純粋な戦力としても、そうそう後れを取るものではなくなる。
「夜と、クレアは? 千年前のお話についてはまだ内緒?」
ついでの事に、この世界に来たそうそう「秘密です!」と言われた件についても確認しておこう。
いやそんな深刻なことではないだろうし、問い詰めるつもりもないのだが。
「いえ、そこまで内緒というわけでもないですし」
「ですわ、我が主。私と夜は、「失敗の可能性」を言われていただけですの」
案の定、こう言う状況下でまで隠すべきことではないようだ。
でもなんか気になる言葉が出てきたな。
「失敗?」
あのタイミングで失敗となると、世界の存続そのものの事だけど、それには成功しているしな。
千年の時間がたってしまった事が、失敗と言えるのかもしれないけれど。
「ええ、シン君がプレイヤーですか? 今俺と言っている私たちの創造主と合一することに失敗する可能性を聞かされていたんです。その場合、何が起こるかわからないと」
ああ、そういう可能性もあったのか。
でもそれは、今ここにこうして俺が居ることで否定されるしな。
夜とクレアが特段緊急性のある情報として知らせないことも理解できる。
「それでもともに在りたいかを確認されましたの。答えは決まっておりましたけれど。それでもし失敗した場合は……」
封印結界をはられる前に、そういう会話があったのか。
夜とクレアがそれでも即決してくれていたことがありがたい。
でも、もし失敗したら、どうなる想定だったんだろう。
その答えを、夜がクレアの言葉を継いで、告げる。
「アストレイア様自身も含めて神々はみんな、シン君の敵になっているかもしれないと」
そこで「神々との敵対」が出て来るのか。
失敗していたらアストレイア様や神々が俺の敵……いや違うか。
失敗しているという事は、「シン」の敵になるという意味か。
失敗していれば、「俺」はシンの中にはいないわけだもんな。
ややこしい。
「ガル様が前提とされていた話と似ていますわね。ですけれど……」
「シン君、合一できてますもんね。千年経っちゃったという問題は発生しましたけど、世界も続いてますし、失敗してると言うのも違う気が」
うん、その場合の大前提が成立してないよな。
俺はこうして合一して、存在している。
失敗していないのに、アストレイア様を含む神々が敵に回る可能性ってなんなんだろう。
「成程ね。しかしそれなら内緒にするまったく意味ないじゃないか」
確か最初に訊いた時は、結構な勢いで秘密宣言された記憶があるんだけれど。
「いえ、その際に話した他の内容が問題なのですわ、我が主」
「ちょーっと殿方には言えないような内容でしたので、思わず内緒に」
「……成程」
ああ、これ聞いたらあかんやつや。
多分ヘタレとかビビりとかじれったいとか鈍感とか、俺の心を切り裂く会話に違いない。
うん、スルー。
創世神と吸血鬼と神子の会話でも、真剣ガールズトークを男の子は聞いてはいけません。
心に傷を負いかねないから。
「まあアストレイア様本人に訊けばいいか。俺達としては「堕神解放」で決定しているんだし、そうなればアストレイア様も理由を隠す意味なんてないだろうしね」
そうだ、それが一番手っ取り早い。
意識のないアストレイア様に、「聖餐」を行使することに背徳的なものを感じるが、そんなこと言ってる場合じゃない。
神竜の時は巨大な口の中で血流しただけだから深く考えてなかったけど、「聖餐」は夜の吸血に匹敵するくらいちょっとあれだ。
しかも意識のない相手にするとなれば、後ろめたさも相当だ。
落ちつけ俺、落ち着いて任務を遂行しろ。
動揺を悟られると、多分今夜酷いことになる。