1-6目覚めたらまずお約束の喧嘩
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「ディギッツ、あんた私がいなくなってから、半狂乱だったって?」
目覚めたエイレンが開口一番、ついて出た台詞がこれだった。
「何だよ、誰がそんなこと言ったんだ?」
「決まってるじゃない、羊飼いの兄さんよ。ラクーンさん、って言ったかな。連れの兄さんは、そりゃもうエライ騒ぎで、パニクってたがな……とかね、教えてくれたし」
「そりゃ…当然だろう! 僕らは学府院から…二人揃って! ガドリングまで派遣されてるんだ。一人が欠けただけで、大変なことになるんだから…」
んふふふふ、エイレンは何がおかしいのか、含み笑いを浮かべていた。
「大体…大体だな! そもそも勝手に僕の知らない間に、洞を抜け出したりするから…エイブ・オムなんかに襲われるハメになったんかないか! なんで勝手に、外へ出たりするんだ、君は」
「あー、そうなんだ? 知らなかったわ~。あたしは何処へ行くにも、いちいちディギッツ様のの許可を得なくちゃいけないワケなんだ。これは失礼しました」
「そんなこと言ってないだろ。ただその…だいたい、なんで僕が眠っているときに、外へなんか…」
「へえー、レディに対して、そういうコトをわざわざ聞く? ちょっとは空気読んだほうがいいんぢゃないかな、れっきとしたニザーミアの精霊師サマなのに。あ、アンタは火使いだったから、風や大気は畑違いだったかな?」
「おやおや、目が覚めた途端にケンカ始めるのかね? 仲がいいことね」
間に割って入ってきたのは、エイレンを介抱してくれたスコール族の婦人である。ケーデと名乗る恰幅の良い女将のような女性で、四人の子持ち、と本人は自慢げに語った。この夏の放牧遠征の旅に子どもたちは同行せず、大伽藍山脈の東にある彼らの居留地に置いてきたそうだが。
「そういや、ここ何日間か、やたらと…ええと…お兄さん、名前はバカディギッツさん、とか言うんだっけ?」
「名前はその通りですが、バカはつきません。単なるディギッツで結構です」
「ああ、そうなの? いや~、ごめんなさいねぇ。お嬢ちゃんが寝てる間にも夢ン中で、そのバカディギッツだが…ヤクタタズだかいう人の名前を、もー何べんも叫んでるもんだからさ。それって、あんたのことかと思ったのよ。
バカディギッツ助けろとか、ヤクタタズ何とかしろとか。ホント、何度もうなされながらね~。夢ン中でも大ゲンカなんて、こりゃ、相当な仲良しだよねぇ~、アンタたちも」
ケーデの女将は、さもおかしそうに語った。
「そんなんじゃありません!」
エイレンもまた、必死で訴える。
「コイツは単なる…ええと…あたしの下僕です! 使用人ですから仲良しなんて、と~んでもない! だいたい、コイツってば、肝心なとき、本当に役立たずで……」
ケーデ女将は返事もせず、笑い転げていた。
「…だいたい…ディギッツ! そもそもあんたが一番の元凶でしょうが! ナントカ言いなさいよ、すっかり誤解されちゃったじゃない! どうしてくれるのよ、あたしの誇りはズタズタよ!」
エイレンは自分のプライドが傷つけられると、学府院から正式に任命された「同僚」を、勝手に「下僕」へ格下げして構わない、というのだろうか?
エイレンの説明によれば、あの時、彼女の主張するナントカの野暮用で洞の外へ出たのち、森のはずれで件のエイプ・オム大猿たちとばったり遭遇してしまったようだ。悲鳴を上げる間もなく、ちょうど森の端、ちょっとした断崖から足を踏み外し、彼女は転落してしまい、結果的には難を逃れたことになる。
断崖から落ちたといっても、落差そのものは大したことがないうえ、下草の生い茂る土饅頭がクッションとなり、擦り傷程度の怪我ですんだわけだし、それ以上は大猿も、気絶した彼女に追いすがって危害を加えたりはしなかったようだ。
しかし……。
そうなると、執拗に大ザルどもがつけ回していたターゲットは、エイレンの方ではなかった、ということではないか?
ディギッツは、ふとイヤな仮定に思い当たった。けど、なぜ…?
思い当たる節は全くないのに。
「もう、夜になっちゃったね…」
エイレンが、残念そうに呟いた。
「いくらなんでも、夜を徹して、ガドリングまで行くわけにはいかないし…」
「まあ、仕方がないだろうな」
ディギッツも、できるだけ、さりげない声を出すようにつとめた。
「別にオービス首席導師様だって、この半月のうちに是が非でも密書を届けろ! と命じられたわけじゃないんだ。こんな山道の危険な強行軍なら、導師様だって止められたはずだよ」
「…そうよね、きっとね、そうおっしゃるわね…」
エイレンも呟いた。
「だって、私たちの使命なんて、名目だけだし。大して重要じゃないし」
ディギッツには、うまく返せる言葉もなく、押し黙るしかなかった。見えすいた慰めの言葉をかけても仕方がないことは、判っている。




