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ザネル~記憶から消された新世界の物語~  作者: 麻生優樹
第四章 塔
34/39

4-3敵地へ乗り込む決意

32


 月齢は、すでに13を越えた。

 太陽は既に西のの空へと傾きかけている。

 夜の帳が下りる前に、何としてもニザーミアへと到達せねばならない!

 だが、一行の焦りとは裏腹に、キュタールの峠での一騒動もあり、迂回した峠の難所越えというおまけまでついて、かなりの時間を無駄にしてしまった。


 そしてまた、ここへきて新たな問題が深刻化しつつあった。

 ことに、ラクーンとレクター、二人の体に起きつつある異変は深刻だった。


 一行は噴火湾を南下し、ようやくイェガー・シェラ半島の付け根まで到達しつつある。行程的にはニザーミア学府院まであと二日、というところまで来たのだが…。


 ユリアのいうデクス・バブル…『精霊の暴走』現象の影響は、ニザーミア…いやニーフ・ガスト塔へ接近するにつれ、さらに激しさを増してきたのだ。

 スコール族のラクーンも、そしてもともと精霊防壁の弱いレクターにおいては、その影響は深刻だった。

 こうなると、目的地を目の前にして、一行は頻繁に休息を取りつつ、じりじりと前進するしかなくなった。しかも、キュタールでの騒動に懲りて、赤十字回廊東端の駅逓に立ち寄ることさえ避けなければならない。

 しばしの睡眠すら、不安な平原で摂らねばならないのだ。


「おそらく『敵』は、我々と同じルートで、先にニザーミアへ向かっている…いや、それはすでに確実だろう」

 オルトは告げた。

「ニザーミアへ、何をしに…向かったんだろう? その…僕そっくりとかいう男は」

「少なくとも、友好的な目的でないことは確かだな」

 想像するだに、身震いがしてくる。


 一行は、仮眠を摂るために、平原に突き出た岩場の陰に身を寄せ、仮初のキャンプを設営した。相変わらず、ディギッツの火精は沈黙したままだが、オルトは携帯用の「火つけ道具」らしきものを使い、焚火を起こした。

 精霊師と邪術師では、このあたりの手順もまるで異なるんだな。

 ディギッツは、妙な感慨に捕らわれる。


 一番深刻なのは、レクターだった。

 柚足の合図が出た途端、そのまま岩場に倒れ込み、肩で荒い息をする。こうなるとディギッツとエイレンが、比較的無事でいられるのが、不思議なくらいだった。


「僕たちが…精霊を失って、ナマクラになったのが幸いしたのかもしれないな」

 ディギッツに想像できるのは、その程度だ。

「ボクタチ、っておっしゃいましたけど、エイレンさんは先だって、キュレーンで水の精霊業を、お使いになりましたわネ。それでナマクラですの?」

 そういえばそうだ。

「よく分からないんだけど…私、大伽藍山脈から下りてリヨルドに着いたあたりから、ずっと頭が重かったの。でも、それが…思わず使っちゃったクライスで、一時きれいに消えちゃったのよ」

「おそらく、バブルで放射されたエネルギーがアナタ方にも蓄積されたけど、たまたま発動させた水精呪で、リセットされたんですワ、きっと。

 ところで今、あの時と同じように水精が使えますか、エイレンさん?」

 エイレンは試しに両腕を高く掲げ、背中に回しながら呪を唱えかけたが、すぐに諦めたような表情になった。

「全くダメみたい。あの時、たまたま使えただけね」

「じゃあ、僕にも同じように…そのエネルギー…とかいうものが溜まってるんじゃないのかな? けど、僕の場合は、全然、火精を感じないけど」

「アナタは特異体質ですから、分析の範囲外ですワ」

 ユリアは平然と、嫌なことを言い放つ。


 だが…休息を取っても、レクターの容体は悪化するばかりだった。

「すまん…ディギッツ…なんかこう…口から、内臓が…飛び出しそうなくらい…なんだ」

 レクターは口を押さえ、ついにうずくまる。

 見ると、鼻から、そして耳からも、鮮血が吹き出している。

 瘴気の影響は、それだけ大きいのだ。

 はあ、はあ…と激しく息を吐くレクターは、それでも気丈に振る舞おうとする。


「しかしまあ…ディギッツ…おまえ、相当にタフだよ…。どこで…そんなに、鍛えられたんだ?」

「おそらく、イクスペルだろうな」

 ディギッツが言った。

「僕の生まれは北のはずれ、イクスペルの漁村なんだ。

 先だって、邪術師ユリアが言っただろう? 北極柱のことを。僕も見たことはないけど…故郷イクスペルは、あの近くなんだよ。ひょっとすると、知らず知らずのうちにいつも瘴気に曝されてたから、いつの間にか慣れっこになってたのかも…知れないな」

「ひゃあ! イクスペル…か…。オレ、初めて知ったよ。あんなトコ…まだ、人間が…住んでたんだな……とっくの昔に……誰も……いなくなったって……」

 レクターは、ここで激しく咳き込んだ。

 鮮血が口からも逆流し、こぼれ落ちる。

 一生懸命、エイレンは彼の口をぬぐった。だが、こぼれ落ちる血は、止めどがない。


「もう、限界だな、この人は」

 ラクーンはぽつり、と言った。

「オレは、この人を連れて、リヨルデへ戻ることにしよう。これ以上、一緒にいても、足手まといになってしまいそうだからなあ、残念だがな」

 よく眺めると、ラクーンの肌は黒ずみ、二の腕には血管の筋が浮き出ている。

 瘴気が逆流して、彼の身体を蝕んでいるのは明らかである。

 ラクーンもまた、ひた隠しにしていたが、身を蝕む『精霊』の瘴気と、必死になって戦っていたのだ。


「情けない話だ。仲間の敵討ちなんて、意気込んでたんだが…オレの出番じゃなかったようだな。あとは頼む…必ず、仇を…取ってくれ」


 どれほど心残りだろうか。

 それが判るだけに、ディギッツとエイレンには、大きく頷き、彼の手を握ることしかできなかった。


                    ※


「きついことを言って悪いが、ここから先は強行軍だ。もう、ゆっくり休息している暇はないぞ」

 レクターを見送ったあと、オルトが言った。

 太陽は、すでに西の空低く傾き始めている。夕闇が、すぐそばまで迫っているのだ。

「それから一言言っておく。

 お前たちは、住み慣れた学び舎に帰るんじゃない、危険きわまりない敵地に乗り込むんだ。そのつもりでいろ」

 冷酷なセリフだが、それが現実だ。

 ディギッツにも、エイレンにも、それは分かっていた。


「ディギッツ、あのね、私にも、気づいたことがあるの」

 黙々と歩を進めつつ、エイレンが思い出したように、語り始めた。

「いつだったっけ…あ、そうか…洞窟にいたときだったかな、キミが聞いたこと。

 ヤーマの灯火騒ぎの後、過ぎ越しのお祭りがどうなったか、知りたがってたでしょう? けどね、実はあたしも…全く知らないのよ。修行中に気絶して、気づいたら、もうお祭りなんかとっくに終わっていて、目覚めたとたんに、オービス首席導師様のもとへ、連れて行かれたの」

「じゃ、じゃあ、僕とまったく、一緒だったんだ」

「そうよ、あたしたち、一緒なの」

 荒い息を吐きながら、まるで気を紛らわせるように、エイレンは話し続けた。


「それに、ね。ニザーミアから使者を命じられたとき、キミが首席導師様にお会いしたときのこと、あんまりよく、覚えてない、って言わなかった? 

 実は私も、よく覚えてないのよね。

 ガドリングへの使者を頼む、って言われて…そのあと、なぜか両手を出すように命じられたけど…そのあと何があったのか…気づいたら控えの間に座っていて、どうしたのかと思ったら、あたふたと支度させられて。そのあと、キミが来たでしょ。何が何だか判らなくて、だからあたし、かなりムカツイてたの、あのとき」

「そうか…それもまた…僕と一緒だ」

 最初の出会いのとき、エイレンがひどく不機嫌だった理由がこれで納得できた。


「ね…思うんだけど、そのときの記憶は、意図的に…消されてるんじゃないかな?」

「な、なんのために?」

「わかんない。けど、何かがあった、って思うのよ。たぶん、私たちがこの使命を果たすために、必要だった何かが、そのときに施されたんだ、って考えれば……」


「あらあら、エイレンさん。また苦しそうでらっしゃるケド、無理はなさらない方がよろしいのではありませんノ?」

 連れだって歩いていたディギッツとエイレンに、いきなりユリアが声を掛けた。

「無理…なんかしてないわ。だいいち、休んでる場合じゃないんでしょう? あなたの同僚さんが言ってるじゃない」

「護衛の言うことですモノ、あまり真に受けることはございませんワ! それにニザーミアを前に倒れたら、元も子もありませんものネ。

 それにディギッツさんも、あまり無理をなさらないほうがヨロシイんではなくて?」

「いや、僕は大丈夫……」

「だって、ひどい傷でしたのヨ~。ワタクシがお手当て差し上げたときには、上半身が傷だらけ、火傷だらけでらしたものネ!」

「え? ディギッツ、この人に、手当てしてもらったの?」

 エイレンが、驚いたように尋ねた。

「あ、ああ……」

「そりゃもう、当然ですわネ~。だって姐様が弾き返した遅効爆裂を、真正面からお受けになったんですモノ。そのまま放っておく方が、どうかしてマスわよ、ねぇ~」

「そーなんだ。へえー、この子に、手当てしてもらったんだ……。

それはそれは。とっても、良かったわね」

「あ、いや、それはニキータ前導師の命令とか、だったから」

「そーそー、あれはたしか…エイレンさんが、北の岬へオルトと二人きりでお出かけの間、のコトでしたっけ?」

「……はあ?」


 今度はディギッツが困惑する番だった。僕が気を失っていた間、エイレンはオルトと出かけていた? そんなこと、彼女からは何も聞いてないし。

「それって、エイレン…?」

「姐様の命令で、オルトはお姫様を、復興現場までご案内差し上げたんですのヨ。

 あの無愛想なオルトにしては、積極的でしたわネ~。

 それに、お誘いしたらエイレンさんも、二つ返事で喜んでご一緒したんでしょ。こういうのって、一般には何てお呼びするんでしたっけ…デエト…とか…」


「はいはい! くだらないおしゃべりは、もうおしまい! 先を急ぐわよ!」


 エイレンは、ユリアの言葉を遮って、そのまま早足で先に行ってしまった。



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