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ザネル~記憶から消された新世界の物語~  作者: 麻生優樹
第三章 影
32/39

4-1峠の関所にてまた一騒動

                   30


 噴火湾を挟んで、はるか東端まで突き出たイェーガ・シェラ半島。

 その突端にニザーミア学府院がある。そして、元凶であるニーフ・ガスト塔も。


 太陽は中天を過ぎ、西に傾きつつある。

 あと三日もすれば、本格的な夜が到来してしまう。

 半島の突端に、ようやく学府院が「手の届くところまで」見えたディギッツたち一行は…すでにパーティが六名まで膨れあがったが…ひたすらに先を急いだ。

 どんよりと霞がかかった半島突端から、時折火花のような灯火がきらめく。

 それが、精霊を暴走させているニーフ・ガスト塔であることは明らかだった。あの霞の下で、どんな惨劇が、繰り広げられていることだろう?


 だが、先を焦る一同の間にも、異変が襲い始めていた。


 妙に、足が重い。空気が重い。

 ディギッツにもエイレンにも、空気の「澱み」は感じられ始めたが、スコール族であるラクーンも足の重さを訴え始め、さらに甚だしいのはレクターだった。ノルデ・キリコに襲われ、負傷したときの後遺症かと最初は思ったが、どうやらこの「重さ」は、それとは全く違う原因からきているようだ。


 東の空はどんよりと曇り、垂れ込めた雲の合間から、頻繁に光の輪が現れ、そして消える。まるでニーフ・ガストが光の泡を、空に吹き出しているかのようだ。もはや、ヤーマの灯火といったレベルではない。

 それにしても、同行しているオルト・アリューウィンとユリア・ローラン、邪術師の二人は、まったく影響を受けていないのが奇妙だ。



「この先が、最後の難所だ」


 ラクーンが荒い息を吐きながら、仲間に告げた。

 ちょうどイェーガ・シェラ半島北の付け根にあたる寒村キュタールが間近に見える。

 半島付け根は、南北に延びる大伽藍山脈と、この地で交わり、いわば天然の要害として、南北に通りぬけようとする旅人たちの前に立ちはだかっているのだ。


「おれたちは、ここを『東の関』と呼んでるが……」

 ラクーンが語った。

 ちょうど噴火湾沿いに平原を南に辿ると、ここで再び山脈とぶつかる。

 小高い丘に立つ大門をくぐって東のイェーガ・シェラ半島へ進むか、南のラックツェンを経由して赤十字回廊東廊下へ進むのが、通常の交易ルートだ。

 羊を引き連れてリヨルデから南進してきた遊牧民たちは、いったんここキュタールの村で「検品」を受けることとなる。

 羊たちの防疫が主目的というのが建前だが、実際は「関銭」を交易商人からかすめ取るのが目的だ。自由交易が原則の「赤十字回廊」にあって、これは明らかにルール違反なのだが、古来からの慣習、ということで暗黙の了解、お目こぼしに与っているのだ。


 だからスコール族にとって、キュタールは「忌々しい」要害の地でもあるのだ。


 だが、今回ばかりは様子が少し違う。

 もちろん、いい意味ではなく。


 丘に近づくと、低く垂れこめた焦げくさい煙が再び、空を覆い始めている。

 峠の上に立つ、キュタールの集落が燃えているのか、と最初は考えたが、そうでもないらしい。

「どうやら、ここで暴走が止まったようだな」

 地表をじっと眺めていたオルトが呟く。

「…というと…」

 ディギッツが尋ねる。

「よく見ろ。地平にくっきり痕跡が残っているだろう? 草が南に向かって、一直線になぎ倒され、轍のようになっている。例の怪物が大量に暴走した痕跡だ」

「ノルデ・キリコか? しかしこれは…」

 ラクーンが、首をひねる。

「そうだ。しかも、まともな走り方じゃないな。足跡がきちんと地表に残っていない。巨大質量で草原を滑るように移動しないと、こんな痕跡にはならない」

 オルトが続けた。

「ほう、邪器いじり専門の邪術師のくせに、生き物の振る舞いにも詳しいのか?」

 レクターが皮肉のように尋ねる。

「別に生物の生態に精通しているわけではない。現象を詳細に観察すれば、簡単に推測できる事実を述べただけだ。精霊師は、そのように考えないのか?」

「は、小理屈だけは一人前だな」

 やり込められたレクターは、憎まれ口を叩くしかない。


 だが、その謎は間もなく解けた。

 峠にかかる手前、せり立った大伽藍山脈の岩壁手前には、凄まじい光景が待ち構えていたのだ。

 黒々とした、巨大な塊が幾つも、その大岩壁の手前に残され、未だにぶすぶす、と焦げくさい臭いを立てながら煙を吹いているのだ。

 滑るような轍の痕跡が、その黒い物体まで延びている。


 何が起こったのかは明らかだった。

 暴走を続けたノリデ・キリコ竜の群隊は、歯止めが効かぬまま怖ろしい速度で、この大伽藍山脈の麓の岩壁に激突したに違いない。

 黒く焦げて、すでに生きていた頃の原型すらほとんど留めず、ひしゃげて潰され、微かに煙を漂わせている。

「ひどい…」

 エイレンは、そう呟くしかなかった。

「何をどうすれば、ここまでメチャクチャなことになるんでしょうネ?」

 エイレンとは対照的に、ユリアは目をそむけることもなく、興味深そうに怪物たちの遺体を眺めている。

 スコール族の居留地リヨルデを襲い、暴走したノルデ・キリコ竜たちのなれの果てがこれであることは、容易に想像がついた。

 だが、大人しい草食動物である彼らはもちろん、こんな暴走をするはずもなければ「内火」を起こして燃え尽きてしまうような最期を遂げる習性もない。


 では、彼らを操って暴走させたものは……。

 

「それを推理する前に、別のことを心配する方が先ではないのか?」

 オルトは、相変わらず表情一つ変えず、言い放つ。

「どうやら、この大暴走が起こったのは、つい一両日のことのようだ。となると…キュタールの住人たちも、マトモじゃない可能性が高い」


 そして、間もなくオルトの危惧は見事に的中した。


                   ※


 大岩壁を迂回すること数刻、キュタールの「関所」正面にまで、一行は辿り着いた。

 大岩壁はそこで途切れ、階段状に延びた曲がりくねった岩肌…かなり急な坂だが…を登ること百メルデ余りで、キュタール住民たちの居留地が見えて来た。

 岩肌にへばりつくように、建物が階段に沿って続いている。

 そして、その先には、関所の大門なのだろう、アーチ状のオブジェが待ち構えていた。


 だが、彼らを迎えてくれる住民たちは、どこにいるのか? それとも、ノルデ・キリコの暴走騒ぎで、どこかへ逃げだしたのか?

 と、一同が戸惑っていると、不意に叫び声が上がった。


「あの悪魔だ! 今度は仲間を連れて戻ってきやがったぞ!」


 岩壁に叫びは響き渡り、それを合図に建物の中から、ぞろぞろと十数人の村人たちが姿を現した。手に手に、刺叉のような武具を携えて。

 とても、歓迎していくれる様子ではない。

 そして、彼らがどのような「誤解」をしているのか…すでに一行には想像がついた。


「待ってくれ! 僕らは…違うんだ!」

 ディギッツが一同の前に立ち、大声で叫ぶ。

「聞いてくれ! 僕たちは…ニザーミアから来た精霊師なんだ。たったいま、ここへ辿り着いたばかりなんだ! 誤解しないでくれ!」

 必死に声をからし、ディギッツは弁明する。

「下がってディギッツ! あたしが話す」

 エイレンが割って入る。

「話しても無駄だ、下がってろ!」

 オルトが叫んだ。

 確かに、彼の言うとおりだ。村人たちは、ディギッツの言葉に耳を貸す様子など、全くない。この闖入者たちを警戒しながらも、じり、じり…と包囲網を狭めつつ、にじり寄ってくる。


 オルトは、肩に担いだ荷を解き、大筒のような得物を担ぎ直して、おもむろに村人の方へ向けようとする。

「何をする気なの!?」

 エイレンがオルトに向けて叫ぶ。

「この場を収めるには、これしかない」

「もしかして…この人たちを…」

「他に方法があるのか? そこをどけ!」

 エイレンは、オルトの前に立ちふさがる。

「だめ! それだけは…絶対ダメ!」


 二人が言い争いを続ける間に、ディギッツににじり寄っていた戦闘の村人が、いきなり得物を振り上げ、叫び声と共に襲いかかった。

「!」

 声にならない叫びを上げ、ディギッツはとっさに、持っていた火精の錫錠で攻撃を払いのける。だが、その勢いで石畳に叩きつけられてしまった。

「やっちまえ!」

 勢いづいた村人が数人、床に転がったディギッツへ殺到しようとする。

 ラクーンが駆け寄り、懐の蛮刀を取り出し、なぎ払った。そのまま十文字に刀を振り回し、村人たちを威嚇する。

「だから言わんこっちゃない!」

 オルトは再びエイレンに叫んだ。

「さっさと下がってろ!」


 エイレンはそれに応えず、オルトの逆に向き直り、村人たちの前へと走り寄る。

 いきなり少女が飛び出してきたことに驚き、村人たちは一瞬だけ、歩を停めた。

「古の典礼法典、約条によってここに命ず!」

 エイレンは、思わず略呪を口走った。

 と同時に大きく胸を反らし、両腕を背中に回し、流れるような動きでそのまま頭上に掲げた。これは…水精術クライスの印である。

「アンテ、ベルテ、ツイヤー」

 事情に掲げた両腕を、大きく前に突き出して叫ぶ


「ファン!」


 同時に、半球状の「虹」がエイレンの背後に出現し、急激に拡大した。

 直後に虹の球は弾け飛び、同時に凄まじい勢いで、水滴が前方に向けて噴き出した。

 瞬間的な水圧で、前方の村人数人が吹き飛ばされる。

 水滴はさらに「水のカーテン」となり、村人とディギッツたちの間を隔てた。


「チクショウ見えねえ! 何だこれは!」

 

 エイレンは後ろを振り向き、合図する。

 全員がその合図で、一斉に階段を駆け降りた。

 混乱と怒声が周囲にこだます中、エイレンが仕掛けた水精術クライスは、水のカーテンとなって襲撃者たちから一同を守っている。

 もちろんこの目くらましが効くのは、ほんの十数秒間だけだが、それでもキュタール集落から姿をくらますには十分な間合いではあった。



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