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ザネル~記憶から消された新世界の物語~  作者: 麻生優樹
第三章 影
31/39

3-9再び空を舞う日まで

                    29


 月齢は、すでに10を越えようとしていた。

 再び闇夜が訪れるまで、さほど余裕がない。


 幸いにして、このリヨルデ居留地から噴火湾をぐるりと回り、イェーガ・シェラ半島突端のニザーミアまでは、多く見積もっても三日程度の行程で到達する。

 もっとも恐れていた「大混乱の中で強行する夜の凶状旅」という非常事態だけは、何とか避けられそうだ。

 ただ、レクターから聞かされたニーフ・ガスト塔の暴走や、学府院内での惨状を思うと、一刻も早く辿りつきたいという焦りばかりが先に立つ。

 レクターも、傷が癒えるのを待って出発、などと悠長なことを言っていられないことは承知している。いや、彼の方が実情をよく知っている分、気がせいているのだ。


「のんびり寝てられるか! さっさと出ようぜ!」


 だが、それを押しとどめたのは、スコール族のラクーンだった。

「すまんが、出立は半日ほど、待ってくれ」

 精霊師と邪術師混成チームの面々は、怪訝な顔を浮かべる。一刻を争う事態であることは、ラクーンだって承知しているはずなのに。


 問われる前に、ラクーンは口を開いた。


「すまない。これから、仲間の弔いをしたいんだ」


 その言葉に、全員が押し黙った。


                   ※


 平原に、かき集めた灌木がうず高く組み上げられる。

 そこに、天幕にくるまれた遺体が一つ、そしてまた一つ、と運ばれてきた。

 その中には、あの豪快で陽気なケーデの女将さんや、大酒呑みだが気立てのよかったベルクもいるのだろう。

 つい先日「過ぎ越しの祭礼」の大宴会でバカ騒ぎをしたことが、まるで幻のようだ。

 遺体は、合わせて11人。

 合わせて数十人という小所帯のスコールたちにとって、余りにも大きな犠牲だったのだろう。


 ディギッツたち五人は、スコールたち葬送の隊列とはやや離れた所から、彼らを見守っていた。

「列に加わらなくて、いいのか?」

 オルト・アリューインがディギッツに尋ねる。

「察してやれよ、邪術師」

 ディギッツの傍らで、岩場に腰をかけていたレクターは不機嫌そうに答える。

「あの人たちを殺めたのは、ディギッツと顔かたちがそっくりなバケモンだったんだ。誤解だったにせよ何にせよ、こいつが葬列に加わったら、スコールたちも心穏やかではいられないだろう?」


 ディギッツも、それは承知していた。

 承知していたからこそ、胸の中からこみあげてくる感情が、抑えきれないのだ。

 分からない、何なんだ?

 なぜ、自分は…こんな立場に立たされているのだ?

 それとも、これは本当に…自分じゃない「別の自分が」しでかしたことなのか?


「考えないで…余計なことは」

 ディギッツの心を見透かしたかのように、エイレンは静かに声をかけた。


 亡骸が、組み木の上に並べられた後、スコールたちが運んできたのは、ボルグ羊たちの遺骸だった。そう、数多くの羊たちもまた、暴走するノルデ・キリコ竜に踏みにじられ、火に巻かれて、命を落としたのだった。

「…家畜も、スコールと…人と一緒に葬るのか?」

 オルトは、不思議そうに呟く。


「スコールたちにとって、人と羊の区別なんかないんだ」

 ディギッツは、あのお祭り騒ぎの夜の、ベルクの言葉を思い出していた。


 オレらにも言い伝えはある。だからオレらはそれを守るんだ。

 ボルグ羊も、それに大猿のエイブ・オムも、おっそろしい怪獣のノルデ・キリコも、地をはいずり回るリス・ノーチムだって、大昔は立派なニンゲンだったっつうのさ。オレらも、今は背中から羽根が取れちまったけど、次の時代には…いつになるか判らんけど…ケダモノに戻るかも知れないだろ。


 だからスコールは決して、羊の肉を食さないんだ。そう言っていた。

 悪い因縁を、決して未来へ残さないために。



 遺骸がすべて、組み木の上に並べられると、隊列の中央に立ったラクーンが、松明を片手に、前へ進み出た。

 炎は、自ら「火」を作れない「風の一族」スコールにとって、絶やしてはいけない貴重なものだった。何世代にもわたって、熾火を火種として、遊牧の最中も大切に守り続けてきたのだ。


「一足先に、空へ戻って行った仲間たち、

 少しの間、待っててくれ

 いずれ俺らも、そこへ行く

 そん時には

 大空に、大きなテントを構えて、飛び回っていた

 先祖たちと一緒に、翼を取り戻して

 自由に、ザネルの空を 駆け回ろう


 俺らの大切な友だち、

 さあ、ゆっくりと休んでくれ

 思い切り、誰にも邪魔されずに

 好きなだけ、好物のチシャ草を食んで

 丸々と、大きくなってくれ


 みんな、また会おう!」


 ラクーンは、言い終わると、手に持った松明を下草につけた。

 乾いた草は、またたく間に大きな炎を起こし、組み木の上の遺体を包みこんだ。

 煙が、ゆっくりと天に向かって延びた。

 押し殺したような、すすり泣きが聞こえてきた。

 ラクーンだけは一人、目を大きく見開いたまま天を仰ぎ、唇を真一文字に噛みしめていた。


 ディギッツたちは、遠くからそれを見守っていた。

 精霊師たちは、おのおののエレメントに従って印を切り、彼らの冥福を祈ることしかできなかった。


                    ※


「姫様、さっきは…もしかしたら…ちょっと無礼なことを言ったかもしれないけど…許してくださいね。興奮してたもんだから…」

 不意にレクターは…おずおずと…エイレンに声をかけた。

「え? 別に…失礼なんかしていないわ。心配しないで、レクター」

「いやあ…でも、イルーランの高貴な姫様に向かって…」

「高貴でも、姫様でもないわ」

 エイレンは、レクターの言葉をさえぎった。


 気づまりな空気が流れた。

 エイレンは自分の顔を覗き込んでいるディギッツとレクター、二人の火精師の気配を感じ、あわてて言葉を継いだ。

「そ、そういえばディギッツ、私も先だっては、ずいぶんと無礼なことを言っちゃったわね。役立たずとかアンタ真正のバカ、とか」

 自分で口にして可笑しくなったのか、ふふ、と微かな笑いがこみ上げた。

「いいさ、実際…僕は火の一つも起こせない、役立たずだったし」


「そうじゃないのよ。あのときは…自分でも、どうかしてたみたい。

 本当に、過ぎ越し祭礼前に水精を失って、ニザーミアから放り出されたって思って…もう、どうしていいのか、まるで分からなくなったのね」

「そ…そんなこと…あったん…ですか?」

 レクターは、目を丸くした。


「気づいてみたら、イルーランで斎宮見習いになったのも、ニザーミアへ入府して『姫様』なんて呼ばれたのも、自分の力じゃない。

 自分から望んで、そんな身分に収まったわけじゃないのね。

 類まれな水精の保持者、なんて呼ばれて、スウェン姉さまを差し置いて次期斎宮に推戴されたのだって、そう。

 今までは、この身体に宿った『水の精霊』は、自分自身の一部なんだ、って信じてたのよ。だからまさか、ある日突然、自分から勝手に離れて、消えてしまうなんて、想像もつかなかったから、その日が来たら、もう完全に…うろたえちゃって。

 このレイレンっていう名前の自分って…本当は、何者だったんだろう、って…」


「水精を、失ったりしていないよ、君は」

 ディギッツは告げた。

「え? 何いってる…」

「一時的に失ったように見えるけど…そのへんの理由は、よくわからないけど…何かの拍子で、復活しているのを、僕はこの目で確かめたんだ」

「はあ? それって…」

「エイレン、君は以前『まるで何も覚えてない』って言ってたけど、実はあの過ぎ越しの夜、スコールたちのテントで、イルーラン市のシソルボ祭礼で披露するはずの『流水舞』を見せてくれたんだ。水精は、きれいに蘇っていたんだよ」

 エイレンは、下を向いて返事をしない。

「君はその…呑みつけないアルコールを入れてしまったから、全然記憶から抜け落ちてしまったかもしれないけど、それは事実なんだよ」


 下を向いていたエイレンは、やや間をおいて、ぼそり、と呟いた。

「覚えてるわよ…ヤなこと、思い出させないでよ…恥ずかしい」


 二人の会話を、黙って聞いていたレクターは、事情が分からないながらもどうやら、二人だけの秘密がこの「特使の旅」の最中に、いろいろと出来上がっていたことだけは察した。

 いいなあ、ディギッツの奴。ちょくしょう、お姫様とうまいことやりやがって…。

 彼には、そう呪うくらいしか、他に手がなかった。



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