2-10復興される覇王の都の謎
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エイレンは、その排水施設の仕組みをじっくり眺め、驚嘆した。
彼女の背丈の、ものの十倍を超えようかという巨大な輪がゆっくり回転し、その回転とともに、勢いよく、湖岸から水が吐き出されてゆく。排出された水と泥は堤の縁に接地された、これまた巨大な柵状の堤防に突き当たり、分離され、そして水だけがパイプを通って遠く、ホルス湾へと続くという排水路へと流れてゆくのだ。
水が引き、泥の干潟になった土地に、無数の男たちが土嚢を担ぎ、群がってゆく。
ガドリングを復活させるために取っている「術師たちの業」は、たしかに精霊師の方法論とはまるで異なっている。
何より、この巨大な仕掛け。
精霊師は…ことに「造化」をその領分とする火精師たちは、手にする「道具」を錬成することには長けているが、基本的に「機術」を用いない。精霊を宿さない力…それは地水火風を媒介としないエレメント、という範囲だが…はいわば「悪しき淵源から導き出された悪しき力」であり、だからこそ、そういった知識を用いて精霊を廃するものを「邪術」すなわちザネルにあっては許されぬ術として、排斥してきたのだ。
だが、こうして彼らの技を目の当たりにすると、エイレンにすれば…それが奇妙で理解しがたいものであればあるほど、妙に心惹かれるものがあるのだ。
「仕掛けを、知りたいか?」
不意に、背後から別の人物が声をかけた。
背の低い、少し小太りの男がエイレンの背後に立っていた。
「え、いえ…その…」
どう返答していいか分からず、エイレンは口ごもる。
相手の年の頃は、よく分からない。つるんとした顔に、ちょっと愛嬌のある笑顔。一見すると若いようにも見えるけれど、どことなく「かなりの場数を踏んだ」風体にも見えてしまう、不思議な表情だ。
たしかこの男も、最初「姐様」ニキータと対面した折に、紹介された邪術師の中の一人だったと思うのだけれど…ええと…名前は、確か…。
「名前はインシャイブ・ユーステム」
エイレンの戸惑いを見透かしたかのように、オルトが声をかけた。
「ちょっと覚えづらい名前だが、これでも我々トランスミッタの中では古株なんだ。エンジェミスタとしての経験は十分。治水部門の責任者を任されている」
ああ、またワケの分からない用語がたくさん! エイレンは嘆息した。
「トランスミッタというのは、精霊使いの用語でいえば『邪術師』のことだな。我々は、自分たちをそう呼んでいるのだよ。
それからエンジェム…エンジェミストといったら…そうだな…土木工学、土木技師。そんな意味だと考えてくれ。つまりその…土をほじくり返して、水路を作り直したり…湖から水を干上がらせて排水したり土地を造成したり…ええと…そんなドカチン仕事をする責任者が私だ、と思ってもらえば分かりやすい。
どうかな? 理解頂けたかな?」
にこにこ笑いながら、ユースティムは説明を加えた。
「だいたいオルト、おまえの悪い癖だぞ。外の世界から来たお嬢さん…それも聞けば、遠い水の都のお姫様というじゃないか。そんなお方に、我々の言葉がすぐ通用すると思ったか? もう少し、丁寧に説明して差し上げんか。可愛いお姫様に嫌われるぞ、うん?」
「苦手なものは苦手だ」
オルトはぶい、と横を向き、ぶっきらぼうに応えた。
もしかして、照れてるのかな? この人は。
不意にエイレンはそう思った。
何を考えているのか分からない、無表情で薄気味悪い邪術師。最初はそう思っていたけれど、案外…中身はわかりやすくて単純なのかな。
ちょっと、そのあたりがディギッツに似てるかも…ふとエイレンはそんなことを思い付き、慌てて打ち消した。ナニ考えてるんだろう、自分は。
「まあ、精霊師と我々では、何というのかな…根本的に物事への対処に仕方が違うんだろうな。この巨大な歯車の化け物を見れば、最初はキモを潰すかもしれないが、原理的には単純なんだよ。要は電磁気力…物理法則に従ってエネルギーを変換し、動力に換えているだけだからな」
聞きなれない不可思議な単語のオンパレードだが、辛うじてエイレンにも何となく、アウトラインだけは理解できそうだ。
「それこそ、精霊師たちのエレメント発動の方が、よほど面倒くさい手順を踏んでいるんだよ。我々から見ると」
「そう、なんですか?」
エイレンは戸惑いながらも返答する。
「そうとも。なにせ精霊術なんて、エレメントそのものが、遺伝子レベルでの選択を必要とするうえに、変換そのものも、わざわざDEXユニットから間接的にエネルギーを引いて、三段階に変換プロトコルを通さないと発動しないわけだろう?」
ああ、再び言葉の迷路! エイレンは内心で悲鳴を上げた。
眉間にしわを寄せたエイレンに気付き、ユースティムはしまった、という表情を浮かべた。
「自分でやってりゃ世話ないな。すまんすまん…要するにあんたらの使う言葉と、我々の体系が違いすぎるんで、説明がワケわからなくなるんだよ。つまり…そうだな。
あんたら精霊師は、確か術を使うのに、三段階、手順を踏むんじゃなかったか?」
「それはつまり…呪と印と詞霊、三位一体のことを仰ってるんですか?」
「そうそう、確かそれ、そんなヤツ」
彼は嬉しそうに返答した。
つまり、まず「精霊を呼び出す」ために、意志を込めて「その場限りの」規約を結ぶことが「呪」、だったな。
さらに、具体的なアクションで精霊召喚のための集中を行う、これが印。これもまた、複雑なキマリゴトで表現しないと成立しない。
最後に、発するための作法として詞霊を使う。要はこれって契約成立の約束事を並べるのと同じ、と考えていいんだよな。
「ええ…まあ…そんな解釈も…できるといえば、できますけど」
精霊術を、そんな風に捉えられるというのは、エイレンにとっては驚きだった。
「ところが! ところがだ。こういうプロトコルを経ていざ、精霊を発動させようにも、エレメントが合致しないとまったく無意味な作法で終わってしまう」
「と、申しますと?」
「つまり、地水火風、いずれかの精霊エレメントを『生まれながらにして』保持していなければ、精霊術は使えないじゃないか、っていうことさ」
「それは…それは、当然のことです! 当たり前のことを言われても…」
エイレンの抗弁を押しとどめるように、ユースティムは手を振った。
「ところが、ここから先がトランスミッタ…邪術使いの業が精霊術と違うところだ。つまり、あんたらの言う『邪術』とやらは、発動主体を選択しない」
「………?」
まるで意味が分からない。
「つまり! 誰にだって邪術は使える、って言ってるんだよ」
誰にでも、使える術?
「たとえばだな、あの歯車の化け物。我々はクリフローダー、って呼んでるんだが…あれはな、操作法さえ学習すれば、誰にだって使いこなせるんだ。別に、生まれながらにして身についているエレメント、とやらは全く必要ない」
ユースティムは身を乗り出した。
「わかるかな? つまりお姫様、あんただってその気にさえなれば、今日にでも使いこなせるようになるんだよ。
つまり、邪術師になりたければ、誰にでも転職できる、ってことだな。
たとえば水の都の、高貴な水精師の姫様でも!」
はじめて、エイレンは「邪術師」の持つ危険性を肌で実感した。
そうか、ニザーミア学府院が邪術師を、そして邪術を「不倶戴天の敵」として忌み嫌う理由は、ここにあったのか……。
※
一方その頃、ガドリング「湖畔の迎賓館」にて。
気まずい沈黙が、しばし流れていた。
ディギッツは、本気で悩み始めてしまったようだ。
そうか、僕は漁師の息子なんだ…なのになぜ、このガドリングに到着した早々、湖に落ちて溺れかけるなんて無様なことをしでかしてしまったんだろう?
ひょっとすると、ニザーミアで過ごした、この数年の歳月が、僕自身の体質まで、変えてしまったというのだろうか…いや、そんな…。
物思いに沈んでしまったディギッツの様子を見て、慌て始めたのはユリアだった。
「ま、まあ、そんなにお気になさることはありませんワ! 漁師さんがみんな、泳ぎの名人と言うわけでもありませんでしょ。ほら…『好きこそものの上手なれ』とか、コトワザもございますしネ…」
「全く使い方が間違っておるな、ユリア」
ノギスはあきれ顔で呟く。
「まあ、儂がよけいなことを尋ねたのが悪かったかな。それはともかく、お主は『ヤーマの灯火』を見てもおらんし、ニザーミアがどんな騒ぎになっているかも、直接見ることがなく、さっさとガドリング行きの急使に仕立てられて、ここへ来た。
そういうことなんだな?」
「はい。エイレンは…その…僕らが、精霊を失ってしまって…役立たずになったから、体よく役割を作って追放されたんだ、って思ったみたいですけれど」
「お主も、そう思うか?」
ディギッツにはすぐに、言葉が出てこなかった。
確かに、そういう考えもできるけれど…結局、携えた親書は「爆発してしまった」し、まさかそれが、自分たちを鉄砲玉に使った、ニキータ前首席を亡きものにするための陰謀だった、なんて、思えないし思いたくもないし。
オービス首席が、そんな方だとは決して……。
再び、押し黙ってしまったディギッツを眺めながら、ノギスは語った。
「お主が思うほど、事情た単純でもないのだよ。『ヤーマの灯火』が灯ったというニーフ・ガスト塔、こいつが厄介な代物でな。お主らがさっさと特使になってニザーミアを出奔したのは、不幸中の幸いだったかもしれんな。
いや、それこそオービスの旦那の配慮だったかも……」
ノギスの奇妙な物言いに、思わずディギッツは頭を上げた。
「それは…どういう…」
「よく分かりませんわネ。『ヤーマの灯火』とか『ニーフ・ガスト塔』だとか」
ディギッツが尋ねる前に、ユリアがじれったそうに口を挟む。
「ニザーミア学府院流の言い方だからな。ほれ、以前仕込んだ『バイパス』の調整法…ニーフ・バイパスの…アレのことだ」
ノギスは、ユリアに告げた。
ああ…ユリアはようやく合点がいった、という顔で頷いた。
今度はディギッツが、頭をひねる番だった。バイパス? なんのことだろう。
「そもそもニーフ・ガスト塔なんぞ、残しておいたことが大問題だったんだがな。まあ、とっ払うには厄介すぎる代物だし、封印しておけば害がない、と精霊師どもは考えて、ほったらかしにしたんだろうが。
なあディギッツ、お主、ニーフ・ガスト塔に行ってみたことはあるか?」
「いいえ。あそこは、学府院の敷地の外だし…東の岬には、決して立ち寄るな、と固く言いつけられてましたから。それに、あそこには入口がないから、中に入ることもできないし…」
「お主ら精霊師は、あれを何だと思っておったんだ?」
「ニマーマ前世紀の遺跡だ、と……」
「何のために、高さ200メルデのバカでかい不気味な塔を、前世紀の人間たちは、ブッ建てたと思うんだ?」
「え…? そんなこと、考えたことも……」
「そうだろうな。それがニザーミア流の『仕込み方』だからな。十七戒か…ナンジ、事ニアタリテ、疑義ヲ抱クナカレ…だったか?」
ノギスは皮肉な口調で詠唱した。
「じゃあノギス様、その塔から噴き出した『ヤーマのナントカ』っていうのは…アレ?」
再びユリアが口を挟んだ。
「おまえの想像通りだよ、おそらくはな」
ノギスはそう言うなり腰を上げ、ディギッツに告げた。
「ディギッツ、傷も癒えとらんのに気の毒だが、明日にもう一度、姐様に会ってくれ。儂の方で事情は説明しておく」
※
ユースティムの熱弁に、エイレンは困惑し、二の句が継げずにいたその時。
傍らで所在なげに二人のやり取りを聞いていたオルトは、不意に耳元に手を当てた。
何事か、呟いている。
よく見れば、彼の耳から口元にかけて、妙な装飾具が装着され、その口元にある白い珠のようなものに向かって、彼は呟いているのだ。
「話が盛り上がっている最中に済まないが、現場の見学はこのへんで切り上げてくれ」
オルトは、エイレンに向き直った。
「ゆっくりしている暇は、どうやらなくなった。すぐ、迎賓館に戻ってもらおう」




