2-8 水の都の姫様と邪術師
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ディギッツは、再び眠りについた。
エイレンが無事だったことを見届けて安心したのか、今度はしばらく目を覚ましそうにない。
エイレンはベッドの傍らに座り、しばらく彼の寝顔を眺めていたが、やがて所在なさげに席を立った。
こうして見ていると、かわいい寝顔……と、無理に言えば言えないこともないけれど……いつまでも見飽きないほどの代物でもない。
って、いや…何を考えているのだろう、自分は! 真正のバカか!
思わず大声を出しそうになってエイレンは、慌てて自分の口をふさいだ。
まあ、ともかく予想したよりは、ディギッツの傷も大したことはなかったし、ずっと傍らで看病するというのも、おかしな話だ。
無駄だし。
かといって、取り立てて、することもない。
ニザーミアのオービス首席導師は『親書を前導師に渡したら、その指示に従え』と命じた。けれど親書は…大爆発して消し飛んでしまったし、ニキータ「姐様」前導師も、奥へ引っ込んでしまった。そしてディギッツは、こうして眠りこけている。
じゃああたしは、これから、何をしたらいいのかな……?
はじめてエイレンは、にわかに不安に襲われた。
考えてみたら、これまで自分の人生は、いつだって誰かが行く先を見せてくれた。
七歳の時の出来事。
初めて陪臣として参列したイルーランの都、シソルボ祭礼で、祭司長である叔母のオルニダを差し置いて、水精の祝福を受けてしまった彼女は、そのまますくすくと、次代祭司長の道を一筋に歩んできた。
と、いうより「歩まされた」と言う方が正しいかもしれない。
エイレン自身、それに疑問を感じたこともないし、父オルニードをはじめとする、モーティマス一族や周囲の者たちも、彼女の運命を祝福こそすれ、誰一人異議を唱えるものなどいなかった。
もちろん、それはニザーミア学府院へ入府したあとも変わらない。
過ぎ越し祭礼のための禊を行っていた、あのベネラ小堂での、突然の「消失」を経験するまでは。
その後の、思い出したくもない屈辱…水精を失って「ただの小娘に化けてしまった」途端に、体よく廃都への使者などというわけのわからない役目を押しつけられ、ニザーミアを放逐された、とエイレンは信じていたのだが…。
それでも、立て続けに襲ってくる事件や出来事に紛れ、彼女は自分を改めて顧みるどころではなくなっていた。
今になって、そこにぽっかりと穴が開いた。
誰も、この先、エイレンが進む道を教えてくれない。
そもそも、いま自分は、どんな立場に置かれているというのだろう?
ガドリングの邪術師どもを退治するために送り込まれた、捨て駒?
こういうのを、確か…テッポウ玉とか、言ったかな…?
とりとめもないことを思いつき、ふと本当に、自分自身が「真正のバカ」に思えてくる。よく考えれば、それはそれで荒唐無稽な妄想なのだ。
いやしくも、エイレンは水の都イルーランの七家門筆頭、モーティマス家から学府院へ留学している身分なのだ。たとえ…その…一時的なものだと思いたいのだが…水精を喪失したところで、即お払い箱で鉄砲玉に仕立てられる謂われはない。
イルーラン市と、ニザーミア学府院が事を構える覚悟でもあるのなら別だが。
だが、実際、オービス首席からニキータ前首席導師へ宛てた「親書」は、見事に爆発したではないか。誰がどう考えたところで、これは親愛の情の発露ではない。相手を爆殺しようと試みる、露骨なまでの殺意だ。
となると、結局……。
エイレンの考えは堂々巡りに陥ってしまった。
そもそも、こんな時、呑気に寝ているディギッツは、どういう了見なんだろう? こっちはこんなに悩んでいるのに。少しは、自分のやるせない想いを、分かちあったらどうなんだ!
そう思うと、さっきまで「少しは可愛げもあるような」気になりかけたベッドですやすディギッツの寝顔が、にわかに憎たらしくなってしまう。
いっそのこと、今すぐひっぱたいて、目を覚まさせてやろうか?
……いやダメダメ! それはダメ!
そもそもディギッツは、自分の盾になって、ニキータの弾き返した遅効爆裂をまともに受けてしまい、傷ついたのだから…。
じゃあもう……どうしたらいいのだ、アタシは!
そんな悶々とした気分を振り払うかのように、エイレンは窓の外へ目を向けた。
邪術師たちが「迎賓館」と呼んでいた建物の二階。広々としたポーチが窓から続いており、開けた河口の「沈んだ町」が一望できた。
静謐……。
そうとしか表現のしようがない光景だ。
いったい何時から、この町はこんな荒涼とした廃墟に変わってしまったのだろう? ここに住まっていた、幾千幾万という住人たちは、どこへ消えてしまったのだろう?
「お暇なようだな、姫様」
突然、背後から声がした。
あわてて振り向くと、そこには邪術師オルト・アリューウィンが立っていた。もう仮面は付けておらず、ケーブも脱ぎ捨てて、軽装のチュニックを着用している。
ただ、仮面はなくとも、表情は乏しく、目は冷ややかだ。邪術師は、みんなこのように無表情なのだろうか?
「私は。今のところ特になにも指示されておりませんから、
あなた方の言う…アネサマに」
エイレンは動揺を隠し、さりげない声を出すように務めた。
「それに、私たちは…幽閉された身の上のようですから、勝手に出歩くわけには参りませんでしょう?」
「幽閉? いつ、あんたがたは幽閉されたんだ? だいたい、閉じこめられるような悪さをしたと、自分で思っているのか?」
思わず抗弁しそうになって、あわててエイレンは口をつぐんだ。いけない、これも一種の罠なのだ。
「ご用の向きは、何でしょう?」
りん、とした声で、彼女は尋ねた。
「あなたを、ガドリング見物にお連れしようと思って、お訪ねした。相方もご一緒に、と言いたいところだが、傷が癒えるまでは、しばらくお休み頂いた方が良かろう」
「ガドリング…見物?」
何を見物しろ、と言うのだ? こんな無人の、廃墟の町で。
「せっかくですが、私はここを離れるわけには参りません。同僚のディギッツも、まだ御覧の通りですから、放っておけませんし…」
「彼の面倒は、別の者が見るよう手配してある。それに…あなたをお連れしろ、というのは、ほかならぬ姐様の命令なのでね」
「ニキータ・ディーボックス導師の命令?」
と、いうことであれば、拒絶するわけにもいかない。
「判りました、それでは少々お時間をください。支度を致します」
支度といっても、ろくなに着替えがあるわけでもない。
湿地帯を移動するために、膝まである旅行用ロングブーツに履き替えただけで、エイレンはオルトに連れ出され、ホールを出た。
差し渡しで直径が数キロにも及ぼうかという、巨大なクレーター状の河口…湖と言い換えても不思議はないくらいのスケールだが…の縁を縫うようにして、急作りで設えたような頼りのない足場、キャットウォークは水没した建築物の間を這い、二人は北の河口出口へ向かった。
到着したときの印象と同様、瓦解した家屋や、かつては壮麗な威容を誇っていた(であろう)公共建築、あるいは商業施設とおぼしきコリドーが水に浸かり、石材や煉瓦で構築された部分には水草や地衣類が繁茂し、それらを組み上げていた木材の枠組みは腐敗し、半ば原型を止めたまま佇んでいる。
オルトに導かれるままエイレンは、安全な場所をおそるおそる選びながら、慎重に歩を進めた。
彼女は、イルーランにいた幼い頃、聞かされた「懲罰の町」の伝説を思い出しながら、いま現実に目にしている、廃墟を重ね合わせていた。
精霊をないがしろにした者たちに、四精霊の怒りは結集し、光となって降り注いだ。
そして、瞬時に、町は滅亡した……。
もちろん、そんな怖ろしい「光」の業を、見習いとはいえ、れっきとした精霊師であるエイレンは、目にしたことはない。だが、もし言い伝え通りだとしたら、この町に降り注いだ厄災は、大地をうがち、水を逆巻かせ、大嵐を呼び、そして炎で焼き尽くしたことになるのだろう。
だがエイレンは、にわかに違和感を覚え始めていた。
この廃墟には、焼かれた痕跡は、ほとんどない。水は、むしろ静かにこの廃墟に這い入り、滅亡のあとを、静かに覆い隠しているようにさえ見える。だが、この丸い、中央が陥没した地形は、どうやってできたのだろう?
「もう少しだ、立ち止まらないでくれ」
物思いに耽っていたエイレンが、オルトの声で我に返った。
オルトは、クレーターの盛り上がった土塁の頂上に立ち、その先を指さした。どうやら、この頂の向こうに、彼の目的地があるらしい。
息を切らせながら坂を登り切ったエイレンは、そこに、今までとまるで違う光景を見た。
…人がいる、大勢いる、立ち働いている。でも、何をしているのだろう?…
そこは、壮大な防塁、そして細長く刻まれた、大地の溝。
数にして数百人にものぼろうかという人々が、彼女の見たこともない巨大な円形の…車輪状をした道具を使い、土を掻き出し、そして輸送していた。
エイレンには理解できなかったが、それは排水用の、巨大水路とダム建設現場だった。
「ガドリングの復興現場、といったところだな」
オルトは、簡潔に解説した。
「まもなく、ここを通って水が逆流し、ホルス湾に注がれる。ようやく、水没していた町が、再び現れる、というわけだ」
「この町は、滅び去った…わけではないのですか?」
「一度は滅んだが、復興する。町人たちも、いまはビズワ河岸にキャンプを作り、散り散りになっているが、こうして力を合わせれば、また戻ってくる」
「それは…邪術師の業によって、ということですか?」
邪術師、という言葉に、オルトは反応したようだ。
かすかに眉を動かしたのは、不快のサインかもしれない。
「精霊の技でなければ、ザネルでは復興も許されないのか?」
「そうは申しておりません。ただ、私はかつて、ここがニザーミアの庇護を拒んだ、北辰大陸で唯一の都市だった、と聞いていましたから…」
「そして、懲罰で滅亡させられた、と……?」
エイレンは、どう答えていいのか判らず、口をつぐんだ。
「ニザーミア学府院は、精霊の力を、北辰大陸にあまねく注ぐ」
呪文を唱えるような平坦な口調で、オルトは呟いた。
「あんたも、そう教わってきたんじゃないのか?」
「はい、ニザーミアは精霊の加護をもたらす、北辰大陸唯一の学府ですから」
「では、加護を拒絶したら、そいつら罰する資格もあるのか? 姫様?」
「ヒメサマではありません。エイレン、とお呼びください。それから、ニザーミアは福音をもたらしこそすれ、北辰大陸に活ける人々を害するような存在ではありません。あなたがたとは違います!」
余計なことを、口走ってしまった!
エイレンは瞬時に後悔した。
だが、オルトは別段、気分を害したような様子もなかった。侮辱を受けたというのに、むしろ彼にはそれが、面白いことのようですらある。
ややあって、オルトは、ぽつりと呟いた。
「姫様、あなたはニザーミア学府院を……
魔法学校かなにかと、勘違いしているんじゃないのか?」
エイレンは、オルトの呟きの真意が、全く理解できなかった。
だから、押し黙るしかなかった。
「あなたは、南陵大陸のことを、知っているか?」
南陵大陸? そんな呪わしい言葉を聞いたのは、久しぶりだ。
「かつて、ニマーマの昔、炎に包まれ、滅亡したと、聞いて…いますけれど」
「そう、あの『大断世』によって、ザネルにある二つの大陸のうち、北辰大陸が生き残り、南陵大陸は滅んだ。
だがかつて南陵には、巨大な帝国があった。その名前さえ伝承されない帝国が。
ところが北辰大陸には、いまだかつて『帝国』なんてものが存在したことはない。赤十字回廊にせよ、南十字回廊にせよ…都市国家や交易同盟都市連合はあっても。なぜだか、判るだろう?」
なぜ、と言われても……。
「ニザーミア『学府院』が、北辰すべてを支配していたからだ。そうだろう?」
「それは…私たちの…精霊師の、教導のことを、おっしゃっているのですか? 少なくとも私たちは、精霊を正しく用いるために教導しますが、統治する力は持ちません。すべてを差配する、とおっしゃいましたけれど、それが良き方向への導きであれば…」
「南陵は──かつて存在したその帝国は──最良の導きとやらを、
最も効果的に発揮したがゆえに、ものの見事に滅亡したんだ!」
オルトは、はじめて感情をあらわにし、そう言い放った。
何を話しているのだろう、この邪術師は。
エイレンは一瞬、憮然としたものの、すぐに冷静さを取り戻した。
そう、考えてみれば相手は邪術師、なのだ。
彼らと言い争いをしても、何ら得るところなどない。分かり切った話ではないか。
「…少し言い過ぎた。悪かったな、忘れてくれ」
オルトもまた、大人げない物言いだったことを恥じたのか、苦笑しながら謝罪した。
エイレンも、それを受け入れた。
「まあ、ともかく、下へ降りよう。我々の…邪術師の業というやつを、その目で確かめておくことも、無意味ではないだろう」
二人は、人々が立ち働く場所へと、歩を進めた。




