2-5エイレン、姫様の威厳を見せつける
15
「姐様」ニキータは、仁王立ちで、その場に立ち尽くしていた。
かすり傷一つ、衣装の乱れ一つない。
左腕は腰に当て、そして右腕は上にかざし、そして掌の上の中空には、灼熱した火の玉が、じじ、じじ…と不気味な音を立て、静止している。
「遅延爆裂か…ザップスボンの呪をスクロールに巻き付けておくとは。なかなか、アジなマネをしてくれるではないか」
静かな口調とは裏腹に、眼鏡の奥の両眼は、らんらんと怒りに燃えている。
「すぐに封印したから、この程度で済んだ。残りの呪は、この手の上だ。残念だったな。もし呪すべてが炸裂していたら、迎賓館どころではない。おそらく1キロ四方が吹き飛んで、この場にはバカでかいクレーターが出来上がっていたことだろうよ」
そんな…バカな…。
ディギッツは、茫然自失のまま、ふらふらと立ち上がった。
エイレンは、腰を抜かしたまま立てない。
いまだに、目の前で起こったことが信じられないのだ。
なぜ? どうして? どういうこと?
先程から、その繰り返しだ。
だが、バカにように繰り返しつつも、ディギッツは、そしてエイレンは、問いかけざるを得ない。どうして、ニザーミア学府院からの、オービス首席導師からの親書が……爆発するのだ? 僕たちは、何を運んできたのだ? 僕たちは、なぜ……?
「それにしてもこの程度の罠で、たやすく私を亡き者にできると考えるとは…ずいぶんと見くびられたものだな。
私がトライフォースだということを、ニザーミアはもう、忘れたのか?」
口元には笑みを浮かべながらも、眼鏡の奥に光る眼は、凄まじい感情を湛えている。
何かの間違いだ、これは…!
ディギッツは叫ぼうとした。が、口が動かない、声が出ない!
まるで阿呆のように、くちをパクパク、と動かしながら、立ちつくすだけだ。
「では、お返しをしよう。ニザーミアの刺客たちよ。
残りのザップスボンを、受け取るがいい」
ゆっくりと、ニキータは、灼熱する右手を差し上げた。
エイレンに当ててはいけない!
水精師が火精のザップを食らえば、文句なしに即死だ!
ディギッツの足が、勝手に暴走していた。
ディギッツは、祭壇を駆け上がり、ニキータの前に立ちふさがった。
精一杯、大きく手を挙げ、立ちはだかる。
ちょうど、ニキータが右腕を振り下ろすのと、ディギッツが彼女の前に立ちはだかるのが同時だった。ニキータは予測外の行動に、一瞬攻撃を止めようとしたが、すでに呪の発動を止めるのには手遅れだ。
閃光が走った。
ぼん!
くぐもった破裂音が響いた。
衝撃波が飛び散った、が、それはディギッツの身体に当たって、そのまま上下左右に吹き飛ばされた。
エイレンからは、まるで、ディギッツの正面に巨大な壁が発生し、爆裂はそこにぶち当たってはじき返されたように見えた。
なにが…起こったのだ?
ディギッツは、ニキータの前で手を拡げたままだ。
しゅうしゅう…焦げるような臭いと、かすかな音だけが、まだ続いている。
唖然としたのは、エイレンや、取り巻く邪術師たちだけではなかった。
呪を返した、当のニキータも、手を振り下ろした状態のまま、惚けたように立ちつくしている。
「な…何なのだ、この小僧は…」
その声に反応したように、ゆっくりと、ディギッツは崩れ落ちた。
ディギッツに駆け寄ったエイレンは、何度も激しく、彼の名を呼んだ。
返事は、返ってこない。
だが……脈はある、呼吸も、かすかにある。死んではいない。
「わけが判らない…どういうことだ?」
再び、ニキータがエイレンに、というより、自分に問いただすかのような口調でつぶやく。エイレンは、正面を向き直った。
「今し方の不始末、心よりお詫び申し上げます」
エイレンは、ゆっくりと口を開いた。
次は、自分の番だ!
「お詫び…? いまさら…何を言っているのだ、お前は」
ニキータは、困惑した表情で、立ちすくんだ。
「はい。このディギッツ・ベル・オー精霊師と、私は、ニザーミア学府院より勅使として参りました。
首席導師オービス・ブランよりの親書を、前首席導師ニキータ・ディーボックス様へ手渡すよう、申し使って参りましたが、それがいかなる手違いによるものなのか、このような仕儀に成り果てました。この件に関しては、お詫びの申し上げようもありません。
また、お怒りもごもっともなれば、こののち、如何ようにも処罰をお受けする所存です。
しかし、私もこれだけは申し上げねばなりません。オービス・ブラン首席導師にはいかなる意図のあったはずもなく、ひたすらこれも単に、私たち使節の責任であります!」
エイレンは、一気に畳みかけるように、口上を朗々と述べた。
「おまえは…?」
いささか気圧され気味の様子で、ニキータは尋ねた。
「申し遅れました。私は、水精霊師見習い三回生、エイレン・オルニダ・モーティムスと申します」
「モーティムス……というともしや、お前…イルーランの…姫様か?」
エイレンが頷くとニキータ・ディーボックスは、静かに尋ねた。もはや、つい今し方あった瞳の奥の激情は消え失せていた。
「いま、おまえは如何なる処罰も受ける、と言ったな。たとえ命を取られても、そう言い切る覚悟があるのか?」
「私は、オービス首席導師から、命を受けました。お会いしたのち、ニキータ・ディーボックス前導師の指示を仰げ、とも。ですので、いかなる命を…処罰を頂きましても、甘んじてお受け致します」
「…おまえは、その…オービスと、私のことを…何か知っているのか?」
「……はい????」
それはエイレンにとって、まるで意味を成さない質問だった。
いったい、どういう質問なのだろう? これは。
エイレンの戸惑いを見て、余計なことを話してしまった…そんな表情を浮かべたニキータは、傍らにいるオルトに手を振った。
「そこで長々と寝っ転がっている小僧を、介抱してやれ、オルト。どうやら大したことはなさそうだ。しばらくすれば目を覚ますだろう。それに…」
何か、まだ話し足りなさそうなエイレンを遮って、ニキータは続けた。
「おまえも下がれ。少し休むがいいだろう」
結局、誤解は…今し方の大事件が「とんでもない誤解」だったとしての話だが…解けたのか。あるいは、これから二人は幽閉されるのか、いかなる目に遭わされるのか、分からぬままに、エイレンはオルト・アリューインと紹介された男に引き立てられ、階上へと連れて行かれた。
残された瓦礫の山だけが、今し方の大惨事を物語っている。




