1-10幕間1 崩壊
10 幕間
眼前に拡がるのは、まさしく死の世界そのものだった。
地殻は裂け、灼熱した溶岩は大地を覆い、裂け目からおびただしく吹き出す樟気は、天空を覆い尽くそうとしている。大地もまた奇怪な形相で隆起し、捻れ、陥没し、そこにかつて豊かな文明社会が存在していたことを思い出させるよすがなど、何もない。
「さあ、お前が望んでいたものはすべて用意してやった。あとはその手で『セカイ』とやらを好き放題、掴むがいいだろう」
サー・デュークは、さも得意満面と言った体で、そう言い放った。
「…計ったな…最初から、キサマの狙いは、これだったの…だな…」
皇帝ワドル一世…つい先ほどまで、そう呼ばれていた男は、喉の奥から、しゃがれ声を絞り出すのがやっとだった。
狼狽、混乱、後悔そして憤怒。
皇帝ワドルの胸の奥底から湧き上がる、どろどろとした感情は、口に出そうにも喉元に詰まり、ただ呼気だけが空しく、ひゅうひゅうと突いて出るだけだった。
「おや、これは心外」
サー・デユークはワドル「皇帝」を振り返る。その目は、あまりにも正直な戸惑いの色を湛えていた。この男は本気で、ワドル一世が何を怒っているのか全く理解できない、という体である。
「世界征服が望みだ、と言っていたではないか? だから征服できるように、世界を造り替えてやったのではないか。それが私と、オマエの約定だったではないか」
「せ…世界を…破滅させることが…約束だったというのか!」
「そんな約束は、そう…確かにしていないが…結局は同じ事ではないか?」
サー・デュークの口調は、駄々をこねる子供をあやしつけるような風ですらあった。
「そもそも、お前の望むセカイ征服とやらを、自分ではどんなものだと考えていたのだ? 世界すべてが自分にひれ伏すように、世界そのものを造り替えたい、オマエは私にそう懇願していたではないか?
世界をオマエの手の中に治めるとは、どういうことだったのだ? そもそも、オマエが手にすることのできる程度の世界とは、どういうものなのだ? 私はそれをオマエのために、用意してやっただけだ。その答えがこれだ」
何を…馬鹿げた戯言を…いけしゃあしゃあと…恥知らずの詐話師が…!!
ワドルは必死で言葉を探ったが、口をついて出てくるのはやはり、ひゅうひゅうという空しい吐息だけだった。
「ひょっとして世界を手に入れて、その玉座に収まって、そして栄耀栄華を誇りたかったのか? 贅沢三昧、快楽の限りを尽くそう、とでも考えていたのか?」
哀れむような視線をワドル皇帝に送りつつ、サー・デュークは彼を見下ろしていた。
「それはセカイ征服ではない。ただ阿呆の夢想だ」
地平の彼方で、真っ赤な柱が幾本も立ち上った。
どうやら、地殻が最後の支えを失って崩壊し、陥没しつつあるようだ。数刻もすれば、この首都神殿も地の底へ呑み込まれ、溶岩流に押し流されて消滅することだろう。
だが彼は、そんな危機的状況にはお構いなく、涼しい顔で話を続けた。
「世界が、なぜお前にひれ伏す? 何の資格があって、何の根拠があって?
仮にその…玉座とやらに収まって悦楽の限りを尽くそうとしても、お前にそれができようはずもない。おそらく、お前の玉座を狙って、数限りない陰謀が果てしなく発生したことだろう。
そもそも、オマエごときに玉座が保てるはずはない。資格もない。
誰もがそう確信するだろうし、帝室に巣食う、ならず者や野心家どもは、その機会を逃がすまいと立ち上がる。王宮は陰謀と暗殺、狂気の巣窟と化し、オマエ自身も常に裏切りや暗殺に怯える。
疑心暗鬼で安らぎの時など、一瞬たりとも得られはしない。
そう、必然的に、オマエは悲惨な最期を遂げざるを得なかったはずなのだ。
世界は、オマエが背負うには重すぎる。
考えてもみろ。この南陵大陸だけで、つい今し方まで、幾百万もの命が棲息していたのだ。オマエに、その重みが判るか? その総てを、オマエの貧弱な知略で、身体で、支えることができるとでも、本気で思っていたのか?
…だから、私はオマエの重荷を何もかも取り除いたうえで、残った『世界』をオマエに下げ渡してやったのだ。政敵も消し、暗殺の恐怖からも解放してやったのだから、大いに感謝されても良いと思うのだがな? なあ、痴愚の王者ワドル・ブラインド…いやワドル一世よ。残念ながら後継者ワドル二世の誕生はどうやら、望めそうにないようだが」
サー・デュークはおもむろにケーブから腕を伸ばし、自らの仮面をに手を掛けた。
銀色に輝くその腕は、筋肉と皮膚で構成されたそれではなかった。
「…セ…精霊使い…」
「邪術使い、と呼んでも構わないのだぞ」
サー・デュークは答えた。
仮面の下から出現したものも、また『人間』のそれではなかった。
サー・デュークは、始めて微笑んだ。もっとも、その禍々しく引きつった歪みを「表情」と呼び、あるいは笑顔と呼べればの話だが。
「では、契約満了だ。これで私は失礼させてもらう。あとはワドル、オマエに下げ渡されたこの『帝国』とやらで、思う存分、残された僅かな生を愉しむがいい」
「ま…待て!! このアクマ!! 鬼畜!!」
地に伏していたワドルは突然立ち上がり、遺された僅かな気力を振り絞り、掴みかかった。こいつだけは、こいつだけは許せない。たとえこの命と差し違えてでも!!
だが、ワドルがケーブに手を触れたその瞬間、彼の全身に白光が迸り、ばん! という破裂音と共に、数メートル吹き飛ばされ、鐘楼に激突した。
彼には悲鳴を上げる、いとますらなかった。
地に倒れ伏したボロ布のようなワドルを見下ろしたサー・デュークは、おもむろに仮面を付け直した。
「殺してしまうと、契約違反になるからな」
もはや、目の前で倒れ伏している男には興味がない、と言わんばかりの素っ気ない態度で、サー・デュークは彼に背を向けた。
「あとは、北へ戻ってもう一仕事することにしよう。もっとも、その前にこの身体をリフォームする必要があるからな…はてさて、しばらく時間を頂くことにするか
十年になるか、それとも…百年眠るかな」
次の瞬間、ふっ、と吹き消すように、彼の身体は、消え失せていた。
高楼にいるのは、支配すべき民もそして国の総てをも失い、燃えさかり煮えたぎる大地だけが残された、哀れな支配者「皇帝」だけだった。
煮えたぎる溶岩は城壁に達していた。あと数刻、いや一刻足らずで、既に廃墟と化した首都を呑み尽くそうとしている。
まるで愚行に対する怒りと復讐が化身となり、大地を覆い尽くそうとするかのように。




