1-8火と水の相性は最悪
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「なぜ、あたし…ここに、いるんだろう?」
エイレンは、ぽつり、と呟いた。
どう、応えてあげればいいのだろう?
ディギッツは、必死になって言葉を探したが、見つからない。
しばしの沈黙があったのち、彼女はおもむろに振り向いた。
「あ、気にしないで。ごめんね、言ってみただけだから」
エイレンの口から、思わぬ謝罪の言葉が飛び出し、ディギッツはさらに驚いた。
「あんたも、あんたなりに、一生懸命だったもんね。別に…あんたと一緒にいるのが、我慢できないとか…そんなことじゃなかったのよ。そうじゃなくて…」
「判ってる。よく、判ってるよ」
ようやくの思いで、彼は言葉を絞り出した。洒落た慰めの言葉なんか、エイレンは聞きたくもないだろう。彼女もまた彼女なりに必死になって、いきなり直面させられた現実と闘ってきたのだ。
「まさか、水精が……私の掌から消えてしまうなんて、思ってもいなかったからね」
エイレンはディギッツに、というより自分自身に聞かせるかのように、語り始めた。
「あんたは、確か、過ぎ越し大祭の、ゲートを任されていたんでしょ?」
「マツリの二日前に倒れてしまって、結局…大任は果たせなかったけどね」
「あたしだって同じようなものね。知ってるでしょ? 水精師の見習いは、ベネラ小堂で禊ぎをするのよ、大祭の7日前からずっと」
ベネラ小堂は、学府院の東の端、学府院のあるイェガーシェラ半島突端の修練堂で、湧き出す地下伏流水がちょうど滝となって、小堂の真上に降り注いでいる。学府院で重要な儀式が主宰されるときには、水精師エレメンタリたちから選抜された「巫女」は必ず、ここで禊ぎを執り行う決まりである。もちろん、式次第は他のエレメンタリたちには知らされない秘儀である。火の精霊師の知るところではない。
「禊ぎはね…一種の試しでもあるのよ。滝に打たれている間中、こうやって…」
エイレンは、ディギッツの方へ向き直りながら、両腕で複雑な「印」を結んで見せた。その挙動はなめらかで、すばらしく優雅だった。
両腕を真上にむけて結んだと思うと、そのままの姿勢で肩の後ろに腕を回し、左右にゆっくりと移動させる。いったい、エイレンの関節は、どうなっているのだろう?
「ね、これを、十分間にわたって、繰り返すの。正確には、4種類の型を順番に続けるんだけど…アンテ、ベルテ、ツイヤー、フム…」
エイレンは目を閉じ、呪らしきトップスペルを呟いた。
「それを…滝に打たれながら、続けるの?…水の中で?」
「そうよ」
「だって…滝って、たしか…数十メートル上から降ってくる、アレだろ? いくらお堂が守ってくれるからといっても、あんな滝壺の下で…」
エイレンは、かすかに微笑んだ。
「ベネラ小堂って、天井の真ん中に穴が空いてるのよ。滝の水は、そのまま修練者の真上に落ちてくるわ」
「だったら余計にムチャだろう? 水圧だけで、僕らなら、気絶しかねないし」
「だから水精師なの。水は、印の結界で弾かれるから。それが修練だって言ったでしょ? 水に打たれるために滝に入るんじゃないの。水の精霊を召還して、水を差配するために禊ぎをするの」
ディギッツは、感嘆の呟きを上げることしかできない。
ふふ、とエイレンは再び微笑んだ。
「ところがね…あの時には…あの瞬間に、って言ったほうがいいかな……どうしたのか、突然…消えたのよ。すうっ、と身体が軽くなったと思ったら、いなくなったの」
どう表現すればいいのか、とエイレンはじれったそうに言葉を探った。
「判るよ、よく判る」
ディギッツは応えた。安心したように、彼女も言葉を継いだ。
「驚いたな……。いきなり、あたしの頭上に、水の壁が落ちてきたの。悲鳴を上げるひまもなかったわ。滝に弾き飛ばされたのね。
気がついたら、小堂の三和土の先端まで、吹き飛ばされてたわ。マツリ装束はびしょ濡れ、漉いて梳かした髪はめちゃくちゃ。みじめな濡れネズミになって泡を吹いてたのよ、未来のイルーラン祭司長候補、エイレンさんは」
表情ひとつ変えず、エイレンは淡々と続けた。
「みんなが心配そうに、あたしをのぞき込んでたわ。巫女たちの顔を見た途端に、判った。いまの今までと、世界ががらっと変わってしまったんだって」
精霊が、消えてしまったから。
ディギッツには、その感触が、痛いほど判った。
火と水、エレメントの相違こそあれ、彼自身が体験したことと同じなのだ。
エイレンは、だから自分たちが「追放されたのだ」と言った。
精霊を失ってしまった精霊師に、居場所はない。少なくとも、ニザーミア学府院には。
というわけで、適当な名目をでっちあげられ、つまり廃都ガドリングへの使者、などという理由をくっつけて、二人は即座に「放逐された」のだ、と。
「でもエイレン、そこまで悲観的に考えなくても、いいんじゃないかな?」
わざとらしいだろうか? でも、ここはきちんと、伝えなくては。
「だって僕たちは実際に、オービス首席導師から、親書を預かっているだろう? それに二人を使者に選んだ、ってことは…補完師として、ペアを組ませて安全に旅をさせるため、って心遣いかもしれないし」
「だったら、なんで火精師と水精師を、ペアにしたの?」
………
そうなのだ。
少なくとも、補完師として、火と水はエレメント的に最悪の不整対関係なのである。
火は水を妨げ、水は火を減衰させる。
精霊師が持っているエレメントは、たとえば協同して発動させると、対効果をもたらす場合がある。ことに抑揚が二人の精霊師で均等の場合、絶大な発動をもたらす場合もある。だが「火と水」そして「地と風」の組み合わせだけは別だ。協同したところで、互いの精霊を弱める効果しかもたらさず、いわゆる「補完師関係」は、ほとんど成立したためしがない。ごく一部の例外を除いて。
そんなことは、ニザーミアに在籍する精霊師にとっては、常識中の常識だ。
ディギッツは、口ごもるしかなかった。
あんた、真性のバァカなの???…そんな罵声を、彼は覚悟した。
「ま、いいか。あんたのポジティブ思考、そんなにキライじゃないし」
エイレンの言葉に、再びディギッツは耳を疑った。
「そうなのよね、あたしだって、全部を全部、承知してるわけじゃないんだもん」
「あらあら、お二人は何してるんだね? 夜空の下で、仲良く語らい合うのもいいけどな、マツリにも参加せんといかんね~。そりゃ約束事だろ」
不意に背後から声をかけてきたのは、スコールのラクーンだった。妻のケーデ女将も傍らで、笑いながらディギッツたちをせき立てる。
「あたしらも寂しいじゃないか! せっかくの客人が祭りに加わらないんだったら、それこそ何のために拾ったか、判らないじゃないか」
いや、別に語らい合っていたわけでは……。
ディギッツの弁明などには聞く耳を持たず、ラクーンとケーデは、二人を大テントへと引っぱっていった。
過ぎ越しの宴はまだ始まったばかりなのだ。




