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7 恐怖のルーレット! 呉羽のヒントとホームラン

 水走の渾身の挑発も虚しく、坂下さんはほとんど速球を投げてくれなかった。

 回が進むにつれて、ますますよく曲がるようになってきた彼のピッチングにウチのベンチからは諦めに近いような雰囲気も出てくる。

 要するにウチの連中は彼を保田久さんと同等の投手として認めてしまったのだ。

 あと少しで「負けてもいいや」と言いだす奴が出てきそうな空気の中、氷野と水走だけが熱心に相手のピッチングを観察していた。

「……読めないわ。どれもこれもすごい曲がり方だし、たまにゆるいのが来てクルッと回っちゃうし」

「曲がり方に検討がつけば、ファールで粘って四球を狙ったりできるんだけどな……」

「時折投げてくる『魔球』が打者の足腰を崩しちゃうみたいね……まさに変幻自在だわ」

 スコアブックからメモを取ろうにも内容が作れないらしく、氷野のノートブックは真っ白だった。水走もずっと首をかしげている。

 それだけ、坂下さんは次に何を投げてくるのかわからないのだ。

「おい! 三住に代打や。代打呉羽!」

 いきなり指名を受けてビックリした。

 鴻池監督はいつものように末広を伝令に向かわせる。

 急に交代を告げられた三住先輩は「えっ」って顔をしていた。当たり前だ。

 ただ左右の相性を重視するならば決して考えられない代打ではなかった。ただでさえ右打者ばかりのウチの打線だから、空気を入れ替えるのにはちょうど良いかもしれない。

「はい。頑張ってきてね」

「お、おう」

 氷野からバットを受け取り、左打者用のヘルメットをかぶった俺は、下がってきた三住先輩と軽くハイタッチしてから、久方ぶりのバッターボックスへと向かう。


『9番三住くんに代わりまして、呉羽くん――』


 そう。実はこう見えて左打者なのだ。

 足はあまり速くないけど内野安打は昔から多い。

 ふむ――なるほど。転がしてやって1塁を狙うのもいいかもしれないな。

 そうと決まればセーフティバント作戦でいこう。

 ではさっそく第1球から……。

「クク! そんなの見え見えなんだよぉ!」

 グサリ、と内角高めに厳しいボールが飛んできた。判定はボールだったが、こっちの心の中のバントを仕掛ける気持ちはしっかりアウトになってしまった。あんなのぶつけられたらたまったもんじゃない。

 しかし珍しく速球だったな。

 仮に死球を嫌がって、コントロールの良い球で脅しをかけてきたとするなら、速球以外の変化球のコントロールには自信がないってことだろうか。

 そう考えると、今まで俺たちは坂下さんの変化球が『打てそうで打てない』からこそ、無理に手を出してしまい無残な空振りを奪われてきたわけだが――あえて全く打たないポーズを取ってやれば、そのうちカウントがかさんで、相手の方が速球を投げざるを得なくなるかもしれないな。

 良いな。面白くなってきた!

『ボール!』

『ストライク!』

『ボール!』

「なぜだ、なぜ手を出さない!?」

「だから喋らない! 退場させると言っただろう!」

 意図せず叫んでしまってアンパイアに怒鳴られる坂下さん。

 やはり思った通りだった。

 相手の変化球は手元ですごく曲がるけど、コントロールがまるでダメだ。

 カウントは3ボール・1ストライク。

 きっと次は安全策で速球を投げてくるはず。そこをガツンと狙ってやれば!

「チィッ!」

 右のサイドから放たれたボールは……縫い目がほとんど回転しておらず、途中でストンと斜めに落ちた。

 例の『魔球』だ。

 悔しいけど速球だと踏んでいたのでバットが回ってしまい、空を切る。

「ククク。追い詰めたつもりだったか」

「はい! ストレートが来ると思いましたよ!」

 お互いに声は出さずに、口の動きだけで意思疎通する。たぶん伝わったはずだし、俺の読唇術は間違っていないはずだ。きっと少年漫画のライバルみたいな会話になったはず。

 カウントは3ボール・2ストライクのフルカウントに変わった。

 坂下さんは一息ついた後、セットポジションから6球目を投げる。

『ボール! フォアボール!』

「クソがあ!」

 さすがに2匹目のドジョウとは問屋が卸さなかった。キャッチャーが後逸しそうなほど曲がりまくったシンカーボールを軽やかに見送って、俺は悠々と1塁に向かう。

 これでウチのチームは超人の水走を除けば初出塁。

 8人もいながら6回表で初出塁とは情けない限りだが、この打席で色々と坂下さんについてわかったことがあるので、きっと状況は変えられるはずだ。

 未来はおそらく明るい。

 問題は、こうして1塁ベースにいるかぎり、他のチームメイトと情報交換ができないことぐらいだろうか。

 走者ができるのはせいぜい走塁コーチ役の南郷先輩にかいつまんで話すくらい。

 でもベンチの連中に伝えないと意味がないしなあ。

 うーん。せっかく出塁したけど、この回は活かせないっぽいな。


『1番・センター深野くん――』

『2番・セカンド大東くん――』

『3番・キャッチャー今津くん――』


 打順がトップに戻ってくる。だが1番深野も2番大東も、坂下さんの大きく曲がる変化球に手を出してしまい空振りを繰り返した。結果はどちらも空三振。

 ここまでは今までと同じやられ方だったが、どうもたまたますっぽ抜けたのか――ゆるいカーブが3番・今津先輩の懐に滑り込んでくる。

 それを先輩は無理やり振りぬいて、ガツンと外野に持っていった。

 良いスタートを切れた俺は一気に3塁まで突っ走り、これで2死1塁3塁の大チャンス。

 そして打席には我が中垣内野球部の花形・4番水走が立つ。


『4番・ピッチャー水走くん――』


「タイムだ! タァイム!」

 坂下さんの要求に従い、捕手の遠藤さんがアンパイアにタイムを求めた。

 よし。この隙に南郷先輩に水走のところまで走ってもらおう!

 俺は先輩に向けて大きく手を振る!

「あ! やっぱりタイム終わりで!」

 だがこちらの動きに気づいたのか、坂下さんは急にタイムを終わらせてきた。

 くっ。せめて速球1本に絞って他には手を出さない戦術さえ伝えられたら、まだ勝機はあるのに。

 キャッチャーのところからマウンドに戻った坂下さんは、俺のほうをチラチラと見つつ、セットポジションから第1球を水走に投げた。

 パームのように緩やかに落ちる高めの変化球。キャッチャーは立ち上がってボールを取ろうとしたが、水走はそんな高いボールをあえて打ちに行った。

 バットに当たったボールは3塁線の――外側を転がってファール。

 無駄に1ストライクを取られてしまった。

「ククク! バカな奴め。手を出すことなどなかったのに!」

「クソ、自由に動けるタイムが欲しい!」

「そんなもんくれてやるかよ! バカな1年生め!」

 こちらを見ている坂下さんとまたもや唇だけで会話する。

 悔しいけど、氷野が前に言っていた通り、俺たちにはかなり通じ合う部分があるようだ。現に声を出さずとも普通に会話ができてしまっている。お互い初対面なのに。

 それにしてもタイムが欲しい。

 かといってランナーの俺自身がタイムを求めたところで、打者の近くまで助言に行くのは奇妙な話だ。どうにか他人がタイムをもらっている間にアドバイスをしてやりたい。

 せめて俺が打者にタイムを言わせるサインを覚えていれば良かったのだけど、投手たる者は細かいことは気にしていられないので正直覚えていない。

 俺はふと、ベンチに目線で伝えられないかと考えて3塁側に目を向けた。

 すると目の前に3塁走塁コーチの生駒先輩が立っているではないか。

「あっ!」

「どうした呉羽。僕の顔がそんなに珍しいかい?」

 キョトンとしている生駒先輩。

 よし。勝ったぞ。


     × × ×     


 せっかく2ストライクまで追い込んだのに、相手打者が急にタイムを求めてきた。

 あの生意気な3塁走者の1年生、何かしら謀りやがったな。

「ぐぬぬ……」

 3塁コーチから何やら話を聞いた相手打者――水走は実に興味深そうな顔をしていた。

 あれはおそらく『速球を待て、変化球に手を出すな』の指示を得たからだろう。大体どこのチームでも使ってくる作戦だから想像はつく。

 きっと情報を流した3塁走者は心の奥の底でほくそ笑んでいるはずだ。

 これで勝てるだろうと。

「ククク……」

 だが奴はわかっていない。

 そう!

「ノーコンだからといって、ストライクゾーンに入らないわけじゃないってことを!」

 たまたま入ることもあるんだよ! 基本どこに入るかわかんないけど!

 だから、この勝負はこれから『運試し』だ。

 ストレートを投げれば、おそらく俺の球威では満足に抑えられない。

 だが変化球はボール球だとして見送られてしまう。

 ならば、ストライクゾーンに変化球が入るかどうかのロシアンルーレットで行こうじゃないか。

 ちょうど我らがオーケストラ部が『スターリンの航空行進曲』を流している。オレへの激励のつもりなんだろうが球場には甚だ不釣り合いだ。しかしロシアンルーレットには相応しい選曲といえよう。

「ククク! 3塁走者よ、共に運命のルーレットを回そうぞ!」

「ボン・ジョヴィのエブリデイが聴きたい!」

 うーむ。さっきから何度も3塁走者の奴に話しかけているのだが、いかんせん相手の返事がめちゃくちゃで通じない。

 もっと口を大きく開けてくれればまた違った読み取り方が出来るかもしれないが……ともかくあいつとは気が合いそうにないな。

 さて。そろそろ相手がタイムを終えてプレー再開の流れだ。

 ロシアンルーレット。またの名を根競べ。オレの変化球がストライクゾーンに入れば勝ち、全て外れてしまえば四球でお前らの勝ちといこう。

 もっとも、一番怖い水走有也を四球で出してしまえば、後はザコばかりだからむしろ好都合だったりするけどナー!

「プレイ!」

 ククク、アンパイアの声で始まったぞ! 運命のロシアンルーレット!

 ほらほら! 最初はフォークでどうだ!!


     × × ×     


 カーンと空高く舞い上がった打球は、そのまま海風に揺れることもなくスタンドへと飛び込んでいった。

 内角に入ってきた変化の大きいフォークボール。

 それを腕を折りたたんであっさりと狙い撃ちした水走は、ダイヤモンドをぐるりと回って、本塁近くで俺&今津先輩とハイタッチした後――ベンチに戻っていきなりマネージャーの氷野を抱きしめようとした。

 しかし拒否されてしまい、せっかくのホームランの後なのにションボリしている。

 もっとも一番ガックリきたのはマウンドの坂下さんだろう。まさかあんなボールゾーンの球をホームランにされるとは思わなかったはずだ。

 実際、俺もビックリした。

 だって『変化球は振るな』と生駒先輩経由で伝えたばかりだったから。

「なあ、どうして振ったんだ?」

「……いや、振られたんだけど」

 氷野を抱きしめられなかった代わりに水筒を抱きしめている水走。

 寸胴ってところだけは氷野と変わらない一品だ。

「そうじゃなくて、ボールのことだ」

「変化球かい。あれは……たまたまだよ。本当は『魔球』を狙ってたんだ」

 曰く、2ストライクなら相手は一番自信のあるボールで三振を奪いに来るだろうから、それ1球に狙いを定めていたらしい。ところが坂下さんはフォークを投げてきたため、多少は驚いたものの、すぐに気持ちを切り替えて思いっきり振りぬいてやったそうだ。

「それに――フォアじゃダメだったんだ。呉羽くんは振るな、速球を待てと言ってきたけど、相手からしてみれば僕が一番怖いバッターなんだから、きっとその速球は外に外れていたはずだ。でもここは得点が欲しい場面だった。だから僕には振るしか選択肢が無かったんだよ」

 ニコリと嫌みのない笑みを浮かべる水走。

 その背後にグローブを持ったチビが近寄ってくる。

「失礼な! この天才・赤井がきっちり満塁弾を打っていたかもしれないだろ!」

「でも赤井くん、今三振で戻ってきたばかりだよね?」

「うぐっ」

 後続の5番打者として信頼されていないことに腹を立てたらしい赤井だったが、水走のホームランの後にきっちり空振り三振を取られてきたみたいで、それ以上は何も言えず「チィッ……」と唸るばかりだった。口の達者な赤井が黙らされるなんて珍しい。

 何はともあれこれで3対3の同点。

 問題はここから追加点を奪えるかどうかだけど……。

 ここで相手ベンチに動きがあった。

「なぜですか監督! まだ同点ですよ!?」

「坂下、お前は投げ過ぎだ。1回戦からずっとだし、何より奪三振にこだわりすぎて球数が多いからな。ここは1つ休ませてやろうという話じゃないか。不満かね?」

「まだ行けますよ!」

「……学校初のプロ候補を潰すわけにはいかんのだよ」


『朝陽寺高校、4番・ピッチャー坂下くんに代わりまして、代打早川くん――』


「あ、ああ、ああああ…………!!」

 ベンチの前で膝を落とす坂下さん。

 さっきベンチの前で投球練習をしていた早川さんはいたって普通の投手だった。

 俺の実力に果てしなく近いといえば大体は理解できるだろう。

 つまり――確実に水走の餌食になる。

 仮に水走を打ち取れてもキャプテンあたりに打たれそうな気がした。そんな人だ。

「まだ、投げられるのに! なんで! なんでぇ!」

「はいはい。もう120球も投げたんだから、仲間に任せたほうがいいよー」

 顔を赤くしてポロポロと泣き始めた坂下さんを朝陽寺のマネージャーがベンチ裏まで回収していった。

 かくして相手の主役は舞台から姿を消し、試合の流れはほぼ決定づけられた。


     × × ×     


 試合終了のサイレンが舞洲球場に鳴り響く。

 もっとも俺たちの試合はすでに終わっていて、今遠くで鳴っているのは同じく5回戦の「府立江袋高」対「市立三味線高」の終了サイレンだ。

 どっちが勝ったのか気になるけど、どちらが上がってくるにしろ強敵なのはたしかである。

「次はいよいよ準々決勝だ! みんなよくここまで来られた!」

 朝陽寺との試合の後、チャーターしたバスがやってくるまでスタンドで他校の試合を観戦していた俺たちは、ついつい見入ってしまい試合の総括というものを忘れていた。

 なので今さら音頭を取るキャプテンもいまいち乗り切れていない感じだ。

 こういうのは勝利の余韻に浸りながらやるものだからなあ。

「今のところ、ほとんど水走に頼るような形での試合運びになっているのは気になるが、それでもバックを守る俺たちがいなければ勝てなかったのはルール的に確定的だ! だから自信を持てよ! 俺は持つぞ!」

「キャプテン! 日本語が変です!」

 大東のツッコミにドッと笑いが漏れる。

「うるさいぞ、そこ! だいたいお前が毎試合4エラーもしてなきゃもっと楽に勝てるんだからな!」

「そりゃそうだ!」

 キャプテンの反撃に他の部員が乗っかった。より大きな笑いが巻き起こる。

 当の大東はぐうの音も出ない。ただ恥ずかしそうに頭を掻くばかり。

 雰囲気こそ笑い話にしながらもキャプテンの指摘はもっともで、セカンド大東のエラー癖はチームの足を大きく引っ張っていた。

 そもそも彼は身体能力こそあるものの手先が不器用すぎるため本質的に内野は向いていない人材なのだ。しかし他に彼ほどの肩と足を持つチームメイトがキャプテンと水走ぐらいしかいないこともあって仕方なしに二塁手を任されていた。

 他には赤井の一塁手も同様だ。

 根本的に弱小チームなので人手が足りていないのがウチの弱みと言っていいだろう。あとはエース以外の投手がちょっとアレなところとか……自分で言うのもなんだけど。

「うう……」

「まあまあ。気にしないでいいよ。みんな怒ってるわけじゃないんだから」

 萎縮する大東の肩をポンと叩く男がいた。水走だ。

「――大東くん。それにみんな。5月に入ったばかりの僕だからこそ言える話なんだけど、このチームにはこのチームなりの戦い方と魅力があると思うんだ。そもそもエラーをしない人はいないし、謙遜抜きで言わせてもらえば僕だってヒットを打たれる」

 水走は静かに目をつぶる。

「でもね。要はそれを補えばいいんだよ。現に今までそうしてきたよね。ミスをうじうじと胸に刻むのはよくない。そんなことしてたら、いつか捕球ミスで夜も眠れない日が来るかもしれないよ」

「おお……つまりミスも個性ってことか!?」

「北口くん、そんなの少ないほうが良いのは当たり前なんだから変な解釈はやめてね」

 ちょっぴり声色に笑いがこもっていた。

 水走は最後に「要はみんなで成長していけるかがミソだよ」と付け加える。

 あれだけ完璧なピッチングをしながら、味方のエラーでいつもピンチを背負わされている男が、こんな余裕のある台詞を吐けるだなんて――仏様はこの男を菩薩にでも取り立てたいのだろうか。そのうちパンチパーマになりそうな勢いだ。

 よく見ると夕焼けが後光みたいになっていた。

 もはや奇跡的な存在じゃないか。

「……ま、そんなところだ。以上!」

 キャプテンは締めを水走に任せてミーティングを切り上げた。

 すると、タイミングを見計らっていたのか、豊満な胸をぶら下げた女性が姿を見せる。

 どこかで見た胸だと思ったら、なんと灰塚さんだった。

「ミーティング終わったかな。バスを持ってきてあげたよ」

「ええと、灰塚さんですよね?」

「今日はバス運転手の灰塚詠美だけどね!」

 灰塚さんは近くに停めてあるバスを指差した。

 とっても大きなバスだ。高速道路を走っているようなタイプで、間違いなく近所の近鉄バスより大きい。50人は乗れそうだ。

「ふふ。呉羽くんには女子高生って言ってたけど、あれは世を忍ぶ仮の姿で、実のところ大型バスの運転手だったりするんだ。これってなんだか大型内野手みたいで良い響きだよね」

「なあ姉ちゃん……こんな大きいバスは頼んでないんやけど」

 腰に手を当てて運転免許証を見せつけてくる灰塚さんに、鴻池監督が話しかける。

 単独チームとしては初出場でありながら、5回戦までコマを進めた俺たちに対して、学校は少額ながら特別予算を付けてくれていた。

 今日のバス帰宅も試合に疲れた選手たちへの監督なりのご褒美だったのだが、まさかこんな大型バスが来るとは思わなかったらしい。

 しかし、灰塚さんはあくまで口元の笑みを絶やさない。

「大きいことは良いことですよ、監督さん」

「そりゃそうかもしれんけど……」

 さりげなく目線が灰塚さんの胸元にいく鴻池監督。

「ふふ。もしや料金のことですか。実はあれ、パパの会社のバスだから好きに動かせるんです。だから心配ご無用。マイクロの料金でOKですから、どうぞ乗り込んでくださいな」

 灰塚さんの言葉に納得したのか、鴻池監督は「じゃあ得させてもらおか」と部員を引き連れてバスのほうに歩いていった。

 その場に残ったのは俺と水走と氷野、そして灰塚さんだけだ。

「……今日は良い試合だったねー。呉羽くんも頑張ってたし。水走くんと坂下くんの投げ合いも見ごたえがあったよ」

「ありがとうございます!」

 ぺこっと頭の下げたのは水走だ。

 それに釣られてか、氷野もマネージャーらしく腰を折る。

「ふふ。可愛いなあ」

 灰塚さんはそんな彼らに笑顔で会釈しつつ、俺のほうに目線を移した。

「ねえ呉羽くん。あのヘンテコな縦のカーブはどうだった?」

「縫い目、動いてませんでし……なかったぞ」

 俺は思い出したように格好つける。実際忘れていた。

「じゃあ高速ナックルかな? ともかくピンポン玉みたいに動いてたねー」

 楽しそうに『魔球』の感想を言う灰塚さん。

 しかし――まばたきしてからは、一転して悲しそうな顔になる。

「……ふふ。ごめんね。ちゃんと情報を伝えられなかったね。やっぱり素人だから限界があるのかなー。以前バスの運転席から坂下くんを観察した限りではただの変化球にしか見えなかったよ。動画でも違うと思ったんだけど、今日実際に見てビックリしたもん」

「いや、構わんさ……いつもお世話になってますし」

 ようやく俺も頭を下げる。

 すると彼女はニィッと笑い、なにやら企むような目でこっちの両肩を掴んできた。

「じゃあ、お言葉に甘えて、またハザラジャートで中華でもご馳走してもらおうかな!」

 な! そんなこと一言も言ってないのに!

 だが、投手たる者といっても所詮は高校生に過ぎない俺が、24歳くらいのお姉さんに勝てるはずもなく、あとさりげなく胸がどこかに当たっているような気もしたので余計に何も言えなくなった。

 そんなこんなで、5回戦も俺たちの勝ちで終わった。

 ちなみに灰塚さんによれば、先ほどまで行われていた第二試合の勝者は「府立江袋高」だったらしい。

 これで5回戦の勝者は全て決まり、後は抽選によって次の準々決勝の対戦カードが振り分けられる。

 江袋高といえば高校通算60本塁打以上の綿引さん(3年)がいるところだ。たぶん俺に登板の機会はないだろうけど、もし戦うとなればしっかり対策を練らないとまずいだろうな。

「……ミズハイくん。無性に麻婆豆腐が食べたいわ。学校の近くにないかしら」

「はは。いつでもエスコートするよ」

 バスの中で何やら話し込む氷野と水走。

 二人は試合帰りにデートか。全く羨ましい身分だ。

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